side:BLOOD 5話 血染めの刃
薙ぎ倒された松林の残骸。
その下に埋もれたまま、朔弥はうつ伏せに横たわっていた。
(…生き、てる…)
意識はまだあった。
視界は開けていた。
自身を吹き飛ばしたモノの正体を捉えていた。
(…あれは…)
脚を引きちぎられた異形。
それは砂に潜んでいたモノに捕らえられ、捕食された。
粘性を帯びた長い無数の触手により。
殻を持たない姿はウミウシ…それも、烏賊や蛸のように触手を持つ類だ。
(そう、か…別…の…)
新たな異形は次の獲物を探す。
見つけたのは、朔弥達が爆破した異形の群れ。
炭化したというのに手当たり次第触手で捕らえて頬張っていく。
獲物が減ってきたところで、触手の主は次なる餌を求める。
ぐりり、と眼球は回る。
今にも眼窩から落ちそうなほど忙しなく蠢く様は、まさに貪欲。
朔弥は戸塚とシオンの姿を捉える。
戸塚は止血したのか、袖が破けており、どうにか中腰の姿勢を保ったままシオンを背後に回している。
手には折れて短くなった槍を構えている。
シオンは直立したままだ。
戸塚に勧められたのか、手には朔弥の槍が握り締められ、穂先は宙に向いたまま。
しかし足は動くことを忘れてしまったように砂に埋もれている。
このままでは次の餌だ。
(早く二人を…あ?)
起き上がろうと腕と膝をつく。だが、そこから先に変化はない。
(どうした? 体が、動かない?)
機械の両腕で二メートル級の化け物を投げ飛ばし、脚や胴体を容易く引きちぎった。
機械の体どころか異形にすら重みを感じず、疲労はなく、体力はまだ有り余っている。
打撲の痛みはあるし、おそらく怪我もしているが、動けないほどではない。
(なら、どうして)
その疑問に応じたのか、文字通り機械のフィルターを通したような無機質なオペレーターが木霊する。
『ハイブリッドエンジン稼働率低下。燃料ゲージ十パーセント未満にまで低下。エレメント濃度減少。至急エレメントの注入を推奨。あるいは…』
目が見開かられた。
AIらしき声の言っていることは半分ほどしか理解できない。
しかし一つだけ分かることがある。
(燃料…切れだと? こんな時に!)
指の関節にきつく力が籠る。
鎧が稼働できれば拳が握られていただろう。
(ふざけるな…!)
朔弥にはいまだこの機械人形の正体など分からない。
シオンに『マキナ』と呼ばれたこと以外、何一つ。
どこから来て、誰が作ったか、など。
しかし、作った人間がいれば罵ったことだろう。
(せめて燃料ぐらい満タンにしておけ…この!)
肩と肘に全体重をかける。
ググ、と機体が朔弥自身の肉体に合わせて小刻みに震えた。
(くそっ! 動け! 動いてくれ!)
指はいまだ鉛のように重く、固まったように動かせない。
パワードスーツどころか、装着した自分自身の肉体すら硬直したような錯覚に陥る。
(頼む! 僕はまだやれる…だから)
薄暗い林の向こうから高い悲鳴が聞こえた。
シオンだ。
襲われているはず。
当然、朔弥に不意打ちした存在が原因だろう。
戸塚はどうなった。
シオンを逃すべく盾になっているだろう。
(…動いてくれ…)
目の前に浮かぶ複数のウィンドウ。
その中で一際目立つゲージ。
それを埋める光の量は蝋燭の火のように目減りしている。
(やけに少ない…これがエレメントとかいうヤツか)
ゲージはついに一目盛り分くらいしか見えなくなった。
ゼロから数えて一つ分だろう。
(なぜ。こんなことに)
目の前に浮かぶウィンドウが次々に消える。
数字や文字、記号、絵図も。
(ダメだ。消えないでくれ。他に方法は…予備の燃料もないのか)
エレメントとやらが何かは知らない。
だが、要はそれさえ入手できればいいのだ。
「どんな方法でもいい。燃料が手に入るなら何でもする。だから…」
あの二人を…
『エレメント濃度一パーセント未満に低下。
「なに…?」
早鐘のように心臓が高鳴った。
(活性化剤…これが燃料か?)
『至急、活性化剤の注入を推奨。エレメントの増幅と補充を』
「それさえあれば動くのか?」
思わず声に出した。
『
体内に、と朔弥は眉をひそめた。
初めて耳にした時活性化剤がこの機体の燃料のように思えた。
しかし、『服用』ということは。
(パイロットが飲むのか。しかも枯渇だの回復だの…まさかエレメントというのはパイロット、つまり生きた人間から得られるのか)
エレメントというのがこのパワードスーツの燃料だということは理解した。
その代わりに、得体の知れない薬を投与されるというのだ。
しかし一瞬の逡巡は遠くの悲鳴にかき消された。
今度は紛れもない戸塚の声も聞こえてくる。
朔弥がいない今逃げ惑っているのだ。
(ダメだ。迷っている暇はない)
朔弥は決した。
薬を投与されるとどうなるのか。
そんなことは終わった後に悩むしかないのだ。
「分かった。その活性化剤とやらをくれ。それでこいつがまた動くなら」
『承認を確認。
「ああ、頼むから早くやってくれ!」
一瞬の間隔。
そして、
『承認を受諾。
立て続けに襲う刺突の痛み。
それは注射針に酷似した細い針に違いない。
薬品を体内に入れるのだ。
当然である。
ただ、普通の注射と違う点。
一度に複数箇所刺されたのだ。
腕に限らず、腹、脚、首筋など。
そして、そこから伝わる痛みは想像を絶する。
朔弥は身をよじった。
機械に体を覆われている今、のたうちまわっても体のあちこちを打ち付けるだけだ。
それでも内側から迫り上がってくる痛みに全身の感覚が奪われていた。
(熱い…体が…溶け、そうに…)
激痛は吐き気も呼び、咳き込むうちに胃液がこぼれた。
薬というより、むしろ毒。
体の内側からの腐食と崩壊だった。
しかしそれも長くは続かない。
(…不思議だ)
次第に熱に慣れていく。
吐き気は遠のき、絶叫は収まり、思考と視界がクリアになっていく。
そして、オペレーターの声が明瞭に聞こえてきた。
『エレメント濃度八十パーセント超過。ハイブリッドエンジン稼働率七十パーセントまで回復。全システム回復。システムオールグリーン』
仄暗い周囲に光が戻ってきた。
既視感の有無にかかわらず、数字や文字、記号、絵図が浮かぶウィンドウが複数展開される。
石のように硬直していた指の関節が、ぐにゃりと柔らかくなったように動かせる。
肩や首回りに重く伝わっていた機体の圧力が和らいでいく。
(体が…動く)
掌を握りしめた。
拳に、肘に、膝に力が宿る。
頭上に覆いかぶさっていた松林の残骸が、ずるずると地面に落ちていく。
(行ける。今度こそ…殺れる)
思考に別の物が入り込んだように。
矢上朔弥は真紅の
『対象を確認』
「…抹殺、開始」
戸塚はシオンを連れて流木へと身をひそめていた。
しかし軟体動物を模した大型の異形は隠れる場所を次々と根絶やしにしていった。
粘性の質感を帯びた触手。
それは勢いよく周囲の障害物を薙ぎ払い、二人の隠れ場所を消していった。
隠れるたびに、戸塚は閉じた松ぼっくりを発火させて投げ込んだ。
だが、
(効かねえか…)
衝撃は弾かれてしまう。
おそらく銃があったとしても無意味だろう。
(今はライフルより火炎放射器が欲しいよな。それかデカくて切れ味のいい刃物とか)
触手が二人の潜む流木すれすれまで近づいた時、戸塚はナイフを巻き付けた槍を振りかぶった。
「どうだっ?!」
しかしナイフは皮膚に筋を走らせただけだった。
しかも、攻撃されたことを認識したのか、触手の異形は激情した。
体を揺らしながら全ての触手を容赦なく伸ばした。
シオンの上から覆いかぶさるように戸塚は自身を盾にした。
そしてそのまま触手に鞭打たれたのだ。
「戸塚さん!」
かはっ、と鉄錆を含んだ咳を吐きながら自衛官の青年は膝をついた。
(しぶといな、オレも)
全身の骨折は免れた。
しかしこれ以上逃げ隠れは無理だ。
「し、おん、ちゃん…逃げ」
頭上が暗い。
何かが駆け抜ける。
(来る)
再び攻撃だとシオンは身を固くし、目を瞑った
…束の間、何も起こらなかった。
(どうしたんだろう)
そっと目を開け、背後を振り返った。
それは確かに異形の触手である。
そした、先程と状況が変わっていた。
なにしろ、先端が切り口になって、白い砂浜を青黒く濡らしているのだ。
そして、触手の主は数メートル向こうにいる。
苦悶にのたうちまわりながら。
(いつのまに…いったい)
「戸塚…!」
誰が、と思いかけてすぐのそばの答えに気づいた。
真紅の人型がそれに応えたのだ。
「朔弥さん?!」
異形により遠くへ叩きつけられたが、回復したらしく戻ってきてくれた。
「意識は…歩けるか?」
「起きる、のが…精、一杯」
朔弥の支えで上体を起こしながら、微睡むように悪友は呟いた。
「遅えよ…」
「ああ、そうだな」
悪びれるそぶりもなく、朔弥はシオンの方へ顔を上げた。
「怪我はないか?」
「え…あ、はい」
「サバイバルキットに医薬品がある。手当てしてやってくれ。薬とガーゼを当てるだけでもいい。その間に僕は」
それだけ言うと、朔弥は二人を置いて進み出る。
「蟹の次は烏賊…いや、鮹か」
ぶるぶるっ。
全身から触手にも震えが伝わる。
怒りか、恐れか。
「それにしては、随分デカいな。肥え過ぎたか」
最早、朔弥にはどうでもいい。
全身を瓦解させるほどの痛み以来、何かが吹っ切れていた。
異形の痙攣が止まった。
代わりに触手全てが宙に浮く。
それも先端を向けていた。
一斉に朔弥目掛けて打ち出すつもりなのだろう。
「望むところだ」
朔弥は再び右手の指を揃えて構える。
チリ、と手刀からノイズが走った。
黒い煤が足元に散る。
刹那、真紅の
(原理は分からないが…あの薬を打たれたせいだろうか)
朔弥は機体の使い方を体で把握していた。
たとえば、
(さっきから飛び散っている煤のような物…この機体から出ているらしい。しかも)
折り曲げた指の関節に力を込める。
すると、黒い煤は手の甲を覆うように分散した。
そして、
(もう一度…!)
一直線に伸びる触手。
あえて正面から拳で受け止めた。
指の甲から肩に、首に、上半身から全身に重力と衝撃が走る。
だが、苦痛はない。
それどころか、初めて起動させた時より軽く感じた。
そして、
(このまま一気に…)
弓を引くが如く、触手を受け止めた拳をあえて僅か後ろにずらす。
触手を受け止めていない腕を逆に前へと伸ばした。
そして、
(押し切る!)
繊維方向に縦へと裂かれた触手。
焼け溶けて引き伸ばされたゴムさながらだった。
拳の軌跡を辿るのは、熱くたぎる青黒い体液と火の粉のような黒い煤。
(破壊は無理か)
中途半端に裂かれ、だらりと垂れ下がる触手の先端。
異形はその有様に怒り狂い、一度に無数の触手を機械人形へと叩きつけた。
即座に飛び退き、朔弥は別の触手の上にあえて着地する。
(やはり手刀の方がやりやすい)
指を揃え、黒い煤を纏わせながら振り下ろして切断。
また別の触手に鞭打たれる前に回避。
また狙いを定めた触手に着地、切断。
横殴りに伸びてきた時は肘で軌道を逸らし、空の手で掴み、握り潰す。
足元から垂直に襲ってくるなら、背面飛びでかわして切断。
動きを封じんと巻きつき、締め付けようと弧を描いて接近。
これに対し、触手を掴んで背負い、勢いと軌道を利用、輪を潜るようにして拘束を回避、振り切ったところで袈裟懸けに切り捨てた。
それでも満足しない。
赤い
「すげえ…」
手当てしてもらいつつ、戸塚は戦いを見守っていた。
なぜかは知らないが、今のところ朔弥が優勢だ。
シオンはときおり包帯を巻く手を止めた。
その目は異形ではなく、真紅の機械鎧に向けられていた。
そこにはあらゆる感情が欠けている。
焦りも、不安も、歓喜も。
「どうした?」
戸塚は気になって声をかけたが、いいえとだけ応えてシオンは傷口に目を落とした。
(この子、たしかにさっき…)
マキナ。
記憶のない女性が機体に向かって呟いた言葉。
(なんか思い出したのか?)
一方、朔弥は戸塚のような疑問を持つ暇もなかった。
(数が多い。キリがなさすぎる)
鮹や烏賊なら、足が八本あるはず。
しかし同じく軟体動物特有の緩やかな肉体を持ちつつ、触手の数は夥しい。
(本当にこれは触手なのか。まさか髭とかじゃないよな)
間髪入れずに、時には横殴りに、ある時には点を打つように、あるいは真下から掬い上げるように伸びる。
朔弥は触手の大きさと振り回す距離から軌道を見切り、先端が到達する位置を把握して回避、ないし寸止めした。
(手刀はリーチが短すぎる。せめて)
ふと頭をよぎった。
入隊を勧められたきっかけ。
学生生活最後の大勝負。
唯一の取り柄だった弓道で最後の最後に惨敗した。
負けたまま帰るはずが、どうしてもと懇願されて出た試合。
あれは、
(長柄の武器…そうだ、あれが)
暗転。
手刀が折り畳まれた。
そして、黒い煤が収束する。
(なんだ?! 手の中に)
指から掌、腕、肩、首へと全身に伝わった。
硬く鋭く磨かれた物が、非金属の質感を繊維に沿って断つ。
(切った…いや、斬ったのか)
その感覚を目の前の光景が証明した。
宙を舞う無数の触手。
そのどれもが平らな断面図を残して本体から斬り離されたのだ。
真紅の機神が手にする、黒い神殺しの凶器によって。
それも、
「…刀?」
下弦の如く反り返った片刃の剣。
柄どころか鍔から切っ先にかけて、漆を塗ったかのように静謐な黒一色。
「あの煤が…作ったのか?」
答える者はいない。
だが、朔弥の中で疑問は解消された。
深き底の異形は、一度に過半数の触手を失っていた。
小刻みに震える肢体は、どこか動きが鈍重だ。
「…そうだな」
空の手が柄の根本にかけられる。
ザッ、と砂地を掻くように片足が後ろへと引かれる。
正面へ構えた黒い片刃の剣。
刃越しに真紅の鎧兜は囁く。
「…お互いこれでやっと解放される」
異形の昂りに乗じたのか、波が高く押し寄せる。
波打ち際で全身を震わせて津波を起こし、機械仕掛けの人形を足元から掬い上げようと、
「無駄だ」
跳躍、からの斬撃。
袈裟懸けに振り下ろされた軌跡。
同じ方向に舞う肉片。
進みゆく刃は最早走りをやめない。
一本。真っ向からの一閃。
二本。回転しながらの跳躍で切断。
三本。左右それぞれからの切り上げ。
四本。真っ向からの袈裟、逆袈裟、胴、切り上げ。
失われる肉の一部は増えていく。
機神と異神の距離は縮まる。
そして、
「王手」
矢上朔弥は刀から手を離した。
刺突。
舞い散る黒い煤。
吐き出される黒炎。
飛び交う青黒い血。
冷たくなっていく肉体、それは棲処の深い水底の如し。
真紅の機神は黒い刃を引き剥がした。
それは手の甲から伸び、黒い煤を落としながら次第に散っていく。
(やっと…殺した)
体中から力と緊張が解けたのか。
憑き物が落ちていくように、赤い鎧に包まれた地球の青年は波打ち際へと墜落していった。
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