第17話 その男のはらわたに眠る野望2


 エッカットの話を悶々と考えながら、私はディアナの講義を終え、昼食を食べた。

 正午を過ぎたためか、身を刺すような日の光は少し穏やかになる。からりと乾いた風が自室に通り抜けていく。


 昼食を終えると、目の前には真剣な顔したヨセフとピットラのボード。木材でてきたそれの塗料が、日光を照り返す。

 既に生活の一部となってしまった食後のピットラによる一試合である。


 ピットラのボードは白と黒の10かける10のマスで構成されており、木材出てきたそれは何処かじっとりとしたような質感をまとっている。

 同じく木材出できた黒と白の駒は、ひとつひとつの役職である、王、王女、騎士、騎馬、弓兵、歩兵、呪術師、それから悪魔に合った模様が彫り込まれていた。


 私が左の悪魔の駒を右に一つ動かすと、ヨセフは何かを考えるように親指と人差し指を擦する。そして数秒した後、騎士の駒を左前に動かした。


 それを見て私は熟考した後、空気が抜けたゴム玉のように力を抜く。積みだ。

 ヨセフはしてやったという顔でこちらを見上げた。


「今日も俺の勝ちだな。しかし強くなったなぁ、負けるかと思った」


 体を背もたれに向かって伸ばしながら、ヨセフが感慨深そうにそう言う。


「バカ言え、まだ一度も勝ててないのに、どこが強くなっただ。くっそ」


 私が頬杖をついて盤上を睨み、自分が負けた理由を探した。途中までは確かに優勢であったのに、いつからか負けが見え始めたのだ。

 何かしらのターニングポイントになる場面があったに違いない。


「いやぁ、本当に強くなったと思うぜ。レオノーラ様はこの道の才能があるんじゃねぇかな。あと暫くしたら俺も負けそうだし、案外この道でも生きていけるかもな」


 本気かどうかも分からないようなことをヨセフは言う。私は肩を竦めて、「お前に勝てたところで何ともならん」と、至極当然なを事実を叩きつけてやった。


 それに対してはヨセフは不敵に笑うのみで、全く気にしないようだ。この自信がどこから来るのか聞きたい限りである。


「にしても、テブレヒト様からチェリコットを習うことになるとはな。なんでそんなことに?」


 自身の白い王の駒に触れながら、何気なくヨセフが首を傾げた。その言葉に私は思わずなんとも言えない気持ちになる。

 まさか私がテブレヒトの代わりに学習塔に行くことになるなど、想像だにしないだろう。

 私はそう思いながらも、適当な理由を考えた。


「私のチェリコットをの腕がかなり酷いことを聞いたのかもな。どうやら私には歌の才能はあるんだが、チェリコットの才能は無いらしい。

 楽師からは歌で誤魔化さるレベルに持っていくことを目標にされた」


「まぁ、素人の俺が聞いても、チェリコットの音色だけでは聞けたもんじゃないからな。テブレヒト様はチェリコットの腕が良いらしいし、いっちょ頑張ってこいよ」


 自分から言い始めたことだが、ここまででひどいと思われていたのか。

 ヨセフの純粋な応援の言葉が胸に刺さる。

 まさか、エッカットも本当はそう思っていたりしてな。いや、まさか。


「まぁ、あれだ、せっかく同じ屋敷に住むものとして交流を深める意味合いもあるんだろう」


 私が予想外の攻撃に耐えられずそう言って言葉を濁すと、ヨセフの生暖かい視線を感じた気がした。しかし、そこにわざわざ言及するほどの鬼畜ではなかったらしい、ヨセフはひとまずは納得したように深くうなずく。


「確かについこの間まで、テブレヒト様がこの屋敷にいることすらよく分かって無かった位だからな」


「一度も会わなかった上に、エッカットからも何も聞いて無かったんだ。仕方ないだろ。

 で、お前はテブレヒトについて何か知ってるのか?」


 私が聞けば、ヨセフが背もたれにだらしなくよりかかり、長く息を吐いた。


「…俺だってよく、知らねぇけどよ。あれだろ、難病で成人まで生きられないって。

 今のテブレヒト様は15歳だから、18の成人まで3年か。俺と同い年なのに、なんかやりきれないよな」


 ヨセフは指を折りながらそう言って、頭をゆっくりと振る。

 確かにそう考えると、あと3年でその生涯を閉じるという事実について、複雑な気分になる。

 私がテブレヒトとしても学習塔を卒業するときには、彼はもういない。そして、彼だと思われていた人間は、彼でなく全くの別人。本物の彼は既に生涯を終えている。


 皮肉なものだ。


 しかし、私には同情する気は起きなかった。人は死ぬときには死ぬ、それだけだ。


「病を患った状態でその年まで生きられるのは貴族だけだ。恵まれてる方だろ」


 私は騎士の駒を持ち上げながら、里での記憶を掘り起こす。

 里では、怪我を負い再起不能になった人間は早急に追い出されていた。それは病を患ったものでも変わらない。彼らが里を出て何処に行くかは知らないが、門を通り抜けていくその後ろ姿が、酷く小さなものに見えたことを覚えている。


 私が騎士の駒をもとの位置に戻し、指先でふれそれを盤上に倒す。

 ころりと軽い音がなり、騎士の駒が転がったことによってボードが少しだけ揺れた。


「それもそうなのかもしれねぇけどさ。生まれてきてから殆ど部屋から出て来ないで人生を過ごして来たんじゃあな」


「それは、完全な引きこもりだな」


 私が肩をすくめてそう言うと、ヨセフが呆れたような半開きな目をこちらに向けてくる。


「言っておくけどな。俺と母さん以外の屋敷の使用人からしたら、レオノーラ様もテブレヒト様も同じくらい引きこもりだと思うぜ。

 レオノーラ様だって、旦那様への朝の報告以外殆ど部屋から出ないしだろ。それに、自分で何でもやるから世話もかからない」


 言われてみればその通りである。


「仕方ないだろ。私は隠し事が多いんだよ」


 何しろ、ヨセフとイーリット以外の使用人には、私が先代の私生児などでは無いことを含め、魔人であることなどを知られてはいけない。ならば必然的に目につかないように行動するしかないだろう。

 私がそう言えば、ヨセフは何故だが気まずそうに視線をそらす。

 私はそれが気になり「なんだ」と彼をにらみつけると小さく息を付き、恐る恐るといった風に口を開いた。


「いや、多分だけどさ。皆、レオノーラ様が隠し子なんかじゃあ無いって薄々気がついてると思うぜ。特に結構前からこの屋敷にいる連中は端から信じてないと思う」


 ヨセフの言葉に、目を剥く。


「そ、それは流石に不味くないか!?」


 私が思わずそう言うと、ヨセフは片眉だけ器用に上げて、自身の首筋を撫でた。


「いいんじゃねぇかな。そもそも旦那さまだって隠し通せるなんて思ってないだろ。公然の秘密って奴だ。

 もし本当に気が付かせないようにするんだったら、先代の私生児なんてまず持って考えられない設定を作らない」


 その言葉で、私は先日この家に訪れたロニーナの言動を思い出す。そういえばで彼女は確信を持って私が先代の私生児ではないと言っていた。

 その時は彼女の勘なのかと思っていたが、なにか確証にたる理由があるのだろうか。


「どうしてないと言い切れる?」


「簡単だ。先代が根っからの愛妻家だったんだよ。それはもう顔の厳しさに全く似合わないほどの。

 先代の夫人は随分前に亡くなってるけど、その後もずっと愛し続け生涯を終えた、男の中の男ってわけ」


 そんなものだろうか。

 人間などいつでも簡単に心変わりするものだ。それが確証になるとは思えない。

 私は納得し難い思いで、腕を組む。

 その顔で何を思っているか感じたのか、ヨセフがやれやれと言った様子で頭をかいた。


「ま、俺が実際に見たわけじゃなくて、あくまで母さんとかから聞いた話だけどな。

 何にせよ、皆がレオノーラ様に近づいて来ないのは、厄介事に首を突っ込みたくないからだと思うぜ」


 にべもないヨセフの物言いに、私は思わず顔を引つらせる。本当に遠慮のないやつである。これで仕事ができなければクビにしてやりたい位だ。

 たが、皆に距離を置かれているのは好都合だ。下手に関わって来られる方が面倒である。

 エッカットもそれを狙って公然の秘密としたのかもしれない。


「逆に言えば、レオノーラ様にグイグイ近づいてくる奴は要注意人物ってことだ。なんてな」


 そう言って控えめ笑うヨセフに、私は少し驚き、意外に思う。

 この少年が密偵の心配をしているとは思わなかった。いたずらっぽく笑うその顔を見る限り深い考えはなさそうだが、何を思ってそのようなことを言ったのだろうか。


「…そうだな」


 小さく溢した言葉が夏の穏やかな光の中に溶けて消えた。

 来年の学習塔入学まで、刻一刻と近づいてきている。ヨセフの言葉がチクリと棘のように胸に刺さっている、そんな気がした。






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