side: BLACK 4話 契約と対価

亜理紗が連れてこられた先は、大手の外食チェーンとして名高い中華料理屋だった。

「晩飯は食ったか?」

同じく有名なファストフード店のハンバーガーとポテトがリュックに入っていた。

食べ損なって冷めきっているが。

ショーケースに並ぶ作り物のメニューをじいっと見つめる。

「…ラーメンと炒飯、セットならどれがいい?」




待ち時間は十分以上かかる。

その間に話を聞くことができた。

「俺は夏目蘇芳。君もすでに知っていると思うが…あの探偵事務所の所長は俺だ」

そう言って、蘇芳は名刺を出した。

「所長といっても、メンバーは俺しかいないがな」

名刺を受け取ったものの、亜理紗はチラッと見ただけでポケットに仕舞い込んだ。

あの偽探偵でさえ名刺を用意していたからだ。

だが、不審そうに見られても蘇芳は気にも留めない。

「疑うのも無理はない。お互い様だからな」

「お互い様?」

まだ注文が来ていないにもかかわらず、蘇芳はおしぼりの袋を破いて両手を拭く。

指の間どころか爪の中まで。

「こちらの拠点まで奴を追い詰めた。だがあと一歩というところ、コインパーキングで想定外の出来事が起きた」

亜理紗は膝の上に乗せた指を忙しなく動かした。

ピアノやタブレットのキーボードがそこにあるかのように。

「俺は推測した。俺の注意を引いて奴を逃す仲間がいるのではと。だからいったん退き、様子を見ることにした」

それで跡をつけてきたのだ。

しかし、亜理紗はまだ納得しない。

「見たんでしょ、空き家に入るとこ」

「ああ」

「なんですぐ中に入らなかったの?」

「君が原因だ」

愕然と亜理紗の口が固まった。

この蘇芳という男が悪人ではないことは分かった。

結果、助けてもらった。

感謝はする。

それでも、

「私が原因って…私疑われてたの?」

「『お互い様』と言っただろう」

憮然と口をつぐむしかなくなった。

「君ももう気づいたはずだ。あの鈴木と名乗った偽探偵…あれは本当に?」

「それは」

剥き出しの歯。

さらにその間の歯。

思い出した亜理紗は当然違うと答えようとした。

それより先に、蘇芳は首を

「答えはイエスだ」

「えっ?」

「もちろん、君や俺とは別の意味での人間だ。住む世界が違うどころじゃない、別の星の住人だからな」

別の星。

何を言い出すのかと思えば。

「信じないのは無理もない。地球人は想像力が豊かだ。まだ文明が追いついていないだけに。だから地球人以外の何かだと思えばいい。いずれにしろ、危険であることに変わりない」

『地球人』という言葉を黒いフードの男は口にする。

まるで亜理紗のことだと言わんばかりに。

「…変な言い方。まるで自分が…」

亜理紗は言葉を失った。

蘇芳は目を逸らさない。

「生物学上は地球人と変わらない。だが、君ほどこの星に長く住んでいないことは確かだ」

異星の人間。

目の前にいる若い男が。

亜理紗を喰らおうとした存在も。

亜理紗とは似て非なる人間。

「それ本当に…」

突然蘇芳は親指を後ろに向けた。

店員が食事を運んできたのだ。

「昼がうどんだったからな…さすがに晩も麺類だと気が引ける」

そうぼやくように呟くと、蘇芳は器用に蓮華ですくって口に運ぶ。

「腹がすいたろう」

促されて亜理紗も口に運んだ。

卵がからんだ米は熱と相まって程よくしっとりした舌触り、それでいて一粒一粒が独立したようにパラパラと口の中で流れる。

「…おいしい」

頰の筋肉が緩み、目元が緩む。

手足の指先に熱が戻っていくようだ。

「美味そうに食うな」

蓮華の手が止まり、蘇芳と目が合う。

顔に笑みはなく、口調は抑揚に欠ける。

しかし初めて会った時からずっと見せなかった表情がある。

つい覗き込みそうになるが、亜理紗はまた目を逸らして箸に持ち替える。

「散々ボロ家の中を走らされたの。その前は暗い夜道で…ここに来るまで雨にも降られた」

「それは災難だったな」

災難どころではない。

唐揚げに近づけた箸が止まった。

「私…どうしても探偵事務所に依頼したかったの。だから夜になるのを待った。警察に補まるかもしれない、おじいちゃんとおばあちゃんにバレてもう探せなくなるかもしれない、通り魔に見つかるかもしれない…だけど」

母を探したかった。

見つけたかった。

会いたかった。

一緒に帰りたかった。

叶えてくれるはずだった。

(…でも)

亜理紗は蘇芳を見つめ返した。

彼こそが本物の探偵だ。

探偵事務所の真の主だ。

それなら、

「…お願」

「断る」

「まだ何も言ってないけど」

「言わなくても察しはつく」

烏龍茶をすすると、蘇芳は指を順に立てていく。

「開業前からルールは決めてある。

一、『子どもの依頼は受けない』。

内容の如何にかかわらずな。俺は依頼を達成するためできることなら何でもする。その中には多少血が流れることもする」

血、と聞いて脳裏に濡れた剥き出しの歯が蘇る。

「二、『金のない奴から依頼は引き受けない』。世の中に無償の仕事など成立しない。見合った対価が払えない人間は何かしらの代償を支払わされる」

「お金以外で?」

「労働の対価というのももちろんある。それも需要があればの話だ」

もっともな話だ。

亜理紗は母親からプログラミングとハッキングを教わった。

これなら食べていけるかなと夢心地で相談したが、世の中そう甘くないと告げられた。

『ちゃんと学校を出た人達は、それなりの力がありますっていう証明を持っているの。それができて初めて雇う人達はこの人に来てもらえないか考えるそうよ』

つまり、学校でプログラミングをマスターしたという太鼓判が押されない限り、利益を得られないアマチュア扱いされるのだ。

渋々ながら納得する一方、亜理紗の中で安堵が生まれた。

夏目蘇芳という人間に対する、ある種の信頼感も。

(さっきのニセモノと全然ちがう。この人、本物プロなんだ)

多少、手厳しい物言いはするが。

「三、『依頼人の秘密を守る』。俺が君から引き受けられない理由はこれが大きい」

「それって、個人情報のこと? 私、あなたに自分のこと話してないけど」

ああそうだな、と最後に取っておいたミニトマトを指で摘んで口に放る。

道端になっている木の実を見つけたような仕草だ。

落ち着いた雰囲気とは裏腹にどこか野生味が感じられた。

「精算機をハッキングしたはいい。だが、その直後にアクセス履歴を消さなかったろう」

あ、と開いた口。

それ以上に声も言葉もない。

「履歴はこちらで消させてもらった。本来なら、依頼人の個人情報を本人の許可なしに見てはならないはずなんだがな」

『気にすることねえよ』

まただ。

亜理紗はリュックからタブレットを掴み出した。

まだいる。

昭和臭の漂う、レトロなキューブ状生命体。

ウル、とテキストデータが名前を教えてくれる。

『慌てて履歴を消し忘れるなんざ、三流ハッカーもいいとこだぜ。本人の自己責任ってヤツだよ、自己責任』

「ちょっと! さっきから失礼じゃないの?!」

ついに亜理紗は言い返した。

今にも画面の中に入らんとするのか、本体を両手で掴み、身を乗り出す。

「しかたないでしょ! てっきり通り魔だと思ったんだから! 捕まったらどうしようって必死だったの! 逃げたり隠れたりするので頭がいっぱいだったんだから!」

『ほ〜ら見たことか。やっぱ三流ハッカーだぜ。なあ、蘇芳。こんな素人ガキの依頼なんざほっとけ。見たとこ金目の物はなさそうだしよ』

「ほっといてよ! っていうか、さっさと私のタブレットから出て行って! 画面が汚れてるみたいでしょ!」

蘇芳は衝立の外に目をやる。

いずれも酒で赤ら顔かスマホで自分の世界に浸かる客ばかりだ。

「二人とも静かにしろ。それよりも」

憤慨する亜理紗をよそに、蘇芳はさらっととんでもないことを伝えた。

「君の…」

「御堂亜理紗」

ぽいっと無造作に物を投げて寄越すように名乗った。

「亜理紗、君のスマホのことだが」

「呼び捨て? 別にいいけど…スマホがどうかした?」

「あの偽探偵に番号を教えたろう。今頃逆探知されているぞ」




すとん、と口論で乗り出していた体が椅子の上に降りた。

「…そうだった」

「おそらく電話番号を交換した時だ。あの男は君がそばを離れる時に備えた。前もって番号を特定し、GPSで君の場所をトレースできるようにした」

またやってしまった。

スマホに手を伸ばそうとしたが、やめてしまう。

電源を切ろうが関係ない。

「そのタブレット、ウルの見立てだと携帯端末と連動しているらしいな。捕まるのは時間の問題だ」

「…あなたは」

あと少し、というところで唐揚げを挟んだ手は下ろされた。

「なんであの怪物を追ってるの?」

「殺すためだ」

即答。

躊躇のない返事だった。

「アレは動く有機体であれば種を選ばずに喰らう。これまでは蛙や鼠などの小動物だけで満足していたが…人間に標的を変えることにした。本来の主要な蛋白源だからな」

「タンパク…まさか」

連れて行かれた先は空き家だった。

しかも何かの飛沫が飛び散った部屋。

思い当たる節は一つだけ。

「通り魔事件と関係あるの?」

「さあな」

ようやく唐揚げを頬張ると、湯気の立つ烏龍茶の湯呑みに口をつけた。

亜理紗はもう箸を手にしていなかった。

しかし目に力が宿っていた。

「お願いです。やっぱり依頼を受けてください」

「だから断ると…」

「おとりになります」

「…なに?」

膝を両手に乗せて背筋を真っ直ぐに張った。

すっとした姿勢は店に入ってきた頃とはうって変わった。

「あの化け物、私をねらってるんでしょ。だったら、私行く。そしたら、あいつ私を食べようとする。そのすきにやっつけて。そしたら、私の仕事引き受けてください」

突然の申し出。

それも死と隣り合わせの行為だ。

今度は蘇芳が身を乗り出す。

男にしては白い肌だが、近くで見ると広い肩幅が覆いかぶさるように距離を縮める。

「自分が何を言ってるのか」

「分かってます。その代わりに、私のお母さんを見つけてください」

「まだ引き受けると…」

『いいんじゃね?』

タブレットから届く小煩い声に蘇芳の目が座った。

「さっきと言っていることが違うな」

『それは金の話だ。けど、囮なら話は別だろうが。そもそもお前、この子が帰る途中また尾行して敵をおびき寄せるつもりだったんだろ?』

なっ、と亜理紗は思わず立ち上がった。

本物の探偵は目を逸らすように閉じた。

『いいじゃねえか、お互い晴れて目的達成っつうことで。安心しな、嬢ちゃん。こいつは多少口も目つきもガラも悪いが、頭と腕と度胸はある。しかも経験豊富だ。大船に乗って任せろよ』

さりげなくディスるウルの援護射撃を受けて、亜理紗は先手を切って頭を下げた。

「ありがとうございます」

「まだ何も」

「何をしたらいいか教えてください。言われたとおりにしますから」

反論する暇は与えられなかった。

部活帰りらしいジャージ姿の一団が席を占領し始めたからだ。

「…まだ食べかけだ」




会計を済ませて店を出る。

入った当初に比べると人通りは少なくなっていた。

中には暖簾を片付け、照明を落とす店さえある。

亜理紗は何度も通りの向こうや曲がり角に視線を走らせ、キョロキョロと顔を四方に動かした。

「本当にいいんだな?」

ため息混じりの声から「今ならやめてもいいんだぞ」という響きが伝わってきた。

亜理紗は俯いたまま頷く。

目は怯えていたが、引き下がるつもりはない。

「やります。それでお母さんを探してくれるなら」

「探しはする。だが、見つかる保証はないぞ」

蘇芳が何を言いたいか分かる。

母も通り魔の餌食になっているかもしれない。

そんな考えが頭をよぎり、またうつむいてしまう。

「それよりも先に自分の心配をしろ。これから人喰い異星人とまた顔を合わせるからな」

「う…ん」

声は条件反射でますます落ち込んでいき、灯りが消えていくせいか足元がより暗い。

「…だが、一つだけ言い切れる」

頭上から降り注ぐ声のトーンは変わらない。

ただし、言葉は力強く、断定的。

「君を死なせない」

横に並んだ探偵は腰をかがめた。

目も髪も亜理紗と同じく黒い。

亜理紗ほどではないが、肌は白い。

そして瞳の色が心なしか、赤い。

「俺は確実に奴を殺す。君に手出しはさせない」

そう言って、蘇芳は自身のスマホを差し出した。

そこに表情された画像が亜理紗の目を捉えた。

「信用するか?」

「…協力する」

亜理紗は自分もスマホをかざし、赤外線からQRコードで番号を登録した。

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