side : BLOOD 20話 終わる安らぎ
地球に存在しない物質。
シオンがそんな物を所有していた。
「地球にないって…」
戸塚は身を乗り出した。
「それじゃまるで…シオンも異星人だってことかよ?!」
「断言できません。一応彼女が搬送された病院の診断結果では、体の構造は私達のそれと全く変わらないと判断されましたから。もちろん、
どうだろう、と朔弥は首を傾げた。
実際、シオンは異星人の言葉を理解していた。
名前以外の記憶がなく、自分がどこの誰かも分からないというのに。
それに初めて息吹戸島で会った時。
(空から落ちてきた…というより、浮かびながら降りてきたと言っていい。あれは、上空に異空間があったからじゃないのか? あの黒い
だが、と朔弥は否定できないもう一つの確信を口にした。
「かといって、シオンがあの異形と同等の存在ではないだろ。何かの経緯であの服装を入手したかもしれない。それに、体の作りが
「あ…ああ」
言われて戸塚は頷く。
「だよな。別に、シオンが悪いヤツじゃない。むしろ、昨日お前が助けた親子と同じさ」
「そうですね。今回の出来事を機に、シオンさんが何か思い出せるといいですね。今頃、彼女を心配している家族や友人がいるはず…」
「悪い」
突然、雅がポケットからスマホを取り出して席を外した。
さりげなく、三人は無言でその背中を追うことになる。
同じ艦とクルーと話していた八岐も。
(また鏑木さんか?)
戻ってきた雅の言葉は、朔弥の予想通りだった。
「明日未明、
護衛。
理由を朔弥は理解していた。
「今回逃げた黒い異形の
そうくると思っていた。
だが、雅の表情はなぜか暗い。
「その任務は引き受ける。しかし、浮かない顔だな」
「それがな…お前の他にもう一人来て欲しいのがいて」
「おっ。ってことは、オレの出番か」
戸塚は身を乗り出した。
身軽なため、床から両足が離れたのではと思うほどの敏捷さだ。
しかしそれも、次のセリフで硬直した。
戸塚だけではない。
「こうして機神科に入ったんだ。オレもそろそろ
「鏑木さんの伝言。朔弥ともう一人…シオンにも来て欲しいとさ」
はあ、と戸塚の目が丸くなる。
「なんでだよ? シオンはパイロットじゃないぞ。ってか、化け物が出るかもしれないのに危ないだろ?」
「俺も鏑木さんも同意見だ。けど、本部の連中はそうは思ってない」
なんとなく、朔弥には察しがついた。
防衛省の幕僚本部は、シオンに対して疑惑を抱いているのだろう。
息吹戸島にシオンが現れた時。
それから程なくして、谷島洞窟に出現した異形の
そして、昨日の掃海艦。
「万一、例の黒い
「シオンさんがいれば、彼らが何らかのアクションを示す、と?」
南方も上層部の思惑を予想していた。
そこへ、八岐の方からも声がかかってきた。
「雅、お前のとこにも連絡行ってるよな? 日付が変わり次第、二人寄越せとさ。呉に戻るまで借りてくぜ」
「借りてくって、昔のレンタルDVDかよ」
戸塚は肩をすくめた。
「勝手な連中だぜ」
「いいさ。どうせ護衛は僕一人じゃないからな」
あれから艦のセキュリティはより強固になったはずだ。
それに自分より
万一、海での戦闘になっても心強いだろう。
「よろしく頼みます」
「ま、一晩だけ面倒見てやるよ」
世話が焼けるぜと八岐は笑みを浮かべて歓迎してくれた。
「船は明日の午前四時に出る。そう明るくないうちにな。じゃねえと、あの辺で漁をやってる連中が巻き添えを」
「やめておけ」
ペンダントライトに照らされるカウンター。
朔弥達から二人分離れた席。
琥珀色に輝くショットグラスを前に、腰掛けている男。
声の主は彼だった。
「夜明け前に船を出すな」
歳のわかりにくい声だった。
吊り照明の下浮かび上がる目鼻立ちは視野に構えており、グラスに浮かぶ氷を反映している。
固く、冷たく、捉え所がない。
しかし、肩も背も大きく、胸元は引き締まっているため、脆弱さを感じさせない。
むしろ、若く力強い印象を受ける。
彼の纏う黒シャツと白いベストはさながら鎧である。
だが、朔弥の目を奪った理由は他にもあった。
(いつからここに?)
今日は貸し切りではないため、他にも客はいる。
だが、カウンターを陣取っていたのは自分達だけだと思っていた。
「…どういう、ことですか?」
朔弥と同じく動揺していたのか、南方はいったん間を置いてから尋ねた。
「言葉どおりだ」
短く。
簡潔に。
最低限だけ。
日頃から誰と話すにしても、男はそれだしか口にしないのかもしれない。
そう感じさせるほど、人を寄せ付けないものがあった。
だが、朔弥達の意識を奪うほどの何かがそこにあった。
「いや、言葉どお…」
「待てやオッサン」
戸塚を遮った八岐が食ってかかる。
「俺らはな、毎日命懸けで任務を果たそうとしてんだ。あんたら民間人の命を守るためにな。それを、部外者が口出ししていいと思ってんのか?」
「『命を守る』?」
男はショットグラスに視線を落としたままだ。
数人の若者達から一斉に注目されているのに、全く見向きもしない。
かといって、カクテルの味やBGMのジャズを楽しんでいるように見えない。
ただの暇つぶしに来ているかのように、気怠げだった。
その態度が余計に八岐を苛つかせた。
それだけに留まらない。
「『死にに行く』の間違いだろう?」
小柄だが武道の達人の戸塚。
頭脳派だがメンバー中一番の体格を誇る南方。
幸い二人が両サイドにいたため、八岐が飛び出すことはなかった。
「そもそもこいつだって、自覚はある。自分は税金のおかげで食っていけてるんだ、ってな」
そっと朔弥に耳打ちしたのは、八岐と付き合いの長い雅だ。
ここは任せろと相槌を打つと、男の前に進み出た。
「根拠でもあるのか?」
「息吹戸島の二の舞はごめんだろう」
なぜ、と危うく朔弥の喉から声が出かかった。
あれに関しては
だから、報道では土砂災害ということにしてある。
幕僚本部がそう簡単に口を滑らすはずがない。
(オレ、バラしてねえからな)
口パクだけで暴露を否認している戸塚の姿を認めた。
もちろん、朔弥とて同じ。
「いずれにせよ、俺が言うことは一つしかない。夜の海には近づくな」
ショットグラスは男の掌に掴まれ、口元へと運ばれた。
それも束の間、琥珀色の液体は消え、彼は立ち上がる。
座高からして朔弥にはわかりきっていたことだが、南方といい勝負だった。
彼が作る影法師に、店の照明が負けてしまうのだ。
マスターに声をかけて勘定を済ませる前、それまで目もからなかった男が朔弥達の方に向き直る。。
中途半端に伸ばした黒髪の下、涼しげな目元が浮かぶ。
横顔よりも強く、はっきりと冷たさを帯びて見える。
だが同じく別の物が込められている。
触れれば熱く、焦がされる。
「忘れるな」
「え?」
ベルの音を残して、男の背中は繁華街に続くドアの向こうに消えた。
*****************
けむに包まれた状況は、再度雅達にかかってきた電話で破られた。
「空自も護衛に加わるとさ」
「それは心強いですね。あちらは最初に機神科ができた所です。宇宙部隊の次に
南方の説明によると、
「昨今の
「とはいえ、おおっぴらに行動すると敵の目を引くからな。なるべく大気圏外に近い上空から監視するそうだ」
かなり離れた距離になるが、
「それに今回作戦行動に参加する相模は狙撃のプロだ。俺達より少々若いが、場数は踏んでるとさ」
「なら安心だな。よかったじゃんか、朔弥」
それでも、気を抜かないようにしなくてはならない。
打ち上げはお開きとなり、一同は次々と会計に並んだ。
「これからますます忙しくなるな。まあ、頑張んな」
松浦幕僚長と瓜二つだが、ずっと表情の柔らかいマスターが労う。
(双子だと聞いているが、顔を見ても兄弟とは思えないよな)
そんなことを密かに思いながら、スマホ決済を終わらせて店のドアノブに手をかけようとした。
思いとどまったのは、繁華街を歩くベストとシャツの歩行者のせいだ。
「さっき、僕らより前に帰った客ですが…あの人はよくここに来ますか? 白いベストの男性は」
「ああ、彼か。今年の雪解けくらいから顔を出すようになったよ。詳しくは知らないが…この辺で商売してるらしいよ。何扱ってるかは知らないけどな」
それ以外にマスターが知っていることは何もないようだった。
「帰ったら仮眠とれよ。特にお前はそうでなくても、あちこち引っ張りだこで呼ばれるから…」
戸塚の話は耳に入ってくるが、朔弥の脳裏に響く声は低くて抑揚がなく、尚且つ短く簡潔だった。
『忘れるな』
忘れるわけがなかった。
なにしろあの男は、朔弥しか見ていなかったからだ。
そして男の忠告どおりにできるはずがなかったからだ。
掃海艦の帰還航海は午前4時きっかりに決行された。
大惨事という結果を残して。
BLACKSMITH vol.2 : Parallel Paradox 上山水月 @spheresophia
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