side: BLOOD 11話 大洞窟の怪異
朔弥の瞳孔が大きく開かれた。
無数の脚が地を這う。
節足動物特有の多脚だ。
(だが、島で見た奴と違う。それに)
「こっちだ! 急げ!」
遭難者を発見できたことで、ネットロアの恐怖が吹き飛んだのか。
戸塚は民間人に駆け寄ると、手を引いて連なる異形の影に背を向けた。
「鏑木さん、確保しました」
『ああ、こちらでもカメラで捉えたところだ。見たところ、数は十を下らない。戸塚君はそのまま救出を続けてくれ。いったん退いて、後は矢上君に任せるんだ』
標的が予想以上に多いことから、戸塚に救助を優先させたのだ。
そして、朔弥一人が引き受けるということは、
「
『ああ、思う存分やってくれ』
ただしここは洞窟の中だ。
必要最小限の動きだけで抑えなくてはならない。
確実な手段は飛び道具だろう。
「持ち堪えてくれよ。必ず戻ってくるからな」
「それまでは片付くようにするさ」
戸塚は頷くと、好奇心がなりをひそめた洞窟の侵入者を外界へと引っ張って行く。
朔弥は目を凝らして前方を見据えた。
波を象り連なる異形の首。
それを仕留める自身の得物。
真紅の機体の立ち姿を。
呼ぶまでもなく、その身は機械仕掛けの鎧に包まれた。
(思念だけで換装できるのか)
それはパイロット登録をした際に、使用者の脳波をロボットが読み取ったからだという。
『備え付けの武器も頭に思い描くだけで呼び出せます』
南方の言葉を思い出す。
『ただ、いかなる装備が施されているかは検討とつきませんが。なにしろ、矢上三曹の機体は識別コードが不明ですから』
識別コード。
要するに、朔弥が得た赤い
(それさえ分かれば、この
肘から飛び出た刃や、掌に収まった刀のように。
あるいは、それら全てを形作った黒い『煤』の正体も。
(今はどうでもいい)
武器の形成に頼る必要はなかった。
手の中にはすでに銃火器がある。
野営戦を想定して技術班が持たせてくれた物だ。
(弓矢よりは殺傷能力が高いしな)
空の手を銃身に添えると、照準を合わせた先へ引き金を引いた。
普通科時代に使われていたそれよりも、遥かに数値が高い重量級。
機械の体にとっては、コンパクトな大砲さながらか。
そこから吐き出された灼熱の鉛。
髭のような突起を生やした頭部に被弾した。
一瞬動きを止めたかに見えたが、朔弥はトリガーを引く指を止めなかった。
人間なら頭が破裂する程の威力だ。
だが、眉間や左胸に命中したところで、有史以前より地球に巣食っていた存在が即死するとは思えない。
だからこそ、弾が跳ね返らない限り朔弥は発砲を続けた。
的は頭部に留まらない。
手足の関節、胸部、翼さえも。
弾が当たる度、異形は固まったように脚を止めた。
硬直したところへ更に撃ち込まれると、バランスを崩して地べたに沈み込んだ。
背後に続いていた群体は、皆体を揺らし、のけぞり、連なり転ぶか突き進んだ。
中には跳躍して同胞の骸を飛び越えるモノもいた。
眼前に迫ったとしても、朔弥は躊躇も狼狽も見せなかった。
至近距離に辿り着いた個体は鉤爪を振り回すと、朔弥は首を傾けるだけで回避し、逆に喉元を掴んで捉え、零距離射撃を放った。
「礼を言う」
死骸を仲間に投げつけると、避けきれずに衝撃で移動速度が低下した個体目掛けて熱い鉄の雨を浴びせた。
(生身の人間が使う銃より弾数は多い。しかし、いつまで続くのか)
今や洞窟は死屍累々。
にもかかわらず、翼の異形は後を絶たない。
諦めが悪いのか、勝ち目がないことに気づかない程愚かなのか。
朔弥は鏑木の言葉を思い出す。
異形の中にも知性が高い種もいる。
(秘策があるのか?)
だとしたら、弾の数を気にするべきではないのか。
予備の銃と弾薬はまだある。
しかし、装填もしくは別の武器に切り替えている隙が死角だ。
一斉に飛びかかられても、切り抜けられるのか。
(無理だ。それこそ、こちらに隙がない。第一、あれだけの数を振り切るにはここが狭すぎる)
『心配要らないよ』
ヘルメットを通して、覗き込むように鏑木の声が囁く。
『標的は一桁代にまで減った。君のおかげで民間人も救助できた。気にせず任務を全うしなさい』
あと少しで終わる。
引き金にかかる指の動きが軽くなった気がした。
同胞の死体が多すぎたのか。
最後尾に続いていたはずの異形は、戸惑うように脚を鈍らせた。
(終わる。これで)
しかし、機械の指は引き金から離れてしまった。
ヘルメット越しに朔弥の瞳孔は更に大きく開かれる。
(何をしている?)
朔弥は問うた。
言葉を持たないはずの異形に。
答えがないはずの、奇怪な生物に。
いずれも声も言葉もなく、一斉に翼をこちらに向けた。
それは逃走を示していた。
「朔弥! あいつら…」
後方支援のつもりで戻ってきた戸塚に、朔弥は無言で前方を指さした。
「なんだよ、もう終わっちまっのかよ。ま、お前の相手じゃなかったってわけだな」
朔弥は相槌を打たなかった。
(今更逃げる、だと? 状況判断にしては遅すぎる。なぜもっと早く撤退しなかった。無駄に時間を)
「朔弥?」
後から駆けつけた相棒を頭から爪先まで凝視した。
散弾銃を二丁ぶら下げている。
顔にはシールド。
服の中は防弾ジョッキ。
頼りにしている、と朔弥は確かに最初にそう言った。
「戸塚、やはり戻った方がいい」
「はあ? やっとビビるのやめたってのにか? 落武者の話なんかもう信じねえよ」
「いいから早く」
念のため、洞窟の入り口付近に待機している連中にも。
鏑木に伝えようと口を開いた。
「あ」
喉から絞り出す、か細い声。
それは戸塚の震える口から掠り出た。
彼の目が釘付けになった方向を朔弥は睨んだ。
かくっ、かくっ。
揺れては止まり、止まっては揺れる。
輪郭は翼の異形とは非なる。
(人?)
地を歩く二本。
その上に揺れる二本。
更にその上で揺れる丸い突起。
人の手足と頭でなくて何だという。
(洞窟に忍び込んだ民間人は全員避難した。逃げ遅れた一人は戸塚が。他にいたという情報は)
まただ。
「朔弥!」
また来た。
今度は先程の比ではない。
脳から神経を通して、眼球と鼓膜を内側から貫く。
やけに明るい。
ヘルメットの中が薄ぼんやりと青白く発光しているようだった。
頭を抑えたところで無駄だった。
機械の鎧に阻まれ、直接こめかみに触れることができない。
「逃げ…ろ!」
朔弥は銃を構えた。
激痛が走る己の世界で、ただ無言で揺れながら近づいてくる人型へと。
その牽制が無意味だとしても。
奇怪な人型は両腕を一度に前は押し出した。
たちまちそこから伸びる細長いロープ状は銃ごと真紅の機神を絡めとり、自身の元へと引き寄せた。
背後から名を呼ぶ友の声は、ヘルメット越しに響く岩壁の破砕音に掻き消されるのだ。
*****************
快晴。
降水確率0%。
高天市ポートエリアに停泊している掃海艦の膝下に市民は集う。
スマホカメラを手に、あるいは道ゆく人にシャッターを頼み、連れと顔を寄せ合う。
「ウルせえなあ」
晴天から降り注ぐ灼熱の大気の中。
甲板は焦げ付きそうだというのに、彼は気にもとめず寝そべっていた。
彼からすれば、野次馬の騒々しさより船に照りつく熱風の方がまだ心地よいのだ。
彼にとって当たり前の存在である『相方』のように。
しかし、その『相方』も今はそばにいない。
小休止の一時なのだ。
戦場と並んで彼が好む時間と場所、すなわち世界だ。
直属の上官でない限り、彼の世界を壊すことは許されない。
例外を除いて。
「
「あ?」
腕を組んで枕にしたままの姿勢で、彼…山咫は足元から聞こえた女性の声へ視線だけ投げかけた。
声の主はまだ十代後半の少女である。
セーラー服姿だが、それは彼女の学生服ではない。
(そもそもこいつ、学校行ってねえんだよな。そのくせ、違和感なく着こなしてやがる)
声なき思念など伝わるはずもなく、少女は淡々と報告した。
「浅間三佐からの指令です。山咫二曹及び三輪一曹は直ちに長浜岬へ急行せよ、とのことです」
さらに山咫は声を上げた。
この小娘…
理由は散々聞かされてきたし、嫌というほど身をもって知っている。
だが、山咫の気分は変わらない。
「よろしくお願いします」
気に入らない理由の一番はこれだ。
目下の人間にマウントを取られるのは気に入らない。
かといって、懇切丁寧な態度も虫が好かない。
ゆえに、
「いいぜ。引き受けてやる。班長にそう伝えろ」
むくり、船の上に山が盛り上がった。
漁師のように日焼けした赤銅色の肌。
オールバックの黒い前髪と裏腹に、肩にかかるほど伸ばしたポニーテール。
捲し上げた袖から覗く痣のような
錨が銛の如く何かを刺し貫く絵だ。
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