side : BLOOD 15話 掃海艇
空よりも深い、紺碧の海原。
瀬戸内海に面した四国の地方中核都市、
海の玄関は、臨海地区。
JRと私鉄にも近いこの地は、大型船舶が停泊することで知られる。
たとえば、寄せては返す波にも動じず、そびえ立つ城の如く構える、動く海の要塞…海上自衛隊の掃海艇だ。
全長約六十七メートルといえば、平均的なビルの高さを軽く十超える。
加えて、遠隔管制機関砲を頂いた様には、近づく対象は誰だろうと容赦しない威圧感があった。
そんな威圧感も、一年を通して穏やかな瀬戸内海においては、翼を休めた渡り鳥のように静謐だ。
だが、けっして静寂ではない。
むしろ、多くの見物客で喧騒に包まれている。
「どうでしたか、船の感想は?」
「十時二十分から楽隊の演奏が始まります」
「よく似合ってるよ、そのオリジナルTシャツ」
船を降りた見物客に愛想よく声をかける若者達がいる。
いずれも制服かスーツ姿だが、海自ではない。
彼らはこの地域における陸上自衛隊、そのうち広報活動を担当とする部署の職員達である。
彼ら広報室の役目。
自衛隊の職務内容を一般大衆向けにアピール。
災害に備えた連絡事項の伝達。
他の部隊との連絡取り次ぎ。
未来の自衛隊員志望者の募集。
要は、自衛隊内部や自衛隊と大衆との架け橋である。
「…つうかコレ、広報事務って次元の話じゃねえよな」
入隊希望者説明会の資料を配布し終えると、戸塚はバンの中に倒れるようにして座り込んだ。
「むしろ、営業の方だろ?」
「そうなのか」
残りの資料を積んだ段ボールを公用車のトランクに載せると、朔弥もまた軽く深呼吸した。
「仕事と名のつく行為だ。みんな体力作業なんだろ? 疲れるのは当然だ」
「いや、作業自体はまだマシだ。問題は仕事量、いや、仕事の分配率だ」
寮の自室にある専用の布団であるかのように、戸塚は大きく伸びをした。
「たったこれだけの人数だぜ? これで会場の設営だの、店番だの、巡回だのしろって話だ。無理ゲーだよ…」
「なあに、そのうち慣れるって」
ビクッと硬直したのも束の間、戸塚はバンから跳ね起きた反動でトランクの扉に頭をぶつけた。
しかし、声をかけた先輩格の須賀三曹は怒らなかった。
「驚かせて悪いな。まあ、二日間の辛抱だ。明日には慣れるだろ」
ほら今のうちに、とさりげなく二人にペットボトルを手渡す。
程よく冷えた麦茶は、梅雨を通り過ぎたような夏日の屋外で輝いて見えた。
「ありがとうございます!」
「俺じゃない。ウチの課の女性職員だ。差し入れの礼はちゃんと言っておけよ」
「庁舎で留守番のはずでは?」
朔弥が聞いた話では、少なくとも一人か二人は会場案内と緊急連絡に備えて待機しているらしい。
「ああ、今回は助っ人にもう一人来てるらしい」
ほら、と須賀が指差した先。
壇上にはOA機器を立ち上げる南方と鏑木がいた。
汗を拭う二人に、同じラベルのペットボトルを手渡す女性が一人。
自衛隊の制服だが、こちらは礼装にも指定されている事務方の制服だ。
ただし、他の女性隊員と比べてスカートの裾が長い。
しかも、
(この炎天下の中、ご丁寧に帽子まで…ん?)
新調した眼鏡越しに、朔弥は目をすがめた。
ほっそりとしたうなじが見えるほど真っ直ぐ丁寧に切り揃えた、前下がりの黒いショートボブ。
見覚えのある後ろ姿だ。
「あれ、あの子…」
先に反応したのは戸塚だった。
萎れた花が復活したかのように、空になったペットボトルをバンに置いたまま腰を上げた。
「おーい」
戸塚の声に壇上の三人は振り向いた。
間違いない。
卵型の頭に浮かぶ、ぱっちりとした目鼻立ち。
少女の面影を残した彼女は、
「やっぱり」
息吹戸島で朔弥と戸塚が救助した女性である。
名前はたしか、
「…シオン?」
名前を呼ばれたことに気がついた女性…シオンは片手を振った。
「ひさしぶりね、戸塚君。それに…」
朔弥もまた軽く手を上げた。
だが一瞬思いとどまって、揃えた手を額にかざした。
「おいおい、なに杓子定規になってんだよ? 初対面じゃねえだろ?」
「まあ、矢上君がそうするのも無理はないよ」
シオンと目が合うと、鏑木は頷いた。
「彼女は我々の元で働いているから」
「どういうことですか?」
うーん、と鏑木は説明する必要性に迫られているといった顔だったが、チラホラと説明会の出席希望者が集まり始めていた。
「シオン君。君が話せる範囲でいいから、後は任せていいかな?」
はい、とシオンは会釈して頷いた。
「矢上君、この後巡回だろう? 彼女と回ってきてくれないか」
「了解です」
朔弥より先に答えるシオン。
当の本人は肩をすくめた。
島から脱出した後、シオンがどこで何をしているのか分からなかった。
駐屯地に連絡して松浦幕僚長に取り次いでほしいと頼んだが、幕僚長は中央に呼ばれているらしく、多忙で連絡がつかないという。
搬送した衛生科に繋いでみたが、市内にある県立総合病院に引き渡したものの、その後彼女がどうなったのか知らされていないという。
(身元が分かって、自宅か家族の所に帰った…わけじゃなさそうだな)
隣を並んで歩く、頭一つ分低い女性の横顔。
柔和な顔立ちの中で、目元だけは使命感に満ちて引き締まっている。
肌の露出が少ない制服姿もまた、細いながらも引き締まった体つきに合わせてしなやかだ。
島で初めて会った時のように、どこか
だが、まだ何かある。
違う。
逆に、何かが足りない。
不完全、もしくは、
(未完成、か)
「ねえ」
唐突に、シオンは立ち止まった。
楽隊の演奏が聞こえてくる。
トランペットは盛大に音色を奏で、足を止めて演奏を動画撮影する見物客もいる。
にもかかわらず、よく通るメゾソプラノの声は朔弥の足を止めた。
「どうした?」
「大丈夫だったかなあって…その」
シオンは朔弥の僅か頭上へと首を傾けている。
頭頂、もしくは毛先か。
「ああ、この髪は…ちょっとしたショックの反動みたいなものだよ」
恐らく、あの赤い機神の中で投与された薬物の副作用だろう。
髪の色素は抜け落ちたが、それ以外に特に影響はない。
(今のところ、視力は変わらないし、妙な幻聴も聞こえないしな)
不安そうに見上げるシオンに、敢えて笑顔で応えてみせた。
納得したのか、細長い眉から緊張が抜け、安堵の声が聞こえた。
「心配してたの、あなたが倒れた後。声をかけても倒れたままだったから。鏑木さんに連れて行かれてからも」
心配したのはどうやらお互い様だったらしい。
あらためて、彼女の口から分かったことがある。
病院に搬送された後、彼女の身元引受人になったのは鏑木だったようだ。
「結局、何も思い出せなかったの。島を出て、入院してからも。怪我はなかったから、精神科とか心療内科…だったかな? 連れて行ってもらったけど、どの先生や治療法でも記憶が戻らなくて」
鏑木大佐は情報科にも頼んだらしい。
しかし、住民データベースに顔や指紋認証をかけても一件もヒットしなかったという。
(いまだにマイナンバーも達成できていないからな)
何のための
「お金も行く宛てもなくて困ってたら、鏑木大佐が誘ってくれたの。ウチでパートの仕事をしないかって。住む場所と食事付きで。こうして制服も支給されるし」
「それで今日のイベントに引っ張り出されたわけか」
それにしては、会場の設営準備にしろ、説明会参加者の案内にしろ、手慣れていたように見えた。
「記憶はないけど、生活に必要な知識はあるのか。バスや電車の乗り方とか、パソコンの動かし方だとか」
「ええ。もちろん、買い物の仕方や自炊もね」
朔弥が聞いた限りでは、記憶喪失の度合いがあまりにも酷いと、一般常識はおろか、物の名前まで白紙レベルに退化するという。
つまり、言語を習得していない赤子同然に。
「そうか。早く記憶が戻るといいな」
今頃、彼女の帰りを待っている人がいるだろうに。
本来なら彼女が働くであろう職場の人間達はもちろん、友人、それに親兄弟など。
「そうね。もし思い出せたら、帰れるのかも」
不安を微塵も見せないのは、彼女の芯がしっかりして強いからなのか。
単に、楽観的なだけなのか。
あるいは、
(気にしていないのか?)
ふと、シオンの視線が朔弥の背後へと移り変わった。
「まるでパレードみたい」
足並み揃えて行進する、白い海兵姿。
見えない糸で繋がっているかのように、金管楽器を動かす手は滑らかだ。
中には唯一、朔弥の見知った顔があった。
一瞬だけ目が合うが、一本に結ばれた黒い長髪は帽子に隠されて見えない。
印象が変わったかのように見えるが、朔弥は先日現れたネイビーカラーの機神を忘れていない。
あの時のパイロット、八岐大地だ。
粗暴な言動が後を引くように印象に残っていたが、今の彼は楽隊の中に違和感なく溶け込んでおり、生き生きとした行進曲を奏でている。
「上手だね」
「ああ」
クラシックやオーケストラのことは専門外の朔弥だが、行進曲は嫌いではなかった。
なんとなく、身が引き締まるからだ。
音楽ができる人に悪い人はいない、むしろ賢くて素直な子が多いというのが彼の祖母の通説だった。
必ずしもそうとは限らなかったが、頭の出来は他の子どもより抜きん出いる者は多かったようだ。
(無理もないか。あの人がそうだったしな)
「あれ、あの子…」
シオンが見つめる方向に、見学用に駐車されたジープが一台。
幼い子ども達が早く中に入りたいと順番を待って並んでいる。
その列から少し外れた所で、同じく広報課の男女が幼い少年を前にする。
女性職員はしゃがみ、努めて優しげな笑顔で少年を見つめ、男性の方は無線に何か話しかけている。
「迷子らしいな。これから本部に連れて行くんだろう」
テントが張られた案内所では、そうした子どもを預かることになっている。
毎年掃海艇の甲板を埋め尽くすほど、見物客が集まるのだ。
そして大半は自衛隊関連のマニアか、船などの乗り物が好きな男児のいる親子連れだ。
あの少年も呼び出しアナウンスの世話になるだろうと、朔弥は踵を返す。
シオンも同じだが、彼女は少年に近づいていた。
「何を…」
シオンは少年のそばにいる広報課職員達に話しかけると、今度はしゃがみ込んで少年に何か話しかけた。
ずっと俯いていた少年は、弾かれたように顔を上げる。
そしてシオンの唇の動きに合わせ、小さく、やがて大きく頷いた。
「朔弥君、来て」
なぜか下の名前で呼ばれる。
島にいた時、戸塚がそう呼んでいたのをそばで聞いていたからだろうか。
とにかく呼ばれた方へ歩み寄り、広報課の二人と向き合う。
「迷子ですか?」
「そうなんだ。ジープの中からいつまで経っても出ようとしなかったので、呼ばれてな」
「私達が何を聞いても答えてくれなかったけど、彼女が何か話しかけたら返事をしたらしいの」
少年の唇からはなにやらボソボソと不明瞭なら声が流れる。
朔弥にとって馴染みのない言語だ。
(訛りとも違う。外国語か?)
どうやら少年は異国の出身らしい。
「お父さんとはぐれたみたい。一緒に探してほしいって」
シオンには少年の言語が伝わったのか、少年に手を引っ張られている。
「それなら、案内所でアナウンスした方が」
「それが嫌なんですって。名指しで放送されるのが恥ずかしいの」
恥ずかしい、か。
「そうか、言いづらかったんだな。なるほど…すまないが、彼女と一緒に親を探すのを手伝ってくれないか?」
先輩の男性職員からの頼みだ。
朔弥は頷き、二人に声をかけた。
「一通り見て回って、それでも見つからなかったらアナウンスだ。それでもいいか聞いてほしい」
シオンは朔弥の提案を通訳すると、少年は顔を強張らせたものの、ぎこちなく頷いた。
(妙だ)
朔弥は腑に落ちなかったが、シオンは少年の手を引いた。
「じゃあ、一緒に…」
途端に、少年は駆け出した。
「え、あの」
ヒールのないパンプスだが、足を挫きそうになりながらシオンは少年に引きずられるように走らされる。
どうした、いきなり。
朔弥は声をかける間もなく、二人を追った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます