side:BLOOD 2話 貪り喰らうモノ

喉から胃へ。

朔弥は冷たい空気を吸い込んでしまった。

日中の陽光を忘れたのか、背中の毛が逆立ち始める。

(何だ、今のは)

光なき床の下。

何かと眼が合った。

それは確かに何かを持っていた。

それは見覚えのあるモノだった。

しかし目を凝らす前に、汗ばんだ指に腕を掴まれた。

汗とそれ以外の何かに濡れて滑り落としそうだった。

それでも戸塚は喘ぎながら、引っ掻くように穴から床へ這い出てきた。

「何が」

起きたのか。

答える代わりに肩を掴まれた。

「早く! こっちだ!」

昨夜より一回り小さい腕が膂力を尽くして掴み上げる。

そのまま引き摺られ、再び光のない廊下を逆走した。

「班長はどうした? あと」

「全員ヤられた」

「やられたって…」

そこから唾を飛ばしながら返ってくる矢継ぎ早の応答。

「ヤられたんだよ! オレ以外! 全員! 今はここを出るしかねえ!」

「いったい、何に…」

「分かんねえよ!」

ふざけた態度はすっかりなりを潜めていた。

平静さと恐怖がぶつかり合いながら、どうにか理性を保とうとしている。

そのためにも、外を目指す。

「戻って報告だ。それと、装備…を」

屋外へ出れば安全。

戸塚はそう思ったのだろう。

何があったのか。

朔弥は床下から覗く眼が気になっていた。

戸塚の言うことが本当なら、

(アレが班長達を?)

班長達がなぜ戻らないのか。

ヤられた、と戸塚は呻いた。

(ヤられた、というのは)

ふと、気づいた。

すぐそばを走る戸塚の隊服。

泥水とは別に、何かに濡れていることに気づく。

どこか、床下から漂うソレと似た…鉄錆を含む臭い。

(まさか)

「まずは上官に報告だ。それから、あとは、武器が要る。すぐにでも本部から応援を」





外に出れば助かる。

そう思っていた。

「なっ…」

現実を見るまでは。

「なん、だよこれ…」






誰一人いなかった。

目にしたのは散乱した救命セット。

そして、隊服と同じ色の端切れ。

それから、

「濁った、赤」

元は鮮明な赤だったはず。

今は黒ずみ、茂みをや瓦礫に染みついていた。

陽光が陰っていくせいか、鮮やかさに欠けていた。

「う、そ…だろ」

戸塚は今にも膝から力が抜けそうだ。

「あいつら…まだ、ここにも」

あいつら。

朔弥は小さな肩を揺さぶった。

引き締まって硬いはずが、どこか頼りなげに折れそうだった。

「そろそろ答えろ。いったい、あの家屋で何が」

無理矢理視線をかち合わす。

今にも泣きそうなほど潤んでいる。

「戸塚。僕達は訓練でここに来てるんだ。救助活動中に運悪く瓦礫が落ちたり、地盤が崩れて巻き込まれることだってある。実際それで怪我したり亡くなったりした先輩や同期だっている。それは承知と覚悟のうえだろう」

災害現場だろうと紛争地帯だろうとそうだ。

直接戦闘に加わらずとも、自衛隊の活動は死の危険と隣り合わせだ。

「原因がどうあれ、僕らと面識のある奴の誰かは死ぬ。その度に今みたいに血相を変えて逃げるのか」

「逃げたわけじゃ…」

戸塚の目にようやく力が戻ってくる。

反論しようと口が動く。いつもの調子が戻ってきたか。

「…オレは、報告のため戻っただけだ。怖くて逃げたわけじゃない!」

「だったら、何があったか説明しろ。この有様と関係が…」






金属音。

耳の内側を引っ掻く音に、戸塚の肩が跳ね上がった。

「隠れるぞ」

何かが近づいてくる。

そう悟り、二人は茂みの影に隠れた。

さいわい太陽が隠れたため影はない。大人二人分隠れるにはちょうどいい。

(戸塚は何を見た? 僕があの時見たのは)




その答えは瓦礫の陰から

(なんだ)

見開かれた目は逸らせない。




爪を伸ばしたように細長く屈折していた。

それも数本。

節足動物の足そのものだ。

しかし四肢を伸ばす胴体は、虫と程遠い輪郭と質感を宿している。

例えるなら、甲殻類か。

強固な背中は重さを感じさせることなく、滑るように瓦礫の合間を縫う。

(こいつは)

声を出しかけた朔弥。

次の瞬間口が固まった。

長く伸ばした足の先端。

そこに丸い物が絡み付いていた。

先程まで、共に応急手当ての準備をしていた草間。

その顔が張り付いていたのだ。

肩から下を失ったまま。





「…戸塚。無線はあるか?」

揺さぶり、声を出させないようにお互いに身を低くした。

「さっき穴に落としちまった」

「僕なら持ってる。けど、ここで連絡するのはまずい。会話中気づかれたら対処しにくいし、身動きが取れない」

だからといって、あの食人生物を相手にしていたら連絡どころではない。

「今からここを離れよう。そして他に電波が届く場所を探すんだ」

「あ…ああ」

やるべきことが見つかった。

戸塚の思考はクリアになっていく。

「そう…だな…だったら、船の発着地に一番近い海岸沿いがいい。航空機から降りる時見た。だいたいどの辺か区別はつく」

こうなると戸塚は心強い。

恐怖を克服すれば、持ち前の観察力と洞察力が鋭いのだ。

「万一に備えて身を守る幅は必要だ。とはいえ、お互い持ってるのはサバイバルナイフだけ、か…あとはサバイバルキットにあった医薬品とレーションくらいだが…」

「隙を見て僕が取ってくる」

二人は目を凝らして大型甲殻類の行く末を見張った。

周囲の大量出血のせいか、生きた人間の臭いが察知できず、甲殻類は茂みの中へと姿を消した。

滑り込むように朔弥は散らばった包帯やら薬のケースやら、非常食やらを手当たり次第掴み取る。

ミネラルウォーターのペットボトルも。

「ちょうどいい。適当に鉄の棒を失敬しようぜ」

頭がクリアになってきた分、戸塚はその場で機転を効かせて思いつく。

「あの化け物相手にただのナイフじゃ心許ない。けど」

棒の先端にロープでナイフをくくりつける。

固く結びつけると、渾然一体となったかのように槍が完成した。

「…まあ、気休め程度だ。本当ならライフルや大砲が欲しいけどな」

「無い物ねだりしても仕方ない」

そもそもあの化け物は鼻が効く。

銃火器を用意しても、火薬の臭いで感づかれるのではないのか。

「んじゃ、行くとするか」

戸塚は腰を上げた。

足の裏はしっかりと地面を踏み締めていた。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「さっきは助かった」

竹林を掻き分けながら二人は山道を突き進む。

木が鬱蒼と生え茂っているということは、あの甲殻類の化け物が徘徊していないことになる。

「どうした、いきなり」

「暗闇だった。けど、はっきり感じ取れたんだ。班長や大塚、稲本まで連中に引き摺られて。鼓膜が破けそうな悲鳴の後、あいつら」

唐突に喋り出した。

そして短い一呼吸の後、

「何にも言わなくなっちまった」

「そうか」

あらためて理解した。

無人となったこの島に、未知の生物がいること。

(ここにくる途中、猪や蛇に出くわさなかった理由はそれか。蟹もどきの脅威から逃れるためか、あるいは喰われて全滅したのか…)

いずれにせよ、救援と同時に殲滅部隊を要請する必要がある。

「オレ、あの三人を救えなかった」

「それを言うなら、僕は草間を置いてきた。他の班のメンバーも上官もだ」

「いや、それは…」

言いかけた戸塚は足を止めた。

「数とか名前なんて関係ない。僕らだけが生き残った。生き残れたんだ」

朔弥はそのことに後ろめたさも罪悪感も無力さも感じなかった。

他のメンバーとは特別親しい間柄ではなかったし、むしろ朔弥が当初の希望を叶えられず陸自に入ったことを嘲る者も少なくなかった。

上官ともそうだった。

むしろ、「体力と腕力が有り余っていて、無駄に体がデカいだけの木偶の坊」という認識しかなく、度々名指しで怒られてばかりだった。

だから、化け物共に喰われたという事実しか転がっておらず、戸塚にも自分に対しても「たまたま助かって運がいい」という感覚しかない。

「お前、やけに冷静だな」

「不感症なんだ、きっと」

「なんだよ、それ」

プッと吐き出し、笑われた。

腹は立たなかった。

(きっと、諦めてるんだろうな)

良く言えば客観的。

悪い面では達観的。

夢を諦めた時点で、矢上朔弥は自分自身を諦めているのだろう。





道なき道は徐々に下り坂へ変わっていく。

おそらく、この先は山と反対側。

つまり、

「方位磁針が正しけりゃ海だ」

そうか、と朔弥は頭上を見上げた。

鳥達はもういない。

思い返せば、彼らは地上に降りることなく旋回するばかりだった。

あれは前触れだったのだろうか。

「あちゃあ…マジかよ」

がっくし、と中腰で戸塚はしゃがみ込んだ。

予想は裏切られたわけだ。

「方角は間違ってないのに…」

視界に広がるのは薄らと灰がかかった水面だが、その向こうに他の島も陸地も見えない。

緑と呼べない木々に囲まれているだけだ。

「いや、間違ってない。たまたま僕達が通ったルートになかっただけだ。海岸はこの先にある」

同じ方角を指し示すコンパスを見せ、朔弥は槍と肩に下げていたサバイバルキットを下ろした。

「しかたねえな…水もあることだし、休むか」

早朝起きて以来、休む間もなかった。

昨夜も巡回で遅くなり、寝た気がしない。

二人はその場で大の字になり、横たわった。




(静かだな)

湿り気のある土だが、柔らかいため緊張で強張った体を優しく受け止めてくれる。

仄暗い床下から覗く眼も、その下で八つ裂きにされた仲間の血も、集落に散らばる残骸も、不気味に光る人食い蟹の爪も、全てここには存在しない。

(目を閉じて、そしてまた開いたら、全てなかったことには…ならないか)



(たす、けて)



(助けを呼んだとしても、今日中に応援は来るか? そもそも信じるのか? 映画じゃあるまいし、人食い生物が孤島に)



(たすけて)



(それに、さっき見たのは本当に化け物だったのか? 家の周りにはおびただしい血液が撒き散らされていた。だが、まさか上官も他の連中も実はどこかに隠れて…いや、それはないか。床下で目が合った。あれは生きた生物の眼。それも人間のそれと)



(朔弥)



(だったら、いったいアレは)



「朔弥!!」

いつのまにか、上体が地面から離れていた。

胸倉を掴んだ戸塚によって引き寄せられ、激しく揺さぶられていた。

「目を覚ませ!」

「誰が寝て…」

言い終わらないうちに、戸塚の手が宙に伸びた。

その先で人差し指が真っ直ぐ上空を指し示していた。

「見ろよ、空に何か…」





声はぷっつり途切れた。

古民家で未知の異形に遭遇した。

自身と戸塚を除く仲間を皆喰われた。

そして今、追い討ちをかけるように二人の元へゆっくり降りてくる。

降りてくる存在がいた。

(いったい)

何だ、とは聞かなかった。

聞いたところで誰も答えられない。

そもそも、その質問自体が不適切だ。

降りてきたモノは人の形をしていた。

人間の女性だった。




女性の体は湖に落下しなかった。

ほとりに根付く大木の幹に、もたれるようにして倒れかかったのだ。

「待てよ朔弥!」

巨大甲殻類に遭遇した時の恐怖を思い出したのか。

未知の存在に臆する戸塚を背に、朔弥は落ちてきた、もとい降りてきた人物に駆け寄った。

「おい」

朔弥は膝をついてしゃがみ込み、女性に顔を近づけた。

若い女性だ。

気を失っており、目は閉じたまま。

少女の面影を残した顔立ちに張り付くように、髪は黒く短い。

すらりとした体つきをジャケットとスリットの入ったロングスカートに包んでいる。

服装はどこか制服に近い。

(この出で立ち…軍服か?)

目を凝らして近づけるが、判然としなかった。

「おい。聞こえるか?」

女性の体を草地に横たえた。息をしているようだが、意識はない。

(脈はどうだ?)

静脈を手に取って測ろうと顔を近づけると、女性の唇から声が聞こえた。

(なんだ? 何を言って)





「…に…さん」

何か言おうとしている。

ぐっと身を乗り出した朔弥は、次の言葉に目を見開いた。





「…ころ…し、て」

まぶたを震わせたが、女性はついぞ目を開けなかった。






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