side: BLOOD 8話 異動

高天市に臨海地区ウォーターフロントが拡大した理由は、旧国鉄貨物駅が空港により近い内陸部に移転したことによる。

以来、本州や島嶼部を結ぶフェリー乗り場とJRターミナルの間には国や市の出先機関が同居した合同庁舎が立地し、向かいには飲食店や土産物屋、コンビニ、学習情報センター、講堂コンサートホール等が入り込んだ商業施設が建設された。

波止場は漁船やクルーズ客船、海上保安庁に利用される機会が増え、芸術祭も相まって地元に限らず国内外からの訪問客にとって、観光スポットに数えられている。

今は海上自衛隊の掃海艦が停泊しており、見物人が後を絶たない。

そんな物珍しさに足を運ぶ市井の民とは歩みを逆さにし、朔弥と戸塚は指定された異動先に辿り着いた



…まではよかった。

「ここ、だよな?」

「ああ」

「間違いないんだよな?」

「ああ」

「なあ、ホントにここだよな?」

「ああ」

「合ってるよな?」

「ああ」

もう何巡目だ、と朔弥は嫌気がさしてきた。

彼と戸塚は目的地の真正面で同じやりとりを繰り返していた。

「鏑木さんが指定した住所だ。間違いないだろ?」

「それは知ってる。けど、ここ…どう見たって」

バイブの振動に促され、朔弥は胸元からスマートフォンを取り出した。

噂の人物からだった。

『もう着いたかい?』

鏑木このひとにはテレパシー能力でも備わっているんだろうか。

「ええ、合同庁舎の前にいます。濱ノ町の」

濱ノ町は臨海地区ウォーターフロントに位置し、合同庁舎と商業施設が混同する高層建築物とマンションビル群が特徴だ。

自衛隊のとある部署は、そんな庁舎の中に含まれている。

『なら、問題ない。初日だから守衛にIDカードを見せて上がって来てくれ』

「…だそうだ」

鏑木は先に到着していたらしい。

はあ、と戸塚は肩を竦めた。

「マジかよ…化物と戦うからって、この二日間気を引き締めてお前と組み手してたってのに…いざ来てみれば」

ぶつくさ聞こえるぼやきをBGMに、九階建ての自動ドアを走るレールをまたいだ。

かつては白亜が眩しく、ウォーターフロントに相応しいオフィスビルだったに違いない。

年季が入った館内図の中、鏑木に指定されたフロアの行き先を目で追う。



『自衛隊四国地方協力本部』



「デスクワーク中心の部署だぜ。オレ、こういうのが苦手だから自衛隊と警察受けたってのに…」

「広報課だろう」

正確には、入隊希望者を募る宣伝活動、及び災害時に備えた情報収集など部隊や地域への後方支援が主要な任務とされている。

朔弥としても、まさかここに配属されるとは思ってもみなかった。

(異形への対策も、危機管理の一環と考えるなら妥当だろう。鏑木さんのことだから、全く未経験の業務をいきなりやらせるとは思えない。普段の任務に関しては、常任の職員が指導してくれるはず)

問題は、この地本にいる隊員のうち、どれだけが機神科の存在を知っているのか、だろう。

「しゃあねえ…とっとと受付済ませようぜ。守衛に不審者扱いされる前に」

見ると、ガラス張りの自動ドアの向こうで厳つい顔から視線が注がれる。

ちなみに、今の二人は背広姿。

鏑木が指定した出で立ちである。

駐屯地にいた時とは異なる格好の二人は、側から見れば一般企業に勤める会社員となんら変わらない。

初めて見る若者二人が玄関前で立ち尽くす様を、ベテランらしき警備員は観察していたらしい。

しかし同じ顔写真が反映されたIDを見ると、固い表情を崩して二人を誘導してくれた。

エントランスを横切るが、二人はあえてエレベーターを使わずに階段へ。

誰もいないので、小走りで進みながら話せる。

「で…何か分かったか? あのマキナとかいうロボット。また動かしてみたんだろ?」

「ああ、軽い程度に」



*****************



赤い機体は駐屯地の装備品を保管する格納庫に収納されていた。

ロボットスーツは衣類のように身につける物だが、その性能からして戦車や装甲車と同じ扱いになるという。

ゆえに、マキナを動かせる朔弥はパイロットに該当するそうだ。

朝のトレーニングが済むと、朔弥は格納庫に足を運んだ。

松浦幕僚長の姿はすぐに見つかった。

前日から着替えていないような戦闘服姿のまま、作業着の上に白衣を羽織ったエンジニア兼科学者といった雰囲気の男性とタブレットを覗き込んでいたのだから。

目が合った朔弥は駆け足で近づき、指を額に先日の礼を述べた。

体調を気遣うような声をかけてすぐ、松浦は朔弥にマキナの性能を見せるよう指示した。

派手なパフォーマンスは要らない。

基本的な動作だけ見せろと。

研究員達の元締めらしき博士が号令をかけると、たちまち部下達はそれぞれの持ち場につき、カメラを回すなり、何らかの探知機を構えるなりしてスタンバイした。

初めから朔弥がこの場に現れることを予見していたかのようだった。

あるいは、鏑木の指示か。

肩をすくめつつ、朔弥は汗ばむ掌を伸ばした。

昨日の海岸で初めて経験した時のように、真紅の機械鎧はいったん粉々になると、朔弥の指先から頭頂、足の爪先までを包み込んだ。

装着に問題はなかった。

間違いなく、この赤い機神は朔弥を持ち主と定めたようだった。

短い歓声も束の間、現場責任者らしき博士は熱のこもった声で朔弥にひたすら指示した。

試しに歩いてみせてくれ、と。

歩行だけではない。

静止、疾走、跳躍、着地、直立、屈伸、前転、側転、後転…あらゆるモーションを披露した。

その都度、研究員達は機体の四肢と関節部分を間近で観察し、記録した。

『ここまで滑らかな動きができるとは…ジョイント部分には柔軟性のある素材を使われているようだ。それが折り曲げた時にかかる対抗を…』

朔弥が動かす度に、研究者達は細かく観察した箇所を記録し、過去に彼らが開発したロボットや他国の軍事兵器のデータと照合させて解析する。

鎧の動く原理、構造、構成する素材を解明するために。

彼らの考察や推測を耳に入れながら、朔弥自身もまた手足や指の関節を自身の動きに馴染ませていく。

指先に力を加えてから、それが思い描く動きに繋がるまでに要する、秒単位の時間。

強い動作の後肉体にかかる、圧力や重みなどの負荷。

さらに次の動きに繋がるように、慣らしていく。

移動のための動作だけではない。

倒れたり転んだりした時の受け身。

わざと高所から落ちた時の衝撃にも耐える。

そこから先は戦闘用の動きである。

朔弥にとって馴染みのある突きや蹴り、すなわち古武術と自衛隊式近接格闘の基本動作だ。

早朝戸塚を起こして組み手に付き合ってもらった目的はこれだ。

生身の動きに合わせた機械の動きを、肉体に染み込ませるのだ。

「さすがだな。あの島を生き延びただけのことはある」

マキナとほぼ高い親和シンクロ性を披露できたことで、松浦幕僚長はようやくお褒めの言葉らしき感想を述べた。

データをより多く入手でき、研究チームからは満足した声が届いた。

だが、朔弥は腑に落ちなかった。

(妙だな。アレはどうした?)

アレ。

島で異形と対峙した時、赤い機体の周辺を黒い煤が飛び散った。

それは腕を覆う刃に、あるいは一振りの刀を形成したはずだった。

それが出てこなかったのだ。

全く。

(幕僚長か博士達に伝えるべきだろうか…あるいは、鏑木さんに)

話したところで信じるかどうか。

もしあの現象を再現できたならば、煤の正体がこのマキナの動力源かどうか調べてもらえただろう。

しかし何も起こらない今、話したところで信じてもらえるのか。

(そういえば、あの煤から生まれた武器以外に、このロボットからは何の装備も出てこない。たいてい、銃器くらいありそうなはずだが)

ヘルメットを外し、直接手首や足首、腰に顔を近づけてみた。

だが、武器が飛び出してきそうな仕掛けは全く見られなかった。

その事実に疑問を抱いた者は朔弥だけではなかった。

「まだどこの誰が作ったか分からん代物だ。なに、まだ始まったばかりだ。これから少しずつ調べるとしよう」

研究チームのリーダーは、町工場で仕事一筋に生きてきた職人気質だった。

彼は戸惑う朔弥に、研究に協力してくれたと礼を言いながら宥めた。

「これから少しずつ調べるとしよう。君にとっても、いい訓練になったはずぁ。何か分かったら必ず報告する。機動させる度に、映像記録を撮っておいてくれ」

約束すると、朔弥は体からパーツを剥がすような動作でマキナから出た。

シャワーを浴びる前に松浦幕僚長にも報告しておく。

「異動は明後日だが、私は今日の昼に本部へ発つ。見送りはできんから、ここで大事なことを言っておく。今後、鏑木大佐が実質的な機神科のトップに立つ。彼の指示で動くように」

朔弥は目をひそめたものの、敬礼で労いの言葉に感謝した。

逆らうな、あるいは失礼のないように、と言っているように聞こえなかったからだ。

松浦の声にはどこか不安が宿っていた。




(鏑木には気をつけろ)

そう伝えている気がした。



*****************



「う、わ…!」

突然立ち止まった戸塚の背中。

玉突きの如く朔弥はぶつかりかけ、思考が現代に引き戻された。

(なんだ)

その問いは正しくなかった。

『誰だ』、の間違いである。

地本のオフィスに通じる扉が、勢いよく開かれたのだ。

窮屈そうに現れたシルエットに、ぶつかりかけた戸塚は謝った。

「あ、すいま…」

謝罪は尻切れトンボに終わった。

二人を見下ろす視線の大元が原因だ。

扉の向こうは国の要たる防人達が担う国家機密。

だというのに、現れた男はその場にそぐわない風体なのだ。

歳は二人とそう変わらないだろう。

違いといえば、漁師のようによく日焼けした肌。

オールバックにした前髪の生え際すらも赤銅色に染まっている。

黒いTシャツに鳶職人のようなズボンという出で立ちからして、部外者であることに他ならない。

なにより、首の後ろでは雑に結ばれた黒い長髪が揺れ、袖口からは刺青めいた紋様が痣のように浮かび上がっているではないか。

「えっと…入隊希望者?」

念のため、試しに戸塚は恐る恐る尋ねてみた。

答える代わりに、長髪刺青の男は無言の舌打ちだけで応えた。

肩で風を切るように戸塚を振り払うと、彼は床を踏みつけるようにゴムサンダルで歩をずかずかと進めていく。

長髪刺青がエレベーターの前を通り過ぎ、階段へと消えていく大きな背中を見送ってから戸塚は盛大に息を吐き出した。

「…んだよ、アレ。どこのどいつか知らねえけど、あんなど素人相手に勧誘するってか? 入隊希望者なら、それらしくしろっての…なあ」

違う、と朔弥は声もなく否定した。

正面から死地を潜り抜けた経験に由来する勘だ。

無作法ではあったが、あの男の眼が応えていた。

ただのではない、と。

(何者だ、彼は)

「ま、気を取り直して入ろうぜ」

突然のハプニングで取り乱したことを悟られないように、戸塚はネクタイと髪を整え、今度は小さく一呼吸した。

「オレが開ける」

軽くノックすると、中から女性の声が応えた。

「失礼します」





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