side: BLACK 12話 深夜の追跡
空から赤みが消え、青白い大気が街を覆い尽くす。
ネオンに消された宵闇に、月だけが端を吊り上げて浮かぶ。
頃合いだ。
ベストにネクタイというフォーマルな飾りを脱ぎ捨てる。
フェイクレザーの上下に黒いコートを羽織った。
昼間の熱気が嘘のようだ。
『んじゃ、夜の散歩と行こうぜ』
最早、ウルの声は壁から聞こえない。
探偵事務所の一階に備えた駐車場では、大型自動二輪のエンジンが唸りを上げていたからだ。
事務所の敷地を飛び出すと、待ち構えていたかのように、車道を挟んだ街頭から極彩色の広告が眩しく出迎えた。
『婚活・合コン随時受付』
『夜の蝶と束の間の夢を』
『五越百貨店五階催事場にてイタリアンフェア開催中』
広告の合間を飛び交うドローン。
CMやニュースも紛れ込む。
『日本OS向け独自のプログラミング言語開発』
『パンデミックから十年、イギリスの世界周遊豪華客船再び日本へ入港』
『息吹戸島立ち入り禁止、集中豪雨による未曾有の土砂災害で自衛隊出動』
殺人事件のニュースはなし。
あたかも通り魔の存在は忘れ去られたかに見える。
「送ってくよ。犯人、まだ捕まってないし」
「助かる〜」
信号待ちのところ、高校生らしき学生服の男女が隣り合う。
「それに増えたろ? 警察の巡回。これじゃゆっくり出歩けないよな」
「ホント、ホント。なんかこっちまで監視されてるみたいで…」
『なら、家に帰って長電話でもしてろって話だよ』
高校生のカップルが姿なき声の主を怪訝そうに探す頃には、信号機がすでに青く発光していた。
『お前さんに頼まれたとおり、遺体の発見現場は市の中心部から北寄りだ』
フェリー乗り場に続く車道は片側一車線だが、普通車二台が並走できるほど幅が広い。
ゆえに、帰宅ラッシュなど関係なく、蘇芳はタクシーを追い抜いていった?
『でもって、遺体の腐敗が遅れていたことから保存状態は良かったことが推測される。だが、警察は街中の保冷施設を探しまくったが、どこにも見つからなかった。つまり遺体は』
「犯人が持ち歩いていた」
言葉の最後を蘇芳は紡いだ。
「輸送中、いつ誰に見つかるとも限らない。ゆえに遺棄する場所にアクセスしやすく、尚且つ冷蔵設備が必要だ」
だから候補地を炙り出せた。
それは施設ではない。
化学工場か物流システムが密集する、臨海地区。
日々、外界からモノとサービスが届く市街地。
この二つを結ぶ交通機関がその正体なのだ。
保冷、そして運搬の機能を併用した、
「冷蔵車を含む物流手段は、高速道路や航空機以外を除くと、本州に通じるフェリー乗り場とコンテナ倉庫街をよく利用する。見慣れないトラックがあったとしても、県外ナンバーがあれば誤魔化せるだろう。たとえ、コンテナに書かれていた文字が外国語だとしても、珍しがる人間は少ない」
『なるほど。トラックならあちこち動き回るから捕まらねえわけだ。遺体どころか隠し場所ごと犯人も姿を隠せる。さすが蘇芳だ』
踏切の警報機と信号機が並ぶ交差点で停車した。
青信号になった直後、遮断機が降りてきたからだ。
『あ〜あ、やんなるねえ』
日鉄が国鉄と呼ばれた時代、臨海地区のJRと山間部に切り開かれた空港を結ぶ高速道路を設置する計画があった。
平成の大不況により頓挫した結果、高架の礎だけが残ったままとなった。
弧を描くように敷かれた車道は、遮断機と赤信号と対向車線によって行手を阻まれることが多く、地域住民にとって通り辛い車道ワースト一位である。
『はい電車通過。でもって、また赤ときたもんだ』
「この時間帯だと車両と便数が多いからな」
そのうえ、脇道は金融機関や百貨店に面した通りゆえ、公共交通機関の停留所が構えている。
片側一車線を走行する普通車は、バスが停車中は忍耐を強いられるのだ。
蘇芳はそうした渋滞に巻き込まれることを把握してあった。
そこで、今回の追跡において小回りが効くバイクという手段を選んだのだ。
『見ろよ』
はたして思惑は当たったのか。
目前を掠める、大型トレーラー。
冷蔵庫を思わせる白いコンテナを積んでいた。
『ナンバープレートを検索。県内全ての運送会社の所有トラックと照会。検索結果は…該当なしだ。型番から今度はカーディーラーを所有者を当たってみるか?』
「コンテナのロゴ。中国読みか」
だが、廃棄された物なら持ち主を探すだけ無意味だ。
やはりナンバープレートから特定する方が近道だろう。
遮断機が上がったところでトレーラーのタイヤが回り始める。
蘇芳はハンドルを手前に回し、ブーツの靴底をアスファルトから離した。
なだらかなカーブを描いて右折すると、漁港が臨める県道へ。
コンビニや官公庁の明かりはいまだ健在だが、車道を滑るライトの残像は僅かである。
『このまま行くと、アノ
妙な
『聞いたことあるだろ。何百年も前に戦いがあったって。今でも落武者のカッコした霊が夜な夜な海岸を歩いてるんだとよ』
その話かと蘇芳はうんざりした様子も見せず、トレーラーのナンバープレートを観察する。
地名を表す漢字二文字と並ぶ数字。
番号は二桁。
型の古い乗用車によく用いられる。
少なくとも半世紀近く前だろう。
バイクをフロントガラスに近づければ、車両検査した日付の表記が確認できるだろう。
あるいは近隣の監視カメラをハッキングして。
『おう、任せろ』
言われずとも、ウルは取るべき行動を把握している。
地球には以心伝心という言葉がある。蘇芳とウルの間には存在しない。
前者は有効な手段を幾つも確保し、現時点で最も実行可能なパターンを選択する。
後者も同じく有効な手段を全て挙げられるが、かの者は最も正確に答えが導き出せるプロセスを厳選する。
『要するに、蘇芳は手と足、ウルは頭と指を動かすタイプってわけだ』
面白い、と二人の関係を気に入っていたのは蘇芳の腐れ縁…悪友である。
『もちろん蘇芳だって頭を使うタイプだよ。しかし敢えてそれをウルに任せて自分は前線に出るんだ。だからこそウルは本来の力を発揮できる。君達ならどんなに限定された状況下でも太刀打ちできるだろう』
限定された状況下、と悪友は言った。
今まさにこの『状況』のことを指しているのだろうか。
同胞との繋がりが絶たれた生活を。
『蘇芳、トレーラーがスピード上げやがったぞ』
追跡を感づかれたか。
ドライバーは鋭敏な感覚の持ち主ということになる。
感覚器官が異様に発達した生命体。
人体を弄ぶ行為。
遺体の遺棄と殺人の実行までにスパンを設け、あたかも神の定めた法則であるかのように繰り返す。
神。
彼らを産み落とした異形の祖である。
(遺体の発見場所に意味はない。必要な要素は時間のみだ)
死亡推定時刻は一人ひとり異なる。
犯人が姿を現す時間帯が毎日変わるからだ。
蘇芳はそれぞれの時間帯に世界で何が起きていたか、手当たり次第調べた。
結果、導き出された。
『今日は22時25分だとよ。この時間帯に潮干狩りに行く奴は不幸だねえ』
潮。
すなわち、海の水位が下がるタイミングが命取りだったのだ。
いずれも沿岸に近い工場や市街地で殺され、発見されている。
犯人が姿を現しやすく、すぐ逃げられる場所と時間帯。
被害者はいずれも彼らの活動領域に入り込んでしまったのだ。
『亜理紗のお袋さん、プログラマーやってたのは電力会社の研究機関だとよ。海とその周辺の地層からデータを集めて分析にかけるのが役目だったらしいぜ。それが今になってなんで呼び戻されたかは謎だが…連中と接触したかもしれねえな』
接触。
だとしたら、それが原因で帰れなくなった可能性がある。
生死は不明だが、行方の手がかりならある。
今トレーラーを駆る存在がそれを握っているのだ。
拘束して吐かせる。
少なくとも、まだ生かしておく。
歩行者信号が明滅する。
谷島に続く橋に至るまで、交差点が三レーンに分かれる。
このまま行けば二台とも直進。
前傾姿勢でアクセルを踏み込み、蘇芳はバイクをコンテナトラックの前につけようとした。
『チャンスだぜ。赤信号で足止め食らってる間、トラックの前を』
警音。
二重に交わった。
不協和音がヘルメット越しに鼓膜を揺さぶる。
『なっ…!?』
ぶつかり合うクラクション。
アスファルトを掻きむしる音。
トラックのタイヤがもがくように引き摺られていた。
ドライバーの強引な操作が、無理矢理トラックを車線変更させたのだ。
『うわあ、やりやがったよ…』
赤に変わる直前、対向車線の普通車が交差点を渡り切った後だというのに。
その結果は目に見えている。
対向車は急速にハンドルを切り、路側帯へと乗り上げた。
蘇芳が目を細めると、普通車の運転手は顔を抑えて俯いているのが見えた。
そんな一部始終があったにもかかわらず、トラックは躊躇なく交差点を通過し、港湾にかかる橋を滑っていく。
だが、それは蘇芳も同じだった。
速度を落とさず、敢えてトラックに並走したまま横断していた。
運転手が誰であろうと、常人が定めた法に則って真っ当な運転をするとは考えていなかったからだ。
しかも、深夜の港湾一帯はほぼ歩行者天国に近い。
堂々と車線や信号を無視できるのだ。
トラックにバイクをピッタリ張り付けたまま、蘇芳は右手をハンドルから離した。
黒い煤とノイズを散らし、袖口から伸びる細い線状は…鉄線である。
先端をトラックのサイドミラー目掛けて投じ、固定されたことを確認すると、蘇芳の体はバイクから離れた。
跳躍した先はトレーラーの屋根。
着地すると鋼鉄のワイヤーを巻き取り、ワイヤーは尖った鋭利な刃の輪郭を象る。
そのまま形成された刃を突き立て、屋根の亀裂から蘇芳の体はトレーラー内へと侵入する。
本来なら所狭しと積荷がひしめき合うはずが、隙間風が吹くかのように閑散としている。
しかし何も運んでいないわけではなかった。
四肢があらゆる方向にねじ曲がった人の輪郭。
打ち捨てられたかのように横たわっていた。
『ビンゴだぜ。A.I.Aの情報網に感謝だな』
遺体発見現場はいずれも市街地。
そんな街中で船舶貨物を扱うような大型トレーラーが走るのは珍しい。
倉庫街と市の中心部ん繋げる国道に網を張り、蘇芳はトラックの車種とナンバーを特定した。
遺体は警察に引き渡せばいい。
彼がやるべきは、
『おい、トラックの速度が増したぞ』
それだけではない。
蘇芳は屋根を踏み鳴らす足音の方へ、視線の行き場を変えた。
ほどなくして、彼が作った亀裂を更に広げて侵入者が落下した。
正確に、トラックの運転手である。
本来の持ち主かどうかは別だが。
『ハンドル握ってるよか、そっちの方が得意そうだぜ』
手に握られたバールと逞しい体格は、運転手というより整備士に近い。
だが彼の本職など蘇芳には興味がなかった。
少なくとも、両目から砂のように蟲が零れ落ちている人間など見たことがないからだ。
自然体のまま、蘇芳は袖口から伸びる甲剣を構える。
あっけなかった。
ごとり、とバールを握った異様な目の運転手は床に崩れ落ちた。
「まだだ」
相手は行動不能になっただけ。
運転手はとうに死んでいた。
そして、中の蟲どもこそが標的だったのだ。
連中からは聞き出すことがある。
その前に運転手を失ったトラックを止めなくては。
蘇芳は屋根の亀裂からコンテナの外へと脱出した。
窓ガラスから運転席に侵入したが、すでにハンドルがへし折られていることを認識した。
『このままじゃカーブで衝突、犯人も遺体も炎上だぜ』
「その前に停車させる」
助手席の窓から自動運転にしていた
甲剣は煤とノイズを撒き散らしながら分解され、再び鉄線が宙を舞う。
蘇芳は鉄線の先端をガードレールに幾重にも巻きつけると、今度は自身の手首に巻きつけた反対側の端でトラックのサイドミラーを絡め取った。
「
『了〜解』
バイクが離れる直前、ガードレールとトラックの双方から悲鳴が聞こえたように蘇芳は感じた。
無理もない、互いに争い難い力に引き摺られたからだ。
しかもこれで終わりではなかった。
蘇芳はもう一対の鉄線を形成し、反対側のサイドミラーとガードレールに結びつけたのだ。
蜘蛛の糸に囚われるが如く、トラックは左右の負荷に耐えきれず、次第に勢いを失速させていく。
頃合いだ。
バイクを停車させると、蘇芳は座席の蓋を開け、ガラスの筒状を取り出す。トラックに駆け寄り、新たに形成した甲剣でタイヤに穴を開けた。
四輪全てに。
『お前以外の奴がやると、悪質な悪戯だな』
走行手段を失い、エンジンが燻ったまま沈黙するトラック。
今度はコンテナの側面に穴を開け、蘇芳は二度目の侵入を果たした。
手の中には収めたガラスの円柱を運転手の頭に被せると、首めがけて刃を振り下ろす。
『うわあ…』
返り血はない。
ただ、断面図から砂のようにサラサラと細かい粒が溢れるのみ。
そしてガラスの筒には、側面を這いずる多脚の蟲ども。
すぐに栓をすると、蘇芳はバイクの座席に回収した蟲を仕舞い込んだ。
『言われたとおり、匿名で警察呼んだぜ。あと、救急車もな。巻き添え食らった不安なドライバーにはそのうち見舞いの果物でも持って行ってやれよ』
「果物は種類によってアレルギー体質に良くない」
『へいへい、お優しいこった』
異なるサイレンが共鳴し合う重なりを耳にしつつ、蘇芳のバイクは市街地を素通りした。
探偵事務所とは別の、彼の拠点…古巣でしかできないことがあるからだ。
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