side: BLACK 1話 連続殺人鬼
コインパーキングの明かりを頼りに地図アプリを覗きこみながら、亜理紗は螺旋階段をぐるぐる上る。
一階は駐車場らしく部屋はない。
二階と三階に窓があり、明るいのは二階だけだ。
入り口にかけられた札を見る。
「鍛冶屋探偵事務所」
検索エンジンにかけた文字をそのまま呟くと、亜理紗はインターホンを鳴らした。
しばらく緩慢な電子音が続く。
だが、事務所の主が戸を開ける様子はなかった。
「…留守?」
思わず声に出してしまった。
あらためて表札のような看板と地図マップに表示された位置情報を確認する。
そこには住所はもちろんのこと、ストリートビューアーで周囲の光景が垣間見え、電話番号と営業時間さえ知らされている。
(今日って金曜だよね…)
七時まで営業中のはず。
実際、窓越しに明かりが見えたのだ。
明かりを消し忘れて外出しているのだろうか。
(ちょっとそこのコンビニにでも行ってるのかな)
あるいは食事にでも出かけたのか。
ここは繁華街の外れにある。
だから飲食には困らない。
亜理紗は困るが。
(こんなとこ、今までだったら出歩かないよね)
もちろん、夜の外出すらしたことがない。
しかも繁華街だ。
足を踏み入れるということは、亜理紗にとって相当勇気の要る行為だった。
アプリで場所が分かった時も戸惑った。
すぐそこだというのに、飲ん兵衛の間を突っ切るのに二の足を踏んでしまった。
しかも警察どころか自衛隊員らしき若い男性に危うく補導されるところだった。
あの二人には亜理紗がどう見えたのだろうか。
夜遊びが好きな不良小学生か。
さもなくば、家出人か。
(どっちにしても、連絡が行くのはヤダ。絶対困る)
連絡。
亜理紗にとって、最早保護者としか呼べなくなるであろう、父方の祖父母。
あの二人が迎えにきたが最後、亜理紗は目的を達成できなくなる。
(絶対、イヤ。こうなったら、誰か戻ってくるまでねばる)
リュックサックを開けると、ファストフード店で買ったハンバーガーとポテトのLサイズを取り出した。それからペットボトルのお茶も。
こちらは自宅で沸かした番茶である。
(今が春でよかった。春休み中だったら、寒くて張り込みなんて無リ…)
声がした。
咳き込むように激しい息遣いとコンクリートを蹴るように踏み締める足音。事務所の一階からだ。
(そっか。たしか下は駐車場に…)
覗き込んでみる。
誰かが駆け込んできたようだ。
動きが鈍る水の中で重い体を引きずるように、無我夢中で。
息遣いから聞こえる声で、なんとなく相手が男だと亜理紗には分かった。
(何してるんだろ…)
男は事務所を支える鉄筋コンクリートの柱に身を隠していた。
逃げている。
追われているのだ。
亜理紗は身を乗り出していた。
男は通りの方をじっと見つめている。怯えたように、息遣いが荒い。
(なんだろう…)
同じ方向を見つめていると、曲がり角から人影が現れた。
顔は見えない。
街灯の下を通過したというのに、頭はすっぽり影で覆い隠されている。
影法師、と呼ぶに相応しい。
(なに…あれ)
輪郭は人間そのもの。
だというのに、どこか歩き方がおかしい。
硬く硬直した物が、軋みながら関節を動かす様に近い。
そう、ゼンマイ仕掛けの玩具だろう。
(なんかヤバそう…まさか)
『また出たらしいよ、通り魔』
クラスメイトの興奮した声が木霊する。
これで四人だよ、と。
朝と夕方のニュースに流れる、キャスターの平静な声も。
『手足をバラバラに切り裂かれ、死亡していました』
もちろん、自然死ではない。
彼らは殺されたのだ。
いまだ正体のわからない、連続殺人鬼によって。
(まさか…あの人も)
逃げてきたのか。
(どうしよう…このままだと…!)
目の前で逃げてきた男性は殺されてしまう。
かといって、声を出せば見つかるだろう。
男性は助けられても、通り魔は亜理紗に見つかったことがバレる。
そして、捕まるまで一生亜理紗を追い続けるだろう。
(だけど…それじゃ、なんのために)
ここまで来たのか。
『あの人』に会いたいからではなかったのか。
見つけ出して一緒に帰るためではなかったのか。
(ここで諦めたら、『あの人』まで犯人に…)
いけないこととは分かっていた。
それでも今は非常時だ。
(こうなったら)
亜理紗はリュックサックから専用のタブレットを取り出した。
進級祝いに『あの人』がくれたお下がりだ。
開いてすぐ携帯式ルーターでWi-Fiに繋がっていることを確認。
デスクトップ画面とほとんど変わらない色彩のアプリを選んで起動させた。
あえて分かりにくい見た目にしたのだ。
その機能ゆえに。
(…一仕事しますか)
途端、画面はブラックアウトしたように暗転した。
しかし亜理紗はうろたえない。
これでいいのだ。
(たしか近くにコインパーキングが)
精算所にはトラブルに対処するべく緊急用の電話が取り付けてある。
(パーキングの住所を特定。管理会社を特定。そして精算所の…)
その間、ディスプレイに無数の数字やアルファベットの羅列が目まぐるしく流れ込む。
その全てが、亜理紗自らの手でキーボードを通じて打ち込んだプログラミング言語。
それは電子の海を渡り、コンピュータへと指令を送った。
内容はいたって単純。
それは、
コール音。
その音に隠れていた男性の肩が跳ね上がった。
通りを進む人物の足も止まる。
それは時を知らせる鳩時計よりもけたたましく、コインパーキングを中心に他に通行人を寄せ付けない通りへと広がった。
顔なき追跡者は音の方向へ振り向いた。
しかし、柱の男性はその隙に階段へと身を翻し、そっと身を潜めた。
追ってきた影法師は建物の柱に駆け寄るが、そこはすでに無人。
そのうち音に気づいて誰かが駆けつけてきた。
やむを得ないと判断したのか、影法師はその場を足早に立ち去った。
(…うまく、できた)
ネットを介して自分以外のIOT機器に介入したのはこれが初めてではない。
しかも、本来から許されざる行為だ。
(でも…これで)
「君が、かい?」
冷たい喉の奥。
高い声に自分でも驚き、亜理紗は振り返った勢いで柵に肩をぶつけた。
頭上からの声が心臓を鷲掴みして離さない。
「や、やめ…っ!」
「おいおい、誤解しないでくれ」
相手からも驚いた声が上擦って投げかけられた。
首をすくめて震えていた亜理紗は、恐る恐る背後を振り返りながら目を開け、頭上を仰ぎ見る。
「君…ここで何してるの?」
目の前にいる人物。
それは追われていた男性だった。
「あ…えっと」
亜理紗は迷った。
(どうしよう。たまたま追われてたから助けた…って、言った方がいいよね? だって、悪いことしたわけじゃ…あ、でも、パーキングの精算所ハッキングしたことバレちゃうか…)
どうしたらいいか亜理紗が考え込んでいると、先に男性の方から意外な言葉が届いた。
「…もしかして…ウチの事務所に何か用かな?」
ぴくん、と亜理紗の髪が揺れた。
(ウチの…って、まさか)
しゃがみ込みこんでいた小柄な体がスッと伸びた。
「あの…もしかして、ここの探偵さんですか?」
すると、ああとあっさりした返答が応えた。
「僕は鈴木建弘。さっきの質問だけど…パーキングのアレ。やったのは君かい?」
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獲物を仕留め損ねた。
元来た道は通らず、『彼』は街灯を避けて裏路地に入った。
ここなら人目につかないだろう。
今夜の獲物は巣穴に逃げ込んだ。
いったん体勢を立て直すことにする。
そして、次こそ必ず仕留める。
『彼』は片手を掲げた。
袖越しに刃が鈍く輝いた。
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