side: BLACK 14話 取材探検
まだ手元がはっきり見えるはずが、コンビニや自販機の照明が燃え広がるかの如く次々に灯される。
「御堂さん、こっちだよ」
正門の前で待つ人物二人。
制服のようなシャツカラーの私服に着替えた鮫島。
もう一人は、長い黒髪を首の後ろで二つに結んだ少女である。
「巴、ひさしぶり」
今井巴は文芸部と掛け持ちしているが、実際のところ運動部でも充分通用するほどの身体能力を持つ。
総合情報メディア部では数少ない体力担当部員だ。
「今日は予定ないの?」
クラスこそ違うが、葵と同じ文芸部員は亜理紗のクラスにもいる。
人伝に亜理紗の家庭事情は入るのだ。
「うん、全然平気」
「そっか」
切長の目と細い鼻筋がクールな印象を与えるが、実際の巴は情が深い。
友人同士の些細なからかい合いでさえ気にするほどだ。
人によっては神経質と捉える者もいるが、亜理紗は寧ろ気遣ってくれる人がいると安心するねと言い、巴を気に入っている。
巴もまた自身の繊細な一面を受け入れてくれる亜理紗に好意を持っていた。
「メンバーはあと一人、市谷君?」
「ああ、カオルはいつものとおりだよ。たいてい一番最後に…」
「遅刻はしてねえだろ」
ポケットに手を突っ込んで悠然と歩いてくる少年。
パーカーにカーゴパンツという姿はありふれているが、毛先をツンツンに立てた黒髪は、今や死語に分類される『ヤンキー』のようだ。
「こんばんは、カオル。今日も『残業』だったとか?」
「ハズレ。取材だっつうから仮眠とってたんだよ。ったく…人使い荒いよな、ウチの部は」
亜理紗は市村薫…もとい、カオルとほとんど口をきいたことがない。
どこか不良じみた言動と態度のせいだろう。
だが、鮫島と仲がいいくらいなのでけっして物騒な少年ではないと知っているため、最低限の必要な挨拶と会話くらいはできる。
「こんばんは」
巴と当たり障りなく察した。
「ああ、今夜はよろしく頼む」
鮫島には憎まれ口を叩くものの、他の部員や女子に対しては失礼にならない程度に話せるらしい。
「じゃあ、まずは外周をぐるりと回ろう。それから水路や細道も」
要は、学校近辺の通学路のうち、とりわけ視界が悪く危険そうなスポットを探索するわけだ。
「特にお寺に近い道が該当するみたい。あの通りに人が住むような家はないし、街灯もないから…」
ちょうど巴の通学路に近い。
彼女は昔の空襲で焼け落ちなかった商店街の筋に住んでいる。
車が通れない細道や民家の裏通りも把握しているのだ。
なるほど、と亜理紗は納得する。
「いかにも七不思議の怪人が出そうよね。あと不審者とか」
「不審者っつったら」
思い出したのか、カオルが唐突に話題を変える。
「最近聞かないよな、通り魔の事件」
無意識のうちに、亜理紗の耳から周囲のノイズが消えていた。
「その話か…旭町で見つかったトラックから死体が出たけど、犯人の手がかりは出なかったらしいね。あれから一週間経ってるし、犯人はよそに逃げたのかもしれないな」
「そうなのか? ウワサじゃ、見つかった遺体は二つあって、一つは犯人だったって聞いたぜ」
今度こそ、亜理紗の口が声を失ったまま開け放たれた。
「すぐそばに車の修理とかに使うバールが落ちてたらしいぜ。これまで見つかった遺体はみんなバラバラだったから、もしかするとバラす前にそいつで…あ」
ふと亜理紗とカオルは目が合った。
すると、バツが悪そうにカオルは言葉を濁した。
「悪い。今この状況でする話じゃねえよな」
「あ…ううん。別にそんな」
「そのことだけど」
沈黙を守っていた巴。
彼女の発した言葉に一堂は一斉に振り向いた。
「前に言わなかったっけ。ウチの家族、警察官ばかりなの。今年白バイ隊員になったお姉ちゃんが話してくれたんだけど」
いったん区切ってから、そして軽い深呼吸の直後巴の声が日没の路地に響き渡る。
「死亡推定時刻。発見された日よりだいぶ前でしょ。でも、被害者はもっと前に亡くなってたらしいの」
大通りの喧騒とは無縁の細い路地。
話声以外に響いてたのは、背中や肩で揺れる各自の荷物と足音。
いずれもピタリとやんだ。
「つまり、殺される前に死んでたってこと?」
「ありえねえ…被害者はゾンビだったってことになるだろ?」
男子二人はにわかに信じがたいといった表情だが、巴は冗談だと否定しなかった。
「死亡推定時刻の出し方なんて詳しいことは知らない。お姉ちゃんも鑑識は専門外だからって。でも、だからこそ科学班にいる警察学校の同期から聞いたらしいの。たまたま検死に立ち会った人がいて、その人から…しかも」
亜理紗は一言も声を発しなかった。
肝心な最後の情報が鼓膜に刻まれたのだ。
「いくつか臓器がなくなってたって。特に脳と心臓が」
ガサ、茂みが鳴る。
亜理紗は弾かれたように振り向いた。
四人はちょうど、お寺の前に立ち止まっていた。
亜理紗の家には神社仏閣に行く習慣が滅多にない。
そのせいか、亜理紗にとってそういった類は全く未知の世界だった。
もしくは異界…それこそネットロアを網羅した『異土端』の異土そのものである。
しかし実際は、
「なんだ、脅かしやがって…」
カオルは肩をすくめた。
茂みから飛び出した黄緑色の四つ足は、宵闇の中でも映える体の滑りを見せながら再度飛び跳ね、四人の前を通り過ぎていく。
「…ゾンビ殺人はともかく、次に進もうか」
気を取り直したかのように鮫島は声をかけた。
「今度は水路だ。そこをたどれば学校に着けるよ」
すでに小一時間が経過した。
集合場所の正門までぐるりと一周した結果、下校時に
「なるべく一人で近寄らないこと。通るにしても日没前にすること」
「それから、天候状態が悪い時は水路から離れること…でしょ?」
「あとは一旦停止と踏み切りが多い場所で…」
ふと、カオルが訝しげな表情をGoogleマップから離した。
「御堂はどうだ?」
「え…あっ」
弾かれたように、亜理紗の肩が揺れ、震える口から咄嗟に、
「えっと…知らない人について行かない、とか」
三人が一様に怪訝そうな表情を見せたので、どうにか説明する。
「ウチの学校、いろんな校区から来てるでしょ。商店街歩いてても、そばにいる大人が近所に住んでる人かどうか分かんないし、不用心について行ったり、話しかけらてもホイホイついて行ったら何があるか分かんないし…」
思いつきから出ただけだが、ああと鮫島は納得した。
「そうだね、御堂さんは校区外からの通いだし」
記事に加えておくよ、という返事に亜理紗は胸を撫で下ろした。
(つい最近、知らない人について行ったばかりだし…)
しかもそれが人喰い異星人だったのだから。
失敗からくる経験談である。
「これでまとめができるのね。『東雲中学近辺の危険区域』。放課後、大森部長と金田先生に報告しましょう」
「結局、七不思議の怪人出てこなかったね」
鮫島は肩をすくめて苦笑した。
「ただの作り話だったってことかな」
「どうせ新入生歓迎のつもりででっち上げた昔話だろ?」
カオルは溜め息をつきながら、正門に近いバス停の自販機に目をつけ、硬貨を滑らせた。
雨の前触れかのように、いつのまにか空気が湿りきっている。
そのせいか、服の繊維が肌にへばりつき、汗をかいたかのように喉が渇く。
カオルに倣って、鮫島も巴も自販機に近寄った。
(お茶、持って来るんだった)
渋々ながら、亜理紗を選んだ綾鷹のボタンに人差し指を押し当てた。
「あれ?」
入れたはずの硬貨が返ってきたことに気づく。
(二度手間だなんて…)
今度こそ、硬貨を通そうと返却口から掴み出す。
だが、
「え…いやっ」
唐突に髪がなびき、視界が遮られた。
「おいおい、このタイミングで…」
ペットボトルに口をつけていたカオルが悪態をつき、他の二人も前触れなしの風に顔を背けた。
「そういえば…体育祭の時期になると、多いらしいね。竜巻が」
去年のニュースでも話題になったことを亜理紗は思い出すが、今この時に起こらなくてもと愚痴をこぼす。
「ああ…もう」
手の中の硬貨は転がり落ち、あろうことか正門をくぐり抜けたのだ。
それも小銭入れの中身全てだ。
「無理よ。明日朝イチで先生に門を開けてもらって…」
「その前に、通りすがりの誰かに拾われたらどうすんだよ?」
「『拾われる』と言っても、門の中だよ。御堂さん、悪いことは言わないから今夜はあきらめた方が…」
すでに正門は閉じられ、セキュリティがかけられている。
正門をよじ登った時点で、警報が鳴り、付近で待機している警備員が駆けつけるだろう。
逃げおおせたとしても、防犯カメラがマークしている。
(お父さんが言ってたっけ。昔は宿直室から先生が飛び出して来たって)
だが、今は違う。
逆に言うと、コンピュータで守られた防御ほど亜理紗にとって破りやすい物はない。
さりげなく、亜理紗はタブレットと連動するスマホから警備保障の会社に侵入していた。
アクセスコード、認証。
エリア、特定。
ブロック、解除。
よし、イケる。
頷くと、亜理紗は正門に飛びついた。
鮫島の息遣いを人差し指で黙らせ、正門から飛び降りると素早く小銭をかき集める。
「警報が鳴らない…?」
巴は驚嘆に呟くが、カオルはじっと観察するかのように沈黙を続ける。
「ねっ。どうにかイケたでしょ?」
ラッキーとでも言わんばかりの笑顔で、亜理紗は余裕の表情を見せた。
たまたま偶然にも警報が鳴らなかった、と思い込んで見せた。
ハッキングのことはあくまで秘密だ。
(じゃ、とっとと出てセキュリティ戻しますか…)
「亜理紗!」
硬直。
門に手をかけるより先に、肩にかかる圧力を感じた。
振り返ると、少女の小さな肩を警察のような制服姿が掴んでいる。
目深くかぶった帽子のせいで顔は分からない。
分からなくても、何者なのか亜理紗には理解できた。
学校と契約している警備会社のガードマンだ。
「待ってください、警備員さん。その子はただ、財布の中身を…」
鮫島は努めて冷静な声で、それでいて身を乗り出しかねない体勢で庇おうとした。
だが、亜理紗は別の意味で警備員から漂う違和感を感じていた。
(セキュリティは無効にしたのに…しかも、このタイミング)
都合が良すぎた。
まるで、
(勘がいい)
「えっ、な」
尋ねるより先に、亜理紗の足が地面から離れた。
警備員は明らかに成人男性。
十二歳の少女より体格も体力も恵まれている。
しかし、だからといって、片手で軽々と持ち上げるだろうか。
「亜理紗!」
巴の声はなぜか遠ざかっていた。
そのまま、亜理紗の体が地上から離れたために。
「痛…っ!」
尻餅を突いたまま、亜理紗は周囲を見回す。
窓ガラス越しに映る外界の灯が、かろうじて教えてくれた。
(ここ…教室?)
壁一面を占める黒板と、等間隔で並ぶ机や椅子は見慣れた日常の光景だ。
それが宵闇に塗られた今、全別の世界に放り出された気分である。
そのうえ、相変わらず目の前には警備員が佇んでいる。
それだけで亜理紗は確信した。
目の前にいる人物が、ただの警備員どころか、人間ですらないことを。
そうでなければ、片手で人間一人を軽々と掴んで、少なくとも二階以上上のフロアに跳び上がれるわけがない。
(きっと、同じだ)
初めて蘇芳に出会った晩、自分を襲った異星人。
もしくは、電脳空間で蘇芳と交戦した地球外の異形。
(目的は蘇芳さん。それとも)
(主は)
まただ。
頭の中に声が響く。
(この声…目の前の?)
テレパシーで話しかけているのだ。
(主は、いずこ)
主、と聞こえて亜理紗は訝しがる。
「あるじ? いったい、何言って…」
再び肩を掴まれる。
今度こそ、亜理紗は声を上げた。
苦痛と恐怖。
どちらかに優劣などない。
(主は、いずこ)
感情が欠けているのか、疑問符がない。
だが、ここまでして問い詰めるからには切羽詰まっているのだろう。
「知…ら、な」
言葉は途切れた。
背後からの唐突な衝撃に、亜理紗を掴む力の集中が阻まれたのだ。
警備員の体は壁に叩きつけられていた。
対して亜理紗は無傷、大きくて温かい物に包まれていた。
冷たい視線を伴う影に。
「ひさしぶりだな」
その声が異星の異形殺しであると分かった時、亜理紗の手足から力が抜けた。
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