side: BLACK 6話 母を探して

鍛冶屋町探偵事務所。

その名のとおり、かつて鍛治職人が住んでいたことに由来する。

四百年近く昔、この国の首都が江戸と呼ばれていた頃のことだ。

後に勃発した地球史上二度目の戦争により灰塵に帰してからは、戦後復興のための区画整理により生まれ変わり、今や商業地区の一つである。

『まさにお前さんにピッタリのセカンドホームじゃねえか、蘇芳』

額縁のように壁に備わったテレビモニター。

そこから流れる声の主はウル。

『ああ、分かってる。詳しい自己紹介はお前さんに任せる。オレは自分のことしか喋らねえから。自立思考型人工知能。通称、ウル。以上』

どうだ、と感想を求めるウルには答えず、蘇芳は冷蔵庫から水出しした緑茶の瓶を取り出す。

それを氷と共に冷凍庫で冷やしておいたグラスに注ぎ、また冷蔵庫に入れておく。

その間に食器棚からコースターとお盆も出しておいた。

「まだ不十分だ。これ以上涼しくならないのか」

五月の大型連休を境に、最高気温は三十一度に記録更新した。

数日前に洪水のごとく降り注いだ土砂降り雨。

あれこそが、一足先に訪れ去っていった梅雨ではないか。

すでに夏が直前まで迫ってきたかと思わざるを得ない。

『しかたねえだろ。いくら最新式のエアコンでも築三十年の年季には勝てねえんだよ』

「一度空調設備を解体するか」

『それは絶対やめろ。器物破損でぶち込まれるから』

不満そうに溜め息を吐くと、蘇芳は所長専用のデスクに手をついてリクライニング式の回転チェアに身を預けた。

黒いベストの下に着たシャツの袖を膝までまくし上げた。

ネクタイを緩めたくなるが、直に客が来るのでやめておく。

『アレでも客は客、ってか。ま、約束は約束だしよ。けどな、なんでも喋ればいいってもんじゃねえぞ』

本番前の役者とリハーサルするかのようにウルは打ち合わせを切り出した。

『名前と職業以外で話していい内容は二つ。一つ、依頼された仕事の結果。二つ、報酬の交渉。くれぐれもどこから来ただの、前は何をやってただの、絶対バラすなよ。それが条件でここに招待…』

軽く二、三度。

転がる鈴の音色に騒々しい声がピタリと止んだ。

代わりに液晶ディスプレイに映る見慣れた顔。

小さな顔に浮かぶ黒目がちな丸い目。

紅を差したように大きな唇が遠慮がちに開かれる。

『こんにちは、御堂亜理紗です』

間違いない。

昨日に比べると、肩や首回りがすっきりした印象を受けるが、紛れもない本人である。

(本当に来るとはな)

それなりの覚悟があると蘇芳は見た。

「開けておいた。入ってきてくれ」

ウルに命じてオートロックのドアを開錠させた。

出入り口の隙間から侵入する、湿り気を含んだ強い日差し。

だが、現れた少女は爽やかな風を引き連れてきたかのように涼しげだ。

「どうも」

軽く頭を下げると、首の後ろで結んだ髪がキャミソールワンピースの背中で揺れる。

裾から覗くストラップサンダルは、やはり夏がすぐそこまで近づいてきていることを感じさせた。

『マセた格好してやがるな。ホントに小学生か?』

来客を迎え、ようやくモニターに帰ってこれたウルが正直な感想を述べる。

「失礼ね。女性の歳を詮索しないでくれる?」

『小学生は年齢じゃねえだろ』

モニターに視線を送ると、蘇芳は机から離れた。

「今お茶を持っていく。そこにかけて待ってくれ」

一瞬だけ少女は躊躇するそぶりを見せる。

「どうした?」

「え…う、うん」

しかし蘇芳は思い当たった。

ちょうどこの場所で偽の探偵に母親のことを依頼したのだ。

場所を変えるべきだったかという考えがよぎるが、

「その前に私の携帯返してもらえませんか?」

そうだった。

書架の充電器から外して手渡すと、礼を言いながら亜理紗は画面に目を走らせた。

メールのチェックでもしているのだろうか。

その間にグラスにお茶を注いでテーブルに運ぶ。

「ここに来るまでメッセージ入ってこなかった?」

「ああ」

「そっか」

画面をオフにすると華奢な膝の上に伏せてしまった。

おおかた、母親からの連絡を確認していたのだろう。

「それより、何か分かった?」

こうなったら頼みの綱は蘇芳だけか。

身を乗り出しかねない勢いに乗じて、黒目がちな瞳が真っ直ぐ覗き込む。

後ろで一つに結んだせいか、黒髪は切り揃えられたように短く見える。

「どうかしたの?」

「…今の時点で分かっていることだけ伝える」

昨夜の出来事の顛末。

そこから得た情報だけ。

表情がどう変わるか想像がついた。

実際、現実となった。

開け放たれた口は、宝探しの末に肩透かしだった地面の穴を彷彿とさせた。

見開かれた目に映る感情は口から紡ぎ出された。

「ってことは…なに? あいつ犯人じゃなかったの?」

「嘘は言っているように見えなかった。そもそも」

咳払いが壁から割って入った。

『相手に合わせて喋れよ』

なるべく刺激の強い言い方は避けろということだ。

忠告に従い、蘇芳は言葉を選んだ。

「…警察の調べでは、犯人は刃物を用いたとされている。だが、昨夜の奴は凶器らしき物をいっさい使わなかった。別人と見て間違いない」

説得力があったらしい。

亜理紗は素直に聞き入れた。

だが、最期にスラグ星の食人鬼が言い残した言葉を伝えると声のトーンが一気に上昇した。

「通り魔を追え? やっぱり、お母さんは事件と関係が」

蘇芳は片手の平を前に差し出した。

制止の意味に気づいたのか、亜理紗は渋々ながら口を閉じた。

「あの言い方だけでは判別しにくい。言葉どおりなら、その連続殺人犯が鍵を握っているだろう」

「お母さんは」

また食人鬼がすぐそばまで迫ってきた時のように。

我慢するように堪えながら、一瞬だけ詰まった言葉の先を続ける。

「お母さんも、通り魔に殺されたってこと?」

『それはあり得ねえな』

ウルの言葉に続けてモニターに図が浮かぶ。

『血生臭い内容になるが…死亡推定時刻って知ってるか?」

「実際に亡くなった日にちとか時間でしょ」

物知りでなにより、と満足そうな声が返ってくる。

『一件目は四月二十六日だと一般的に言われている。だが、検死の結果で実際は四月二十四日に亡くなったことが分かった。つまりそれが最初に事件が起こった日だ」

個人情報の都合で顔写真と名前は伏せられるが、亡くなった日が赤字、見つかった日が黒字に書かれる。

「二件目が四月二十七日死亡、三十日に発見。その次が』

三件目が五月一日死亡、三日発見。

四件目が五月四日死亡、七日発見。

そして、

『最後は五月八日死亡、ニュースを見たなら知ってると思うが、見つかったのは』

「五月十日。昨日だね」

朝の食卓に流れるアナウンサーの声を思い出す。

興奮した語気とは裏腹に、廃工場のシャッターは洞窟のように暗く静かに開いていた。

吸い込まれそうなほど大きく開いた暗闇は食人鬼の廃屋を彷彿とさせた。

だが、アレは通り魔ではなかった。

『お前のお袋さんが留守にしたはいつだ?』

「五月八日。覚えてるよ。前の晩に四件目のニュースを見たから」

『それが証拠だ。お袋さんは被害者のうちに入ってねえよ』



今度こそ。

亜理紗の腰は椅子から離れた。

「なんで…どうしてそんな」

「法則だ」

沈黙が破られ、亜理紗は緑茶をすする若い男に振り向いた。

「犯人の手口には法則がある。奴は遺体が公に発見された日の翌日に新たな殺人を犯す。言い換えると、発見されるまでの間、あるいは発見された日には次の殺人に踏み切らない」

サイレンカーのごとくポインタは三つの日付を交互に照らした。

四件目の夜。

亜理紗は誕生日の約束をした。

五件目が起きた日の朝。

母は家を留守にし、連絡は途絶えた。

そして昨日。

新たな被害者が見つかる。

「それなら」

どこか乞うような目。

少しでも希望的観測が見えてきた依頼人は誰しも同じ目を蘇芳に向ける。

絶対、などと言い切れなくとも。

「まだ母親の所在は分からない。だが殺されてはいないだろう」

ストンという音がしないほど、軽い体が椅子に落ちた。

「あくまで推測だ。日付を追って出しただけの考察に過ぎない」

「分かってる」

蘇芳はグラスを促した。

汗をかいてびしょ濡れだが、水滴が落ちることも構わず、亜理紗は口元へと運んだ。

まだ半分残っているが、飲み干した後の顔にはトラックを走り切った後のように安堵が広がり始めている。

「ありがとうございます。ここまで調べてくれて」

『礼を言うにはまだ早いぜ』

緑茶など飲めないせいか、AIは現実を思い出させた。

『被害者じゃないってんなら、謎は残るぜ。お袋さんと通り魔。いったいどう関係あるのかって話だ』

関係、と言われて亜理紗は眉根にしわを寄せた。

「ゆうべの…宇宙人。異星人、だっけ? あんなの見せられたら信じるしかないけど」

異星人でなければ、擬態装置ホログラフィーなしで擬態可能なカリビアン星系民が何に見えるのか。

だが亜理紗の順応性が高いのか、最近の小学生が何事にも動じにくいのか。

蘇芳の言葉と自分の目で見た事実を照らし合わせ、亜理紗は常識を質屋に預けることにしたようだ。

「あの異星人、通り魔を追うように言ったんだよね?」

「ああ」

「なんでそんなこと言ったのかな? 通り魔が教えてくれるってこと?」

「分からん。言葉どおり、本人に直接聞かない限りはな。アレだけではヒントにならない」

だが、カリビアンの食人鬼が遺した言葉はそれだけではなかった。

蘇芳はウルともども口を閉ざした。

食人異星人の遺したヒント。

(黒イ機神)

(オ前ト同ジ)

御堂亜理紗にはすでに告げた。

目の前の探偵が常人ではないこと。

異星人が存在すること。

それ以外は何も知らない。

夏目蘇芳がどこから来たのか。

なぜ探偵事務所を営むのか。

教える必要はない。

ゆえに蘇芳は切り上げることにした。

「ウルのデータが正しければ、今夜あたりに新たな殺人が起こるだろう。その前に俺は手がかりを探す。君はもう家に帰れ」

「探すって、その…通り魔を?」

「さあな」

立ち上がると、蘇芳はドアを指し示した。

もうお開きだという意味を込めて。

「暗くなる前にやることは他にもある。この後別の依頼人と落ち合う約束をしている」

「ちゃんと仕事してるんだ」

意外そうな顔をされている。

蘇芳は訝しそうに見下ろした。

「俺が暇そうに見えるか?」

「だって部屋がキレイすぎるから。忙しい人って机の上がすごいことになってるのに」

『こいつが単に綺麗好きなだけだ』

呆れた声がモニターから割り込んできた。

『仕事に取り掛かる前の準備運動みてえなもんだ。前は従業員にやらせてたんだが二人とも転職しちまって、その前はこいつの』

「グラスにまだ茶が残っている」

促されて亜理紗は残り半分を飲み干した。

「ごちそうさま。従業員いないなら、私やってあげてもいいよ。掃除とお茶くみくらいならできるし、ハッキングだって」

「子どもを雇うつもりはない」

亜理紗の提案に対する拒絶にはコンマ一秒もかからなかった。

『あと、ハッキングならお前以上に上手くやれるヤツがいる。ここにな』

昨夜履歴を消し忘れたことをちらつかせるのか。

追撃を繰り出す探偵の相棒を亜理紗は横目で睨んだ。

「また何か分かれば報告する。明るいうちに帰れ。いいな」

語気は荒くなかった。

だが、有無を言わせぬ気迫を感じさせたのか。

渋々と亜理紗は重そうに腰を上げた。

「きっとだからね」

ああと頷くと、亜理紗が鈴を鳴らしながらドアを開け、螺旋階段を降りた末アーケードの曲がり角へ消えるまで見送ろうとする。

それを見透かしたのか、亜理紗はわずかに眉根を寄せた。

「一人で帰れますから」

子ども扱いするなと遠回しな言い方を真っ直ぐな視線に乗せて訴えてくる。

分からないまでもない。

二人は出会って半日も経っていない。

蘇芳が亜理紗の立場なら、保護者や教師でもない相手から余計なお節介を焼かれるなど鬱陶しいことこの上ない。

だが、蘇芳は探偵であり異星人である以前に、大人であり社会人だ。

夜中に繁華街を小学生が彷徨うろついていたという事実をよく思わない。

依頼人でなければ、昼間もアルコールとニコチンの臭いが漂う繁華街に年端も行かない少女を招きはしない。

ゆえに誓う。

『今後頻繁にあいつを呼び出すなよ。よほど大きな新情報がない限りはな。分かってるだろ?』

ドアにロックが掛かる音が鳴ってから、待ち構えていたウルが釘を刺す。

『そうでなくてもは外部と必要以上にコンタクトが取れないんだからな』

頷くと、探偵は机のデスクトップを前にずらした。

その下に浮かび上がるいくつものアイコン。

そのうちの一つを指で弾くと、卓上が黒ずんでいった。

現れたのは紺碧の中に浮かぶ光の粒。

星より遥か頭上に続く宙の光景だ。

『約束の時間だろ。とっとと行け』

「ああ」

螺旋階段に続く玄関はロック済み。

それ以外、外界が目に映る全ての出入り口という出入り口を施錠、カーテンすら閉めた。

そしてにつく。

デスクトップが座する机に。

傍にはキーボード。

そしてゴーグル型ウェアラブル端末、通称『FMD《フェイス・マウント・ディスプレイ》』。

それを頭に装着し、サイドボタンに手をかける。

ノイズすら掻き消されるほど広い暗闇がぼんやりと青みを浴びる。

微細な煌めきが増えながら塊を見せていき、その光景は卓上に映し出されたそれと瓜二つになった。

それも一度だけ。

紺碧と光の粒はぼやけ、白い枠が浮き彫りになり、細長いバーが点滅する。

白枠の上にはアルファベットの文字が連なる。



『スフィア・ソフィア』



二つの枠、ないし項目に文字と数字が打ち込まれては黒丸に塗りつぶされていく。

項目とロゴが消えるとほぼ同時だ。

夏目蘇芳の姿は探偵事務所から忽然と消えた。








「…遅い」

腕時計の文字盤と螺旋階段の頂を交互に睨みながら、呟く。

「もう十分経つのに」

いまだ探偵事務所を訪ねる姿がない。

「なんでウソついたんだろ?」

亜理紗は再びステップに足をかけた。

後来た道ならぬ階段をUターンし、再び鈴の音が鳴る出入り口に立つ。

耳をそっと当てるが、何も聞き取れない。

試しにドアノブを回すが反応なし。

「警備会社の手がかかってるか、それとも…」

タブレットはここにない。

あったとしても、IPアドレスはバレバレだ。

亜理紗は不満そうに鼻を鳴らした。

「難易度高め」

難易度、と口にした。

難しいのだ。

無理ではない。






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