side: BLACK 16話 惑星キャンプ
パキ、と割れる枝葉の数本。
同時に散る火花もまた、宵闇に微かな亀裂を作る。
蘇芳は焚き火台から焼き網を外した。
当初は激しく燃えていた針葉樹の樹皮や枝だが、燃え尽きるのも早い。
そろそろ薪を変えることにしたのだ。
(カルクスはこれだけあればこと足りるか)
カルクス…地球でいうところの
ここ、惑星ラナイは一年を通して温暖な気候であるため、緑が豊富で野営に必要な資源が見つかりやすい。
一方で、森林を闊歩する
大型で夜行性の肉食生物から身を守るため焚き火は不可欠なのだ。
『ま、もしがここ本物のラナイだったとしても、呑気にキャンプできるのはお前くらいなヤツだぜ。蘇芳』
本物、ではない。
正確には、MMORPG『スフィア・ソフィア』内にある惑星ラナイの仮想空間である。
『去年の軍事作戦で獲得できたおかげだな。半年かそこらでついにゲーム内にも実装されたんだからよ。
薪を補充し終えると、蘇芳は再び焼き網を台に乗せ、さらにその上にやかんを置いた。
直火と電磁調理器のどちらにも使えるので、野営の際によく持ち歩くのだ。
たいてい、焚き火でよく飲むのは眠気覚ましのコーヒーかノンアルコールのジンジャーエール。
この時期なら後者だが、獰猛なクリーチャーが潜む森で一晩過ごす場合コーヒーは必須である。
それに、今夜は一人ではない。
「あ、いたいた」
茂みを踏む足は軽い。
それもそのはず、顔を出した相手は血に飢えた肉食のクリーチャーなどではない。
人畜無害にしか見えない小柄な少女である。
「こんばんは〜」
肩から下は『スフィア・ソフィア』の女性キャラクター特有の装備と衣装。
首から上は蘇芳がよく知る少女の顔貌だった。
小顔に際立つ、大きな目と口。
長い黒髪にヘッドフォン。
リアルの御堂亜理紗に生写しである。
「チュートリアルは終わったのか?」
「全部じゃないけどね。戦闘と採集のクエだけ」
ほら、と亜理紗のキャラクターはアイテムカバンから何やら雑多な物を取り出し広げた。
「食い物か?」
「そうだよ。せっかくキャンプに呼ばれたんだし、何か差し入れしなきゃと思って」
そう言って、慣れた手つきで食材を金属質のシートで巻いて焚き火台に載せていく。
ホイル焼きか。
「何が入ってるかは、食べる時のお楽しみね」
『料理材料かよ。よく集められたな』
皮肉とも驚嘆ともとれるウルの溜め息に、亜理紗は誇らしげに胸を張る。
「だってこのゲーム、料理材料だけはなぜか集まりやすいって評判だし。それに好きなの、採集スキルとかクエストとか」
薪もたくさんあるからね、とアイテムカバンをこれ見よがしになでる。
「それに、この間のお礼もしたいし」
『お礼?』
「学校の件か。アレは助けたうちに入らない」
蘇芳は冷たい声で返した。
しかし、亜理紗は気後れした素振りを見せない。
「セキュリティを破ったのは悪かったって分かってる。ただ、あそこにミ=ゴが出てくるなんて誰も想像できないでしょ」
反省はしているようだ。
セリフの後半からは意地が伝わってくるが、言い分は間違っていない。
「でも、学校の友達が巻き込まれなくてよかった」
「助けたつもりはない」
「蘇芳さんが来なかったら、誰か一人は校舎に入ってきたかもしれないし、助けを呼びに行ってたかもしれないでしょ。そうなったら、助けに来た人も中に入って酷い目に遭ってたかも」
結果、『酷い目に遭った』蘇芳だが、蟲を採取できたのは事実だ。
怪我の功名ということにすれば、亜理紗や彼女の同級生達に対して愚痴や恨み言はない。
「だからこれは、私なりの反省とお礼のつもり…ってことじゃ、ダメかな」
「学校の仲間に感謝することだな」
肩をすくめた蘇芳の声には、寄せ付けない冷たさはもうなかった。
蘇芳が
実際の地球や惑星探索でも言えることだが、目的は単に焚き火と自然観察がメインなので
薪や食材は現地調達することが基本。
焚き火セット以外に用意する物といえば、貴重品と替えのアンダーウェア、ランタンなどの照明器具とブッシュクラフト用のナイフ、そして
衣類のうち、上着は季節に合わせて防寒着にも雨具にもなる、フードの付いたコート。
下は移動手段にバイクを用いることから、これまた季節に応じて裏地がメッシュか裏起毛のツナギか、フェイクレザーの上下である。
今はゲーム内、それも系外惑星にいるため、惑星探索でお馴染みの作業着を着ているが、バイクのツナギとよく似た作りである。
これは『スフィア・ソフィア』でもキャラクター装備の一種に該当する。
当然、亜理紗のキャラクターが身に纏う装束も然り。
ロングワンピースはキャンプ向きではないが、宇宙服のような素材であるあめ、ヘッドフォンと相まってゲームの世界観に溶け込んでいる。
装束といえば、持ち物である。
食材は豊富に見つけたようだが、
「飲み物はあるか?」
聞かれてから思い出したのか、亜理紗は首を横に振った。
キャンプの差し入れ集めに夢中で忘れていたようだ。
あるいは、採集スキルに入れ込みすぎたのか。
ラナイは温暖だが、亜熱帯ではない。
むしろこの時期は南国である。
「どうしよう…近くに川とか湖ってあったかな?」
あるにはあるが、暗い時間帯に行くことは得策ではない。
この先に泉が湧き出ているが、たいてい水のある所はクリーチャーの穴場なのだ。
蘇芳は自身のリュックサックから透明なグラスと炭酸特有の泡がはじけるペットボトルを取り出した。
「ジンジャーエールだ。飲むか?」
「ううん、それ…ジンジャー、だっけ? 生姜はちょっと…」
『スフィア・ソフィア』をはじめとする近年のMMORPGでは、ヘッドマウントディスプレイが脳の神経とゲームが繋げる。
ゆえに、五感全てが痛みを除いてプレイヤーにゲーム世界と同じ感覚を伝えるという。
食べ物の味覚が最たるものだ。
当然、ジンジャーエールの味も。
「そのまま飲むとキツイ。だから特別に手を加える」
リュックから追加で取り出した二つ。
「レモン? それにこの中身は?」
焚き火に照らされた黄色い皮の果実。
もう一つは琥珀を溶かしたように煌めく液体で、小瓶に揺れている。
「ラナイに来たのは今日が初めてか。この地域の特産品で、地球の蜜蜂に類似した昆虫の蜜だ」
というより、蜂蜜である。
ラナイでは養蜂が盛んなばかりか、野生の蜂が巣を作っているエリアが狭い間隔で点在しており、わりと簡単に手に入りやすい区画があるという。
今夜亜理紗と会う約束をしたために、あらかじめ採取しておいたのだ。
「紅茶にもレモンや蜂蜜を入れるだろう。あれと似たような味だ」
「じゃあ…少しだけ」
ペットボトルからジンジャーエールをグラスに注ぎ、レモンの絞り汁と採取した小瓶から蜂蜜を垂らした。
当初は生姜特有の刺激臭に顔を引き攣らせた亜理紗だが、柑橘類の微香が鼻をくすぐり、琥珀を溶かしたような液体が焚き火に照らされ輝く様に見惚れたのか。
そっと受け取ったグラスに口を当てて首を僅かに傾けた。
口の中に飴色が流し込まれると、青汁を飲まされたような顔に変化が現れた
(んん…あれ?)
心の呟きが聞こえたように蘇芳は感じた。
いったん、グラスから口を外した亜理紗の表情に嫌悪はない。
「うわあ、これ…すっごく、おいしい! レモンティーみたいだけど、レモンティーより渋くて…甘いはずなのに、さっぱりしてて…」
レシピにある分量よりも、蜂蜜を多めに入れて甘くしたおかげか。
飲みやすい口当たりになっていたようである。
「ありがとう、蘇芳さん! そんなにおいしいのがあるなんて知らなかった…作り方教えてくれる?」
『作り方もなにも、シェイクもステアもしてないノンアルコールだぜ』
ああ、と軽く受け流しながら、蘇芳はやかんの白湯をコーヒーフィルターに注ぐ。
ジンジャーエールよりも渋みを含んだ苦い香りが焚き火の煙に乗って空に流れていくのだった。
泉とクリーチャーのことが頭をよぎったので、蘇芳は念のため亜理紗に聞いておいた。
「このゲーム。初めてどのくらいになる?」
焚き火台のアルミホイルに耐火仕様のグローブで手を突っ込もうとしたが、亜理紗の手は止まった。
「今年で三年目かな? 昔お父さんとお母さんがよくやってたらしくて…やり方はお父さんが教えてくれた」
父親とはこれが連絡手段であり、一緒にプレイすることでリアルで会えない時間を過ごすことができたという。
「最近は、忙しくてお父さんログインする暇もないみたい。代わりにお母さんが相手してくれた。同じ武器使ってるけど、まだまだお母さんに射撃で勝てたことないんだよねえ…」
亜理紗は銃器を武器に選んだらしい。
賢い選択だと蘇芳は相槌を打った。
ゲームの宣伝では、デフォルトキャラクターが刀剣を振るうシーンが頻繁に映されるが、実際敵に遭遇した場合は、物陰に隠れながら状況を判断し、ダメージを受けるリスクを回避しながら攻撃できる遠距離戦が望ましい
実際の狩りでも言えることだ。
ベテランだからといって、ナイフ一本で熊を仕留めようとする猟師はいないだろう。
例外はあるが。
「蘇芳さんは? 10年くらいとか」
「もっとだ。俺にとって『スフィア・ソフィア』はただのゲームではないからな」
「そっか…この間みたいに化け物が出てくる時もあるしね」
蘇芳は一呼吸間を置いた。
「…今こうしている間にもミ=ゴをはじめとする
アルミホイルの塊を皿に盛ろうとした手がまた止まる。
あの時の恐怖を思い出したのか、一瞬だけ強ばった顔が力強く頷く。
「分かった。今はその話をしないってことだね」
「それから電話とメール越しも危険だ。俺の事務所に来た時だけにしろ」
「そうする」
さて、と蘇芳は亜理紗から皿を受け取った。
銀の包みを開けると、湯気を纏った今夜のディナーが顔を出す。
「野菜の包み焼き。といっても、野菜以外にいろいろ入れといたの」
トマト、アスパラガス、玉ねぎ、ジャガイモ、シイタケ、エビ、ソーセージ、バナナ、それからマシュマロまであった。
「秋とか冬だったら、シャケとかサツマイモとか、あとリンゴにしてもよかったんだけど、それだと季節的には変でしょ? だから代わりにジャガイモとバナナにしたの」
それから、と自身のリュックから取り出したのはチョコレートクッキー。
「キャンプといえば、マシュマロとクッキーで作るスモアなんだって。大学生の時キャンプに行ってたお母さんから聞いたの」
「バナナとマシュマロはやる」
いくらゲーム内の食事では腹が膨れないとはいえ、甘い物まで摂りすぎると胸焼けがしそうだった。
しかし、亜理紗の顔からは学校での恐怖はとうに消えている。
今度は自分で二杯目のハニーレモンジンジャーを作ろうとしていた。
リアルでもこのまま恙なく過ごせたらいいのだが、『現実』はそう簡単に変わらないこと。
夏目蘇芳は熟知していた。
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