side : BLOOD 16話 艦内潜入

少年の足は止まらない。

彼の蹴ったアスファルトは、さしずめ動く歩道といったところか。

手を引っ張られるシオンの足が、滑るように進む。

二人の後を追う朔弥は、向かった先が掃海艇であることに気づく。

(あの中か)

しかし、三重にも並ぶ行列の最後尾に加わろうとしない。

シオンは入り口で受付係をしていた海自の一人に話しかけ、頭を下げると甲板に続く階段へ少年に誘われる。

どうやら、少年の父親は船の中にいるようだ。

(迷子じゃなかったのか。しかし、それなら)

居場所が分かっていながら、なぜ少年は教えてくれなかったのか。

シオンに倣い、朔弥も係の職員に声をかけた。

「広報課の矢上三曹です。任務中に失礼します。先程通って行った子どもの父親…」




「どうされましたか?」

鈴を転がすような声が、足元から尋ねてきた。

朔弥に対して軽い敬礼で応じた受付の隊員は、緊張した面持ちで背筋を伸ばした。

階段を上がってきたのは、シオンよりも若い…というか、まだ二十歳にも達していない、少女らしい顔立ちと体つきである。

小柄なせいか、海自独特のセーラーが学生服に見えてしまう。

真っ直ぐに切り揃えた前髪とおかっぱ頭、そして丸い黒縁眼鏡も相まって。

「三輪二曹、巡回中では」

「不審な点を見つけるための巡回です。その最中に目に入ったもので」

どうやら、割り込みで船内に入ったシオン達を『不審』に思ったようだ。

「何か訳があるのですか?」

「自分に説明させてください」

朔弥が事情を話すと、三輪二曹は堅い表情のままだが、納得したようだ。

「艦内アナウンスを使いましょう。その子どもの名前は聞いていないのですか?」

朔弥は首を横に振った。

そういえば、少年の話を聞いたシオンからは、父親とはぐたとしか聞いていない。

「仕方ありませんね。巡回は待機している別の職員に任せます。矢上三曹は私について来てください」

無線で海自の詰所に連絡すると、三輪二曹は足音も立てずに朔弥の前へ進み出た。

「一緒に探しましょう」




埠頭のアスファルトから五メートル以上離れているはずの甲板。

快晴の空を割るかのようにレーダーが回る下、今は動かぬ機関砲の周りに見物客が集う。

出来るだけ彼らの背後を縫うように、朔弥と三輪二曹は船の内部を目指す。

その間、朔弥は無線でシオンを呼ぶ。

しかし、応答はない。

(聞こえないのか? この混雑のせいで…いや、もしかすると父親に会えたとか)

それなら、それでいい。

だが、別のトラブルに巻き込まれた場合は。


「ところで、矢上三曹」

唐突な三輪二曹の声に、朔弥は無線から顔を離した。

「先日、八岐三曹があなたを見かけたそうですが」

「先日…ああ、谷島の」

大洞窟の外で異形の蟲を仕留めた海自隊員。

そういえば、無線で彼に話しかけた女性の声と三輪二曹のそれは似ている。

「そうだったのか、君…いや、二曹は彼と」

「八岐三曹のサポートを務めております。彼は海自における、機神マキナ部隊の数少ないパイロットですから」

あのネイビーブルーの機体のパイロットが八岐だということは知っていた。

しかし、

機神マキナの乗り手は少ないんですか?」

「あれは地球外のテクノロジーだと噂されています。外見だけは発掘された遺物を模していますが、中身は米軍が開発利用しているパワードスーツと変わりません。ただし」

船の内部に通じる階段を降りた。

陽光が届かず、若干冷房が効いている屋内。

客がいるにもかかわらず、別世界に放り込まれた感覚に陥る。

機神マキナを動かすには、特殊なエネルギー物質が必要だと判明しています」

「エネルギー物質?」

相変わらず、シオンは無線で応えてくれない。

だが、朔弥の耳を奪う言葉に彼は立ち止まった。


「エレメントと呼ばれています。今の地球における科学では、解明されていない物質として、ダークマターの一種ではないかと」


鏑木大佐からそんな話は聞かされなかった。

朔弥は僅かに姿勢をかがめた。

二人の身長差のせいだ。

機神マキナを動かすには、そのエレメントがあればいいわけか」

「エレメントは自然界に流れる物質。同様に、有機体である私達の体にも存在します。ただ、それを引き出すためには適性が必要なだけです」

つまり、あの粗野な長髪男には適性があったわけだ。

人は見かけによらない。


しかし、そういうことなら須賀や南方も適性がある…適格者だ。

(そうなると戸塚は? どうしてあいつも機神科ウチに…)

一瞬だけ疑問がよぎったが、すぐに思い直した。


(島での出来事か。アレを口外させないようにするためかもな)


あるいは、と別の考えが頭をよぎる前に、無線からノイズが飛び散った。

今度は向こうからかけてきたようだ。

「シオン、今どこにいるんだ? あの子の親は船の」



ボッ、と通話者の傍から鳴る音。

大きさからして衝撃音か。

「シオン?」

『朔…早…願…』



ブツ。

画面がブラックアウトするに等しい。

「今のはいったい…」

「規則正しく大きな音が聞こえました。この船内で唯一それが聞ける場所といえば、機械室です」

船の動力を司る、心臓部分である。

なぜ、そんな場所に。

クールで当たり障りなく接する少女。

そんな彼女もまた、不穏な物を感じたようだ。

「急ぎましょう」




立ち入り禁止区域の札とコーンが立ち塞がっていたものの、入ろうとした者が制服姿の女性とスーツの男性だったせいか、誰も気に留めなかった。

喧騒から遠ざかると、いよいよ年季の入って塗料が剥がれかけた廊下から染みるような冷気が背筋を駆け巡る。

(いったい、何者だ?)

てっきり、少年の父親は一般の見物客だと思っていた。

それが、乗組員でも限られた者しか入れない船の動力源に近い所に。

そして、少年はそれを敢えて言わなかった。

考えられる理由は一つ。


(無断侵入)


少年の父は客どころか、この船の自衛官ではない。

もちろん迷い込んだ類でもない。

目的のために侵入したのだろうか。

少年の言語が異国のものだとしたら、彼の父親は日本人ではない。

それも海自の船を動かせる設備に侵入した、


(工作員、か)


海上保安庁がこの一帯を監視している理由の一つだ。

現に、県内に侵入して住み着いている者は少ない。

治安と衛生の面から比較的住みやすい、日本の国土に落ち着くため。

あるいは、祖国に従事するため。

いずれにしても、看過できない。

少年には罪がないとしても、

(身柄を拘束する)

機械室には鍵がかかっていなかった。

おかげでこちらも入りやすい。

(丸腰なのは心許ないな)

訓練ではないため、朔弥は銃を携行していない。

三輪二曹も同じだったため、無線で他の隊員に連絡したようだ。


「はい、機械室に…え、アレを…ええ、今回の相手が人間でなければいいのですが」


その口ぶりから察するに、相手は八岐三曹だろう。

朔弥としては、機神マキナを使わなくて済むことを願いたい。

得体の知れないエネルギーを使うくらいなら、まだ実弾か拘束術を使う方がスムーズだからだ。


「二十分あれば応援が来ます。その間に中に入り、少年と職員の安全を確保します」

「手際がいいな」


今回は救出だけでいい。

だが護身用にと、廊下の掃除道具入れに入っていたモップを拝借した。

折れたとしても、弾丸で壁に空いた穴を塞ぐよりもまだ安いものだろう。

得物を握りしめた朔弥が先に扉を開け、三輪も中に続いた。




長音と断続音。

ベルトコンベヤーで次々と流れていくかのように、規則正しいリズムが室内を支配する。

機械に差す油の臭いが微かに鼻をつき、空調設備から漂うカビ臭いと相まって、ここが立ち入り禁止でよかったと朔弥は納得した。

無線は使わなかった。

万が一、目的の人物…すなわち少年の父親に無線で話している場面にシオンが気づかれたら。


(どちらが先に見つかるかは問題じゃない)


優先順位は、一番近くにいた者だ。

シオンと少年が傍にいれば、先に機械室から脱出させる。

少年の父親がすぐ近くにいた場合、三輪二曹に頼んで二人を確保させ、少年の父親を牽制しながら二曹共々三人を脱出させる。

父親が武器を持っていた場合を想定したうえで。


(丸腰だとしても、訓練された工作員ならどうだろうか)


「いましたよ」

床から離れたかけた足を戻す。

軸にした利き足に力を込めると、モップを握る腕も同様にきつくした。

少女の指し示す方向に、ベレー帽の女性がしゃがみこんでいる。

腕の中に見覚えのある小さな頭を抱きしめて。



(シオン)

朔弥は声を出さないつもりで、口を動かした。

動力源の音で聞こえないだろうはずが、気配に気づいたのか。

俯くベレー帽の頭が上を向き、朔弥の方に顔が向いた。

顔だけ見る限り、外傷はなさそうだ。

シオンは何か言おうとしたが、朔弥は指で制止した。

「今、そっちに…」

歩きかけたところ、三輪二曹に腕を引き寄せられた。

「何を」

しかし、三輪が警戒する理由に気づいた。

少年を抱きしめるシオンの傍ら、彼らより一回り近く歳上の男性がかがみ込んでいる。

彼が船に侵入し、機械室に潜入した不審人物…少年の父親だろうか。

すでにシオンと邂逅していたのだ。

だが、二人の様子は朔弥が想像していたものと違う。

シオンに顔を埋める少年同様、父親の方も怯えた顔つきをしていた。

どういうことだ。

「そこでなにを」




次の瞬間、抗いがたい力に引き寄せられる。

小柄な背丈と細腕からは考えられない膂力だった。

何を、と言いかけた言葉は三輪二曹に向けられた。

しかし当の少女は毅然とした顔で朔弥を引き寄せたため、二人の姿は動力装置の





なぜだ。

朔弥は尋ねなかった。

必要なかった。

二人が立っていた場所。

シオン達が潜む装置とを阻むかのように、ソレは出現した。




蠢く小さなモノをまとわりつかせるなうにして。

暗緑色の人型は降り立った。

機械仕掛けの神として。

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