第23話 彼へと贈る送別歌2






「ふーん、そう。何も知らないんだ、ならいいや」


 私がしらばっくれたことで、興味のなくなったテブレヒトが手元のチェリコットに再び視線を落とした。私はこれ以上深く突っ込まれることが無かったことに安堵の吐息を溢す。


 にしても、この呪いとは本当に摩訶不思議な力である。体を自在に操る私がいえた話ではないが、明らかに条理を逸脱した力。私はこの力にあまりにも無知だ。


「さて、僕は君を満足させる話をできたみたいだね。じゃあ、もう少し魔法を見せてもらおうかな、と言いたいところだけど。さすがに、おしゃべりもここら辺にして、さっきの曲をもう一度弾こうか」


 テブレヒトがをそう言って、私のチェリコットを指した。

 私は混乱した脳内をどうにか切り替え、再びチェリコットに触れた。集中して演奏しなければ、なんと言われるかわかったものではない。


 私の紡ぎだした調べを聞きながら、テブレヒトはゆっくりとうつむく。私がいつものことだと思いそのことに構わず、曲を弾き続けていると、急に前方からガタリと何かが落ちる音がした。

 私は思わず弦を弾く手を止めて、前を見る。すると目の前で座っていたテブレヒトが、手に持っていたチェリコットを落とし、今にも地面に倒れこもうとしていた。


「おい!! テブレヒト!」


 私が慌てて椅子から転げ落ちるテブレヒトに手を伸ばした。その時、私の声にびくりと反応し意識を取り戻した彼は伸ばしていた私の手を振り払う。

 だが、その力をひどく弱弱しく、私は構わずその細い腕をつかむ。私はその細さに思わずぎょっとした。


「触るなよ」


 テブレヒトのかすれた声がする。私は持っていた自身のチェリコットを椅子に立てかけ、テブレヒトの反対側の肩を持ち、その体を支えた。


「馬鹿言うな。お前が私の前で怪我をしたら、エッカットなんて言われるか」


 私がそう言って、テブレヒトを再びしっかりと椅子に座らせようとするが、腰に力が入らないのか安定した姿勢を保てないようだ。

 私は仕方なく彼の腰を抱え込むように前方から持ち上げ、ソファーの上に連れて行った。テブレヒトも観念したようで、力なくその背もたれに寄りかかる。


「今、使用人を呼んできます。少し待っててください」


 私がそういって部屋から出ていこうとすると、テブレヒトは「いらない。いつものことなんだ、ほっておいてくれ」とつぶやいた。

 だが、そんなことは私には判断しようが無い。もしものこともあるし、自身の保身のためにもここで従者を呼ばないわけにはいかないのだ。私はテブレヒトの声を無視し、再びドアノブに手をかけた。その刹那。


「やめろって言ってるだろ!!」


 テブレヒトの変声期を迎えた低い響きを持つその声が、鋭く発せられた。

 さすがにそこまで言われれば、足を止めてしまう。

 私が伸ばして手を引き、再びテブレヒトの方を向けば、彼は肩の力を抜いてソファーの背もたれに倒れこんだ。その額にはうっすらと光る汗がにじんでおり、吐き出される息は荒く短い。


「知りませんよ、私は」


 私がそういえば、テブレヒトは私を横目で捉え、ニヒルに唇を釣り上げた。


「別に、今僕が死んだって困る人は誰もいないさ。君というスペアがいる。それも、オリジナルの僕よりよっぽど優秀なね。二人とも兄さんの手によって踊らされる傀儡ってことには変わりないけど」


 テブレヒトが話すたびに、彼の呼吸が荒くなっていく。私は彼が息を吐き出す度に精魂が逃げていく、そんな感覚に陥る。それが痛々しく、私は眉間にしわを寄せた。

 仕方なく外にいたヨセフに水を持ってくるようにだけ伝え、私は部屋の中に戻る。


「何を考えているか知りませんが、死ねなら私の関与しない場所で死んでください」


「…君のそういうところ、嫌いではないよ」


 弱弱しく微笑むテブレヒトは両腕で自身の体を抱え込み、長い息をはいた。私は仕方なく、自身が先ほど座っていた椅子に座り込み、そんな彼を見つめる。


「嫌になるよ、自分が何もできないことに」


 苦しそうに表情にゆがめながらうわごとのようにそう呟くテブレヒトは、私の方に一瞬視線をよこし自嘲するように引き攣った顔で笑った。

 私は黒く変えていた髪色を戻しながら「馬鹿馬鹿しい、何かできた所でどうせ使いつぶされるだけだ」と吐き捨てる。エッカットに使える人間であると思われたところで、行きつく先は地獄だろう。それならば、早々に見限られたほうがましというものだ。

 私の言葉に対してテブレヒトはその長いまつげを伏せる。


「それでも、よかった。たとえ使い捨てでも、僕は…認められたかった」


 吐き出すようにそれだけ言うと、テブレヒトは疲れ果てたように瞼を閉じ、か細い寝息を立てはじめる。私はその様子を見て、仕方なく近くにあったブランケットを彼の膝に乗せた。まだ暖かいとはいえ、風邪をひく可能性は十分ある。ただでさえ体が弱いのだからこれぐらいの気遣いはしてしかるべきだろう。

 私はその弱弱しい寝息を聞きながら、やるせない気持ちになった。


 馬鹿だな。


 口の中で思わずそうつぶやく。

 自分のためだけに生きることをしないから、そうやって苦しむのだ。他者を介在して自身の存在を確かめようとすることは、何よりも愚かな行為だ。自身に目的がない行動は、結局は何の意味もない。




『母さん! 見て見て、これ!!』


 小柄な少女が黒髪の女の前にいちまいの紙を差し出す。小柄な少女は紅潮した顔で、何か期待をはらんだその瞳で女を見つめていた。

 女はゆっくりとその少女を見下ろす。その顔はぞっとするほど冷たい物だった。


『うるさい!』


『…母さ』


『お前のせいで、お前のせいで父さんが死んだ! お前のせいで私は不幸になった! お前が不良品でさえなければ....』


 黒髪の女が髪を振り回しながら絶叫する。

 少女は必死に頭を抱えながら、まだ捨てきれない期待を孕んだ瞳から大量の雫を零れ落ちさせ、震えていた。


『母さん…ごめんなさい…母さん、母さん、私を…見て』





 クッソ。


 私は自身の胸に手を持っていき、胸元の肉をえぐり取るように強く拳を握りこむことによって、自身の奥底に浮き上がってくる記憶を必死に押し戻した。唇を噛み、溢れだしそうな感情を押しとどめる。

 絶え間ない痛みが、胸から溢れた。



 しばらくして落ち着いた私は、再びソファーの上で小さな寝息を立てるテブレヒトへ視線を戻した。彼の喉から、笛のように高い音がなり、苦しそうにその表情をゆがめる。そして、震えるような声で「父さん」と小さくつぶやき、額に浮かんだしずくをこめかみに流した。


 あと、10日で私は王都へ行く。テブレヒトはその前にこの屋敷を出ていくことになっていた。彼とのこのレッスンはあと数えるほどもないだろう。

 そうなれば、私はもう二度とこの少年を会うことはない。

 彼は遠く離れた地で、一人、その短い生涯を終えるはずだ。


 同情は出来ない。私はこの少年よりもより悲惨な最期を迎えたものを、里や外の世界で嫌というほど見てきた。この屋敷から一歩外に出れば、一人の少女の命がヒツジ一頭分にも満たないお金で売られる、そんな世界だ。それを考えれば、彼の人生はだいぶましな方だろう。



「馬鹿ばっかだ」



 私のつぶやきは、誰にも聞こえないまま。この胸の痛みは消えないまま。





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