side:BLOOD 3話 ソラから来た少女
「おっ、やっと気がついたか」
小刻みに震えたまつ毛。
そっと持ち上がると、次第に瞳に光が宿っていく。
「へえ、オレの見立てどおりだな。目覚めてみるとますます美人だって分かるぜ」
朔弥は肩をすくめた。
女性が空から降りてきた当初は、仲間を喰らった巨大甲殻類並みに恐れていたくせに。
目は開いたものの、女性の意識はまだ明瞭ではないようだ。
宙へ地へと視線が彷徨う。
ここがどこか分からないらしく、戸塚は説明してやった。
「君、空から落ちてきたんだ。『落ちて』というより『降りて』っていう方が正しいけど…で、朔弥が君を連れて来たってわけだ」
「サク、ヤ」
そっと女性は発音する。
聞いたことのない、何と書いたらいいか分からない言語をたどたどしく反復するように。
「僕が朔弥だ。矢上朔弥。ここへは自衛隊の訓練に来ていた」
ようやく女性が二人に目を留めたところで、あらためて戸塚も敬礼と共に自己紹介した。
「んじゃ、オレも…自分は陸上自衛隊四国瀬戸内海駐屯地第十四師団所属の戸塚一等陸曹であります」
正式な挨拶を決めた戸塚よりも、女性はじっと朔弥に視線を注ぐ。
(…なんだ?)
しかし尋ねる前に、戸塚はミネラルウォーターを手渡した。
「ほら、まずはこれでも飲んで。腹減ってたら乾パンもあるし」
「あ…ええ」
女性は受け取ったものの、飲んだのは一口だけ。
空腹も喉の渇きもないらしい。
怪我も見当たらず、熱もなく、脈も安定していた。
(顔色も悪くない。健康状態はよさそうだ)
しかし、朔弥はなぜか釈然としない。
目の前で腰掛ける女性はどこかおかしかった。
本能的に。
自分達とは違う、と。
だから尋ねてみた。
「すまないが、名前を聞かせてもらえないか?」
「名前…」
すると俯くように目線を落とした。
朔弥は迷子になった子供の相手をしている気分になる。
「そう、名前だ」
「…シオン、です…たぶん」
シオン。
それが彼女の名前だった。
だが、最後の一言が気になった。
たぶん、と。
(どうした。えらく自信のなさそうな言い方だ)
同じく違和感を覚えた戸塚が身を乗り出してきた。
「『しおん』って、下の名前っぽいけど。苗字は?」
「みょう、じ」
息を詰まらせたように顔が俯く。
しかし、シオンとだけ名乗った女性は首を傾げた。
「すみません。分からないんです」
「分からないって…『覚えてない』ってことか?」
キョトンとシオンの目が丸くなる。
元々少女の面影を残した顔立ちなので、肉体年齢よりも幼い印象が残った。
頼りなげな口調も相まって。
「君はさっき空から降りてきたんだ。ゆっくりと」
朔弥はもう一度説明し始めた。
声を荒立てずに落ち着いて。
相手も状況を飲み込めていないらしく、だからこそお互いパニックを起こさないように配慮したのだ。
「その時点で君は意識がなかった。だからここに来た直後のことを知らなくて当然だ。教えてくれないか? 君はどこから来たんだ?」
朔弥としては最低限冷静に話しかけたつもりだった。
シオンは首を振った。
「分からない…」
息のできない深海に潜るのか、しばらく息を止めて考え込むように俯いたが、結局首を横に振った。
「思い出せないんです」
二人は顔を見合わせた。
未知の生物に襲われ、部隊は壊滅。
応援はまだ呼べない。
挙句、記憶喪失の女性と遭遇。
(なんだというんだ、今日は)
まだ序の口だった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
時計によると、時刻はとうに昼を過ぎていた。
天気予報だと内陸部は午後から雨らしい。
まだ雨雲が来ないはずのこの島にもその影響は目に見える。
「…といっても、こんだけ根がしっかり張ってるんだ。雨風で流される心配無さそうだな」
なあと相変わらず飄々と話しかけるが、戸塚の顔から緊張はまだ抜けきらない。
荷物を背負ったままだが、手にはサバイバルナイフを結びつけた即席の槍を握りしめている。
朔弥も同じ。
そして二人の間にはシオンがしっかり付いてきている。
「朔弥の言うとおり、池は中間地点らしいな。下り坂がまだある。歩き続ければ海岸に出られるかもな」
戸塚の見立てで一行は出発した。
相変わらず山林は無人。
猪にも蛇にも会うことはなかったが、例の大型甲殻類に出くわすこともなかった。
日差しを遮られたせいか、汗をかいた反動で肌寒さを感じられた。
「…ふう…」
前を歩くシオンからため息が聞こえてきた。
彼女の出で立ちが山道を歩くのに不釣り合いなせいだろう。
あるいは、日頃から肉体労働をこなす習慣がないのか。
(何だろうな、彼女の格好。制服のようだが、どこか僕らと似ている気が)
「…はあ…」
ときどき立ち止まりそうにするので、朔弥は声をかけてみた。
「疲れたのか?」
耳元で話しかけられたので軽く首が後ろに振り向かれた。
キョトンとして丸くなる目は天然の小動物並み。
異形がいると分かっていても、島の自然が穏やかに感じられる。
「いえ…平気、です」
「そうか。昼間のうちに移動したいが、疲れて休みたいなら早めに言ってくれ」
「急いでますね」
戸塚の視線が投げかけられた。
(化け物のことは彼女に言うなよ)
記憶を失っているのだ。
命の危機が差し迫っているとしればパニックを起こすだろう。
「ああ、暗くなるといろいろ出るらしいからな。猪とか」
「いの、しし…ですか?」
初めて聞くかのように首を傾げる。
「そうだ。だから、どうしても疲れるなら早めに言った方がいい」
「大丈ぶ…痛っ」
シオンは背を向けて歩こうとするが、すぐにその場にしゃがみ込んだ。
靴擦れができたようだ。
足首の後ろを押さえている。
「しょうがない。手当て、頼むぜ」
直ちに朔弥は荷物を下ろして救命キットを開けた。
さいわい、傷はできたばかりで大きく広がっていない。
「反対側の足も見せてくれ」
「ありが…」
ガシャ、と枝葉がぶつかる。
大きな物と。
暴力的な勢いをこめて。
「今の…」
誰もシオンに答える声はない。
(まさかとは思うが)
朔弥は戸塚と視線がかち合う。
アイコンタクトだけで互いに解すると、朔弥はシオンに肩を貸した。
戸塚は荷物を背負い、武器を握りしめる。
「すまないが、余裕がなくなった。すぐにでも動けるか?」
「え、ええ」
聞くが早いか、シオンに事情を説明せず、二人は駆け出した。
(思い過ごしならいいが)
集落を襲った異形の怪物は昼間でも活動できる。
単に夜行性ならば昼間のうち長距離を移動して振り切れる。
夜は絶えず火を灯して戸塚と交代で見張り、有事の際に備えて温存した体力で迎え撃つ。
だが、相手は昼夜を選ばない。
(せめて海岸までたどり着けば)
一行は背後を振り返らなかった。
だが、確実に近づいていた。
鋭利な無数の先端が地面を引っ掻く。
滑るようにして胴体は大地を這う。
最後に残った獲物を捕らえるべく。
(感じる。数は少なくない)
朔弥の視力は入隊審査の基準すれすれに入るほどだ。
眼鏡が必要なほど裸眼の数値は低い。その分聴力が目を補っていた。
そして触覚。
だから分かるのだ。
大地を揺らす正体が複数いることを。囲まれればただでは済まない。
「見えてきたぞ」
戸塚の声に救われた。
潮の香りが出迎えてくれる。
そして松の防風林。
地元の海水浴場ではよく見かけた。
「ちょうどいい。オレの作戦に付き合えよ」
「悪巧みか。乗ろう」
シオンにもお声がかかる。
「そう難しくはないって。砂浜に落とし穴を作るって算法だ。それも深い穴じゃなくていい。一本でも足の自由を奪いさえすれば」
多脚型の生物にとって弱点である。
(ダンゴムシがそうだったな。水滴に当たっただけで足元を)
幼い頃見た光景を朔弥は思い出す。
目的が明瞭になったのか。
自然と足が軽くなり、三人は一気に松林を駆け抜けた。
視界に見えるのは先程休んだ池よりも濁った海原。
そしてその手前に広がる白い砂浜だ。
「早いとこ掘ろうぜ!」
仕上げは松林で採取した枝葉でカモフラージュした。
「準備はいいな?」
朔弥達は頷く。
彼らは二手に大きな流木に身を隠した。
戸塚は小柄なのでシオンと。
朔弥は離れた所に。
共通しているのは、それぞれが松ぼっくりを大量に抱えていることだ。
なにしろ今、落とし穴の中は着火した松の枝葉でいっぱいなのだ。
「連中が穴に足を取られたら、一気に松ぼっくりを投下だ。特にかさが閉じてるヤツは爆発しやすい。小さくてもこれだけあればダメージは大きい」
その間に戸塚は無線で合同庁舎にある本部と連絡した。
そこは駐屯地のような実働部隊はないが、各地と連絡が取り合える情報担当である。
「こちら陸自四国瀬戸内海駐屯地第十四師団所属戸塚一曹…はい、訓練中に未知の生物に襲われました。上官含め全滅…生き残ったのは自分と同じく矢上二曹であります」
向こうは半信半疑といった様子らしく、戸塚は声を荒げて説得しているようだった。
(無理もないか。こんな状況、当事者でない限り信じろというのが無理な話だ。しかし、記憶喪失の女性がいると知ったら?)
戸塚はシオンのことを報告した。すると駐屯地から医療関係者をヘリで向かわせると言われた。
しかし、戦闘部隊にあたる普通科は出せないという。
「何言ってんすか?! バケモンがすぐそこまで来てるってのに…はあっ?! 冗談でンな報告しねえよ! つうか、アンタ誰だよ?!」
無線に出たのは本部の人間ではないらしい。
それも、やけにのんびりした口ぶりだったのが、戸塚の神経を逆撫でした。
「だから相手はデカイ蟹みたいな…宇宙人? ふざけんな! からかってんのは…」
「あの」
シオンが言うが早いか、朔弥は肩を強張らせた。
応援を待つ余裕はなさそうだ。
少しでも連中を倒さなくては。
目で合図すると、とにかく応援を寄越せと戸塚は乱暴に無線を切った。
松林の輪郭が揺れる。
枝葉が散らばっていた理由が頷けた。
やがて手前の枝から松ぼっくりが飛んてきた。もうそろそろだ。
(来たぞ。構えろ)
目線に朔弥もシオンも発火剤の詰まった鍋を抱える。
戸塚が口の動きだけでカウントするのを朔弥は睨む。
(五…四…)
ふと、朔弥は空を仰いだ。
(まさか、援軍?)
それはなかった。
浮かぶのは今にも降りそうな暗い雲。
実際それは次第に厚みを増している。
(そうだ。仮に出動したとしても、すぐに着くはずがない)
なのに。
(三…って、おい!)
戸塚は口をパクパク動かしながら、かろうじて中腰になるのを堪えて朔弥を呼んだ。
(何してる?! 連中はすぐそこまで…)
スッと、戸塚のそばでしゃがんでいたシオンが立ち上がる。
肩と心臓と声が跳ね上がりそうになる自衛隊員をよそに、シオンも空を仰ぎ見る。
(シオン?)
ふと、同じ方向を見上げる女性に朔弥は目をひそめた。
朔弥には見えない。
だが、シオンにははっきりと分かるようだった。
(…どうし)
「馬鹿野郎っ!!」
殴り飛ばす勢いの怒号に朔弥は振り返った。
タイミングは最早ずれていた。
松林の輪郭が奇怪に蠢いている。
枝や幹を這って進むモノどもがいる。
いずれも角や爪のように伸ばした鋭利な多脚を交互に動かす。
そして滑るように差し迫っていた。
視覚か、嗅覚か。
すでに狙いを三人に定めていた。
しかし、何でもないと思ったのか。
無造作に散らばった松の枝葉を踏んづけていた。
たちまち複数ある脚のうち、わずかでも落とし穴に埋まった。
たちまち動きが鈍る。
後に続くモノ達も然り。
押し合いへし合い入り乱れる。
その光景に励まされたのか、戸塚は鍋を掲げた。
「投入!」
続けて二人もそれぞれの松ぼっくりを鍋からばらまき投げつけた。
すでに燻っていた穴の中の松葉に挑発され、カサの閉じた松ぼっくりが爆ぜた。
罠にかかった異形もろとも。
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