side : BLOOD 17話 三体目、そして

じゅわ、と床に滴り落ちる粘液。

ぼと、と零れ落ちるのは粘液を帯びた蟲の塊。

だが、緑の人型は蟲の群れに包まれたままである。

ソレは窮屈さも苦痛も感じていないように見えた。

余裕のある、ゆったりとした足どりで、一歩ずつ朔弥達との間合いを詰めていく。


(この蟲…谷島やしまの時の)


間違いなく、あの時対峙した異形の機神マキナと同類である。

それがなぜここに。

いかにして入り込んだか。

問いかけるべき相手も、答えてくれる者もいないだろう。


『矢上君』


鏑木の声が無線越しに鼓膜に届いた。

『三輪ちゃ…三輪二曹から聞いたよ。おかげで換装の準備は整った』

「感謝します」


隣で自然体のまま立ち尽くす少女に、目をやる。

彼女もまたアイコンタクトに気付いて微かに頷いた。

確保と捕縛。

それぞれの役割はすでに決まった。

そのため、最初にすべきことも。



ゆえに、二人の踵は床を蹴っていた。



一度に同時に動いた人間のうち、異形の機神マキナは朔弥に目をつけていた。

一瞬視線が合ったことを察知する。

丸腰で頭ひとつ分小柄な三輪二曹よりも、先に始末するつもりだろう。

それこそ、朔弥の狙いだった。


(それでいい)


朔弥はモップに回転を加えて投げた。

槍の投擲とは異なり、むしろブーメランのように中心を軸に弧を描いて宙を舞う。

異形の機神マキナが肩を僅かに振るわせた。

なんと程度の低い牽制か。

あるいは、朔弥の手が無防備状態になったことを嘲笑したのか。

体表を覆う蟲は腕の動きに合わせて、ぼとりとまた落ちる。

その緩慢な落下に反して、モップを受け止めた腕は機敏な動きだった。

異形の機神マキナは片手だけで軽々とモップを掲げる。



しかし、第二波は来なかった。

それもそのはず、異形の機神マキナがモップを受け止めた直後、朔弥の体はそばを通過していたのだ。


(盲点だな)


朔弥は滑り込みで異形の背後に回り込んでいた。

その姿は今や、真紅の機械に包まれている。

彼の鎧にして刃でもある機神マキナの中にいるのだ。



三輪二曹はより先に、シオン達と合流していた。


(あとは私が誘導します。奥にある非常口から)


走り出す前に、朔弥と交わした言葉。

彼女のIDなら非常口が開き、脱出に手間取らない。


「こちらへ」


シオンは後ろ髪引かれるように朔弥の方を振り向くが、朔弥は顎で示した。

頷くと、シオンはねだるような少年の目に気づき、今度は自分から彼の手を引いて出口を目指した。




朔弥は右腕を構えた。

黒い塵が爆ぜ、膝から手首を覆う刃が出現する。

これこそ、真紅の機神マキナの標準装備なのだとようやく納得する。

これまで朔弥が習得してきた古武術にも、自衛隊の訓練でも取り扱ったことのない類の、近接格闘用の武器だ。

敏捷性を活かし、確実に敵の急所を仕留めることができる。

装備している間、右手は自由に動かせないというデメリットはあるが。


(形状は片刃で細身…日本刀の柄から上だけを折って取り付けたような作り…本来なら『斬る』より『刺す』方が向いているはずなんだが)


実際は、甲虫に似た作りの異形や巨大海獣、異形機神マキナさえも切断している。

それは武器の材質によるものなのか。あるいは、別の要因があるのか。

南方をはじめとする科学班に調べてもらったところ、地球に存在しない物質で構成されていることが判明した。


『100%とは言い切れません。もちろん、ある程度解析可能な金属元素も含まれています。ただ、主要な成分に関しては特定できないんです』


間違いなく、この赤い機神は地球外の産物だ。

地球の遺跡や文献から見つかったレプリカとは異なる、本家のテクノロジーが使われているのだろう。


(地球外…要するに、この連中と同じ類の輩か)


だとしても、朔弥にとって今はこの機体が切り札なのだ。

いきなり暴れ出す危険がない限りは。


(ああ、そうだ。しっかり利用させてもらう)


先に、緑の異形機神マキナから動き出した。

受け止めたモップは先端まで蟲に覆われている。

それを槍のように構えて突進してきたのだ。

朔弥の刃…アームドナイフよりも三倍近い、長柄の得物。

見た目は脅威に見えるが、朔弥は怯まなかった。

広範囲に届く武器への対処方法なら心得ているからだ。


(正面からのぶつかり合いは不可能。なら、組みつきで拘束するしか…)


だが、見抜かれていた。

朔弥は槍をクロスガードし、そこから自身の腕を折り曲げて背後に回り込もうとした。

その前に、機械の仮面が歪んだ。


(なに)


顔にあたる表面に亀裂が生じ、あるはずのない口が開け放たれたのだ。

そこから飛び出したのは、粘性のある液体。

背筋に悪寒が走り、朔弥は槍から手を離して回避しようとした。

だが、避ければ周りの機械に被害が及ぶのでは、と気の迷いがよぎった。

その躊躇を嘲笑うかの如く、緑の異形が吐き出した液体は真紅の仮面を濡らした。

火傷と痺れが同時に顔に広がる感覚。

大きく後退し、顔を押さえた。


『高度の酸性を確認。至急応急処置に入ります』


機体の専用AIの声に伴い、仮面ヘルメットの内部で細長い器具が朔弥の皮膚を縫うように滑る。

消毒薬の匂いさえした。


(パイロットが長時間戦えるように治療するのか)


人によっては、『戦わせる』ための強制処置と受け取れる。

この機体を使った人は、かなり強引な性格なのか。


(打ち合いは無理なのか。なら、装置以外の障害物に隠れて…)


先日編み出したばかりの弓矢が頭をよぎるが、すぐにその案を否定した。

万一敵が回避すれば、動力に当たる。

停泊中の船が無事では済まされない。


さらに追い討ちをかけるかのように、緑の異形機神の口が再び開く。

今度は白い霧めいたガスが一息で吐き出された。

肌に張り付くような痛みと痺れ。

かじかむ冷たさをはらみ、鼻と喉を塞がれたかのように息苦しい。

冷たい息吹に思わず片膝をつくが、機体の内部が体温上昇させたため、持ち直す。


(やはり中距離しかない)


フットワークが鈍くなったと見なした異形の機神は、手にした槍を構えて繰り出す。

朔弥は平時の戦闘スタイルを維持することにした。

間隔を広げすぎない。

距離を詰めすぎない。

この機械室は船の動力源。

戦闘の余波で一部が損傷すれば、乗船している隊員や民間人達が巻き添えになるだろう。

しかもここは、先日の谷島大洞窟よりさらに狭い室内だ。

通路は大人一人か二人分が通れるほどしかない。

つまり、派手なアクションは望めないのだ。


(洞窟もそうだが、苦手な地形ばかりに誘い込まれている気がする)


おびただしい蟲に覆われたモップは、今や槍同然。

それを狭い空間では不利なはずが、緑の異形は躊躇いもなく振り回す。

船の動力源がダメージを受けようがお構いなしなのか。

目の前の赤い機神さえ倒せば、それでいいらしい。


(槍の動きを捉えるしかない)


拘束。

朔弥の脳裏に、先日捕縛した機神マキナが蘇る。

自在に伸ばす四肢のしなやかさ。

アレは異形の仕業である。

同じく地球外の存在だとしても、100%機械でできた鎧に同じ芸当はできない。


(だが、武器こいつならどうだ?)


黒い塵が再び爆ぜる。

アームドナイフの輪郭が合わせて歪み、腕から離れることなく先端が宙を舞った。

その隙に、槍の先端が朔弥の顔すれすれに届きそうになる。

だが朔弥は首を逸らしただけで回避、

穂先が引き戻されることはなかった。

表情なき機械の仮面。

そこに朔弥は感嘆と焦燥を見透かし、ささやいた。


「よく見ろ」


槍の穂先に巻きつく、黒い紐。

その先端には、鋭利な刃が爪の如く伸び、牙のように噛み付いて離さない。



槍を引き抜こうともがくが、朔弥は反撃の隙を与えなかった。

真紅の左腕から伸びる、もう一本のアームドナイフ。

その切先が、開口しようと再び歪む緑の顔に深々と突き立てられる。



びくん、と肩を震わせて硬直。

蟲どもはまだ張り付いたままだ。

しかし緑の異形機神マキナは、真紅の機体にもたれかかるように項垂れ、朔弥が得物を引き抜くと、床に崩れ落ちた。


「…ふう」


不利な状況だったにもかかわらず、今回は早く終了した。

鏑木に報告しなければ。

こいつも回収してもらおう。


「矢上です。目標は」




ちり、と黒い塵が舞う。

軽いノイズが爆ぜた。

見覚えのある光景だ。

朔弥の声が途切れた。


(このエフェクトは)


塵とノイズが火花を散らし、壁に…いや、空間に亀裂が生じた。


(何が起きているんだ?)



朔弥は身構えるが、先に亀裂から長い物が伸びる。





それは黒く鋭利な先端を備えていた。

ただし、ねじくれた形だった。

歪んだ凶器を宿した長柄を手に、機械の形をした影が降り立つ。



黒い人の形をして。

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