side: BLACK 7話 A.I.A

頭上から足元へ。

紺碧の空間を幾重もの光輪が浮かんでは通り過ぎていく。

『なんつーか…これぞ我が家って感じだよな』

人工知能ウルにとっては電脳空間サイバースペースは住み慣れた居住区だろう。

しかし蘇芳にとってはあくまで非現実空間だ。

『ま、電脳空間と一口に言っても街と同じだ。誰かの縄張りもあれば空き地や路地裏みてえな手付かずのもある。どこからどこまでが陣地なんて関係ねえか』

「そうだな」

ホテルやバーの看板と玄関口。

一般家庭の戸建てにありがちな窓から覗く、ありふれた団欒の光景。

四方を襖で仕切られた立方体。

いずれも全宇宙のサーバーを繋ぐ星間ネットワーク内の見慣れた光景だ。

『そろそろ指定された空間に近づいてきてるぜ。ネットサーフィンはここまでな』

実際のところ、サーフィンではなく

ダイブしているわけだが。

はたから見ると光輪が足元や背後へ通り過ぎていくように見える。

実際は蘇芳自身が光輪をくぐり抜けているのだ。

もっとも、上昇しているのか、落下しているのかは分からない。

電脳空間サイバースペース物理世界リアルの法則は通用しない。

重力の縛りなど関係なく、蘇芳の意識と肉体は量子レベルにまで分解され、無線ネットワークの中を通過中だ。

それも直に終わった。

『着いたぜ。ここだ』

庁舎の会議室を彷彿とさせる白い扉。

ドアノブのそばにはロックを解除するためのキーが備わっている。

『んーと…合言葉は』

浮遊するドローン。

地球の空でよく見かけるヘリコプターのようなプロペラが三つ回る。

電脳空間におけるウルのアバターだ。

ドローンに擬態した相棒はマジックハンドでキーを操作した。

指定されたパスワードを入力すると、

扉に金色の文字が浮かび上がる。


『Artificial Intelligence Agency』


コール音が鳴る。

「はい、A.I.A地球支部東アジア事務所のアスハです」

ドアの隙間からアルトの声が伝わる。

「お待ちしておりました。私立探偵の夏目蘇芳様ですね」

市庁舎や銀行の窓口で耳にするかしこまった口調。

機械のフィルターを通したような声、とはよく言ったものだと蘇芳は感心する。

実際のところ、相手は生身の人間ではない。

(こいつの同類とは思えんな)

『なんか言いたそうだな』

ドローンに備えつきのカメラから目玉が横目に睨む。

「ウルも一緒ですね。どうぞお入りください」

ドアノブが回り、隙間が大きくなるにつれて、蛍光灯に照らされた壁が広がっていく。



聳え立つような入道雲

浮かべた青い大気。

探偵事務所の窓から見えた空と同じ。

バックに反映した窓を背景に、パソコンが仕切りに沿って並んでいる。

そこには複数の男女が背広やシャツなどの装いで画面と向き合う。

その奥にはよりスペースに余裕のあるデスクが三つ四つ、管理職クラスと思しき年配の男性が端末を操作する。

企業や官公庁のオフィスにありがちな光景だ。

彼らは小型ドローンを引き連れた若い男の存在に気付かないかのように干渉しない。

蘇芳もまた彼らに関与しない。

そういう決まりだ。

一名除いて。

「本日もご足労いただきありがとうございます」

足元もなく直立していた若い女性。

長い黒髪を丁寧に結い、メタルフレームの眼鏡をかけている。

『おう、相変わらず元気そうだな。アスハ』

白いスーツはオフィスの壁から浮かんできたかのようにシミもシワもない。

アスハの表情と同じように作り物めいている。

というよりも、本当に作り物なのだ。

(よくできている)

正体は、高度な演算により組み込まれたプログラムである。

オフィスの光景も、働く彼らの容姿も、窓の外に浮かぶ偽りの空も。

『いつ見てもいい仕事してるじゃねえか。人間にはできねえわざだ』

「ありがとうございます」

唇と目元を僅かに動かしただけの微笑み。

これもプログラムどおりの仕草だ。

「どうぞこちらに。お飲み物はいかがですか?」

「コーヒーを頼む」

アレを飲まなければ仕事にならない。

『オレはアルコールでいいよな?』

人工の目玉を細めて蘇芳に視線を投げかける相棒。

「好きにしろ」

昼間から酒を搔っ食らう神経、もとい思考回路の持ち主だ。

本当リアルで酔っ払う心配がないからいいものを。

「用意ができるまであちらの部屋でお待ちください。その間に資料に目を通していただければ」

案内された部屋は会議室に相応しい内装だ。

ブラインドの隙間がプログラムで模倣された空と相まって、白と青のストライプを作る。

観葉植物以外の調度品といえば壁掛け時計のみ。

あとは、壁を元にした保護色で覆われたように白いテーブルと椅子だ。

席に着くと、蘇芳は卓上に置かれたタブレットに目を通す。

液晶ディスプレイに映し出される画像は形や大きさの不揃いな長方形複数。

幅の異なる線に沿って並んでいる。

(今日はか)

長方形は建造物。

線は道だ。

ある地域エリア俯瞰図マップである。

その中で、赤丸が点滅する一点をピンチアウト。

拡大された対象は建造物が集中するタウンから離れた地点にある。

画像をリアルモニターに切り替える。

目に映るのは、蔦が絡まる格納庫。

青図ブループリントは地下二階にまで続いている。

そこに散らばり蠢く影。

紫色の点は一つ二つばかりではない。

「惑星キティラ。メルージュ星系に四百年前建造された人工惑星コロニーです」

お盆を手にアスハが戻ってきた。

湯気の立ちのぼるカップとソーサー。

氷が回るグラス。

それぞれ受け取った二人は口に、内蔵されたストローにつける。

蘇芳は三分の二ほど残しておくが、相方は一気に飲み干したうえで深い溜め息を吐き出した。

「カーッ…助かったぜ。生き返る」

「喜んでいただけて光栄です」

「では、本題に入るか」

頷くと、アスハもまた着席して自身のタブレットを操作する。

人肌の質感を宿しながらも精巧に作られた指が動くたび、三人の目の前に空間モニターが浮かび上がった。




内容は以前と同じだが、期間が空いたため再度復習することになった。

「私共の弊社、Artificial《人工》 Intelligence《知能》 Agency《代行社》の経営理念は星間ネットワークの管理委託です。これは全宇宙の知的生命体が互いにコンタクトを取り合うための情報ネットワークです」

蘇芳は頷く。

星間ネットワーク。

地球の言葉を借りる、宇宙規模のインターネットである。

その構築、管理、運営は、実質的な宇宙政府である星間治安維持機構に承認されたIT企業に任されてきた。

「しかし、近年地球圏への居住者が増えたこともあり、こちらから宇宙へと無線ネットワークを利用する一般ユーザーやサービスを提供する企業が増加しました。したがって、私共のような人工知能はネットワークの円滑な利用ないし運用をサポートするべく弊社を設立、星間機構の企業と業務提携を結び、日常におけるサービスの管理を担当して参りました」

その主な内容は、通信販売やマスメディア、オンラインゲームなどのサイトやサーバーで発生したバグの修正、ウィルスからの保護や除去などである。

「しかし先日、弊社と提携しているオンラインゲームの運営会社から報告がありました」

空間モニターに映し出された光景。

ここに来る前、蘇芳が見たばかりの紺碧の宙と星屑の海、『スフィア・ソフィア』のタイトルロゴだ。

「いつから湧いてきた?」

「初めは三ヶ月前。即ワクチンで消去しました。しかし月毎に同じ場所に現れ、先月下旬を境に倍増を」

『運営側からの回答は?』

蘇芳のカップから琥珀色の飲み物を失敬したらしく、ストローでグラスの氷ごと掻き回し始めた。

「『カタナ・インダストリ』曰く、地球圏のネットワークで起きた現象だ。機構の通信情報管理課に問い合わせることを薦める、と」

『たらい回しか。ま、連中も他に問題抱えてるからなあ』

「この建造物の構造には見覚えがある。ドロイドの生産工場か」

空間の間取りの屋外の面積から蘇芳は把握できた。

「補足すると、今あなたがご覧頂いている画像はサーバー02です。実際の惑星キティラには何の影響もありません」

「今のところはな」

蘇芳の表情は固い。

「いずれ現実世界リアルにもだろう。『スフィア・ソフィア』はただのオンラインゲームではない。デジタルで構成された擬似世界は現実の宇宙とリンクしているからな」

ええと応える識別コード『アスハ』。

形作る女性の顔は無機質だ。

しかしその声にも楽観さがない。

「惑星間転移装置という側面がある以上、生身でダイブするプレイヤーと接触する恐れがあります。そうなる前に除去を依頼します」

依頼。

これが蘇芳の仕事である。

地球圏に関わる異星人やドロイド、AIの生活や経済活動などにおけるトラブルの相談と分析、そして問題解決対。

これまでの経験で培った専門的知識と技術を用いて対処するのだ。

特に最近はもっぱら、星間ネットワークに関わる技術的問題が多い。

それも、物理的手段を使わなければ対処できないケースが。

「直ちに現地へダイブする。そのためにも」

その先をアスハは継いだ。

「ゲートはこちらが用意します。痕跡は一切残しませんし、守秘義務は厳守します」

「無論、こちらも黙秘する。駆除する数と規模から考慮して、報酬は前回の倍かける倍、さらに倍だ。金融機関は利用しない」

頷くと、アスハはオフィスに通じる部屋とは別のドアを示した。

ドアノブに備わったキーでパスワードらしき文字を入力すると、隙間から幾重もの光輪が回る。

「ここからお入りください。到着後、またご連絡を」

『んじゃ、一仕事しますか』

カクテルを飲んだ後とは思えないシラフの声が手招きする。

肩をすくめて蘇芳は立ち上がり、電脳空間に通じる扉に手をかけた。

「工場跡地は今となってはダンジョンだ。周辺の凶暴な土着生物と遭遇しなくて済むか?」

「ご心配には及びません。ゲートは出入り口に直通しています」

問題ない。

屋外の異形に遭遇したところで蘇芳は別に困らない。

だが、その分問題の因子を駆除するのに辿り着く時間が遅くなる。

非効率なプロセスは省略するに限る。

「行ってくる」

「ご健闘を」

恭しく頭を下げるアスハに頷いてみせ、蘇芳は偽りの異星に至る扉を開け放った。

再び電子の海に飛び込むべく。





『うひょお〜、まるで大魔境だぜ』

羽音めいて耳元で唸るプロペラ。

しかし羽虫の代わりに頭上を囀るのは極彩色の野鳥だ。

緑の垂れ幕を飾るような羽の集まりは、木々の隙間から溢れる空へと向かった。

しかし密林は果てしなく広がっているわけではなかった。

目前に聳え立つ、石造りの建造物に遮られているがため。

『古代先住民の遺跡をカモフラージュに設置した生産工場、ってか』

奥に眠るはドロイドをはじめとする過去の技術発明。

さらに最深部にはより原始的な遺物、ということになる。

いずれにしても興味深いが、

「所詮は作り物だ」

だが、待ち受けるモノどもは別だ。

ゲームのユーザーでもあるまいし、ネットワークに侵入し、バグめいて侵食する異形の存在。

古き異形だ。

蘇芳の右手を黒い煤が散った。

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