side : BLOOD 18話 蟲の主

びくん、と。

足元に横たわる、緑の機神マキナ

そこに群がる蟲どもが皆同時に硬直。

這い回る脚を止めた。

それも束の間、次は一切蜂起。

人の作った機械仕掛けの体を捨て、床を流れるように滑り出す。

たちまち大群は一つの目標へと集まり、広がり、吸い込まれるようにして消えた。



空間を切り裂き現れた、漆黒の機神マキナへと。



(新手か…いや)


それにしては、挙動が不自然だ。

前回の現れたオレンジ色の機体といい、今回の緑もそうだ。

いずれも蟲の異形が宿り主として憑依して、操り人形として使役していた。

ゆえに、中には異形以外誰もおらず、人の気配は当然なかった。

張り子の人形同然に生気がなかった。

この黒い機神マキナとて、例外ではない。

蟲どもが集まったということは、やはり中身は同じ、異形が動かしていることになる。


(それにしてはおかしい)



なぜだろう。

黒い機神マキナはこちらを見つめている。

赤い機神マキナを駆る、矢上朔弥という一個体を真っ正面から凝視して見える。

そこに、ただ一つのを宿すかのように、







(…だ)



「なに?」

朔弥は訝しげに目を細めた。

仮面ヘルメットにノイズが走ったのか。

鼓膜の内側から、あるいは

(今のは、頭から?)

聞こえてきた。

ザッ、と電波の調子が悪い僻地特有のノイズめいたさざ波。

そこに紛れ込む、年齢も性別も分かりにくい声。

(こいつから?)

知性の高い異形ほど人語を解するという事実は聞いていた。

特殊な手段を使わない限り、異形の方から言葉を発することはないという。



たとえば、地球人のように言語が使えるだけの知性生物の肉体を依代にする、など。

(ということは、こいつの中身が)




(…ど、こだ)




黒い機神が床を離れた。

振りかぶって下ろされる、弧を描いた漆黒の凶器。

黒い煤は火の粉のように膨れた。



朔弥は両手のアームドナイフを交差して白刃取りで防いだ。

幸い、刃を取り付けた柄の部分をガードしたので、腕に損傷はない。

あらためて、朔弥は間近で新手の姿を観察する。

中世の騎士甲冑を彷彿とさせる、のっぺりとした漆黒の仮面ヘルメット

肩幅や腰回りは朔弥の機体よりもわずかに幅がある。

やや装甲は硬そうだ。

にもかかわらず、動きに無駄がない。

それどころか、機敏さが感じ取れる。

戦い慣れしていることは明白だ。

実用性に程遠いはずの武器、あるいは凶器を扱っている。


(余程腕に自信があるわけか)


それは弧を描くように反り、先端が鋭利な鎌…大鎌である。

背中や腰から散る黒い煤が蟲のように群がり、舞い上がり、黒衣を思わせるかのようにはためく。



大鎌を振るう黒衣。

その姿はまさしく、

(機神というより、『死神』だな)



機神マキナが人の作りし機械仕掛けの神だという。

ならば、この黒ずくめの死神こそ、蟲どもの主人、あるいは神と呼ばれる存在なのだろうか。



(否)



そう聞こえたのとほぼ同時。

いったん鎌が大きく後退した。

ガードに徹していた朔弥。

抑えていた反動からくる圧力に押されることなく、自身も軽いステップで下がった。

あの黒い機神マキナは接近戦用の武器を構えている。

だというのに、間合いを取った。

先程の緑と同じだ。

そこから繋がるのは、大きく振りかぶる挙動。

なんらかの予備動作…攻撃の前兆だ。

朔弥は再びアームドナイフの形状を変化させた。

回避してはならない。

だが、未知の攻撃を受け止められるほど楽観していない。

ならば、



(来る)



その時は訪れた。

振りかぶった大鎌そのものには変化がない。

だが、大鎌によって死神の半径二メートル圏内の大気が揺さぶられる。

揺さぶられた大気は歪み、歪みは亀裂を生み出す。

亀裂は稲妻を描くように空気中に刻みつけられる。

かくしてそれは、敵対者めがけて走り出した。



大鎌により生み出される衝撃波。

到達すれば、どうなるか。

朔弥は結果など想像しなかった。

ぶつかる前に迎え撃つことにした。


(さっそく使ってみるか)


朔弥は右手を振るった。

再びアームドナイフの刀身が、鞭のようにしなやかにうねる。

それは牙のように鋭利なフックを備え、大鎌が飛ばした衝撃波とぶつかり合う。



爆ぜる火花。

弾かれる大気の歪み。

萎むように失せる黒い鉤爪。

朔弥に攻撃は当たらなかった。


(そうなるか)


室内において回避は不可能。

攻撃範囲が広すぎて防御しきれない。

ゆえに、朔弥が取った打開策は回避でも防御でもない、『相殺』だった。



死神は攻撃の手を緩めない。

体力の底がないかのように大鎌を振るい、次々と衝撃波を飛ばす。

これに対し、朔弥は破損した鉤爪を再構築し、ワイヤーを振るって飛ばす。

それぞれの攻撃と武器は互いに打ち消し合うが、朔弥は怯まず間合いを詰めていく。

これならダメージを受けることもなく、大鎌が取る間合いの内側に入り込める。


(それまでは目を逸らすな)


けっして、気を抜くことはできない。

少しでも集中が途切れると、鉤爪は衝撃波を受け止め損なう。

それ以前に、鉤爪が破壊されるたびに朔弥は黒い煤の力で何度も新しい鉤爪を生成しなくてはならなかった。


(あと少し)


あと少し、だ。

ナイフやフックロープ、弓矢を形成する時いつもそうだが、朔弥はそこに肉体と精神を全て集中させる。

例えるなら、炎天下や雪原で座禅を組むようなもの…感覚で訴えると、肉体から体力がすり減っていくに等しい。

あとどれだけ耐えられる。

心拍数が上昇していく。

動悸が激しく、わずかに鼻や口が酸素を求めて呼吸を促している。

朔弥は接近をやめない。

せめて、懐に飛び込みさえすれば




(ある、じ)

「なっ…!」

漆黒の機神は大きく膨れ上がった。

実際には、前進し、衝撃波を飛ばした直後に動き出したのだ。

朔弥の眼前へと。

(今はまずい)

最後の攻撃を打ち消したばかりだ。

まだ右手のワイヤーは千切れたまま。

咄嗟に朔弥は左手にアームドナイフを生成した。

だが、黒い機神マキナは大鎌を片手に宿したまま、もう片方の手を伸ばした。

それは朔弥の機体に触れなかった。

だが朔弥は、腕を走る痛みに顔をしかめた。

装甲越しに腕の皮膚が破け、破れ目から生暖かい物が失われていく感覚。



(まさか)

自身の怪我や機体の損傷よりも、朔弥は黒い機神が伸ばした腕の先に視線を投げかけた。




見間違えるはずもなかった。

機械仕掛けの黒い右腕。

その手首から伸び、手の甲を隠すように広がる、黒い両刃。

先端からは、火の粉のように黒い煤が飛び散っている。


(まさか)


形状は異なるが、朔弥のアームドナイフに似ていたのだ。

漆黒の機神マキナは右手の刃を振り下ろす。

切先の向きと腕の振り方から、朔弥は刃の辿る軌跡を想定。

確実に当たりそうな箇所に自身のアームドナイフを構えて防御する。

つかさず敵は刃を引き、ガードされた場所から離れた部位を狙う。

肩の付け根。

脇腹。

眉間。

膝下。

左胸。

いずれも的確に急所を定めている。

その度に朔弥の刃は限界に近づき、耐えず生成し直さなければならない。

そして、刃を鍛え直す度に、動悸が激しく、呼吸が荒くなっていく。


(今まで以上に疲れが増す。短いスパンに武器を作っているせいだとしたら…)


力の代償。

まさしく、紅い機神は朔弥の体力と引き換えに武器を錬成してきたのだ。

このまま消耗戦が続けば、先に倒れるのは朔弥だ。

機神マキナのエネルギー残量に余裕があったとしても、朔弥パイロットがリバウンドで動けなくなれば、間違いなく敵はとどめを刺すはず。


(ひとまず距離を取るしか)





「どうした、風邪でも引いたか?」



抗えない力に押された。

機械室で聞いたことかない声のする方へ、朔弥の機体は引き寄せられた。

片脚はタイルを離れ、宙を舞い、朔弥は片膝をついたまま引きずられるようにして床を滑った。


「息が上がってんじゃねえか」


機械室にはいなかった声の主。

もっとも、朔弥はすでに正体を知っていた。


「…早い到着だな」

「あ? なんだよ、口はまともに利けるってか」


青と黒を基調とした機神マキナは海自のエンブレムが刻まれた腕を大仰に振るった。

それは紅い機体の右脚から離れ、今度は漆黒の機神マキナめがけて飛び出していく。

しかし、黒い刃は虫でも払い除ける手つきで、金属製の鞭を叩いた。

鞭の先端…それも側面を狙って軽く弾いたのだ。

ダメージは一切なかった。


「やるじゃねえか。こいつより俺の方が楽しめるだろ?」


八岐三曹は体力的に余裕がある。

彼の援護に回ることにして朔弥は立ち上がった。

しかし、漆黒の腕から刃は消失した。



(主。渡さん)

「なに?」


再び大鎌が両手から生み出される。

その切先が軽く半回転しただけで、空間は刻まれ、歪みが生まれる。

登場した時に現れた物と酷似する。

再び異空間の中に入るつもりか。

待て、と朔弥は駆け寄る。

しかし、背を向けると同時に黒い機神は軽く大鎌を振るった。

最後の衝撃波に朔弥は身を低くしながら滑り込む。

背後から、代わりに衝撃波にぶつかりかけて悪口雑言を吐く声が聞こえる。

それでも朔弥は接近を緩めなかった。

手を…肘から伸びるナイフを逃げる背中に突き立てようと届かせる。




刃は到達した。

だが、手応えはなかった。

異空間に触れた時点で、異形の機神マキナはこちら側と異なる摂理の世界に移動したのだ。

やがてその後ろ姿もぼやけ、陽炎のごとき揺らぎは空間の閉じゆく裂け目に呑まれて消えた。




逃した、か。

剥がれ落ちるように塵へと還り、宙に浮かんで消えていくアームドナイフの欠片。

だが、朔弥は気に留めなかった。

目標を見失った。

それも、一連の事件の犯人だったかもしれない相手を。


「つまんねえな」


金属製の鞭をしならせ、懐に収まると、八岐は鼻を鳴らした。


「あいつ、何者だ?」

「知らない。どうして僕に聞く?」

「お前の方じっと見てたじゃねえか」

「それだけの理由で…」


だが、朔弥はそれ以上反論しない。

八岐の言うことには頷けたのだ。



あの黒い機神マキナ

明らかにこれまで襲ってきた異形の機神マキナとは一線を画している。

緑の機体を動かしていた蟲達を集め、明確な殺意を宿して朔弥に向かった。

空間を破って移動する能力。

加えて、


(何なんだ、この力は)


今更ながら、朔弥は自分の右手を見つめる。

何もない所から黒い煤か塵を出現させ、そこから生じる黒い刃。

それは腕に備え付けた暗器ばかりか、刀や弓矢さえ生み出す。


(この機神マキナにだけ備わった機能なのか? そもそもどういう技術なんだ?)


朔弥の思案などお構いなしに、八岐は肩を軽くこづいた。


「まあ、何者だろうが関係ねえ。いつでもこの『ディープブルー』が相手してやるからよ」

「ディー…なんだ、それは?」

「あ? この機体の識別名パーソナルコードだよ。お前の機神マキナにもあるんだろ? 犬のポチとか猫のタマみたいによ」


要するに個体名だ。

そんな物はなかった。

すでに名付けられたかもしれないが、それを確かめる術はなかった。


「まあ、いいや。とっとと出ようぜ。あの不法侵入者の安否確認だ」


そうだった。

あの蟲の異形と黒い機神マキナについて書かなくてはならない。

もしかしたら知っているのだろうか。

あの機神マキナが言っていた、『主』という存在を。

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