side: BLOOD 9話 機神科
リノリウムを彷彿とさせる壁を背に向かい合う受付窓口。
正装に当たる制服姿の若い女性職員が会釈する。
「おはようございます。入隊希望の方ですか?」
「いや、オレ達は…」
二人は胸元からIDを取り出して確認してもらう。
「今日付けで第十四旅団から異動してきた戸塚三曹です」
「同じく矢上三曹です。鏑木大佐からここに来るよう言われました」
ああと女性は少し瞳孔を大きく広げて頷いた。
前もって事情を耳にしていたことが窺えた。
「鏑木大佐なら奥にいます。案内するわ。私は広報担当の
少し席を外しますねと、後ろのデスクでタイプする女性職員と交代した。
話ぶりからするに、やはり二人とそう歳は変わらないのだろう。
それでいて、ここに勤めてそれなりに経過しているようだ。
案内された二人はパソコンが並ぶ事務方のバックヤードを通り過ぎ、奥にある会議室らしき部屋に通じる扉の前で立ち止まった。
水谷のノックに応えて聞き覚えのある声に促された。
ドアノブが回ると、戸の隙間から同じく白塗りの壁が出迎える。
会議用らしき机の向こう側は大型スクリーン。
その前に制服姿の男性が三人集まり、思案ありげに肩を並べている。
鏑木は彼らの中心に佇み、来訪者に向かって手招きした。
「よく来てくれたね。今から紹介するよ」
じゃあ私はこれで、と頭を下げて水谷は持ち場に戻って行く。
「先日話したろう。駐屯地から配属になった二人組だよ」
言われるまま二人は会議室の奥まで進み出て、敬礼と共に名乗った。
「陸自第十四旅団普通科出身、戸塚光流三曹であります」
「矢上朔弥三曹です。若輩者ですが、ご指導のほど宜しくお願いします」
「矢上? ってことは、お前か」
鏑木の横に並び立つ隊員が、朔弥の顔をまじまじと凝視する。
面倒見のいい先輩と人懐こい後輩を足して割ったように、物怖じしない骨太さが根底に見えた。
「
軽く敬礼を済ませると、須賀は朔弥に笑いかけた。
「矢上、だったよな? 未経験でいきなり
キョトンと戸塚は目を丸くした。
朔弥は一瞬だけ怪訝そうな顔をしたものの、知る人が少ないはずの二語を聞いて理解した。
須賀もまた機神科の一人なのだ。
「そうだよ、須賀君。彼は扱い方も知らないまま、危機的状況を打開するべく未知の兵器に触れた。仲間と民間人を守るためにね。これからはこの国防のために役立ててくれるそうだ」
「それは凄い」
感銘を受けたような声の主に、戸塚はややたじろいだ。
なにしろもう一人の隊員は、朔弥よりも頭一つ半背丈を優に越えており、軽く百九十は下らないだろう。
それでいて物腰が柔らかく、年齢は二人より一つか二つ若く見えた。
「私が南方です。階級は三曹ですが、この春配属されたばかりです。こちらこそ、是非ともご協力させていただきます」
「南方君は飛び級でアメリカの大学を卒業した後、ここの国立大学を出たんだ。専攻は医療ロボット工学。普段科学班にいるから、
握手を求めるのは彼が異文化圏出身だからだろう。
応じられるまま、二人も手を伸ばす。
「そして私、
あらためて、朔弥達は機神科の概要について説明を受けた。
それは、異動して初のミーティングでもあった。
「今後、君達は広報課としてごく一般的な活動に当たってもらう。平常時は自衛官の採用活動と地域への情報発信、そして災害時に備えた情報収集と広報活動だ。オールド・ワンの出没情報もこの中に含まれる。討伐もね」
「こいつの出番ってわけですか?」
戸塚が軽く肘で突いてくる。
「もちろん。あとは、派遣された隊員達との連携だ。異形の出現場所は人里離れた山奥や島嶼部ばかりとは限らないからね」
鏑木の物言いに朔弥は思い当たった。
広報課の仕事は情報連携と支援。
つまり、
「機神科は他にもある、ということですね」
「察しがいい。地域ごと、そして海自や空自にも最低数人はいる。いや、数人しかいない、と言った方がいい」
「だからこそ、俺達広報課は受け皿になって、連中の橋渡しをするわけだ」
須賀は相槌を打ちながら、説明を補足した。
「ついでに言うと、俺と南方も
軽く肩を叩かれるが、朔弥の表情は固い。
(科学班があるあたり、人員はこれだけではないらしい。装備も機材も事欠かないようだ。しかし、実際に異形と対峙した機会はあまりないのか)
それから、と鏑木は皆が忘れないように周知した。
「戸塚君と矢上君は駐屯地にいた時からしてきただろうけど、近頃は夜の巡回もやってもらっている。連続殺人鬼のニュースは見ただろう?」
ああそれなら、と朔弥も頷いた。
息吹戸島に行く前日が最後の巡回だったが、自身に起こった出来事のせいでそれどころではなくなっていた。
そういえば、と昨夜のニュースで思い出す。
(また見つかったらしいな)
異動の前日、繁華街から離れた無人の家屋で発見されたそうだった。
被害者は三十代くらいの女性だったという。
「オレも見ましたよ。遺体の発見現場から誰か飛び出して来たっていう目撃情報があったとか」
「そうそう。警察の仕事ではあるが、万一犯人を見つけたら即拘束の命令も我々にも出ている。可能な限り、だけどね」
「オールド・ワン相手にするよりそっちの方がまだ簡単そうっすね」
「だからといって、殺人鬼逮捕に走るなよ」
軽口を叩く戸塚の頭をこづきながら、須賀はたしなめた。
「今は五月だ。入隊希望者を捕まえる説明会やら展示やらあるからな。今回は波止場に掃海艦も来てるから、一般客の相手は去年より忙しくなるぜ」
「うええ、マジかよ。来たばかりだってのに…」
須賀の脅し文句に戸塚は憂鬱そうに顔を歪ませる。
「だからといって、不安になることありませんよ」
そんな新参者に対しても、南方は丁寧にフォローを入れてくれる。
「掲示の準備はあらかたできてます。やることといえば前日の会場設置と当日説明会の参加者を誘導するくらいです。一般向けのパフォーマンスは海自の方が引き受けてくれるそうですよ」
「そっか…なら、少しは安心だな」
胸を撫で下ろしたのは戸塚だけではない。
(このやり取り…駐屯地や普通科では見かけなかったな)
殺伐とした雰囲気こそなかったが、こうして気心が知れたように接する仲間は少なかった。
少数精鋭だからこそ、鏑木は一人一人の個性や人間性を大切にしているのだろう。
だから、フランクな掛け合いができるのだ。
「さて、実働部隊の紹介はこれでお終い。今から日頃広報活動にあたっている職員の紹介をしておこう。その後で科学班のいる地下三階へ」
「俺はその後外回りに行ってきます」
「私は、先日届いた矢上三曹の
よろしくお願いします、と二人は頭を下げた。
会議室を出ると、窓口と裏方でデスクトップに向き合う職員達と互いに自己紹介した。
最初に案内してくれた水谷もその中にいた。
「
「水谷君も機神科の一人なんだ。役割はオペレーター…情報収集の際は協力してくれるだろう」
「けど、なるべく貸しは作るなよ。後で面倒引き受けるハメになるからな」
さりげなくぼやく須賀の足元に、スッと細長い脚線美が入る。
金属ではあり得ない鈍い音に、須賀は顔を歪ませた。
「須賀雅隊員、そろそろ外回りに行かれては?」
涙目になりながら須賀は水谷を睨むが、それ以上深く追及しなかった。
閉まる扉の向こうに消えていく中、何やら悪態が聞こえたものの、皆スルーした。
その後、地下三階に誘われた。
エレベーターが開くと、狭い通路が視界に広がる。
運送業者が荷物を運ぶため使いそうな狭い細道を通過した末に、病院の手術室特有の大きな開き戸が出迎える。
「中に入る前にここで消毒するんだ」
薬品を使わず、真空状態のまま風が吹きつけ、全身に付着した埃や塵を落とすという。
一人ずつ粉塵除去が終わると、もう一つの扉を開けて中に入って行く。
そこは自動車整備工場のようで、大小異なる複雑な機材が壁に据え付けられていた。
いずれも普通科連隊で見かけた装甲車や砲台が出番を待つかのように配置されており、朔弥の
「科学班は大まかに分けて、異形の生態を調査する生化学班、
受付にいた水谷女史は、情報班のオペレーターということになる。
「ちなみに、南方君は普段生化学班にいるが、
「ええ。今後、矢上三曹もある程度整備ができるよう、日頃からできる簡単な作業の手順を伝授しましょう」
「それはありがたい。ぜひご教授をお願いするよ」
機械の扱いは不得手ではないが、未知のロボットとなると自信がない。
操縦以外の扱いに長けている者がいると心強かった。
(いざ出撃という時に限って動かなくなる…なんていう最悪のタイミングは避けないとな)
各班の担当者一人一人と自己紹介した後、南方の提案で朔弥は再び
試しに手足を動かしたり、可能な限りの基本動作を全員に見せた。
研究員達の、とりわけエンジニア達の開け放たれた口からは恍惚とした溜め息がヘルメット越しに伝わった。
「話には聞いていましたが、だいぶ機体の動きに体が追いついていますね」
落ち着いた声色だが、南方の目は生き生きとしていた。
「この土日にも操縦したそうですね」
「少しでも慣らしておきたくてな」
「あと、オレとの組手のおかげだぜ」
機体とパイロットの同期が正常であることが実証されたところで、次回は戦闘時における性能をデータ収集することになった。
「それは明日にして、午後は地本の基本的な仕事について研修しよう。外回りも兼ねてこれから昼飯でもどうかな?」
鏑木の提案で、二人は近くのうどん屋に誘われることとなった。
南方は基本データの解析と記録のため、科学班と地下に残るという。
「ロボットだけではありません。先日あなたが倒したという息吹戸島の異形。掃海艦の協力もあって水産研究所からこちらに輸送されるそうです」
掃海艦が停泊している訳が判明した。
「明日訓練の前に詳細を伝えます」
鏑木が勧めるうどん屋は旧市街地にあるという。
「戦時中、奇跡的に空襲で焼け落ちなかったんだ。店の外観どころか、味も当時のままだ。保証するよ」
「おっ、いいっすね! ありがとうござ…」
高音の短打。
それは携帯端末が呼び出す警報に聞こえた。
失礼、と鏑木は胸元からガラケーを取り出した。
「ああ、須賀君か。どうし…ああ…そうきたか…」
飄々とした顔の目元にやや翳りが見えた、と朔弥は凝視した。
「なんかトラブルですか?」
怪訝そうな戸塚に苦笑いが応えた。
「悪いけど、うどん屋はまた別の機会にしてもらえるかい? すぐそこの展望ビル一階にコンビニがある。昼飯はそこで買って、私の車に乗ってくれ」
「地本絡みではないのですか?」
薄々感づいた朔弥は聞いてみた。
つい今しがた、動作のテストをしたところだというのに。
はたして、予感は当たった。
「須賀君にはよく外回りしてもらってるんだが…一つは入隊希望者勧誘イベントの広報と地震や台風などの災害時に関する注意喚起のためだ。もう一つは、まさに矢上君の力が必要な事態が起きた時のためなんだ」
なるほど、と戸塚はあっさり理解して頷いた。
朔弥は肩をすくめた。
異動初日はけっして穏やかなものではなかった。
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