side:BLOOD 4話 紅い衝撃


轟音。

三人が流木に隠れたのとほぼ同時。




業火。

つんざく怪音が不協和に重なる。



(熱い)

朔弥は上着を脱ぎたくなった。

肌が焦げる錯覚に陥る。

目の奥がヒリヒリ痛むのは乾燥しすぎたせいか。

(戸塚は無事か…それに、彼女は)

腰をわずかに上げる。

見ると、同じ制服を来た青年が親指を立てていた。

そばにいる女性はまだ肩を強張らせたままだ。

(見ろよ)

戸塚が親指を曲げると、向けた方向には山積みになった灰が煌々と燃え上がっていた。

まだ長く鋭利な物が火の粉を散らして悶えている。

それでも近づいてくる様子はない。

最早無理だ。

(やった…か)

朔弥は大きく息を吐いた。

「ありがとな、シオンちゃん。おかげでもう」

「あれは…」

燃え盛る死骸を見つめたまま、独り言のように呟く。

「黙ってて悪かった。けど、オレ達もよくは知らないんだ」

「しかし、救助が来れば明るみになるはずだ。この手の類は化学科の扱いになる。調査に立ち入るだろう」

陸上自衛隊の化学科は主に生物兵器などの汚染除去を担当する。

国の私有地に危険生物がいると分かった以上、無視できないだろう。

「戸塚。もう一度連絡を頼む」

「分かったよ…ま〜た変なオッサンが出てこなきゃいいけどよお…」

渋々ながら戸塚は胸元から無線を取






「…え」

同期の青年は視界から消えた。

頰が生温い。

そして、濡れている。

「戸塚さん?!」

女性の声がシオンのそれだと気づいて我に帰った。

見覚えのある手足が地面に投げ出されていた。

その上に長い爪が伸ばした甲殻生物が覆い被さる。

「…の、野郎おおおっ!」

戸塚はまだ生きている。

悪態をつきながら予備のナイフを振りかざし、異形に突き刺そうとしている。

(だめだ、あれでは逆に…!)

朔弥はナイフを括り付けた鉄棒を掴んで砂浜を蹴った。

「君は隠れてろ!」

硬直して動けないシオンにそう命じると、手製の槍を振り上げた。

背後の殺意に気付いたのか、たちまち異形は標的を切り替えた。

戸塚は肩から出血していた。

しかし打撲の方が大きいらしく、まだ起き上がれない。

(それでいい)

長柄の得物ならこちらの方が扱いに長ける。

無数の爪の間をかい潜り、受け流し、時には突き出される方向へとあえて槍を滑らせてから逸らした。

そして隙ができた瞬間に刺突。

熱い飛沫が降りかかった。

逆上したのか、異形は前脚を持ち上げ、躍りかかるようにのしかかる。

(焦っている)

朔弥は躊躇しなかった。

人だろうと、獣だろうと、我を失えば動きは乱れる。

(詰んだな)

朔弥は槍から手を離し、サバイバルキットのライターを放り投げた。

火をつけたまま異形にぶつかる前に、余った松ぼっくりを投じる。

そして、自身はすぐさま後ろに飛び退いた。




再度の業火。

熱風に押される勢いで大の字になった朔弥は上体を起こした。

(今度、こそ…)

終わったか。

その答えは眼前にあった。

砂地に落ちた黒い塊。

そこから爪の形は飛び出していない。

(違う?)

細長いそれは紛れもなく、朔弥達が隠れるため使った、

(流木、だと?!)

爆破の直前、異形は流木を盾にするべく投げつけて防いだのだ。

そして免れた直後。つまり、




「朔弥、逃げ」

戸塚の声は同時だった。

鋭利な爪が朔弥の服を裂き、胸元を自ら濡らした。




切り裂かれた激痛。

耐えようとしたがゆえの吐き気。

倒れ込んだ際の背中から伝わる衝撃。

朔弥の視界がぼやけてくる。

鳥達の消えた曇り空。

目に留めるべき物は何もない。

ゆえに目は開いていたが、視界は定かではない。

何も見えていないに等しく、目が開いていても無意味だ。

(それに…今、は)

眠い。

遠くから戸塚の声が投げかけてくる。

化け物は一番無害なシオンに狙いを定めたらしい。

「逃げろ…早、く…」

ぼやけた視界の中、足がすくんだのか動けない女性の姿が目に入った。戸塚がかろうじて促すが、シオンは逃げようとしない。

どこか、ぼんやりしている。




ぼんやり




(何、を)

何をしているのだ。

何を見ている。

さっさと逃げろ。

だというのに、記憶を失った女性は生きようとする意思まで失ったのか。




彼女は




(いったい、何が)

朔弥の視線はシオンの目指す先と重なり合う。




何を見ている。




何を見上げている。




何がそこにある。




何かそこにある。




何かそこにいる。




何かここに

(落ちて…くる)








それは降りてきた。

正確にシオンの真上へと。

朔弥の顔から血の気が引いた。

(おいおい)

余分な血が抜け、思考に明瞭さが、手足に力が戻ってくる。

怪我と痛みで動けない戸塚よりも。

今まさに爪を振り上げようとする異形よりも。

朔弥はシオンに駆け寄った。

手を伸ばし、彼女を押しのける。





そして、







真紅の影は目の前に降り立つ。






朔弥は目を疑った。

人を喰らう異形。

ほぼ壊滅した部隊。

記憶喪失の女性。

満身創痍の悪友。

瀕死の自分。





そして今度は、

「…機械?」

それは赤い機械だった。

機械は人の形をしていた。

朔弥よりも目方は高い。

西洋の騎士甲冑にも、日本の鎧武者にもとれる。

機械仕掛けの鎧。

そう呼ぶに相応しい。

「なんで…こんな物が」







「マキナ」

柔らかい囁き。

それは倒れた彼女シオンの方から響いていた。

「…シオン?」

振り向いた先にこれまで見たことのない表情があった。

力のこもった眼。

それが朔弥に向けられていた。

薄く桜色に引かれた唇が動く。

お願い、と。

「今のうちに…」

赤い機械仕掛けの人型を前に、爪を生やした異形の人喰いはまだいた。

しかし、その挙動が不自然だ。

(どうした? なぜ震えている?)

激しい運動の後、今にも膝がぬけそうな感覚に陥る。

今まさにそれと似た状態で異形は立ち尽くしたままだった。

(苦しんでいる…いや、怯えているのか? こいつに)

シオンを再び見る。

そっと、しかし力強く彼女は頷く。

(なぜ彼女が…どこまで知っているかは知らない)

それでも。

赤い人型…マキナに手を伸ばした。

(こいつなら、きっと)









矢上朔弥は消えた。

そして、機械仕掛は動き出す。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



「緊急出動! 緊急出動!」

四国瀬戸内海駐屯地。

今や第十四師団の自衛官達は慌ただしく駆けずり回っている。

原因は本部から寄せられた連絡だ。

災害救助活動の訓練に向かった部隊と通信が途絶えたという。

しかも原因は島内に生息する未知の危険生物だとか。

(馬鹿馬鹿しい)

統括責任者の一人である松浦一佐だが、別の連絡を受けてから表情が青ざめた。

それはたまたま四国本部に居合わせた航空科の男からだった。彼は元々航空自衛隊内に新設された部隊の所属だったが、昨年の終わりにある出来事がきっかけとなり陸自の航空科に移ったという。同じく一等陸佐ということになるが、彼の発言は統合幕僚監部の決定すら左右する。面識はないが、年は松浦より一回り下だった。

(ウワサでは強力なパイプがあるからとかなんとか聞くが…だからどうしたというんだ?)

忌々しそうに電話に出たが、直後にパソコンに画像が送られると目が釘付けになった。

それは訓練中の部隊が受けた被害の様子を衛星から撮影した光景だった。

その有様に、松浦は受け入れなくてはならなかった。

『貴方が今見ている光景は真実です』

目上の人間に対してとるべき相応しい、丁寧な物腰だった。しかし、静かな威圧感があった。

『これを見て応援を送らない理由はないでしょう』

直ちに松浦は訓練に参加していない各戦闘部隊を招集した。

『未知の生命体が相手なら化学科が不可欠です。あと、民間人が発見されたそうなので、彼女の救護として衛生科も手配してください』

なぜ住民なき島に民間人がいるのか知らないが、考察の余地はなかった。

(夕方までには全員上陸する。それまで持ち堪えられればいいが)

松浦は日頃あまり関わり合いのない、二人の若い自衛官を思い浮かべた。

そのうちの一人は、上司の預かり知らない状況に陥ったなど知る由もない。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



闇の中。

ぼんやりと文字や記号、絵図らしき物が次々と浮かび上がる。

『+<%¥*#×$÷>\→€&(@…』

耳元を流れる幾多もの言語。

聴き慣れない言葉もあれば、なんとなく分かるフレーズもある。

「これは…」

たちまち無数の囁きは中断した。

『メインシステム起動』

そこから先は日本語だった。

『原子炉臨界。太陽光システム正常。ハイブリッドエンジン稼働。全システムチェック完了、オールグリーン。エレメント濃度三十パーセント。長時間の活動に支障あり』

(なに? 今なんと…)

あらかじめ録音してきたようなAIらしき存在の声は続く。

『標的を確認。抹殺対象と認識。戦闘可能。燃料温存のため徒手空拳推奨。パイロットの身体、体力、知能、確認。データを改竄。パイロットの登録完了』

無数の疑問に答える猶予も与えられず、視界に光が差した。









矢上朔弥は目を開ける。

確かに自身の踵は砂浜を踏んでいる。

しかし危ういまでに細かい砂の感覚が靴底に伝わってこない。

代わりに感じるのは金属特有の冷たさと重さだ。

それは肩や腹、腰から足首、そして頭にも響いている。

なにしろ、

(これが…僕の)

今の朔弥の姿だった。

彼は触れた直後に機械人形の中に取り込まれ、鎧の如くそれを身につけているというわけだ。

(そうだ…僕はあの赤い人型のなかにいるんだ)

やはりこの機体はロボット…もとい、着装型のパワードスーツなのだろう。

(しかし使い方が分からない。今のところ…)

試しに指を曲げ伸ばしする。

関節ごとに折り曲げられ、そのまま拳が形作られた。

踵を斜めに上げれば、足は前に進む。

ここまではいい。

(しかも武器が…なくてもイケるのか、あるいはどこかに…)

肘や肩に触れても何も起こらない。

その間に異形は平静さを取り戻したらしく、長い前脚にあたる爪を振り上げてぶつけ合い、威嚇している。

(しかたない。迷っているヒマは)

さりげなく背後を見た。

戸塚はというと、腰を砂地に落としたまま呆然としている。

朔弥が赤い機械人形と一体化したことで呆然としているのだ。

シオンは固唾を飲んで立ち尽くしている。

朔弥の顔はメットに覆われているが、明らかに彼女と目が合った。

「シオンさん、戸塚を頼む」

頷くと、彼女は僅かに背が高い青年に肩を貸した。

おかげで朔弥の足は砂地を離れることができた。

これで化け物を倒せるかは分からない。

だが、可能性はある。

首を掻き切ろうと伸びた前脚。

朔弥はそれを片手だけで受け止めた。

(…軽い)

機械の腕だけでも数十キロあるはず。

それが重さを感じさせず、しかも二メートル近い生物の長い脚を易々と受け止めた。

異形は力づくで脚を覆いかぶさるように押し出そうとする。

しかし、

「どうした」

朔弥は肩を丸めた。

異形の脚が全て大地を離れた。

そのまま朔弥に背負われるように肢体がひっくり返され、宙から砂浜へと不時着した。

木が倒れ、衝撃で折れた枝同士が重なり合う様に近い。

長い脚は無惨に重なり、本体はその下に埋もれる。

痙攣したまま身動きは取れないようだ。

「す…げえ…!」

傷口を押さえつつ、戸塚は身を乗り出すように起き上がった。

「これならイケるかも…」

だが、朔弥の緊張はまだ解けない。

(即死には至らなかったか)

やはり、急所にダメージを与えなければならないようだ。

全ての生物は心臓や脳が止まるか、首を切り落とされた場合生命活動が停止する。

あるいは、大量出血だろう。

(体のつくりは分からないが、脚以外のパーツが頭部、そして心臓らしき器官のある腹部のはず)

そこを叩けば即死させられる。

それには爪の生えた脚が邪魔だ。

まだ起き上がらないうちに、朔弥は異形に接近した。

腹部にあたる膨らみを杭で打つが如く踵で踏みつけた。

砂地を掻きむしり、脚に埋もれた本体は激しく抵抗した。

ときおり爪の先端が走り、朔弥の纏う真紅の機体に引っ掻き傷を作る。

だが、機械仕掛けの人型はその手を離さない。

背中の中心を陥没させるほど肩と腕が開き、両足が砂地へと僅かに埋まる。手始めに根本から掴んだ一本を握り締める。

(外殻は強固だ。だが、脚と結びつく関節の周りは殻で覆われていない)

ゆえに、赤い機械の腕は異形の関節を捻り、本体から引きちぎった。




熱い血飛沫がメットに染みを作る。

金属の頭を介して、つんざく怪音が鼓膜を引っ掻いた。

(まだだ)

朔弥は別の脚を掴んだ。

さらに別の脚が仇の頭を狩ろうと伸びる。

これに対し、朔弥は避けない。

代わりに手にしていた異形の脚を襲ってきた脚にわざと向ける。

二本の爪は互いに弾かれ、その隙に真紅の腕が立て続けに脚を引きちぎっていく。

異形は身をよじり、引き離そうと胴体を激しく振り回す。

頭突きが掠めるが、朔弥は攻撃の手を止めない。

機械の鎧に保護されているのだ。

肉体は傷一つつかない。

脚を失くした胴体は最早達磨同然。

体をバネのようにして跳ね上がり、最後の悪足掻きに剥き出しの歯が上下して迫る。

「無駄だ」

両腕で受け止めたそれを左右正反対の方向へと同時に引っ張る。

それも、外殻の裏にある無防備な腹の方に手をかけて。

「弱点を晒したか」

運の尽きだった。

苦し紛れのか細い声が漏れる。

真紅の機械人形マキナはそれに応えず、腕を左右へ引き伸ばした。

背中に殻を貼り付けたまま、守られていた胴体は頭ごと引き裂かれ、異形の人喰いは絶命した。





(終わった…)

足元に落ちた肉の残骸を見下ろす。

生きていた名残として、軽い痙攣だけが残る。

(…倒した、のか)

『対象の生命活動は停止。討伐成功。対象は…』

「朔弥!」

無機質な声に覆い被さった声は馴染みのある悪友からだ。

(まったく…一息つく暇もないな…)

突然のことなのに、呆然とする猶予も与えられない。

何がどうしてこうなったのか。

知りたいことはたくさんある。

なのに、戸塚は矢継ぎ早に聞いてくるだろう。

「…すまない…今は」









「逃げて!」









思考は横殴りに弾き飛んだ。

足は地面を離れ、頭と位置が入れ替わる錯覚に陥っていた。

そして、こめかみから腹にかけて伝わ痛み。

打撲というより刺突に近い。

松林を倒しながら、真紅の機体は砂地を転がっていき、ついには木々の下敷きとなった。






戸塚はシオンを置いて助けに入ることができなかった。

相変わらず傷口は痛むし、シオンはその場に立ち尽くして動けない。

なにより、新たに介入してきたソレは桁違いだった。

その証拠に、最初に丸焼けにした大型甲殻類の異形全てがその輪郭を飲み込まれていく。

波打ち際から突き出した、無数の触手に絡め取られて。

触手の主は波打ち際に素顔を出した。

顔のない、粘性を帯びた楕円の本体を剥き出しにして。

外殻を持たない、軟体動物そのものだった。


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