side : BLOOD 19話 『呉屋』
朔弥達が初めて行くその店は、以前戸塚と巡回した繁華街にあった。
「いかにもってカンジのとこだろ?」
須賀雅が指し示す先には店名のロゴ。
ネオンで彩られた文字で『呉屋』が浮かび上がる。
定食屋のような名称は、煉瓦を模したタイルの建造物とはミスマッチだ。
「実際ここは、昼のうちはカレー屋を開くそうです」
Googleで検索した南方は、アップされている店の内装とメニューまで見せてくれた。
カクテルを含むアルコールや、ピザなどの軽食やアテもあるようだ。
「へえ、夜でもカレー出すみたいだな。さすが、元海自の給養員がシェフやってるだけあるな」
南方のスマホをのぞき込み、戸塚は目を輝かせている。
小柄な体躯と相まって少年のように見えたので、つい朔弥はからかうように口を挟んだ。
「やけに気になるな」
「カレーに関しちゃ口うるさいんだよ、オレは。なんせ本場の横須賀じゃ、こっちのうどんくらい定着してるからな」
ちなみに、南方曰く、『横須賀の海自カレーが日本のカラーライス』という定説が誤りだそうな。
普及した時期は、週休二日制が導入された昭和六十年以降のこと。
週末の訓練や日課などのスケジュールを考慮して、カレーを金曜日に定着させたのだそうだ。
補足すると、カレーのレシピは各家庭がそうであるように、各艦艇や部隊ごとに異なり、それぞれに隠し味があるのだという。
「カレーといえば…艦艇行ったヤツの話じゃ、料理長の機嫌を損ねるとヤバいらしいぜ」
「そうなのか?」
「なんでも、五右衛門風呂やった後の鍋でカレーを煮込むんだとか」
…ゾッとしない噂だった。
「あと、今更言わなくてもいいことかもしれないが…今日は貸し切りじゃないから他の客もいる。無礼講ってことで、階級呼びはなしだ。特に矢上と戸塚。お前らとは歳が変わらない。お互いタメでいくぞ」
その代わり内々での事情は聞かれないようにしろ、とのこと。
二人が頷くのを確認すると、須賀…ではなく、雅は煉瓦模様の壁に埋め込まれたような木目のドアに手をかけた。
真鍮のドアノブを押すと鈴が軽く鳴り、隙間から漏れ出す談笑に、歩道の喧騒が遠ざかっていくように感じた。
「おう、こっちだ」
会計のレジを前に、席への案内係が手招きする。
アロハシャツにジーンズというラフな格好は、昼間の制服姿から滲み出る雰囲気とは程遠い。
これが、八岐の私服なのだろう。
「こんばんは。今夜はお招きいただきたいへん感謝します」
敬礼しながら挨拶する雅を見て、八岐は軽く首を振った。
「今夜は打ち上げで無礼講だろうが」
「あ? そういやそうだったか」
ったくよ、とまなじりを緩ませた八岐は、朔弥達の先輩にあたる青年の肩を叩いた。
聞けば、この二人は訓練生時代の同期だという。
おかげで、掃海艦で朔弥は難なく援軍を得ることができたのだ。
「二日間ともお疲れさん。あと、昨日は後輩が世話になった」
「なら、会計はそっち持ちだな」
「おいおい、話が違うだろ」
「冗談だ」
そのやりとりを聞いて、朔弥達も顔を緩ませる。
先日の事後処理に起きた出来事が嘘のようだった。
*****************
異形の死骸が科学班に回収される中、朔弥は公用車に少年と父親の背中が吸い込まれるかのように乗り込む様を見つめた。
それも護送車…駐屯地から直々に現れたという。
「驚かないんだね?」
運転席に座る隊員とのやりとりを終えると、鏑木は片手を軽く上げて労う。
「オールド・ワンで慣れてしまったから…かな?」
「いえ、そういうわけでは」
感情の起伏がない、わけではない。
ただ、顔や態度に出にくいだけだ。
ポーカーフェイスだの、ニヒルだの、冷静沈着だのと物心ついた頃から評価されてきた。
単に、矢上朔弥の場合は動揺が表に現れにくいのだ。
連行される形で大衆の目に晒されることなく保護された少年と父親の正体。
宇宙の異形に遭遇した後だからこそ、受け入れられる事実だ。
異形と似て非なる存在。
地球外生命体ないし、異星人と呼ばれる種族達。
「あの子どもは感謝していたよ」
鏑木はシオンに対しても褒めた。
「彼この星に来て間もなくてね。父親が戻ってくるまで途方に暮れていたそうだよ」
少年が話していた言語は、彼の出身惑星における共通語らしい。
「地球に来て故郷の言葉が話せる人に会えて安心したらしい。だから君を頼ったんだ。よくやってくれたね」
「これからどうなりますか?」
「なぜ船にいたのか、オールド・ワンとの関係性について詳しく聞かせてもらう。今のところ、掃海艦に何か仕掛けられた痕跡はないが、場所が場所だからね。掃海艦に何も仕掛けられていなければ、事情聴取は穏やかに済むだろう」
そうなってほしい。
それがシオンの思いなのか。
護送車の後ろにぼんやり浮かぶ小さな頭をからシオンは視線を外さない。
「…君にその気があるなら、あの子に付き添ってもらえないかな? 父親の聴取が終わるまでの間くらい」
シオンはイベント会場と朔弥に交互に目をやる。
「気にしなくていい。あとは僕らが引き受けるから」
朔弥が頷くと、頷き返したシオンは鏑木に頭を下げて護送車の助手席に案内された。
説明会が終わり、掃海艦からまばらに見物客が帰る頃になって駐屯地から鏑木に連絡が入った。
取り調べは恙無く終了したという。
言い換えると、あまり収穫はなかったのだという。
「シオンさんは今夜あちらで過ごすそうだよ」
異星の言語を解する彼女は、彼らの通訳を兼ねてアフターケアに従事したという。
おかげで異星人の親子は、彼らが置かれていた状況について包み隠さず話したそうだ。
翌日、朔弥達が二日目のイベント運営に回っている間に詳しい情報が入ってきた。
防衛省の監視付きという条件で、異星人の親子は解放され、自宅で送られたそうだ。
シオンは戻らなかった。
理由は知らされていない。
朔弥はなんとなく察した。
*****************
午後六時。
面子が揃ったところで宴は始まった。
貸し切りではないが、イベント運営に関わった陸自の広報課と掃海艦の海自から集まった若手中心だけでも約八名が打ち上げに参加していた。
「鏑木さんにも声をかけたんだが、あの人は事後処理を優先した」
本当は行きたがってたけどな、と雅は苦笑した。
「なぜあの異星人は艦内に入れたのか分かったからな」
「やはり侵入者だったんですね」
「ああ。といっても、本人の意思とは別にな」
ビールジョッキの中身でいったん口の中を潤すと、雅は軽い息を吐いた。
「
「特に神経系統が異様に発達しているんです」
南方は下戸なのでジンジャーエールを選んだらしい。
離れた席に座る男性が、同じ物を注文していたからだ。
「人間の場合、脳を構成する神経細胞…ニューロンが100億から1000億程度あるとされています。しかし、ミ=ゴはそれを遥かに上回る数で脳が構成されているのです。最低でも、およそ人間の倍です」
つまり、人間二人分か。
「連中が
「ええ。同じ手段であの異星人の体内に入り込み、操作したのでしょう」
掃海艦イベントに訪れた異星人は、運悪くミ=ゴに捕まった。
艦艇の制御システムを支配し、船を乗っ取るために。
「乗っ取られたっつっても、逆らえば子どもに手を出すつもりだったんだろ? 親子共々人質ってことか」
「ええ、矢上さんが居合わせたおかげですよ」
「大手柄じゃん、朔弥。最近ツイてるよな」
楽しげに戸塚は膝でつついてくるが、朔弥は苦笑しながら返した。
「シオンがいたおかげだ」
異星の言語がわからない朔弥に、子どものSOSは伝わらなかったからだ。
「そのシオンだけどな、さっき善光寺の駐屯地から帰ってきたとさ」
「そうですか」
異星人親子が帰宅した後も駐屯地に残っていた。
その意味を朔弥は確信していた。
「ホント、不思議だよなあ」
注文した揚げたてのポテトを頬張りながら戸塚は首を傾げた。
「なんでシオンにはあの親子の言葉が通じたんだろうな。テレパシーでも使えんのか?」
「あるいは異星人だった、とか?」
会話に割り込んできた八岐は、戸塚を頭上から覗き込む。
ちょうど顔が逆さに見えたため、モヒートを味わっていた戸塚はむせた。
「悪い、悪い。つい立ち聞きするつもりはなかったけどよ」
「その話ですが」
いったん区切ったうえで、南方は周囲を見回した。
貸し切りではないからだ。
朔弥達以外に、カウンターで一人グラスを傾けている男性客がいる。
耳を寄せ合うように朔弥達が円テーブルに顔を近づけると、南方はそっと声をひそめた。
「善光寺駐屯地には、シオンさんが島から運ばれてきた時の服装が保管されています」
「あの制服みたいな出で立ちなら僕も覚えてるよ。まさか、本当にどこかの機関の制服なのか?」
「そこまでは分かりません。ただ」
南方の広げた掌がフライドポテトの皿に影を作る。
手が離れると、彼の前に盛られていたポテトがごっそりなくなった。
頭を使うせいか、健啖家だという。
しかし南方の食欲など、次のセリフで気にならなくなった。
「…少なくとも、彼女の服に使われている繊維。あれを構成する元祖は本来存在しないものです」
存在しない。
「正確に言うと、地球にない物質でできていることになります」
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