第三章

第27話 再会と告白1


 テブレヒトを見送った翌朝、私は目を覚ますとゆっくりとベッドから起き上がり、両腕をうんと長く伸ばした。冷え切った空気が肺いっぱいに広がり、体が芯から冷え込むのを感じる。体の末端が痛むぐらいの寒さに、私は冬の訪れをひしひしと感じ取った。


 王都への旅路は明後日にまで迫り来ている。


 私は、のそりのそりとベットから這い出て、クローゼットの中から肌触りのいい毛糸の上着を取り出す。そして、あくびを噛み殺しながらその上着に袖を遠し、ドレッサーの前に腰をおろした。


 どこか青みを帯びた光沢を放つ鏡に自身の姿が写る。

 すっかり最近に日課になった行為だが、今日も見たところ変化はない。


 私は台の上に置いてある櫛で銀の髪をブラッシングを始めた。ここに来た頃は肩下ほどにしか無かった私の髪はいつの間にか長くなり、腰の少しを撫でるほどになっていた。里では邪魔にならないようにこまめに切るようにしてたが、こちらに来てからは一度も切ったことはない。

 ブラッシングをしている最中、イーリットが扉から入ってくる。


「おはようございます、お嬢様。王都に行くまで後二日ですが、体調などは大丈夫ですか?」


「…問題ない」


 私の一拍遅れた返事にイーリットが眉をひそめ、「その割には元気がないですね」と不思議そうに首を傾げた。私が軽く肩をすくめると、遅れて入ってきたヨセフがコロコロと笑いながら「それは」と、得意げに話し始める。


「レオノーラ様、意外とテブレヒト様に懐いてたからな、あの人がいなくなっちゃったことを寂しがってるんだろ。なんだかんだ言って、季節一つ分一緒にいたからな」


「誰が懐いていただ」


 私が頬杖をついてヨセフをにらみつけると、ヨセフが口の端を釣り上げ、厭味ったらしく笑った。その顔が忌々しく私は思わず舌打ちをする。するとすかさずイーリットが行儀が悪いと声をあげるのだった。


 変わらないおおらかな日々。すっかり慣れ切ったこの親子とのくだらない会話。ここにきておよそ一年になることが身に染みる。そんな朝の一幕である。


 ただ、私の人生にとって平穏というものは、これから始める不穏の箸休めでしか無い。

 こんな穏やかな朝のひと時がその数時間もしないうちにぬぐい取られていくことなど、日常茶飯事だ。主にエッカットによって。




◇◇◇



 それからしばらくした私は、ヨセフと共にエッカットの執務室までの廊下を歩いていた。廊下の窓から入り込む朝日がまぶしくこちらを照らし、その光を浴びるごとにだんだんと目が覚める。


「テブレヒト様は目的地に着いたですかね?」


 ヨセフの唐突な問いに私は気もなく「さあな。そもそも、あいつがどこに行くかなんて聞いてないからな」と答える。それに対して彼はつまらなそうに、「俺も知りませんけど、レオノーラ様が知らないのは薄情じゃありませんか」とむくれた表情で唇を突き出した。


 私が情に厚い女だったことなど一度でもあっただろうか。

 所詮私が知っていることなど、テブレヒトがここではない辺地に行かされること位なものだ。それ以上のことは初めから聞こうとも思わない。

 それは情報漏洩を防ぐためであるが、ある種、もう二度と私たちが相まみえることはないという、互いの意思を示していた気もする。


 短い付き合いではあったが、私と似通る部分も多い奴だった。

 父親と兄姉に対してのコンプレックスや、母親に対する罪悪感。そんな複雑な感情が、すべての絵具の色を混ぜ合わせたような濁りきった黒になり、形をなした。そんな少年。それが彼だった。


 彼の魂の叫びや、別れの言葉を私は思い浮かべる。

 私も、自身がどう生きるかを胸に刻み込まなければならない。

 そうではないといつの間にかこの不条理なこの世界に飲み込まれてしまう気がする。

 彼と同じように。


 それは恐ろしいことだった。

 

 私はエッカットの執務室に着くと、気を取り直すために一度軽く深呼吸をする。そして、ヨセフに執務室の扉をノックさせ、いつも通りエッカットの部屋に入った。すると、エッカットが机の端を指先でたたきながらこちらを見ている。その様子が相も変わらず不気味で、この屋敷に住み始めて一年になる私はいっそのことに安心感を抱きつつあった。


「朝の報告を始めろ」


 私はその言葉に沿って、いつもの調子で朝の報告をし、それを終わらせた。そして、退出許可が出るのを待つ。

 だが、エッカットが出したのは期待した言葉ではなく、一枚の紙だった。さほど高価には見えない紙だが、何が書いてあるのだろうかと私はそれを受け取る。


 私はその紙を覗き込み、絶句した。


 そんな私に気が付いていないのか、気にしていないのか、エッカットが構わず流れるようにその紙の説明を始める。


「それには今回の王都行きに同行させる護衛の傭兵の名が書いてある。お前の里の連中からお前と仕事のできるメンツを揃えろと命じて選ばれた者だ。お前も顔位は知っているだろう。

 まぁ、とりあえず特に問題がないかだけ確認しろ」


 エッカットの発する言葉に、私は呆然として硬直した。


 護衛の傭兵?? 里? 顔見知り??


 私は渡された紙に書かれた名前を凝視する。そこには、当たり前のようにクルトとジーク、アリア、オザックの名が並んでいる。私は口を鯉のように開閉しながら、馬鹿みたいに紙とエッカットの顔を交互に見つめる。

 エッカットが片眉をあげて、「なにか問題があったのか?」と、無いことが当然のごとく口にする。その態度に私は驚きを通り過ぎ、思考を停止させた。


 頭痛がひどい。脳天を急激に揺らされたような不快感が私を襲う。


「なっ、…なんでこいつらなんだ!?」


 つっかえながらそう発した私に、エッカットは本当に不思議そうな顔で眉間にしわを刻み込む。

 しかし、私は聞かないわけには行かなかった。書いてある名前はよりにもよって愉快な元仲間セットである。これに何らかの意図を感じざる得ない。


「顔見知りなんだろう? 私が選んだわけではない。お前の里に依頼を出して選ばれてきた奴らだ。なにか問題があるのか?」


 エッカットが何を言っているのだという顔で首を傾げる。しかし、何を言っているのだといいたいのはこちらのほうだ。


「大ありだ…ですよ、どうして私の里の連中である必要があるんです。代えてください!!」


 ブルーノのの絶対零度の視線に私は言葉を改めながら、エッカットに詰め寄る。だが、当のエッカットとくれば、すっかり面倒になった様子で手を軽く振り、「今更変更できん、我慢しろ」とのたまう。

 この男、初めから私に意見を求めてなどいなかったのだ。これはあくまで事実確認。決定権などは初めから無いのである。

 ついでにいかつい初老の執事は既に扉の前で、私が部屋から出ていくのを待っている。相も変わらず人の話など聞くの無い奴らだ。


「それで、問題は?」


「…ありません」


「よし、下がれ」


 エッカットが顎で出入り口の方を指す。

 私は拳を握りこみ、唇をかみしめ怒りに震えながらエッカットの執務机に背を向けた。


 その時、ふと不思議に思うことがあった。それは、なぜ自分がここまでの怒りを感じているのか、ということだ。

 何といってもまったくの見知らぬ相手に事情を説明するのは面倒なわけで、里の顔見知りの人間は私としては都合いい。むしろ、大歓迎である。私としては失うものはあまりない。


 だがこの時、大股で執務室から出た私の表情は、見たヨセフが驚くほど怒りをあらわにしたものだった。私は扉が閉まるのを確認すると、自身の頭をかきむしり、歯ぎしりをする。

 腹の底にしつこくへばりつくそのイラつきを振り払おうと、頭を横に振った。


 どうして私がこのようにイラつかされなければならないのか。

 わからない。わからないからこそよりイラつく。


 もうどうにもでもなれ。

 私は内心そうつぶやき、荒い足取りで自室へと帰っていく。

 薄氷のような日常が壊れる、そんな予感を胸に抱えながら。










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