side : BLACK 17話 深夜行動

薄墨色の空が灰色から白へと、朝焼けを伴いながら和らいでいく。

木々に緑が蘇っていき、目を覚ました鳥達の囀りが増えて重なり始める。

日の出に相応しい光景だった。

(現実時間では八時前か)

焚き火台の脚を折り畳みながら、蘇芳は時間の隔たりに対して一人物思いに耽った。

「蘇芳さん、灰はどうするの?」

レジャーシートを畳みつつ、スモアの残りを口に頬張る亜理紗。

「灰は土に還らない。キャンプ場なら専用の灰捨て場があるが、この先の集落で引き取ってもらえる。肥料に使うそうだ。アルカリの性質を利用して、畑に含まれる酸性を飛ばすからな」

現実世界であれば、蘇芳は自宅に持って帰る。

屋敷の庭や事務所のプランターに撒くだけでなく、灰汁を作り、洗剤として使うのだ。

それこそ、キャンプに使った鍋の煤を取るために。

「便利だね。江戸時代には藍染めに使ってたらしいし」

「詳しいな」

「おばあちゃんから聞いただけ。着物に詳しいの」

そんな会話を繰り広げているうちに、キャンプ場は完全に撤去された。




『スフィア・ソフィア』はリアルよりも時間の流れが早い。

仮想空間での一日は、現実世界の一時間に相当する。

ゆえに、三十分あれば焚き火台を撤去し、ゴミを仕分けし、食器を洗浄してリュックに仕舞える。

「この後予定はないな?」

首を横に振る亜理紗。

ちょうどいい。

付き合ってもらうことにした。

近頃ログインする目的といえば、バグの駆除ぐらいなのだ。

久しぶりに、射撃をメインとした戦闘訓練に励もう。

腹ごなしも兼ねて、転移装置ログアウトなしで森を抜けるのだ。

亜理紗にとっていいレベル上げにもなるだろう。

わざわざ自分に会うために、一からキャラを作り直したのだ。

今後ゲームで落ち合うことを見越して、彼女キャラクターの強化に手を貸すことにした。

「まずはアイテムを見せてもらう」

救命キットと食料、野営セット一式、命綱ロープ虫眼鏡ルーペ、採取用のツルハシやミノなどの工具、武器ではないが伐採用の手斧と万能ナイフ、薬草を煎じる手鍋まであった。

いずれも『採集』と『加工』に必要な道具ばかりだった。

モンスター狩るよりも、採集そっちの方が好きなの」

「鉱石採取と金属加工を重点的に伸ばした方がいい。より強力な弾丸タマを補充できるし、改造に必要な部品パーツも作れる」

その方が維持費を安く済ませられる。

次に装備品…武器を確認する。

長銃ライフルか」

試しに蘇芳は構えてみた。

軽い。

グリップも握りやすくしてある。

女性初心者向きを選んだらしい。

そのうえ、改造が施されていた。

「弾倉を交換して、弾の数を増やしたのか」

「前に使ってたキャラの時もそうしたの。射程距離を縮めるために銃身を伸ばしたりね。おかげで当たりやすくなったから、次の改造でも銃身拡張を選ぼうかなって」

「その前に、腔線を強化した方がいい。発射された弾丸が空気抵抗を受けずに済む」

キョトンとした表情を見せられたので、蘇芳は説明した。

「たいていの銃は弾が真っ直ぐ前に飛ぶようにできている。だが、どうしても外部からの圧力を受けてしまう」

空気抵抗とも言うがな、と捕捉した。

「そうなると威力は激減する。だが、銃身の内部を螺旋状にすることで、引き金を引いた際、弾は銃身を通過する途中で回転を加えられる。すると、どうなるか?」

それは、と亜理紗は極めてシンプルな解答を口にした。

「回転しながら出てくる」

「そうだ。回転は止まらない。つまり、外部からの余計な抵抗を受けにくくなるわけだ」

「そっか。じゃあ、次の改造でやってみる。教えてくれてありがとう」

一応、蘇芳はゲーム内のキャラとして銃器の改造スキルを習得していた。

これに加えて材料と道具、工房などの設備さえあれば、武器屋を頼らずとも金銭なしで改造ができるのだ。

だが、あえてそこから先は亜理紗に委ねることにした。

蘇芳は一般プレイヤーではない。

あくまでゲームの世界観の元になった、運営側の世界の住人だ。

あまり余計なテコ入れをし過ぎれば、純粋にゲームで遊んでいる亜理紗プレイヤーから楽しみを奪ってしまうと考えたのだ。

助言はするし、戦闘には付き合う。

ただし、キャラクターの育成方針は最終的に亜理紗が決めることだ。

そもそも、本来なら武器改造は高額な金銭取引を伴う。

初心者キャラでプレイする亜理紗に対し、相応の見返りを求めるのは酷というものだ。

ゲームでも現実でも言えることだが、蘇芳は無償の取引には応じない。

欲しい物には相応の物を用意する。

逆に求められたら、それなりの対価を要求する。

亜理紗とて例外ではない。

現に、母親探しのために危険な囮に利用したり、ミ=ゴとの戦闘でもサポートを任せた。

ゲームにおいてもそうだ。

一プレイヤーとして助言し、それ以上の特別扱いはしないのだ。

(今の時点でどれだけ進められるか。お手並み拝見といくか)



蘇芳は体内チップから読み取った位置情報から、手首のスマートウォッチのマップアプリを起動させた。

灰を届ける集落までの最短ルートを確認する。

(所要時間はおよそ十四分か)

ゲーム内において、約五時間後。

日没前の夕方には辿り着くはず。

先程亜理紗に教えた泉を通過することになる。

しかし、昼間だとクリーチャーはそう多くない。

出てきたとしても、チュートリアルを終えたばかりの初心者からすれば、皆雑魚レベルだ。

「蘇芳さんはどう? 準備できてるの?」

答える代わりに、蘇芳は愛用のライフルを肩に引っ掛けて手にして見せた。

銃身拡張、腔線強化、弾倉交換に加えて、銃口を拡張している。

そして弾丸は、鉛の弾芯を銅と亜鉛でコーティングした、完全被甲フルメタルジャケット弾。

『手を加えすぎなんだよ』

ウルが突っ込むのも無理はない。

雑魚だろうと手加減しないのが、夏目蘇芳である。

装填リロードは済んだか?」

弾倉に一箇所でも余分なスペースを作るのは心許ない。

しかし銃を扱い慣れているのか、亜理紗は大きく頷いた。

そうして、二人はキャンプ跡地に背を向けた。




時折、枝を揺らした後の羽ばたきは小鳥によるものか。

蘇芳は照準鏡で確認する。

杞憂だった。

「多いよね、地球に似た生き物」

斜め後ろで同じく照準鏡から頭上を仰ぎ見る亜理紗が呟いた。

「当然だ。皆、かつて地球から持ち込まれた生物だからな」

そうなの、とライフルを構えたまま少女の顔が覗き込む。

今更隠すほどでもない。

「千年前、異形オールド・ワンの脅威から逃れるべく、一部の地球人類は星の船を用いて外宇宙へと旅立った。その際、彼らは無限航海に備えて地球のしゅを載せた。主に家畜などの生産物をな。食糧不足を想定した自給自足のためだ」

意味が掴めた亜理紗は納得して相槌を打つ。

「さっき飲んだジンジャーエールの蜜も?」

「地球から持ち込まれた蜜蜂のうち、受粉に適した数少ない惑星がここラナイだったわけだ」

そっか、と感嘆したような溜息が流れる。

それを聞くと、また別の枝から囀る鳴き声が雀に聞こえる亜理紗だった。

「それでこうしていろんな星に住めるようになったのね」

「ああ。だが、それも『すぐ』というわけではなかった」

立ち止まった蘇芳が銃身を銃身を下に向ける。

自分より低姿勢の…たとえば四足歩行生物に備えた構え方だった。

亜理紗も身構えた。

抱きしめるようにライフルを握り、蘇芳とは別方向を、特に後方をキョロキョロと見回して警戒する。

「居住可能な環境の惑星は、主に二種類に分かれた。オールド・ワンか、それに相当する脅威のクリーチャーが支配する星。もう一つは、すでに地球人類と同等かそれに近しい知能と文明レベルの生命体が先住民として君臨している星だ」

「異形はともかく、人間がいる星ならまだマシだと思うけど」

亜理紗は銃口の先から目を逸らして、声をかける。

異常なし、と。

蘇芳はまだだ。

銃身を下に向けた体勢を崩さない。

「意思疎通ができるまでは疑心暗鬼に陥るものだ。特に、文明レベルにおける差異が大きいほどにな。幸いと言うべきか…いくつかの異星住民もまた、唐突に現れる異形の脅威に晒されていた。共通の敵を見出したことで、地球移民と異星種族は立場の違いを越えて手を組むようになった。そして同盟惑星が増えるほどに規模は大きくなり、宇宙における事実上の統治機構が組織された」

切れ目なく囁き続ける蘇芳。

反面、銃口を向けた先から目を離さない。

その集中が途絶えることはないのだ。

「それって、蘇芳さんの」

「いるぞ」




えっ、何が、という問い。

それは解き放たれた銃声により掻き消された。

辺りを漂い、鼻をつく火薬臭。

紫煙のように銃口からたなびく白は、狼煙か。

その狼煙の輪郭が蘇芳の腕の動きに合わせて揺らいだ。

「ちょっと…待って!」

走り出した蘇芳を亜理紗は追う。

彼が突き進んだ先…二キロ先の大地に毛皮の束のような物が広がっていた。

二匹のクリーチャー。

その死体である。

「猿…じゃない、マンキスね」

たしかに猿特有の長い手足と赤い顔。

それ以外に覆われた毛皮からは一箇所ずつ煙が上がっている。

二匹とも被弾箇所は同じ、急所だ。

「蘇芳さん、スゴイ。喋りながら狙えるなんて。やっぱ、慣れってこと?」

蘇芳は首を振った。

「駄目だ。しばらく遠ざかっていたせいだ」

「そんな、だって」

「この弾丸フルメタルジャケットならはずだった」

え。

『以前ならよなあ』

代わりにウルが答えるが、亜理紗は戦い慣れた男の言葉をすでに理解していた。

(ううん、あの距離で急所に当てただけでもスゴイんですけど)

中級者でいるつもりだった少女は、呆気に取られるが、蘇芳は踵を返した。

「時々立ち止まって障害物に隠れることにする。お互い見かけたら合図するぞ」

「分かった。姿を見られないように狙撃ね」




泉が見えるまで十分弱。

二人がかりでも倒せそうにないクリーチャーは出現しなかった。

いずれも異星のマンキスフォークスのように、気づかれなければ脅威にならない存在ばかりだった。

おかげで、マップに集落の名前が拡大されて映し出される頃には、亜理紗のキャラクターはソロでこの森を切り抜けられるレベルに達していた。

「ここまで来れたのは蘇芳さんのおかげね。ホントにありがとう」

「村に着いたら一休みするか。さっき回収した灰は取引の対象になる。もう一度焚き火をして、今日は解散だ」

うん、と少女の顔には満面の笑みが広がる。

「一度、リアルでも焚き火とかキャンプしたいなあ」

「学校でしたことはないのか?」

「あるにはあるけど…」

少し口を尖らせ、愚痴をこぼすように打ち明けてきた。

「何年か前に流行ったウィルスのせいなの。ワクチンは受けたのに、三密になるからって班ごとにキャンドルの火を移して、大きな篝火見ながら歌は歌えたかな。もちろん、さっきの焚き火と比べ物にならないくらい大きくてキレイだった…でも、その後は部屋へ直行。ホントならクラスごとに出し物をするはずだったのに…」

なんとも、単調な儀式だったわけだ。

「でも、一番残念だったのはカレー作りかな。ていうか、調理できなかったの。集団感染するかもしれないから、学校から配送された給食をグループごとの寝室で食べただけ。普段の給食と全然変わりないでしょ?」

数年前に地球全土を覆ったパンデミックのことなら、蘇芳も知っている。

地球に到着するまで事態はいったん収拾し、蘇芳をはじめとする機構の民は既に抗体を有していたため、何ら影響を受けることはなかった。

だが、ウィルス自体はいまだに大気中を漂っている。

アフターマスではない、ウィズの世界なのだ。

『随分窮屈な目に遭ってんだな』

人間のウィルスとは無縁のAIが同情しそうな声で宥める。

『干渉に耽ってる場合じゃねえぞ。ごく稀にここらにフィールドボスが出て来るんだ。休憩したけりゃ先に進め』

分かってる、と亜理紗はライフルを握り直して踵を返す。

『考えてること、当ててやる。今度のオフ会。探偵事務所じゃなくてキャンプ場にするのか?』

茶化す声に応えない。

周囲にクリーチャーがいないことを確認し、蘇芳は亜理紗の先を進もうと草の根を踏み出し








ザザ

足元から







ザザ、ザ

耳元から

(まさか)

あり得ないノイズ。

草叢を踏みしめる音ではない。

『まずいぜ、コイツは…オレとしたことが』

斜め後ろをついてくる亜理紗を振り返った。

異変に気づいたためか、足が大地に張りつき、四方八方を忙しなく見回す。

「なに…これ」

『離れるな! こいつはだ!』

ライフルから片手を外し、蘇芳は少女の小さな細腕を掴み、








ノイズは止んだ。

だが、亜理紗の動揺は消えない。

「ウソ…どう、して」

まだ差していた陽光はなりを潜め、鳥の囀りさえも途絶えた。

ただ、宙を転がるのは虫の音と、

(ラナイ種の梟か)

それ以前に、頭上からこの星の太陽は消え失せていた。

ただ、二つの月が見下ろすように浮かぶだけである。

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