BLACKSMITH vol.2 : Parallel Paradox

上山水月

prologue 不夜城の集い

高天市たかまし

瀬戸内海に面した四国四県のうち、北東に位置する行政区。

近年観光客に恵まれ、海外の旅行情報誌において「今年訪れたい地域」の十位にランクインしている。

穏やかな海と近隣の島々が映し出す風光明媚な自然。

歴史的情緒溢れる史跡や豊かな緑に恵まれた県境付近。

そして産学官連携による、伝統と新発見に裏打ちされた技術発展。

海外からの訪日客どころか、他県からの移住者も年々増加して、今や国内外から注目される地方都市である。




一方で、県外への流出者は後を絶たず、核家族の増加と超高齢社会から起因する空き家が頭を悩ませている。

そして、

「また空き家で見つかったってよ。しかも今度は三人」

週末。

夜の繁華街。

眠ることを忘れたかのように飲み屋の看板や暖簾を背景に進む人の足。

いずれも成人の物で、スーツかそれに近いフォーマルな出で立ち。

酒気を帯びた顔はほんのり赤い。

だから、そんな彼らに比べると巡回中の二人は浮いて見えた。

「この調子だと全国ニュースになりそうだな」

「ああ、おかげで警察の仕事がこっちにまで回ってきちまった。普通しないよな、街の巡回パトロールなんて」

世間一般の官公庁や企業組織は定時を過ぎ、仕事の疲れを癒すべく繰り出す労働者達で週末の市街地は不夜城と化している。

一方で、市民の心には不安の影が差していた。

人が死んでいるのだ。

それも一人や二人ではない。

人知れず消え、しばらくしてから姿を現す。

物言わぬ体となって。




「駐屯地のお膝元でやられているんだ。さすがの上も黙ってられないんだろうな」

「で、明日訓練だってのにお巡りさんよろしく夜勤なわけか? オレ等の仕事ってブラックだねえ。そう思わないか、朔弥」

朔弥と呼ばれた青年は、連れ立って歩く同期の戸塚に溜め息をつく。

「矢上二曹、だろう。仕事中は役職名で呼んでくれ」

はいはい、と満面の笑みを浮かべながら戸塚は訂正した。

「失礼しました、職務熱心な矢上殿」

思わず顔をしかめそうになるが、朔弥はどうにか持ち直した。

国民の手前、毅然とした態度で歩かなくては。

矢上二曹でいい、とだけ呟くように返すと朔弥は指定されたとおりの順路を通ってアーケードを目指した。

「それにしても、この辺面白そうな店ばっかだな。んーと…手品バー? あっちはシネマバー…古い映画とか見られるのか…おっ、沖縄料理の居酒屋もあるぞ…なあ、矢上二曹ならどの店をご贔屓に?」

「仕事中によくプライベートな話ができるな」

「だって、ここお前の地元だろ? 地元のグルメを知りたけりゃ地元の人間に聞けって常識じゃん」

横須賀出身の戸塚にとって、本州の外に出ることは外国を通り越して別の星に移住するに等しいという。

「残念だな。今お前が見つけたどの店にも僕は行ったことがない」

「はあ? ってことは、この近くじゃないんだな」

「さあ、どうだろうな」

全国一面積が小さい県とはいえ、地区によって特色が異なる。

そして、そもそも朔弥の実家は市外にある。

中心部のことを尋ねられても答えにくい。

(この辺を歩いた記憶だってほとんどない。高校の時、インターハイに行く途中コンビニに寄ったぐらいだな)

弓道部の全国大会だった。

一位は逃したが、今の職に就く足掛かりにはなった。

本人の好むと好まずにかかわらず。

(本当なら)

無い物ねだりのように未練たらしい思いはしたくない。

それでも、こうなるはずではなかったと嫌でも思えてしまう時がある。

カラオケボックスの前を横切った。若いカップルが開け放したドアの向こうでミラーボールがラメを散らしたように燦然と輝いている。

どこかプラネタリウムに似ている。

わずかに首を頭上へ向ける。

ネオンの色彩は夜空に散らばる光の粒を鈍らせていた。

(いつまでも遠い空、か)





「おい、見ろよ」

戸塚の声が地上に意識を呼び戻した。

すでにフェリー乗り場に続く通りにまで足は進んでいた。

「あれ…」

同じ目線の先、雑居ビルを前に一人の少女が佇んでいる。

長い黒髪と膝丈までのチュニックからして、明らかに少女と呼べる外見だ。

華美でも卑猥でもない、どこにでも見かける十代から二十代の年若い娘の格好だ。

それ自体は悪くない。

問題は、

「あれ…どう見ても」

「子どもだ」

朔弥は頷く。

まだ十六、七には見えない。

十代前半…下手すると小学生くらいだろう。

「学習塾の帰り…には見えないよな」「そもそもこんな通りに学習塾があると思うか?」

島嶼部出身の朔弥にとって、市の中心部は馴染みがない。

少なくとも、ここが泥酔した成人男性と遭遇する確率の高い繁華街だというのは分かる。

小学生が出入りできる場所などない。

「何してんだろうな」

ああと相槌を打ちながら、朔弥は少女を観察する。

服装は年相応。

背負っている荷物はリュックサックかナップサックの類。

手には携帯端末を握っている。

あたかも羅針盤コンパスのように本体を地面と水平に向け、ときおり指で何かをなぞる。

覗き込む表情は途方に暮れたよう。

しかし、諦めが悪そうに周囲と画面へ交互に視線を走らせる。

「手荷物が少ないから家出人じゃなさそうだな。人と待ち合わせしてるって感じでもない。周囲の酔っ払いなんざお構いなし。携帯見つつ、辺りをキョロキョロしてるってことは、マップ開いて位置確認してる…迷子か、あるいは目的地を探してるってところだな」

朔弥と同じような考えに至ったのか。

戸塚は冗談めかしたことばかり言って、上官から叱られることが多い。

それでもしょうがないなと先輩自衛官達に目をかけられるのは、愛嬌だけが理由ではない。

その洞察力は朔弥のすら見抜いたのだ。

「さて、どうしますかねえ」

問題はここから。

行動は朔弥に委ねるのだ。

考えるのは自分の仕事、体を動かすのは任せたよ、的な方針なのだ。

(どうするもなにも)

理由がどうあれ、放っておけるわけがない。

朔弥が少女の前に進み出る様を同期は楽しそうに見守る(?)。




「君」

なるべく朔弥はそっと声をかけた。

図体とハスキーな声の低さが相まって、どうしても強面の雰囲気を醸し出すそうだ。

戸塚曰く。

はたして、少女の反応や如何に。

「ちょっといいかな」

切り揃えられた前髪の下、少女の目が大きく見開かれた。

思わぬ声かけに対する驚き。

そして、わずかばかりの恐れ。

(やっぱりな)

朔弥は少しだけ後悔した。

子ども相手の対応なら、どちらかというと童顔の戸塚に任せればよかった。彼なら飄々ひょうひょうと当たり障りなく、怖がらせない程度に冗談めかして相手の気分を和らげることくらいできただろうに。

子どもや女性と親密に付き合ったことのない朔弥には専門外だ。

見ると、戸塚の口は楽しそうに吊り上がっているではないか。

(お前のせいだぞ)

いいからいいから、と人の気も知らない同期の悪友に促される。

こうなっては後に引けない。



「あ、の…」

絞り出すような、か細い声。

「…なん、ですか?」

鈴を転がすような高い声。

遠慮がちながら応えようとしている。

(やるじゃん。ほら、尋ねる)

(お前は学生か)

ナンパを後押しする同級生のような野次に背を向け、朔弥は無音の深呼吸の後切り出した。

「僕達はこの辺りをパトロールしている自衛官だ」

警察ではなく自衛隊員と知ったのか、少女の目が携帯から完全に離れた。

「君、一人かな?」

「あ…はい」

朔弥の正体を知ったためか、少女は問いに答えていた。

「もう八時になる。この辺りの店も閉じる頃だ。早く家に帰った方がいい」

最低限、静かな語気で穏やかな言葉を紡いだつもりだ。

(見たところ、夜遊びが好きそうには見えない。大人の言葉に耳を傾けし、目を見て話している。根は悪い子じゃなさそうだ)

だから説教臭くならないよう、努めて言い聞かせてみせた。

しかし、少女の言葉には朔弥の諫言に納得した気配はなかった。

「で、でもっ」

どもりそうな声で反論のこもった応えが返ってきたのだ。

しかし朔弥は目を三角にして苛立つことはしない。

ただ、

(慌てている?)

少女の動揺が気になった。

どうやら少女はこの辺りに用があるらしい。

事情を尋ねようと腰をかがめ、

「まあまあ、いいからいいから」

背後からの不躾な声が遮った。

「あのさ、この時間この辺は酔っ払いやナンパに痴漢がウヨウヨしてるんだ。さっさと帰らないとアブナイ目に遭うぞ」

極めて限りなく説得力のある発言。

人当たりのいい口調からすると戸塚は忠告しただけに過ぎない。

しかし少女からすれば、セリフの内容は半ば警告、悪く捉えると脅し文句だった。

ますます少女の顔が引きつる。声が出なくなるのでは、と思えるほど。

「おい、もう少しまともな声かけはなかったのか」

いくらなんでも言い過ぎだと朔弥は窘めた。

本人も自覚したのか、悪い悪いと罰が悪そうに目尻を下げる。

「ごめんよ、意地悪な言い方して」

戸塚が謝ると、いいえと少女は気にしてなさそうに見えない顔で俯いた。

「いや、その…ホントごめん。君が一人でこんなとこにいるのが気になって声をかけたんだ。ほら、世間は物騒だろ? 通り魔がまだ捕まってないし…だから、早く家に帰った方がいいぞ」

「で、でも」

朔弥よりも穏やかで親しげな話し方に警戒心がなくなったのか。

気後れしつつも、反論しようとする。

「いや、ホントに帰んなきゃ。今頃家の人が心配してると思うぞ? 早く帰ってお父さんとお母さんを安心させてやれよ」




(え)

びくん、と心臓がワンテンポずれて脈打ったように目を見開いた。

少女の視線は宙を彷徨っていた。

かけるべき言葉が見つからないのか、声を失った口は頑なに動かない。

(どうした)

少女の動揺に朔弥は戸塚に目をやる。

まるで言ってはいけないことを口にしたかのように、なぜか戸塚は罰が悪そうな顔をした。

これ以上追及は無理、と言わんばかりに朔弥の肘を突く。

朔弥は気を取り直してまた少女の方へしゃがみ込もうと、




『こちら草間。松福町の元自動車整備工場にて男女二名の遺体を発見。付近の隊員は至急現場へ。繰り返す…』

まただ。

二人は顔を見合わせた。

「二人か。これで七人だ」

「こりゃ、全国どころじゃねえよな…って、おいっ!」

二人の意識が逸れた直後だ。

体重を感じさせない少女の足は地面を蹴り、人混みの中へと埋れていく。

「あちゃあ、逃げられちまった…」

「どうする? あの子を追うか?」

「それよりも現場へ急行だ。さもなきゃ残業代なしの説教タイムだぜ」

あ〜あ、とぼやきながら戸塚は無線に今から行くと連絡した。

「行こうぜ、朔弥」

少女が走って行った方向を朔弥は見つめる。

人が作った地上の星は行き交う人の顔すら鈍く照らすのみ。

(念のため、付近の警察に声かけしておくか)

再度名を呼ばれて踵を返した。

自分にできることはここまでだ。

いつだって、何をするにしてもそう。

人には限界があるのだ。





『人はなんだってできる。やろうと思えば空を飛ぶことだってな』

そう言ってくれた人はもういない。

そのせいか、朔弥は自らの夢を閉ざし、現実に身を投じることにした。





朔弥の見た夢。

それが意外な形で実現するとは。

ただし、あくまで成就ではなく実現。

夢が叶うということは、必ずしも幸せとは限らない。

さらなる試練の始まりだということを思い知るからだ。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




「はあ…はあ…」

なんとか振り切れた。

しかし一息つけたのも束の間。

かかってきた電話に眉をひそめた。

『おばあちゃん』と浮かび上がる文字から声が聞こえたような気がした。

後ろ髪が引かれたため、緑の応答マークをスライドする。

『こんばんは。亜理紗ちゃん』

人当たりのいい柔らかい老婦人の声。

「こんばんは、おばあちゃん」

『ああ、よかった。心配してたのよ。全然連絡なかったから』

今朝電話したというのに、何年も会っていなかったかのような口ぶりだ。

亜理紗の祖母は物忘れすることはあるが、けっして介護が必要なほどの症状ではない。

それどころか、記憶力に絶対の自信を持っていた。

『毎日ごはんはしっかり食べてるの?

晩はちゃんと寝られてる? お友達や先生とは上手くやれてるの? 勉強で困ったことはない?』

質問のオンパレードだ。

一つ一つに対し、『はい』『いいえ』だけに留まらない返事を亜理紗は述べた。

そのうち通話時間が十五分を超えようとしている。

電話越しに祖父のうんざりしたような怒鳴り声が届く。

『いつまでダラダラ話しとるんだ。とっとと挨拶だけして切れ』

『うるさいわね。だったら、アンタが直接様子見に行きなさいよ』

そこでまた口論になると危惧したのか。

祖母はじゃあねと切ることにしたようだ。

『困ったことがあったらすぐ電話してね。おばあちゃんもおじいちゃんもその日のうちに駆けつけるから』

息苦しくなりそうになるのを堪えて亜理紗は愛想良く応えた。

「ありがとう、おばあちゃん。またよろしくね」

おやすみと言った直後に通話を切り、さっさと地図アプリを再起動させた。

幸い、あの若い自衛隊員達には見られていないようだ。

(大丈夫。ちゃんとサイト出してるし、地図は最新情報しか出さないから…この辺だ)

検索エンジンに打ち込んだ言葉と同じ文字が赤い矢印と共に地図に映った。




『鍛冶屋町探偵事務所』



個人の名前ではなく、町の名前で出している。

だから索敵範囲が狭まると安心していた。

しかし飲み屋の多い繁華街は亜理紗の想像を超えて入り組んでいた。

できれば明るい時間帯に探したかったが、四月から下校時刻が遅くなったことと、クラブ活動の時間も延長したことが災いした。

(でも、もう大丈夫)

地図の表示形式を俯瞰図からカメラモードに切り替える。

たちまち見覚えのある光景が映し出された。

現在地の建物や看板と同一の物が浮かび上がり、

(見つけた)

亜理紗はコインパーキングに隣接する細長いビルを見上げた。

周囲の明かりは乏しいが、窓から明りが漏れている。だから、

(きっと見つけてくれる)

写真アプリに映る二人の人物に目を落とした。

公園の芝生で腰掛ける自分自身。

そばには明るい笑顔を浮かべて寄り添う女性。

この写真を撮った日のように、必要な時はいつもそばにいてくれた人だ。

(待っててね。必ず会いに行くから)












亜理紗が路地に入る少し前のこと。

「海外メディアの方? 特派員?」

バーの店主は訪ねてきた人物の社員証と持ち主の顔を交互に見つめる。

「現地スタッフ、と。どうりで日本人か…で、この場所に?」

ああ、と若い男は答えた。

「そうだな。今そこは空き部屋になってる。だからもう誰も」

「分かった」

短く礼を言うと、男はがま口から数枚の紙幣を取り出した。

「少し多いんだが」

「また後で来る」

バーテンダーが怪訝そうに首を伸ばすが、男の姿はドアの向こうに消えた。

灯の乏しい夜道だ。

黒いフードで覆われた長身は容易く溶け込めるだろう。

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