side: BLACK 9話 高度知性異次元生命体

0と1。

世界にはそれしかなかった。

緑に発光する数字。

常に切り替わる様はまさしく、

(デジタル時計だな)

今蘇芳が見ている光景がそれだ。

ただし、普通のデジタル時計と違う点は一点。

ここはコンピュータの計算する世界。

効率のいい二進法ゆえ、0と1以外は有り得ないのだ。

「何もかも単純だな」

『ああ、単純で単調だ』

数字の移り変わりを眺める蘇芳をよそに、ウルはプロペラを羽音めいて震わせる。

『弱い奴ほど逃げ足が早い、ってか。さて、どっちに向かった?』

ウルの問いに答える者はいない。

代わりに異星のAIはカメラアイから電波探知機レーダーを広げた。

「目や耳に頼りすぎるのは無意味だ」

蘇芳は左手を伸ばす。

黒い煤が散り、再び掌から砂鉄が零れ落ちる。

靴にかかるのも構わず、蘇芳は僅かに歩を進めた。

それは一分もかからなかった。

滴り落ちるように溢れた砂鉄は、一定の方向へと細長く伸びた。

一筋の道を作るように。

『爆風でやっこさんに合金の破片が付着したのが幸いだぜ』

つまり、歩く磁石になったのだ。

即席の追跡装置を頼りに蘇芳は一直線に突き進んだ。

『ゲームサーバーから外に出る瞬間までが勝負だぜ。それ以上向こうに出て行かれるとA.I.Aの管轄外だ』

最悪の場合、巣穴を閉じられたら。

追跡はおろか帰還できなくなる。

それを承知のうえで、蘇芳は最後の一匹を追う。

彼の覚悟が通じたのか。

遥か彼方、0と1の地平線上に突起物が蠢く。

さらにその向こう側に揺らぐ、新聞紙の破れ目めいた01の亀裂。

オールド異形・ワンが巣食う異次元。

人が作ったデジタルな仮想世界とを繋ぐ磁場の穴だ。

『見つかったのですね』

ウルの物とは違う、機械のフィルターを通したような声。

『おう。見えてるのか、アスハ』

『あなたが映像を送っていただいたので。まさかアウタースペース…惑星外から侵入されるなど』

雲一つない空のように澄んだ声が掠れて呟く。

『私共の不手際です』

『お前らのせいじゃねえよ』

頷くと、蘇芳の足は更に速さを増す。

右手の甲から飛び出す漆黒の刃。

踵が0と1のフロアから跳躍する。

死に損ない、思惑のために生かされた異形の蟲めがけて。

今度こそ。



『蘇芳!』

それが制止と気付く直前。

蘇芳の体が横に倒れ伏した。

咄嗟の判断だ。

『おいおい…』

片膝を異空間の床に突いたまま、刃を振り下ろそうとした先を異星の異形殺しは睨む。

空間の歪み。

あと一歩で出口というところだった。

そこが生き延びたミ=ゴの終着駅となったのだ。

歪みからより大きな鉤爪が五本伸び、逃走中の個体を頭から絡め取った。

どこまでも広がり、音が反響することのない電脳空間。

鋭利な爪が金属を掻く音が木霊した。

『今のは悲鳴か?』

答えず、蘇芳は新たに現れた個体、恐らく上級格と思しき巨体の力量を推し量る。

(地球サイズで全長三メートル…ということは、重量八百キロか)

ウルの方がより正確な数値を演算して出したようだ。

『八百九十二キロだ。指揮官クラスと生身でやり合うのはキツいぜ』

「アスハ、リアルからの換装を許可してほしい」

すでにプログラムは完了していた。

ゴーサインが出たことを確認すると、蘇芳は右手の刃を振り払い、消した。

直後、機械仕掛けの鎧が漆黒に煌く。

『頼みましたよ、ブラックスミス』



ブラックスミス。

夏目蘇芳が操る物質の思念形成魔法、『黒き創造主の手』。

そしてその名を冠した機械仕掛けの神、機神マキナの識別コード。

言うなれば、蘇芳の二つ名だ。

実際、ステータス上のキャクター名すら変更されていた。



『BLACKSMITH』



手始めに機械仕掛けの死神は跳躍する。

右手に形成した手甲剣を振りかぶり、ミ=ゴの兵士を断つために。

対する古き異形の蟲。

歯を噛み鳴らすが如く、鋭利な五対の鉤爪が交互に上下する。

前傾姿勢のまま、しかしけっしてデジタルの大地を飛び出すことはなく。



両者は切り結んだ。

片膝を突いて着地するも束の間。

右、左、袈裟懸け、斜め下、真横。

時には垂直に。

ミ=ゴの鉤爪は進行方向を選ばない。

その全てをブラックスミスは払い、躱し、寸止めする。

内踝で蹴り、軌道をずらす。

刃を滑らせ、防御を崩す。

肘打ちで隙を作る。

点を穿つが如く、垂直。

だがミ=ゴの勘も互角。

鉤爪が交差して押し切った。

ブラックスミスがバックステップで体勢を立て直す間に地を滑る。

目前まで迫り、鉤爪を上下させた。

刃で受け止める機神。

つかさず、別の鉤爪が前面に押し出される。

腹で受け止めるが、地を踏み締めて耐える。

代わりに、胴体を支える鉤爪以外が使われ、ミ=ゴの足元は疎かになった。

脚の関節すれすれを黒い機械仕掛けの足が伸びる。

景気良く跳ねるような踵の動き。

小内刈りに似た足掛けは、ミ=ゴのバランスを崩した。

『やるねえ。自己流とは思えねえ』

夏目蘇芳は答えない。

ただ、敵のどの箇所を狙えば弱まるのか、どの辺りに攻撃が当たれば致命的なのかを把握している。

いかなる武道のカタにおいても、全てに共通する点がある。

関節、神経、急所。

突きや蹴りの姿勢が違っていようと、

狙うべき箇所は変わらない。

荒々しい動きの反面、夏目蘇芳はピンポイントで致命傷を狙う。

(より確実に、そして迅速に)

殺すために。

初見で一撃必殺など簡単ではない。

そんなことは幾度となく相手にしてきた異形どもが知っている。

『お前さんのやり方は毎度毎度周りくどい。だがおかげで奴さんもへばってきてるみたいぜ』

事実、大型ミ=ゴの鉤爪はこれまで以上に距離を越えてブラックスミスのヘルメットを抉りにかかる。

ただし、動作は緩慢かつ大振り。

精細さを欠いた動きはブラックスミスに順応された。

鉤爪を受け止めた黒い刃が弧を描く。

刃につられたミ=ゴの前足はあっけなく広げさせられた。

その中心、心臓部へと切っ先が潰しにかかる。



はずだった。

反発レジスト

ブラックスミスの仮面越しに蘇芳は目を見開いた。

手甲剣の先端はオールド異形・ワンの胴体に達した。

それだけだ。

刃を通して、外殻より脆く柔らかい肉を裂く感覚が伝わるはずだった。

オールド・ワン独特の熱と毒気を含んだ鮮血すら溢れ出ない。

(防がれた…いや)

そんなはずはない。

全ての鉤爪は無防備に広げられ、隙ができている状態だ。

ミ=ゴは無抵抗。

ただ、ブラックスミスの刃が貫通していないだけだ。

そこだけに防刃作用のインナーを着込んでいるかのように。

『おいおい、どうなってやが…』

直後、ドローンのプロペラ音は持ち主の声で掻き消された。

しかしウルより先に、ブラックスミスは目の前で起きたミ=ゴの変化に気づいていた。

これは、

(変化している)

あり得ない姿だった。

本来、ミ=ゴの腹部は節足動物の胴体と同じ質感。

紙に等しい脆さを帯びている。

しかし、今ブラックスミスが刃を突き立てたミ=ゴにはそれが見られない。

あるのは、石か金属に似た硬質の手触りだ。

『どうなってんだこりゃ?』

これまで蘇芳はミ=ゴを相手にしてきた機会は幾らでもあった。

皮膚を硬質化する個体など見たことがない。

否、と機械仕掛けの神を借りた異星の探索者は目をすがめる。

(見覚えはある)

このは初めてではない。

少なくとも、ゲーム内のドロイド工場で見たばかりだ。

金属、それもジェラルミンの質感を持つ素材。

床から天井にかけて保管庫を包み込んでいたはずの、

『こいつは…ダンジョンの壁か?』

ミ=ゴの脆い腹部の皮膚。

それが『スフィア・ソフィア』に設置されたダンジョンのジェラルミン製壁面に置き換わっていたのただ。

ウルの出した答えで蘇芳の確信は事実へと昇華された。

『間違いねえ…このプログラムはゲーム内部のダンジョンと同じ構成だ。こいつ、それで自分の配下ガキ共に壁面のテクスチャーを喰わせてたってわけか』

「壁のデータを取り込み、いざとなれば展開して防御するためにな」

『人が作ったシステムを体良く利用したわけですね』

アスハの話ぶりには相変わらず抑揚がない。

だが、声しか聞こえない彼女の人間体が見せる表情を蘇芳は察する。

外観は作り物だ。

それをどう変化させるかは当人の意思による。

この異形の蟲がそうであるように、AIとて同じこと。

『どうするのです、ブラックスミス』

「徹底的に叩く」

もちろん闇雲に斬っても無駄だ。

左手を伸ばし、黒い煤から火花とノイズが散らす。

形成された得物は右手のそれと同じ。

ナックル、手甲剣、ハンドガンが備わったアパッチリボルバー。

手首の内側からスライドして飛び出した先端は銃口だ。

(確かめたい)

発砲した先はダンジョンの画像データで装甲した腹部にあらず、脚と胴体を繋ぐ関節だ。

外殻で覆われていない箇所は他にもあるということだ。

だからこそ、蘇芳はブラックスミスの掌に収まった銃口を向けた。

鉤爪を生やした根本めがけて。

発砲。

被弾。

金属音。

弾は全て01に散らばった。

『ありゃ関節にも密かにテクスチャーを貼ってやがる』

いい仕事してんなあと他人事に関心する相棒に構う暇はなかった。

回避も防御も必要なくなった異星蟲。

堂々と鉤爪を振るい、滑るように距離を縮める。

最早、人が造りし偽神デミゴッドなど脅威でなくなったのだ。

(前回よりハードルが高くなったか)

蘇芳は溜め息をついた。

難易度ハードルは高い。

だが、無理などと弱音は吐かない。

脅威と分かった敵に対し、諦めるという選択肢は持ち合わせていないのだ。

斜めに投げつけられるように迫る鉤爪を転がりながら回避。

間合いは取らずに至近距離に発砲。

同時に右手の刃で穿つ。

いずれも金属音に阻まれた。

(同時攻撃も無駄、か)

二箇所同時に武器と接触すれば、どちらかいずれにダメージが通ると考えたのだ。

実際は全く同じタイミングにテクスチャーを貼られガードされていた。

攻撃手段を封じられている。

『どうすんだよ、これ』

愚痴りながらウルは分析している。

テクスチャーの構成、それを展開する直前までのミ=ゴの体温や脳波、周辺環境の変化など。

『攻撃直前なら体温が上がるはずだが…仮想空間だと話は別か』

『あるいはミ=ゴそのものではなく』

沈黙を守っていたアスハ。

彼女なりに状況を分析したらしい。

『アレが通ってきた異空間の亀裂。そこから力…エレメントを引き出しているのでは?』

エレメント? そりゃ、魔術を使うには必要だけどよ』

「ウルの言うとおりだ」

横殴りの鉤爪を掴み、ブラックスミスは楕円形の頭に飛び乗った。

「こいつから魔術の類は感じられない。プログラミングは科学の領域だ。そしてこいつはデジタルの存在。本体は亀裂の向こう側にいて、文字と数字を操り、分身にテクスチャーを貼っている」

分身。

だから熱が感知されなかったのだ。

「画像の処理速度が早すぎる。戦いながらでは追いつかない。複数体が操作している物と見て違いない」

『人間を駒扱いする連中が自分の分身でプレイってか。いっぱしのユーザー気取りやがって』

唾でも吐き捨てるようにドローンのAIは唸った。

『しかし解決策が見えてきました。彼らの処理速度を上回る速さでテクスチャーを破壊すればいいのですね』

「問題がある」

異空間の向こう側にいるミ=ゴの数。恐らくは群体だ。

それが同時に一斉処理して分身アバターの皮膚を硬質化しているのだ。

ならば、彼らの数を上回る数のプログラマーが必要だ。

(いや、ハッカーか)

アスハに現時点で対応できるA.I.Aの職員数を尋ねてみる。

しかし、アスハは首を振った。

『全職員を総動員させたとしても、勝機は未知数です。少なくとも、ミ=ゴ側のプログラマーはこの星の人口に相当するでしょう』

『無理ゲーじゃねえかっ!』

つまり現時点で抹殺は不可能だ。

やむを得ない。

一斉に伸びる五本の鉤爪を回避すべく跳び降りる。

そこへ突き立てられる鋭利な切っ先。

ブラックスミスは牽制射撃を続けながら転がりながら回避する。

(ひとまず退却するか。せめてゲーム内に開けられた風穴だけでも閉じ)



「よかったら手伝うけど?」

羽音めいたプロペラの駆動音に悲鳴が被さる。

心臓の鼓動がワンテンポずれたかのようにウルが飛び上がったのだ。

なにしろ声の主が、

『お前…亜理紗かっ?!』

ミ=ゴを銃口と手甲剣で牽制しつつ、蘇芳はブラックスミスの仮面ヘルメット越しに虚空を睨んだ。

空のないデジタルの天上、そこから見下ろす年端もいかない少女。

四月の風に散った薄紅色の花びらに染めたような髪。

それを腰まで伸ばしてなびかせる姿に、蘇芳は見覚えがあった。

桜色の髪の間に覗く小さな頭。

黒目がちな瞳と厚みのある唇。

昼間の探偵事務所で出迎えたばかりではないか。

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