side: BLACK 15話 大禍時の怪人
小一時間前。
市内某所の邸宅。
地下の研究室にて。
解析。
抽出。
統合。
やっと終わった。
蘇芳は倒れ込むように、作業台のそばにある椅子に腰を下ろした。
『おつかれさん』
労いの言葉と共に、ウルは絶妙なタイミングでコーヒーメーカーを稼働させていたようだ。
おかげでシャワーの後に温かい琥珀色を喉に流し込める。
『夜更かしは体に毒だからな、デカフェにしてやったぜ』
礼を言うと、蘇芳は浴室に直行した。
出る時の着替えは用意してある。
彼が探偵事務所を離れ、一週間『古巣』にカンヅメ状態だった原因。
建物内部の簡易清掃。
採取した異形の蟲を分析。
そして、夏服の回収。
そろそろ裏地にメッシュの入った上着やボトムスがいる。
空調設備や飲食物の他に、体感温度を調節できる衣服が必要だったのだ。
シャツ、ベスト、スラックス、ジャケット、コート、野外探索用のブーツとグローブなど。
基本的に色は黒や寒色系の他アースカラー中心だが、差し色に真紅やモスグリーン、白などもある。
ジャケットとスラックスに関しては、素材は一貫しており、特殊な
地球にはない素材で、いずれも刃物や銃弾を通さず、熱や冷気など環境の変化に強い。
今回は黒シャツに白いベストとスラックスを選ぶ。
『お前が抽出した蟲…たしか、ミ=ゴの神経細胞な』
酸味が少なく苦味が強いブラックコーヒーを口に運びながら、ウルに任せた分析結果を聞く。
『あれから摘出できた情報。トータルで換算すると現時点では15%ってところだな』
デカフェ自体味は悪くない。
だが、本来あるべき要素が欠けているせいか、どこか深みが足りない。
『もう四ヶ月だってのにな』
「まだ四ヶ月だ。最初から簡単に集まるとは考えていない」
『悲観的だねえ』
楽観的に捉えていないだけだ。
連続殺人鬼が現れるより前から、蘇芳はミ=ゴを追っている。
オールド・ワン…古きものどもの中でも珍しく、知識情報を餌とする地球外の
亜空間を自由に行き来できるうえに、人間の脳に寄生して操り、最悪の場合肉体を弄び、器として利用する。
「近年ではネットワークを介して『スフィア・ソフィア』のようなMMORPG内に潜伏、ユーザーが使用するキャラクターやゲームのテクスチャなどを餌としていただけだったんだがな」
『お前さんが叩きすぎたせいだぜ。奴さん達、また現実世界をはいずり回るようになっちまった。しかも連続殺人事件だぜ』
しかしそれは、蘇芳に対する宣戦布告だけではなかった。
『A.I.Aの情報とお前の読みは当たってた。あのスラグ星人の言ってた「黒い
黒い
御堂亜理紗と初めて出会った夜に抹殺した、あの異星人の言葉を思い出す。
半月前、『スフィア・ソフィア』にそれが目撃されたという。
一般プレイヤーのキャラクターでも運営側が用意したNPCでもなく、実際に現実世界で目撃されている。
それもミ=ゴと行動していたという。
A.I.Aが捉えた映像を解析したところ、人間一人並みの情報量を有する別格の個体らしい。
(人間一人の情報量。それだけ喰らったというわけか)
空間パネルに映るのは、A.I.Aから送られた画像。
見つめる蘇芳の目が薄らと細くなる。
表面が冷たい、漆黒の金属質。
ところどころに血管めいて生える筋。
中世の騎士甲冑のように、のっぺりとして捉えどころのない
まさに、
「ドッペルゲンガー…いや、オルタナティブと呼ぶべきか」
その被写体こそ、蘇芳の本星である。
そしてその姿は、まごうことなくブラックスミスの瓜二つだった。
『早く見つかるといいな』
「ああ」
見つけ出す。
遅かれ早かれ、見つけ出して引きずり出す。
その身で奪ったモノを引き剥がすためにも。
空になったカップを片付けると、セキュリティを除く屋敷内全ての電源を落とす。
初夏だというのに、茶色いコートを肩から引っ掛けた。
窓を閉める際、風が通り抜けたのだ。
この季節にしては珍しく冷たく、そしてやけに強い木枯らしのような。
『そろそろ亜理紗に言った方がよくねえか? お袋さんが関わってる研究のこと』
「必要ない」
それだけ言うと、ドアノブを回した。
『あのな、いくらお袋さんが安全っつっても、無事かどうか…』
「居場所はこちらが把握している。今のところ、異常はない。それだけで充分だ」
すでに御堂絵理奈の居場所は突き止めていた。
危険な状態ではないが、会えない状況下にいるだけで。
「それよりも、当の亜理紗だ」
蘇芳はコートの内ポケットから取り出したスマホを睨む。
「今日はなかったな」
ミ=ゴの情報摘出を優先して、亜理紗からの連絡に応えてやらなかった。
詫びのメッセージを入れようとホーム画面を開くと、電話、LINE、メールの件数が一日ごとに増えていた。
今や、二桁である。
『おおスゲエ。よかったな、歳の差あって。カノジョにすると怖いタイプだぜ、あいつ。特にデートの約束なんてすっぽかした日にはよ』
SNSに留まらない。
『スフィア・ソフィア』のユーザー向けマイページにも、メッセージが入っていた。
それもフレンド登録だった。
蘇芳が一般プレイヤーとして利用するサーバー04に、彼女もまた新たにキャラクターを作成したようだ。
ゲーム内なら会えると思ったのか。
『すでに自キャラがあるってのに。わざわざお前さんのために、だぜ。だが、あいつも今はログインしてるわけじゃないらしい』
「こんな時間だ。他にやることがあるだろう」
学生なら試験や行事があるはず。
本来なら母親捜索はこちらに全てまかせるべきだろうに。
『まあ、学校のせいで忙しいってのはごもっともだろうな』
「どういうことだ」
調子は軽いが、ウルの言葉の端々には含みがある。
長年共に過ごしてきた蘇芳には、その些細な機微が感じ取れた。
『いやなあ…あいつが持ち歩いてる
唐突に、蘇芳のスマホからホーム画面が消えた。
代わりにマップアプリが起動し、郊外と市街地を結ぶ昔の商店街付近が映し出された。
その中には「文」の一文字…ではなく地図記号が一点。
『どうやら学校のセキュリティを解除したらしいぜ。何企んでるかは知らねえが』
「それだけか?」
地図記号だけではない。
市販の地図アプリにはない機能が、今起こっている状況を周知していた。
熱探知により浮かぶ、複数の人物。
学校の敷地内に二人いる。
やがて二つの点が唐突に消えた。
「屋敷をロックしろ」
『紫苑とこはまた後回しかよ。せっかく一週間かけてアレを用意したってのに…』
ぶつぶつ言う文句を聞き流しながら、蘇芳はグローブを嵌めてガレージのバイクに跨った。
時間は巻き戻り、今に至る。
亜理紗の同級生らしい少年少女達から事情を聞いて状況を把握した。
バイクから降りたコートの男が門を飛び越えて校舎に入って行く様を目撃されても怪しまれることはなかろう。
亜理紗の身柄は確保できた。
あとは、
「外で友人がいる。ここから離れろ」
そう言って、羽織っていたコートを亜理紗の頭から被せて抱き上げ、グラウンドが見える窓を全開にした。
「えっ、ちょっ、何、を」
『絶対コートから体をはみ出すなよ。さもなきゃ…』
代わりにウルが説明する。
『転落死だぜ』
蘇芳の腕から30kg前後と思しき重みが消えた。
絶叫は地上へとフェードアウトし、「
学校への不法侵入。
及び、ハッキングの乱用。
お仕置きにしては軽い方ではなかろうか。
『甘ちゃんだねえ、お前は』
あらためて、体勢を立て直した警備員と向き合う。
帽子が取れた今、窓越しに映る外界の明かりがぼんやりと顔を浮かび上がらせる。
焦点のあっていない目を。
見覚えがある。
(寄生されたか)
操るモノの正体は把握済み。
亜理紗が友人達と連続殺人鬼について話していた様子を察知したのだろう。
『スフィア・ソフィア』での借りを返すため。
そして、
(いずれにせよ、こいつも)
『後ろだ!』
ひゅっ、と暴風が横殴りに叩きつける。
教室に等間隔で並ぶ机と椅子が邪魔だが、それら全てを飛び越え回避した。
(もう一人、か)
マップには二つの点が映っていた。
警備員以外は亜理紗だと思っていたが、あの時彼女はまだ門の外だった。
つまり、宿主が他にいたことになる。
だが、気づいた時点で遅かった。
机と椅子の並びから着地点を読んだのだろう。
片膝をついてしゃがんだ姿勢から起き上がった直後、蘇芳の手足は背後から固定されていた。
巻きつくように腕と足。
それぞれが蘇芳の肘と手首、膝から足首にかけてピッタリ密着している。
力をこめて脱出しようものなら、たちまち骨をへし折られるだろう。
そこへ第三者…もう一人の宿主が眼前に立ちはだかる。
蘇芳と警備員の身長と体格差はそう変わらない。
目の前の男は別格だった。
蘇芳の頭ほどある腕が剥き出しのランニングシャツとジャージ。
亜理紗の話により、この学校が体育祭を控えていることから、目の前の巨漢が体育教師であると把握できた。
(主は、いずこ)
体育教師には似つかわしくない、か細い声が頭に響く。
別に、蘇芳は驚きもしなかった。
質問の意味にも疑問を持たない。
答える必要もない。
「知りたければ体に聞け」
蟲どもはその要望を愚かと捉え、喜んで応じることにした。
蘇芳は状況を整理した。
自身を背後から拘束する警備員。
手慣れた手つきからして高度な組技を有している。
正面から一方的に殴り、ときには蹴りを放つランニングシャツの巨漢は、服装からして体育教師だろう。
通常の腕力に重量が増している。
ミ=ゴは知性生物だ。
知識や情報を餌とする彼らは、寄生した生物にあらかじめ備わったスキルを向上させ、潜在能力を一気に最大限へと引き出す…つまり、常人すら殺人マシンに変えるのだ。
『痩せ我慢しすぎだぜ』
言われなくても分かっている。
蘇芳はひたすら攻撃に耐え、機会を伺っているのだ。
やろうと思えば右腕から甲剣を出し、二人を切り捨てることができる。
相手が死者であったなら。
だが、寄生されたばかりの二人は体を弄られていない。
まだ助かるのだ。
下手に殺めて、学校で殺人事件が起きたなどと広まれば亜理紗も夢見が悪いだろう。
(直に終わる)
蘇芳は意識を失ったかのように、手足の緊張を解いた。
だらりとぶら下がった腕を見て満足したのか、背後の拘束が緩んだ。
そこまま二人は突然の襲撃者を椅子に座らせようとした。
新たな宿主にするつもりか、もしくは拷問のためか。
いずれにせよ、無抵抗でいる必要はなくなった。
『おう、派手にやんな』
警備員ののっぺりとした顔が歪む。
背後から捕らえたはずの男に腕を掴み返される。
男の…夏目蘇芳の両足は床を離れ、そのまま宙に浮かんだ。
体育教師の首をガッチリ挟みながら。
抵抗しようとしたが既に遅く、体育教師の体は床から離れた。
首を挟んだ両足が軽く捻ると、それに合わせて体育教師の体は床に叩きつけられた。
首を挟んだ両足は離れたが、代わりにギロチンめいた踵落としが脇腹を直撃する。
喉から潰れたような声を出し、体育教師の目から光が消えた。
まだ終わらない。
次に蘇芳は、両肩に力を込めて背後の警備員を引き寄せる。
背後の腕は蘇芳の拘束を解こうとしたが、間に合わなかった。
先程とは逆方向へと蘇芳の体は跳ね上がり、釣られて警備員の体もまた宙を舞う。
落下直後、拘束から解放された蘇芳により振り下ろされた右手の突きが、警備員の鳩尾を貫く勢いで到達した。
そのようにして、もう一人の宿主は動かなくなったのだ。
机に寄りかかりながら立ち上がり、蘇芳は自身の状態を確認する。
喉の奥から溢れる生温かい物を拭い、脇腹に触れて折れた肋骨を数える。
(手当ては帰ってからでいい)
先に気絶した二人の元へ近づく。
念のため右手には鋼鉄ワイヤーを形成しておく。
気絶と見せかけて反撃される可能性があるからだ。
ありがたいことに、それは杞憂に終わった。
スマートウォッチのライトを点け、二人の首筋に手首を当てる。
(やはりそうか)
虫に刺されたと思しき赤い点。
気づかれずに宿主に寄生できるうえ、全神経を司る脳に最も近い。
胸ポケットから取り出したペンを取り出すと、間をおかずに赤い点めがけて突き刺した。
『怖え…』
蘇芳は取り合わない。
出血はないのだ。
本来インクがあるべき芯の中を、ただ黒い羽虫だけが通過していく。
注射器と細さが変わらない作りに目をつけ、蘇芳は市販のボールペンに手を加えたのだ。
同様の処置をもう一人にも施すと、蘇芳は立ち上がった。
散らかった部屋を片付け、気絶させた二人を横たえると、蘇芳は校舎を後にした。
『警備会社に匿名で連絡したぜ』
塀から飛び降りる際、できるだけ着地の衝撃を緩和するつもりだった。
しゃがんだ姿勢にかかる負荷に抗うべく、壁を支えにしてどうにか立ち上がることができた。
『その様子じゃ、事務所に戻るのはちと無理があるぜ。今夜も屋敷で過ごすとするか。紫苑とこ行くのも明日にしときな』
離れた所にとめておいたバイクに跨ると、抽出した蟲を収めたボールペンを取り出す。
せいぜい二匹程度。
それでも、蘇芳が求める物はこの中にあるのだ。
『タイミング良過ぎだろ。情報が漏れたんじゃねえのか?』
だとしたら、今後亜理紗と不用心に会って話をするのは得策ではないかもしれない。
『またミ=ゴの襲撃があるかもしれねえ。今後落ち合う場所を変えるか』
「そうだな」
あてはある。
『スフィア・ソフィア』のマイページを開いた。
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