side:BLOOD 1話 孤島の廃村


航空機のハッチが開く。

朔弥の顔に吹きつけてきた風は雲を掻き消したのか。快晴の空に浮かぶのは滑空する海猫のみ。

「通し番号!」

さらに上官の号令が雑念を一蹴する。

後に続いて数字を叫ぶ朔弥。

梯子を伝って地上へと降りていった。

「さすが航空志望だな」

頭上から届く嘲り。

耳にタコができるほどうんざり聞かされてきた。

着地すると即、整列する班の仲間に合流した。

再び通し番号。

確認した班長が報告に向かう。

満足するまでもなく、上官は次の指示を出す。

「本日の訓練は大型地震を想定した救助活動である。逃げ遅れた民間人を救出し、避難所へ誘導する」

ちなみに起床したのはまだ薄暗い早朝。

夜の巡回の後、寮に帰ったのは日付が変わる直前だった。

(やっぱこの仕事ブラックだよな)

そう言っていた戸塚はいっさいあくびを見せることなく、朔弥よりも早く布団から飛び起きていた。

(口ばかりかと思えば。逞しいな)

朔弥と同じく、体育会系の枠として受験したらしい。

専門は合気道だという。

朔弥も腕に覚えはあるが、戸塚から組み手で一本取ったことはない。

今はまだ。

「まずは隊列を組む。集落に入り次第、各班に分かれて行動」



中国大陸からの暖気の影響か、雨の後にじんわりとした湿気が肌で感じられた。

しかも大地はぬかるんでいる。

足元をすくわれないように、朔弥は前を進む隊員の背を追った。

あえて平坦な道のりではなく、土砂崩れを想定して崖に近い山道を這うようにして突き進む。

途中、蛇や猪に出くわす可能性があったが、実際そうした危険とは無縁だった。

地面と気温こそが敵だった。

「やるねえ」

間延びしたようなセリフとは裏腹に戸塚の鼻筋や顎を汗が伝う。

自衛隊員の許容範囲とされる身長の最低ラインギリギリに滑り込んだほど、小柄だ。

対する朔弥は高校に入る前から優に百八十を超え、二十歳を過ぎても伸び続けている。

たまたま古武術の道場が近所で開かれていたことが、彼にとって人生の基盤になっていた。

「その様子だと、帰ってからのトレーニングは無理そうだな」

さりげなくニヤッと笑う悪友。

まだ集落は見えてこない。

挑発に乗るものか。

「目的地に着いてから言え」

そう返したきり、朔弥は周囲に視線を走らせた。

枝葉の隙間から陽光が僅かでも入り込ち、目に残像を刻みつけようとする。

ときおり上官の号令に応える掛け声。

山道の岩を転がす程の威圧感が込められる。

その度に朔弥は、自分自身の掛け声にすら身を焦される感覚を得るのだ。

旋回する鳥達を見続ければ、確実に目を回すだろう。

(なんて暑さだ)

去年の四月はまだ肌寒かった。

風も強く、花粉は宙を舞い、つられて桜も早くに散った。

だというのに、この暑さはどうしたものか。

(まるで夏日だ。湿気も強い。また一雨来るんじゃないだろうな)

朔弥達の駐屯地は瀬戸内海に面した四国にある。

年中海は穏やかだが、一度雨風に見舞われると波は見境なく荒れ狂い、緑を削られた大地は水に流される。

訓練の意義たる自然災害はけっして他人事ではないのだ。

(下手すると、訓練中に大雨が来るかもな)

もちろん上官がそのことに気づかないわけがない。

むしろ、悪条件が近づいていることに喜んでいるだろう。

本気で隊員達の士気を鼓舞できるのだと。

(まあ、乗りかかった船だ。行けるところまで行ってやる)

過去に未練など残さない。

朔弥の足は心なしかペースを上げようとしていた。





かつては稲作と果物栽培が盛んだったという島の山村。

若い世代が離れていき、高齢化した住民は医療機関と生活の基盤が充実した市内の方に引っ越すしかなくなり、ついぞ行政区から消滅したという。

(観光客は増えてるのにな)

元が何色か定かではない車のボンネットらしき物が積み上げられたジャンクの山。

町工場と呼ぶには規模が小さいから修理店の類だろう。

やけに天井が低そうな平家作りの建造物は横に長く、時計らしき丸い枠がぶら下がっているあたり、学校だった名残りはある。

あとは屋根が崩れて表札のない民家や、シャッターが伸びきった商店らしき鉄筋の塊だ。

「すげえな、人里離れた村の怪奇ミステリーに出てきそうだぜ」

しみじみと感想を述べるのは朔弥と同じ高校出身と草間だ。

先日朔弥達とは別の班で市街地を巡回し、連続殺人鬼の被害者を発見した男である。

「それかホラーゲームだな。『SIREN』とか『彼岸島』あたりの」

「そりゃいいな。せっかくだ。島買い取れば、脱出ゲームでも作れるぜ」

来た当初に比べて空にかかる雲が厚みを帯びてきたせいか。雰囲気に乗せられたらしく、血生臭い話題に盛り上がっていく。

「なら、お前はさしずめ最初の被害者役だな」

盛り上がってきたところで朔弥は二人を肘で突いた。

班長は先に着いた上官に報告を終えてきた後、役割をそれぞれにあてた。

朔弥は草間と救護に備える。

戸塚は班長を筆頭に残りの二人と指定された民家の中へ。

避難民の確保に。

他の班も確実に第二段階に取り掛かっていた。

(静かだな)

骨組みを調節し、成人男性一人が横になれるサイズのベッドを取り付ける。それが済んでからもぼうっとする間もなく、応急手当ての用意。実際に意識不明者や負傷者が出ることを想定してAEDや包帯などをいつでも使えるようにセットしておく。



「…静かだ」

作業中なので私語は聞こえない。

風がないため草木が擦れ合うこともない。

頭上を旋回していた鳥達もここまでは追ってこなかった。

空が荒れることを悟ったのか。



やはりそうだ。

「どうした?」

医薬品を取り出す手を止めてしまったので、草間が不審そうに声をかけた。

「静かすぎる」

「そりゃそうだろ? 無人島だし、いるとすればオレ達くらい…」

「だから静かすぎるんだ」

ポカンとする草間に朔弥は斬り込んでいく。

「住民はいない。つまり、人間は人っ子一人いなくて当たり前なんだ」

「だから、それがどうしたんだよ?」

「人は当然いない。誰もいない家は荒れて当然。代わりに見かけるのは鳥達ばかりだ」

ハイハイ、と草間はうんざりしたように手を振った。

「鳥ばっかりで退屈ってか?」

「そうだ、鳥しかいない。どうして?」





今、朔弥達のいる瀬戸内海沿岸部の地域では猪の被害が多発している。

過去には人里離れた山中に夜間出没するのが当たり前だった。

しかし近年は山で獲れる餌が不足していることと、観光や開発のため奥地へと人間が踏み込んでいったこと、加えて年々気温が上昇していき冬でも活動しやすくなったことなど、原因は挙げたらキリがない。

しかも彼らは水陸両用。

つまるところ、猪は活動範囲と時間を広げ、市街地や住宅地にまでその勢力を拡大していったのだ。




だから、

「人間がいない今、猪や猿といった獣は我が物顔で活動し放題だ。それなのに一度も遭遇していない。ここでの視察から帰ってきた上官さえ、野獣について一言も触れていない」

「…それが、どうしたって言うんだよ?」

草間からは反論はない。

何か、得体の知れない不安が伝染したかのようだ。

「なぜかは分からない。けどこれはおかしい。おそら」





絶叫。





耳をつんざくそれは、朔弥と草間が先に捉えた。

二人のすぐそばにある家屋から聞こえたのだ。ちょうど戸塚達のいる家だ。

「何が…」

草間が言うより先に、朔弥は腰を上げていた。

救護係達の監督役から静止の声が上がるが、構わなかった。

胸騒ぎを抑えるかのように、朔弥は身をかがめて窮屈そうに入り口へ身を押し込んだ。




暗い。

外はあんなにも太陽が照りつけて眩しいというのに。

しかし落差に気を取られている暇などない。

(視界に目を慣らせ)

朔弥は僅かな間だけ俯いて目を固く瞑った。

暗順応にかかる時間を少しでも短縮するため。

(あとはどこに何があるかおおよそ想像して進む)

予め内部の構造は知らされていない。

しかし作りは一般的な日本の家屋だ。

玄関口から廊下に続く部屋割りは見当がつく。

台所や寝室はプライベート空間だから奥にあるはず。

今回の訓練では住民がそこで救助を待っていると仮定して行うと言っていた。

戸塚達はおそらくそこにいるだろう。



また、声が聞こえる。ただの驚愕のみならず、苦痛と恐怖が滲み出ている。



「こちら矢上! 何があった?! 返事をしろ!」

戸塚の声が聞こえた。言葉になっていない。

老朽化した建物だから、腐敗した床に足を取られたのか。

(そんなことは)

朔弥は否定した。

救助活動が訓練課題のため、武装は少ない。

一応ロープや枝葉を切れるナイフくらいは持っていた。

(けど、どうしてだ?)

常人ならば銃刀法違反として罰せられてもおかしくない凶器のはずが、どこか頼りなげに見えた。

「こっちだ! 朔弥来てくれ! 頼む早く!」

声のボリュームが増したため位置を特定でき、朔弥は冷たい物を胃の中に吸い込むと駆け寄った。

大きな引き戸らしき枠にはかろうじてガラスが僅かに嵌っている。

割れた先端に当たることなく跨いで身を乗り出すと、蛇口らしき流線形と扇風機に似たファンの輪郭が覗いた。

台所だ。

「戸塚、返事をしてくれ」

「やめろ! 離れろ!」

声は足元から響いていた。

見ると、腐った板の間に亀裂が入り、人一人が入れるくらいの穴が空いていた。

(入ったんじゃない。足を取られて落ちたのか)

再び突き放すような悲鳴。

「来るな! 失せろ!」

あり得ない返事だった。

助けを求めるどころか拒絶している。

「何を言って…」

覗き込もうとした床の亀裂にかけた手が止まった。



濡れている。



色は分からないが、どこかぬめりがある。

それも新しい。

そっと顔を近づけて確信した。

(…鉄錆?)

胸元からライターを取り出し、穴に近づけた。

そして屈めた頭を下げて目を凝らす。

「離れろ…早く…近くんじゃ…」

戸塚は片膝を突いていた。手を抑えているあたり、落下の際負傷したのだろう。

抑えたいない手にはサバイバルナイフが握られている。

振りかざしている、というより、振り回している。

(班長達はどこに? 一緒じゃないのか?)

辺りを見回したが、家屋に持ち運んだ道具一式しかない。

その中にはロープがあった。

それを掴んで先端を穴に落とした。端を家の柱に結びつける。

「登ってこい!」

たちまちロープが軋んだ。




同時に、硬い物を引っ掻くような音が鼓膜に刻まれた。





(今のは何だ?)

「頼む朔弥! 早く手を取ってくれ! じゃないとオレ…」

闇の中から同期の歪んだ顔が浮かび上がってきた。

それよりも朔弥は目が離せなかった。






底から覗き込む眼球。

爪のように伸びた鋏。

育ちすぎた甲殻類のようだった。

その鋏の間にはボール状が握られていた。

鋏が力を入れると、それは粉々に欠片を飛ばした。

鉄錆の飛沫と共に。


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