side: BLACK 10話 電子妖精
御堂亜理紗、十二歳。
長い黒髪と細い肢体。
小動物を彷彿とさせる小さな顔に大きな目と口。
中学生にしてプログラミングとハッキングの技術は大人顔負け。
父親は全国を渡り歩く国家公務員。
母親はプログラマー。
(御堂絵理奈)
異星から来た探偵は、ウルの報告書にある記載内容を思い出した。
探し人は亜理紗だけではなかったのだ。
0と1だけが世界を作る空間。
重力の縛りなど存在しない中、亜理紗の体は宙に浮いている。
何かに腰掛けている姿勢で。
満月の夜箒に乗る姿を思わせた。
幼い頃に妹が好んだ童話に出てくる魔女のように。
『お前…なんでンなとこに?!』
「
しれっと答えるハッカーの少女にウルは逆上する。
やけにキレやすい、と蘇芳は呆れる。
AIの本分である技術を、それも子供が平然とやってのけたからだろうか。
『トレースだあ?! 履歴なんざ…』
「俺の
そそ、大正解と二本指が小さくV字を象る。
まだ蘇芳の体力に限界はない。
だというのに、疲労感が増してくる。
『しかし妙ですね。一般プレイヤーが入らないよう、臨時メンテナンスと称してサーバーは封鎖したはずですが』
アスハの声には抑揚がない。
しかしA.I.Aの本部にいるアバターは、今頃眉根を寄せているだろう。
『こちらのシステム管理者でない限り出入りは不可能です』
「そ。だから、業者のプログラマーになりすまして入ってきたってわけ」
どや、とドヤ顔を披露する小学生プログラマーにしてハッカー。
幸い機械仕掛けの仮面に覆われているため、蘇芳の表情を見る者は誰もいなかった。
代わりにひたすら悪口雑言を吐き出すのはパートナーのAIだ。
『なにがなりすましだ不良娘! ここはガキの遊び場じゃねえ! 死にたくなけりゃとっとと帰れ!』
「遊び場じゃないって、ここゲームの中でしょ?」
なにを今さらと言わんばかり。
キョトンとしたとぼけ面。
まんまるに見開いたつぶらな瞳は齧歯類の方だろう。
その表情にウルの怒りは萎えてきた。
『…あのなあ、ゲームつってもお前ら
「でも、やり方はゲームの中と変わらないんでしょ?」
やり方、と地球の少女が返す言葉。
蘇芳はそこに引っかかりを感じた。
「だったら私、いい考えがあるの。手伝ってあげる」
『要らん。要らない。要らねえよ。とっとと帰れ。今お前の相手なんざ』
「聞かせてもらおう」
機械仕掛けの鎧が応えた瞬間。
異形の鉤爪がのし掛かり挟み込む一瞬とほぼ同時。
ブラックスミスは自ら後ろに倒れ込み、両手を地に付く。
踵は宙に浮き、ミ=ゴの頭を顎から刈り取ろうと蹴り上げる。
当然の如く、ダンジョンの壁を複製したテクスチャーに阻まれた。
「この模様…そっか…じゃあ、表面の…」
頭上でぶつぶつと呟く声。
なにやら思案している声がいったん止んだ。
「やっぱり…ねえ、私に任せてよ。きっとうまくいくから」
「あの装甲を外せるのか?」
ウルは非難の声を上げた。
パートナーにして主人が、地球の一般人に、それも少女の手を借りようとしている。
『やめとけ、蘇芳。こいつの助けなんざあてにするな。どうせ後で…』
その見返りに、連続殺人鬼を探す手伝いをさせろと言うだろう。
今のところ、母親を見つける唯一の手がかりなのだから。
ウルはその点を懸念していた。
「利用できるなら利用させてもらう」
蘇芳の状況判断は毅然としていた。
こうなってはテコでも動かない。
「三流ハッカーの手、借りる?」
『ぐぬぬ…』
頭上を見下ろす魔女めいたハッカー。
口元には満面の笑みを浮かべている。
桜色の髪と白いワンピースこそ妖精に相応しい容姿だが、取引を持ちかけるあたりは小悪魔、あるいは魔女の類だろう。
だが、蘇芳はこの地球の少女が持てる力量を理解していた。
短時間でコインパーキングの防犯システを作動。
封鎖されたエリアへの偽装工作。
システム外への侵入。
機構の助け無くしてできなかったことばかりだ。
無理だと分かれば直ちに強制シャットダウンで追い出す。
母親探しの依頼も受けつけない。
そもそも亜理紗に頼まれずとも調査していたのだ。
「聞かせてもらおう」
桜色の髪を揺らして亜理紗のアバターは大きく頷いた。
ブラックスミスは戦闘を続行した。
銃で牽制しつつ、再び甲剣を振るう。
ミ=ゴは全ての鉤爪を一本一本異なる方向に振るう。
斜め右下。
斜め左上。
横一文字。
正面。
左右へ袈裟懸け。
得物は全て攻撃に用いる。
弾丸は他方へはじき飛ばされる。
刃は貫通しない。
(さて、どうする)
蘇芳は待った。
亜理紗が仕掛ける瞬間。
あちらは待ってくれないからだ。
『来るぞ!』
ウルが危険を察した刹那だ。
鉤爪のうち数本が同じ方向へ流れた。
至近距離だったため、蘇芳は視界を遮られる。
咄嗟に右手でガードするが、残る鉤爪が絡みつく。
それは漆黒の機械鎧に覆い被さり、そのまま01の地へ沈めんと屈む。
ブラックスミスは総重量をかけて異星の節足動物に抵抗しようとする。
持久戦は不得手ではない。
だが、限度はある。
『おい亜理紗! モタモタすんな!』
「ダイジョブ、ダイジョブ」
宙に浮かんだまま亜理紗の手は空間パネルに指を走らせる。
鍵盤を奏でるが如く細い指が滑り、モニター上を流れる。
「そろそろ反映されても…」
もつれ合ったままで何も起こらない。
先にブラックスミスが動いた。
敢えて背後に倒れ込み、反動でミ=ゴの巨体を自らの足で支えるように宙に浮かべる。
そのままガラ空きの踵を下腹部に、一気に両足を押し当てて蹴り上げた。
転がるように背後へ倒れるミ=ゴのカウンターを予測、直ちに起き上がる。
歯噛みするように鉤爪を打ち鳴らし、ミ=ゴは大きく鋭利な先端を振り下ろした。
斜めを描いた軌跡は、ブラックスミスの頭を削り取る位置へと
「はい、
黒い
硬い。
それでいて手応えがない。
いかなる衝撃も跳ね返ってこない、障壁に行き詰まった感触。
あたかも行き止まりに辿り着いた空虚さがそこにあった。
その感覚は蘇芳だけのものではない。
(これは)
あらためて、異星の科学力を持つ男は目の当たりにした。
眼前で起きた出来事。
地球の民間人にして一人の少女が為し得た所業を。
『こいつは…いや、こいつも』
壁。
テクスチャーの一種。
それはブラックスミスの首を抉るはずだった鉤爪。
今や、先端を『壁』で覆われている。
武装どころか生物の肉片ですらない。
「今まで『壁』のせいで攻撃が当たらなかったんでしょ?」
だから亜理紗は思い当たった。
「だったらいっそ、体全体も『壁』で覆ったら?」
楕円形の頭から鳴る金切り声。
変わり果てた自身の鉤爪を見下ろし、悲鳴を上げているのだ。
これでは攻撃が通らない。
ダンジョンの壁を殴っているのと同じこと。
『そもそもダンジョンの壁なんて装備にはねえんだよ』
楕円形から生えた突起物が小刻みに震える。
驚き、怒りのために。
即座に別の鉤爪が伸びる。
人が造りし
「ホントしつこい」
亜理紗は口を尖らせつつ、また空間パネルに指を走らせる。
襲い掛かる鉤爪は全てテクスチャーの
動作になんら支障はなく、攻撃できているものの、ブラックスミスの機体に
一切ダメージはない。
(間違いない)
宙に鎮座し、パネルから目を離さない亜理紗を見上げる。
今頃黒目がちな丸い目が捉える光景は数字と文字の羅列。
『スフィア・ソフィア』というシステムに則った
(異神の落とし子どもは人類の技術を利用した。あいつはそれを逆手に取ったわけか)
蘇芳なら同じ手を使うだろう。
だが、すぐに思いつきもしなかった。
御堂亜理紗のハッカーとしての力量。単に、プログラムを打ち込み破壊するだけではないのだ。
彼女にはセンスがある。
『ああ、認める。けど、その先はどうすんだよ?』
ウルの辛口は負け惜しみではない。
実際、ミ=ゴの体表は完全なる『壁』と化した。
しかしこのままではブラックスミスの攻撃が当たる余地はない。
『このまま放置はできねえだろ?』
「そうだ。だから」
漆黒のマスクが顔を向けた先。
ゲーム内部と異次元を繋ぐ亀裂だ。
現時点で攻撃が無効化されたミ=ゴは、諦めて撤退せんとする。
『逃げられちまうぞ』
「逃がさないよ。逃げられないから」
その理由を蘇芳は尋ねなかった。
代わりに固いものと非金属がぶつかり合う音が答えた。
入れないのだ。
異空間へ導く亀裂が開いたまま。
そこから現れたはずの異形が脱出を拒まれている。
いくら鉤爪を伸ばしても虚しく宙を掻くのみ。
虫の羽音めいて翅を震わせるが、力づくの体当たりすら無意味だった。
『ははあ、体表をテクスチャーに覆われたせいか。その辺の事物となんら変わりない。つまり亀裂が生き物だと認識してねえわけだ』
攻撃どころか空間転移すら『壁』のテクスチャーに阻まれた。
不自然なポーズで
「亀裂の向こう側…恐らく現実世界のミ=ゴ共は混乱しているだろう。今すぐテクスチャーを剥がすべきか」
『けど、剥がしちまったらもう攻撃をブロックできねえだろ。やめといた方がいいぜ〜』
ドローンのプロペラに負けない声量で、ウルの冷やかしがわざとらしく電脳空間に響き渡る。
それが聞こえたのか否か。
仮想空間の大地に広がる01の上。
異形の蟲から剥がれ落ちる、石造りの張りぼてが埋め尽くす。
露わになっていく楕円に生えた突起物と黒光りする鉤爪。
『あら、もったいねえ。亜理紗、また頼む。どうせなら、鉤爪のとこだけテクスチャーを貼れ』
「いいけど、向こう側って多いんでしょ? プログラマーの数」
『最小箇所程度なら私達も協力できます』
見ると、鉤爪の先端のみが再びテクスチャーが異質な模様に覆われていく。
『現時点で参加できるA.I.Aの職員総員であたります』
『助かるぜ』
ドローンのカメラアイが備わった先端が軽く上下した。
目線が合い。機械仕掛けの黒い仮面が僅かに頷く。
鉤爪だけでもテクスチャーを削除。
それ以外の体表を覆う画像データを残して防御に。
一度に全く正反対の処理を施そうとしているせいか。
ミ=ゴの動きは鈍くなっていた。
「頭の処理速度も落ちたか」
ブラックスミスの左手からは再び銃口が露わになる。
一気に縮まる間合い。
解き放つ弾丸。
胴体と脚を繋ぐ関節が悲鳴を上げる。
宙を舞う鉤爪。
機械仕掛けの足は振り下ろされ、異形を支える両脚の付け根を無慈悲に蹴り払う。
バランスを崩し、01に沈み込む胴体を踵が押さえつけて大地に縫い止める。
「楽しかったか。人が作った世界は」
右手の甲を覆う漆黒の刃。
切っ先が楕円の頭に入り込んだ。
「他の眷属にも伝えろ。次に会う時は
銃口が黒い煤と化し、左手を包む。
煤が新たに生んだのは、
「覚悟があるなら」
煤に象られた黒炎だった。
炙られていく
膨らみ、縮み、歪んで、軋む。
残った脚は大きく広げられる。
力なく倒れ込む姿勢で。
行き場を失い、身を投げる様に近い。
黒炎から生まれる黒煙。
そして僅かに赤く濁った火の粉。
騎士めいた機械甲冑から眺める、赤い瞳に染まったように。
(ホントに…なんだろ、コレ)
御堂亜理紗にとって、数えきれない出来事の連続だ。
コレ、の一言で表すには多すぎた。
探偵事務所のデスクトップに取り付けた、亜理紗専用のVRグラス。
そこから眺めるイメージは既視感のない光景ばかり。
話でしか聞いたことのないゲームはメンテナス中だったため、ゲームの運営会社とは別のシステム管理の下請けに侵入。
今し方メンテナンスに入ったばかりのせいか、セキュリティレベルは亜理紗にとって容易いもの。
蘇芳のログを拾って辿り着いたダンジョンで違和感のある空間を発見、偽のプログラムでこじ開けた。
そして辿り着いた先で目にしたモノ。
ゲームのモンスターに見えなくもない、異形の存在。
リアルでもよく見かけるドローンは、吹き出しの名前からしてウルのキャラクターないしアバター。
そしてリアルとなんら変わらないキャラメイクの夏目蘇芳。
しかし声をかける間もなく、彼の姿は機械の質感を思わせる甲冑に消えた。
そして、今に至る。
(蘇芳…さんって)
今の亜理紗は宙に浮かんで見下ろす位置にある。
だというのに、蘇芳の背中は大きい。
甲冑に包まれる前と変わらない。
兜のような、仮面のようなヘルメットに隠されているせいもある。
その表情は窺い知れない。
それ以前に、
(何者なの?)
昨夜は命の危機から救ってくれた。
フィクションの探偵でなくても腕に覚えのある人間ならそうするだろう。
だが、異形を追って人が簡単に足を踏み入れない世界にまで入り込んだ。
そんな自分を彼は人間だと称した。
ただし、この星の人間ではないと。
(でも、やっぱり変)
桜色の前髪越しに黒目ガチの丸い目をすがめた。
(やってることが人間技じゃない)
亜理紗は自分の技術を理解している。
普通の人ならそう簡単に身につける機会がないスキルのことを。
だからなんとなく分かる。
夏目蘇芳は普通の人間にはない力を持った人間だ。
それが異星人だからなのか、あるいは
「亜理紗」
階段をワンステップ踏み外した感覚。
心臓の鼓動がずれて危うく止まりかけたと思うほど、亜理紗の肩は跳ね上がった。
「助かった」
「あ…よかった、ね」
「VRグラスを端末から外して待っていろ。帰るなよ」
うん、と答える声が掠れた。
まだこの一日は終わらないのだ。
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