side: BLOOD 6話 オールド・ワン

白い闇。

そうとしか言い切れなかった。

なにしろ、辺りが白く包まれている意外に何一つ見えないからだ。

(だが)

矢上朔弥はいったん開けた薄目を再び閉じた。

そして、瞬きする。

(話し声がする)

自然と眉根が持ち上がる。

「…に…て…せば…」

「…んで…だ…は…」

何を言っているのか。

どうにか聞き取ろうと意識を集中させるが、代わりに電子音が高く鳴った。

どこか警報のようで胸騒ぎを起こされ、朔弥の目は自ずと開いた。

「曹長、矢上が」

聞き覚えのある声が跳ね上がる。

しかし顔を確認する前に看護帽の女性が覗き込んできた。

「矢上三曹、聞こえますか?」

駐屯地専属の看護師だと認識できた時理解した。

朔弥は自身の職場にして住処に帰還したのだと。

(騒がしくなるな)

試しに手足の指に力を込める。

関節の曲げ伸ばしは問題なし。

節々に痛みはなく、筋肉もそう重く感じない。

気を失ってから、さほど時間は経過していないようだ。

(二、三時間昼寝したってところか)

幸い、今の病室(壁から天井まで寝具と同じ白だから)には自分以外誰もいない。

ベッドの手すりに掴まりながら、両足を床に下ろした。

(ひさしぶりに長いこと寝ていたんだ。さぞかし、ヒドい顔だろうな)

タイルに浮かぶような鏡に顔を近づけた。

顔色が悪く、寝ぼけ眼の仏頂面がそこ「…え」

ぽつり、と一言だけ。

一言にすらならない呟きが、矢上朔弥の薄い唇が漏れる。

そこから先は、声にならない掠れた息遣いのみ。

だが、声が出せるなら。

朔弥の喉は張り裂けただろう。

(なん…だ…これ)

鏡に映る顔は一つ。

少年を卒業したばかりの引き締まった顔立ち。

真っ直ぐな鼻に薄い唇。

やや吊り上がった目の上には眉間に寄せた皺。

その上には短く整って切りそろえた黒髪が生えて筈だった。

代わりに映えるのは白。

蛍光灯を受け、銀を浴びて輝く髪はあらゆる方向に向かって伸びていた。

叫び声が出てこない朔弥に変わって、部屋のあらゆる方向を指し示すかのように。

正気のない、白い髪だった。

(なんで…いつ)

頭髪ばかりではない。

眉毛もそう。

だが、朔弥の目の行き先は髪ばかりではない。

捉えた目。

彼自身を見つめる目。

鏡に浮かぶ虚像が宿した目は、海の底から見上げた空のように青いのだ。

空。

あるいは、宙。






「これから尋ねる質問は全て、調査報告と証言に基づく内容だ。答えは分かり切っている。だがあらためて君の口から確認させてもらいたい。矢上朔弥三等陸曹」

ベテランの医官はさしずめ、進路相談の教師かカウンセラーといったところだろうか。

ずっと昔から座っていたかのように椅子に腰を下ろし、目線の高さを朔弥に合わせている。

座高からすると朔弥の方が高いはずだが、今の彼はベッドから体を起こせないでいた。

肩や膝から指にかけて関節の曲げ伸ばしに支障はない。

だというのに、横たわったままの姿勢を求められた。

「もちろん君からも質問がある筈だ。その点は心配しなくていい。我々には君の質問に答える義務がある」

言い換えると、朔弥には彼らの質問に答える義務がある。

面倒見のいい高校教師ばりに向かい合う医官の背後には控える男が二人。

背広の方は見ない顔だが、もう一人は入隊以前から認識している。

こちらは鎧どころかバリケードのような隊服で上体を固く覆って像のように直立している。

顔も同じく、巌を削って作られたようで表情に変化はない。

何物にも動じず、何者にも臆しない、人の形をした壁。

彼が動く時は常時ならざる時だけ。

(第十四師団司令部、松浦幕僚長)

朔弥のような末端の隊員とは直接関わることのない存在だ。

(わざわざお出ましということか)

こうなれば嘘は言えまい。

常識の範囲内で答えられることは全て答えよう。

朔弥は返事と共に頷いた。

「二〇二X年五月十日、君が所属する陸上自衛隊瀬戸内海地区第十四師団普通科は高天市たかまがし息吹戸島いぶきどじまにて災害救助活動訓練を実施、君も参加した」

そうだねと覗き込むような目が心の底まで窺っている。

答えるまでもない事実にすら肯定を示した。

「君の班は廃墟と化した集落のうち、一軒を担当。同じ班の戸塚光流とつかみつる三等陸曹は廃屋へ向かい、君は外に残った」

そうだね、と確認の問い。

肯定の返事と頷き。

答えられる質問に対しては常にこの挙動を。

(今の質問からすると、戸塚は無事らしい。だが、彼女…シオンは?)

屈託のない青年の笑みとは対象に、何かが欠けているように表情に乏しい女性の顔が頭をよぎる。

「そこで君と戸塚三曹を残して部隊は大惨事に見舞われた。班長はもちろん、上官も含めて。生き延びた君達は島から脱出するべく海岸を目指した」

確認を促す問い。

肯定と頷き。

(そうだ)

朔弥は確認をとおして確信する。

違和感を。

「途中、いるはずのない民間人の女性を保護した」

これにも確認を求められる。

肯定しつつ、頷く。

(どうやら、彼女も無事に保護されたようだ)

しかし、心から安心できない。

むしろ、

(妙な感覚だ)

今の質問だけではない。

全てに肝心な要素が欠けている。

朔弥が廃屋に踏み込んだきっかけ。

そこで目にした異様な存在。

出会った女性の素性。

迫りくる危機の前に現れた、機械仕掛けの人型。

(化け物のことは聞かないのか? それに…そうだ、あの赤い)

人型の機械。

朔弥を取り込み、命を吹き込ませ、異形を屠った、機械仕掛けの人型兵器。

マキナ、とシオンは呼んだ。

(アレはどうなった?)

「さて…私からの質問はここまでだ。あとは」

背後に控えていたの幕僚長と目を合わすと、医官は立ち上がる。

「ここから先は松浦幕僚長と話しなさい。その後で休養も取るように。忙しくなるからね」

(忙しく?)

では、と頭を下げた医官はベッドの周りのカーテンを閉めた。



取り残されたのは三人。

(ここから本番、といったところか)

無意識のうちに、朔弥の上体は壁に沿って背筋を伸ばしていた。

「いや、寝てていいよ」

背広を着た初対面の男が気遣うように手で制した。

「気にせんでください、鏑木さん」

松浦が口を開く様子を朔弥は見たことがある。

実際に声を聞いたのはこれが初めてだった。

なんとなく訛りが強く、彼もまた地元出身であることが手に取るように分かった。

国家公務員は全国転勤だが、四国勤務の職員は殆どが地元の人間なのだ。

冠婚葬祭を考慮して、というのは建前で、実際は四国を希望する者が少ないせいである。

だが、鏑木と呼ばれた男は違った。

「そう仰らないでください、松浦幕僚長。たった半日で彼の身にはあまりに多くの事が起こったんですよ」

「『多くの事』など、いつどこにでも起こり得る。だから我々には常にその覚悟ができとる」

朔弥は頷いた。

悠長に寝ているつもりなどない。

「お気遣い感謝します。ですが、私には義務があります」

「それは質問に答える義務かい? それとも、かな?」

逡巡したのも束の間。

朔弥は相手が言わんとする言葉の意味を咀嚼する。

「それは…『責任』と読み替えるべきですか?」

「そうだよ。君はこれから知ることになるとは思わなかった事実を知ることになる。今まで知らなかった事実。すなわち、知らされなかった事実だ」

朔弥は眉根を寄せた。

(『知る権利』なら嫌というほど耳にしてきた。しかしまさかここで…義務の話になるとはなあ)

面接の討論課題ではあるまいし、と朔弥は体をほぐしたい気分に駆られた。

上官ならぬ、上官の上官の手前。

実現は無理だが。

見透かしたのか、鏑木は片方の眉だけ吊り上げた。

「ややこしい話になってすまない。本題に入る前に確認したかっただけだ。私が言いたいのは…今まで知らされなかった事実を知るということは、君もまた『知ってしまった事実を他人に知られないようにしなくてはならない』ということだよ」

本題と鏑木は言うが、朔弥にはすでに話の核心に近づいていることが薄々感じられた。

医官からの質問になかった存在。

(あの化け物。そして、機械の人型)

鏑木は知っているのだ。

「これから君に話す内容は公務員の守秘義務、ないしそれ以上の極秘事項だ。その重責を背負えるのかい?」

それ以外にない。

背を向けたところで、振り返った先には何もないのだ。

(ロボットに乗る前から異常な事だらけだ。今更普通に訓練や任務に戻れと言う方が無理な話だろう)

頷くと共に返事で応えた。

「自分にはその覚悟はあります」

松浦が無言で頷く様を確認すると、鏑木は軽く咳払いしてから切り出した。



「では早速…矢上三曹。君はダーウィンの進化論について聞いたことはあるかな?」

名称を知っているどころか、その内容まで説明できた。

「生物は単純な形態から現代の姿に進化した、という説ですね。例を挙げると、猿から人が」

「それが間違っているとしたら?」

不意打ち。

努めて、平静な態度を維持してきた。

朔弥の眉間はここで初めて深い皺を浮き彫りにした。

鏑木は瞬き一つしない。

「地球の歴史や科学は未発達だ。冥王星は惑星から外された。白亜紀最強の捕食者とされたT.レックスでさえ、狩猟の能力がなかったことが二十一世紀に入ってから提唱された。ヒトとサルが別物だったと知らされても可笑しくはないだろう?」

何を言い出すのかと思えば。

「仰る意味が分からないのですが」

進化論や恐竜の話をするために、こんな手負いの下っ端隊員と面会しに来たというのか。

基本的に、矢上朔弥は初対面で年配の相手に対して感情を剥き出しにすることはない。

向こうが喧嘩を売って出ない限りは。

この鏑木という男の正体が何者かは知らないが、松浦幕僚長の態度から察するに司令部クラスと対等な関係であることは間違いない。

そして、

(幕僚長とあまり顔を合わせようとしない。あまり関わり合いが少ないか、お互い良く思っていないようだ)

朔弥の思考を読み取ったのか。

鏑木の声は少し調子を明るくした。

「いや、すまない。いきなり場違いな話をしてしまった。私はただ、君の反応が見たかっただけなんだ」

「反応?」

そう、と鏑木は医官が座っていたパイプ椅子に腰掛けた。

体重を感じさせない着席だ。

座高も朔弥とあまり変わらない。

遠目からだと細身だが、あらためて近くで見ると、脆弱さを感じさせない。むしろ非人工的なものを詰めたように胸には厚みが窺えた。

「今の質問はテストだよ。常識を覆される場面に遭遇した時、君はどう発言ないし行動するか。君は進化論の否定をあり得ないなどと否定しなかった。動揺しつつも冷静に、質問そのものではなくを問おうとした。未知に順応しつつも冷静に分析し、行動方針を決めて対処する。それが君の長所だよ」

順応、分析、対処。

初めてチームを組んだ時を思い出す。

『何があっても来るもの拒まず、だよな。朔弥は』

同期の悪友から似たようなことを指摘されたのだ。

朔弥の頭を過去のビジョンがよぎった瞬間を見通したのか、鏑木は相槌を打った。

「やっぱり。そうやって島の脅威にも立ち向かったんだろうね」

島の脅威。

やっと本題に入れる。

「あなたは知っているんですか?」

「ああ。なにしろ連中は人間が誕生する以前からこの星に蔓延る存在だ。少なくとも、地球ができた当初から」

今度こそ。

朔弥は身を乗り出した。

「おっ。ようやく聞きたかった質問に答えてもらえそう、といった顔だ」

「教えてください。あの島にいた化け物。何者ですか? 目的はいったい」

軽く目を閉じて呼吸する鏑木。

どう答えたらいいものか考える仕草に見えた。

朔弥の質問の中に答えづらい問いかけがあったのだろうか。

「目的は種々雑多、だよ。連中からすれば人間は餌であり、駒であり、玩具だ。特別美味しいとは言えないけれど腹は満たせる。いざとなったら利用して使い捨てにできる。退屈凌ぎの余興にもなる」

LEDを反映したリノリウムの空間。

懐中電灯と外界の日差しでは心許ない廃屋が蘇る。

金属を思わせる非金属の鋭利な先端。

鞠のように転がされた挙句、破裂した際に飛び散った蘇芳色。

機械鎧を纏った朔弥すら、打撃を通して感じ取れた流動性の多肢。

仲間の苦悶と女性の悲鳴。

連中からすれば餌であり駒であり、玩具なのだから。

胸糞悪さに包帯越しの肌が蒸気する。

あの鎧がそうだったように、赤熱する感覚まで蘇る。

手元に黒くて小さな物が跳ねる錯覚すらも。



「…オールド・ワン」

木霊するように響く鏑木の声。

その中で唯一聞き取れた言葉が、朔弥を現実に呼び戻した。

「合衆国西海岸の研究機関が太平洋上で別個体を発見した。多様な種がいるものの、我々は総じて彼らをこう呼んでいる」

オールド・ワン。

異形の呼称。

だが、朔弥はその先にある言葉をさらに聞き流さなかった。

「我々…つまり、あなた方は以前から連中に対処してきたというわけですか?」

ああ、と頷く鏑木の返事は棒読みに近い。

「なぜ連中の存在が秘匿されてきたか。察しはつきますよ。国民はおろか、世界中を混乱させないためだ。そのことであなた方を責めはしない。自分があなた達の立場なら同じことをします。ですが」

「島にいた連中はこちらの失態だ」

失態、と鏑木はあっさり認めた。

言い訳しない点は潔い。

その点は朔弥も認めた。

つまり、

「つまり、あなた方はあの…オールド・ワンの存在を知っていた。当然、連中の巣穴も。知っていながら、我々をあの島に派遣したというんですか」ここで初めて、松浦幕僚長の踵が床から浮いた。

座ったまま鏑木は制した。

「知っていた。だが、あれはほぼ休眠状態のはずだった。連中は寒冷地域の方が活発だという事実が、南極で発見された化石から判明している。詳しい調査はまだ途中だが…だからこそ、なぜ今になって暴れたしたのか。我々は原因を探っている。だからこそ、手が欲しい」

異形、オールド・ワンのことが分かった今。

もう一つの真実が朔弥の前に訪れた。

心なしか、鏑木は軽く前に上体を逸らしたようだ。

朔弥にとって馴染みのある、国の防人特有の姿勢。

「矢上三曹。君の力が必要だ。そして君の機神、マキナの力で古き異形を討伐してほしい。我々対異星人戦闘部隊『機神科』の下でね」

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