side: BLOOD 13話 扇の的

『矢上君、起きられるか?』

鏑木の声より先に、乱発するかのように止まない発砲を聞きながら、朔弥は上体を起こした。

「はい、まだ動けます」

墜落の衝撃で右手のアームズナイフは折れていた。

だが、今はどうでもいい。

(さっきより増して警戒を強めたか)

最早、銃弾は当たらない。

外す度に、戸塚は姿勢や狙撃位置を変えて標的を狙う。

頭が駄目なら胸を、手足を。

しかし銃口が伸ばせる岩壁の隙間など、数は限られている。

そのうえ弾が外れる度に、弾道からして戸塚の身長や銃の威力まで特定されていく。

最早、敵は戸塚の隠れ場所に目星をつけられていた。

四肢を変幻自在に伸ばすことで鉄壁の防御と正確な攻撃を得意としていた、不動の異形。

機神マキナ相手には必要最小限の動きしか見せなかったが、ついに生身の人間エサを求めて踵を返し始めた。

このままでは戸塚が捕食される。

(銃では威力が弱すぎるのか)

だが、もし本当にあの異形が機神マキナならば、合点がいく。

実際、朔弥の機神マキナは科学班の手で耐久テストを受けていた。

地球の現代兵器だとダイナマイトやミサイルなどの爆撃に対してはそれなりにダメージを負う。

だが、警察官や自衛官が使う一般的な拳銃や狩猟用のライフル程度では擦り傷一つつけられなかった。

では、どうするか。

鏑木に頼んで手榴弾でも用意させるのか。

無理だ、と即否定する。

ここは水辺。

威力が落ちてただの虚仮威しにしかならないだろう。

(あるいは)

稲妻のように折れ線を描く、アームズナイフの亀裂を見下ろした。

孤島での戦い。

大蛸に振り下ろした刀。

(他に武器が作れるのか? たとえば…ライフルとか)

射撃訓練のイメージを掘り起こす。

両手に伝わる冷たさと重量感。

引き金を引いた後、指から肩へと、全身を揺らす反動。

鼓膜を揺さぶる発砲音。

鼻をつく硝煙。

だが、手を伸ばしても何も起こらなかった。

刃が生み出される時に走る、独特のノイズはおろか、黒い塵すらも。

(何かが違う?)

だとしたら何か。

訓練生の頃から銃器の扱いは叩き込まれてきた。

射撃の名人とは呼ばれなくとも、並の隊員並みに構えて照準を定め、的に近い箇所を当てるくらいはできた。

実戦で使ったことはなくとも、的に当てるだけなら。


(的…標的てきではなく、ただの的だったからか?)


これまで本気で誰かを殺そうとするため銃を使ったことはない。

そのつもりで狙撃を身につけてきたはずが、実際使う機会がなかった。

身を守るためにも。

(つまり、実戦で使ったことがない武器は作れないのか?)

だとしたら、他の手を使わなくてはならない。

戸塚のそばまで近寄らなくとも、遠距離から確実に標的を仕留める武器。

(気づかれることなく、射止める)



鈍化した時間の中、朔弥の足元から仄暗い水は消えていた。








(じっとしてろよ)

鬱蒼と繁る草叢くさむらの中、立ち竦む同級生の顔が引きつっている。

朔弥と目が合ったからだろうか。

鏡があったなら、そこには鷹のように眼が浮かんでいるはずだ。

実際のところ、原因は別にあった。

彼らの住む島ではますます猪が活発化していたのだ。

昼間だろうが、人里だろうが、見境なく山から降りてくる。

まだ日が明るくとも森の奥深くには行かないように。

サマーキャンプの引率担当者に言われていた。

同じ古武術の教室でも、朔弥とは別のコースにいた少年だが、寝泊まりと食事の班だけは同じだった。

休憩時間を過ぎても帰ってこないので探しに行った挙句がこれだった。

擦り切れるほど着古した道着姿だったが、少年の目は見開かれ、暑さとは別の理由で汗だくだった。

彼の背丈は雑草に隠れているが、猪は鼻で気づくだろう。

かといって、朔弥が助けを呼びに行けば、標的を切り替えるだろう。

朔弥がその場を離れたら即、茂みを揺さぶる音が聞こえる筈だ。

(そうだ、音なら)

朔弥は汗ばんだ自分の指が握りしめるソレを見下ろした。

ちょうど練習の直前だった。

なぜか道場に置き去りにすることもなく、朔弥はこれを離さなかった。

(だけど、こんなの当たっても…)

掠るぐらいはできても、猪が大人しくなって逃げてくれるわけがない。

地元で生まれ育った両親からは、絶対に手出しするなと口を酸っぱくして繰り返していた。

結果がどうなろうと、猪は朔弥を認識し、たちまち逆上して襲いかかるだろう。

(せめて他に誰かいて、アイツがそっちに注意してくれたら…)

朔弥は周囲を見回す。

腰が抜けた少年と自分以外誰もいない。

せいぜい、木の枝で囀る小鳥達くらいだろう。

むしろ、猪が小鳥を警戒してくれたらいいのだが。

(いや、ムリか。鳥に身代わりになってもらうとか…あ)

朔弥は小鳥達と自分との距離を推し量る。

ちょうど、道場で普段使っている的と自分との間に等しい。

(当てるつもりなんてない。ただ)

再度、朔弥は少年に目で合図した。

読唇術なんて芸当はできない。

ただ、視線で訴えた。

(じっとしてろよ)

おそらくこの時、朔弥自身の顔から普段の平常さは失せていただろう。

失敗すれば、猪の方を射止めなくてならないからだ。

だから、朔弥は構えた。

確実に。

猪を狙うつもりで。

(絶対)

つがえた矢の先を向けた。

(仕留める)

猪の肩に。

(でなければ)

肩に近い、

(殺す)

枝の小鳥へ。



解き放たれた一閃。

宙を裂き、

(気づいた)

天を穿ち、

(来る)

木の葉を散らし、

(早く)

金切声。

(逃げろ)

地を掻く蹄。

(こっちだ!)

声なき朔弥の叫ぶ顔に少年は頷いた。

朔弥より大柄な反面、助走に乗った身軽なダッシュでその場を離れたのだ。

少年が逃げる際草叢をかき分ける音は聞こえた筈だが、猪の蹄と木の枝に刺さった矢に慄く小鳥達の羽ばたきが同時に掻き消した。

振り返らずに全力疾走した分、朔弥は午後の練習に戻る頃にはすでに疲れ果てていた。

猪のことは先生に報告したが、そのために矢を使ったことは口を閉ざした。

少年もそれに倣った。

以後、朔弥が道場の外で、練習と試合以外で矢を射ることは二度となかった。



それも今日までだった。





「朔弥、奴の動きが止まったぞ!」

頭上の声に時間が巻き戻る。

戸塚の声に混じり、機械にあるまじき絶叫が大空洞に木霊した。

人を模した機械の体躯。

その造形が歪んでいる。

あり得ない物が剥き出しなのだ。

今までなかったそれは、機械を張り合わせたように無機質で細長く、異形の機神マキナから生えて出てきたように張り付いていた。

それは木の枝ではない、機械の枝…矢であった。

今しがた、朔弥の機神マキナから飛び出し、異形の機械人形を射止めた凶器の一部である。

真紅の機神マキナが手にする、

(弓…か)

少年の頃から見慣れた、弧を描く木製とは似ても似つかない。

機械の部品を掻き集め、練り合わせてできた…あるいは、機神マキナの一部から生み出されたと言ってもいい。

まさに、機械仕掛けの得物だった。

(しかも)

異形の機神マキナがダメージから立ち直る前に、朔弥は弦を引いた。

弾を装填するかのように、矢はたちまち弓と弦の間から形成された。

赤黒い塵とノイズを伴って。

(さっきは右肩に被弾した。あとは)

弓矢が形成されたという事実に朔弥は驚きも躊躇いもしない。

どういうカラクリでできたのかも興味がないから疑問に思わない。

少なくとも今は、

(今は確実に)

矢を解き放つ。

立て続けに。

残る左の肩に。

両足の脛に。

そして、

(首だけは)

朔弥の手から弓が落ちた。

わざと落としたのだ。

弓はあくまで動きを止めるための手段に過ぎない。

頭に照準を定めるうちに、異形は矢を引き抜いて自由の身になるだろう。

だから、朔弥は近づいた。

すでに右腕の肘から手首にかけて、赤黒い刃が覆っていた。

身を低くし、滑り込み、水飛沫と絶叫の不協和音に鼓膜が煽られながら、





ぷつ、と声は止んだ。

断末魔などない。

首と胴体をつなぐ喉の断面を見せながら、機械の頭は水底に沈むのだ。

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