side: BLACK 3話 廃屋に潜むモノ

鈴木が教えた空き家は線路沿いにある昔ながらの平屋だった。

屋根瓦は崩れているが、建物を囲む塀は無事。

玄関から奥へと雨風の影響でゴミが落ちているが、足の踏み場には困らなかった。

「…すごいですね」

「ああ。何年か前に住んでたお爺さんは亡くなって、その家族も自分の持ち家があるから必要としてないってさ」

ふと、亜理紗は疑問に思った。

(お母さんが言ってたけど、こういうとこって変な人が入らないように管理してるはず…)

気になったので聞いてみた。

「勝手に入っていいんですか?」

「管理会社はいるけど、セキュリティ…防犯カメラとか赤外線センサーとかそういうのはいっさいないらいしよ。なんでかな…それより、今は隠れるのが先決だ」

しかたない。

促されて亜理紗は足を踏み入れた。

一階建てだが、明かりがないため吸い込まれそうなほど天井が高く見える。ここが海なら底なしに近い深海といったところか。

玄関の土間から上はすでに散りや枯れ葉で床が見えなくなっている。

ゆえに、亜理紗は鈴木に倣って土足のまま足を踏み入れた。

「隠れるなら奥に行かないと」

忠告に従って後をついて行く。

しかし、追跡者がこっそり後をつけてくる感じがしなかった。

それどころ、

(塀を越えるまで見かけなかった。もしかして私達、とっくに逃げられたんじゃないの? それか、あっちがもう諦めたとか…)

突如鈴木が振り向いて声を上げそうになる。

曲がり角から頭を出した影法師を彷彿とさせるのだ。

「どうしたんだよ? 僕だよ、僕」

「あっ…その…すみません」

不思議そうに首をひねりながら、鈴木は手招きする。

そこは障子の枠らしき引き戸と畳のような繊維の床に囲まれ、広さからして寝室か居間と思しき空間である。

「どうやらこの和室が家屋の中心らしい。奥に行っても裏口に近いからすぐ捕まるよ。君は居間にいて。僕は裏口から回ってぐるっと一周するから」

「えっ、ここにって」

亜理紗は耳を疑った。

てっきり、鈴木は亜理紗のそばを離れずに守ってくれると思っていたのだ。

「心配ないよ。あいつが来てないか見てくるだけ。もうばったり会うようなヘマはしない。それに、警察にも知らせたし」

最後の一言がとっておきの秘密兵器とでも言わんばかりに自信たっぷりだ。

亜理紗にとっては半分ありがたくない励ましではあるが。

(結局、そうなるのよね)

しかし、どのみち亜理紗が夜出歩いたことはすでに知れ渡っているだろう。

通り魔がいないか巡回中の自衛隊員達が警察に報告しないわけがない。

(またおじいちゃんとおばあちゃんがうるさくなるよね)

携帯端末の明かりだけが頼りの空き家。

沈み込んだ表情が見えないのか、鈴木は亜理紗の思いに気づくこともなく、和室を離れて行く。

「じゃ、また後で」

警察が来ると知ってか、どこか嬉しそうな響きが耳に残った。





暗い。

そして、静かだ。

(それに、なんにもない)

亜理紗はスマホのライトを点けると、あらためて周囲を照らしながら見渡した。

空き家なのだから家財道具がごっそりないのは当然だ。

その代わりに、天井にはところどころ穴が空いており、畳に散らばる破片はその一部に違いない。

(こういう所って、ネズミとかゴキブリとか出てきそうなのに)

幸運にも、キイキイ鳴く不快音は聞こえない。

背中を這うように足元をカサカサ徘徊する多脚の輪郭すらない。

(そういえば、蜘蛛の巣にも引っかからなかったみたい)

たいてい物置のように人が寄り付かない密閉空間といえば、埃っぽいか蜘蛛の巣だらけのはずだ。

学校の体育倉庫を開けた途端、日光に触発されて蜘蛛の卵が孵った瞬間に遭遇した。

三月の大掃除がいまだ忘れられない。

(それだけじゃない。野良犬とか野良猫も入ってきそうなのに…)

それ以前に、自分達以外の人間が中にいるのでは。

入る前に躊躇したのは、そのためだ。

先に通り魔がここにいて、待ち伏せしているのではないか。

なぜかそんな想像が浮かんでしまうのだ。

(こんな怖いこと、前は考えたりしなかったのに)



通り魔事件は桜の芽吹く頃に始まった。

いずれも被害者は空き家や深夜の工場や廃病院で見つかっており、四肢は…学校の集会で話題に上がった時教頭は説明しなかったが、クラスメイトにその手の話が詳しいか興味を持つ者がいたため、耳にしてしまった。



『バラバラだったって』



いかにバラバラで、どのように放置されていたか。

翌朝亜理紗は布団の中で震えていた。布団の中が異様に寒く感じたのだ。

『大丈夫、大丈夫。明るいうちにお家に帰れば怖くありません』

抱きしめてくれた母親はそう微笑んでいた。

それでも、亜理紗は夢の光景が忘れられなかった。




誰かが亜理紗の頭を掴んでいる。

階段を引き摺られているのに、なぜか軽く感じた。

無理もない。

浮くように軽かったのは、亜理紗自身が《首から上しかなかった》》からである。








それにしても、と亜理紗はスマホから顔を上げた。

「…遅くない、かな?」

一応、携帯の番号は教えた。

だがもしかけたとして、例の通り魔がいたらどうなる。

(コール音に気付いて、今度は鈴木さんが)

あやうく押すところだったが緑の呼び出しマークから指を離した。

(見張ってるとか? ううん、それはない。ちゃんと戻って来るって言ってたし…だけど…それだ…)

帰りが遅いのは不自然だ。

亜理紗は足元を照らした。

天井の亀裂から垂直に延びた辺りを見回し、木片らしい物を見つける。

それも、なるべく大きい破片を。

(ないよりマシか)

探偵事務所に向かう数日前から、裏サイトでスタンガンや催涙スプレーを購入することもできた。

有害サイトなので防止フィルターを掻い潜る必要があるが、亜理紗ならそれは容易い。

しかし、あえてそうしなかった。

先程自衛隊員達に補導されそうになった時、手荷物を調べられて見つかる可能性があったからだ。

「少し後悔、かも」

独り言を囁き、自分の腕くらいの長さがある木片を両手で握りしめた。




障子を開けると、また畳が続いており、部屋の果ては障子で仕切られている。

もちろんその木枠にさえ和紙はないも同然、向こう側の闇が透けるようにして剥き出しだ。

(昔の日本の家ってこんな感じだよね。お母さんがお父さんと旅行した飛騨って所みたいに)

写真でしか見たことはないが、足が埋まるほど雪に覆われた大地、分厚い瓦葺きの三層建てが並んでいた。

しかしここは一階しかなく、四月の真っ只中にあっては雪もない。

しかし、夜の肌寒さは季節が舞い戻った感覚を与える。

(せめてストールくらい持って来ればよか…あ)

穴だらけの障子に手をかけた時だ。

そこにこびりついている物に亜理紗は顔をしかめた。

(なにコレ…まさか、犬とかネコの…じゃなくて、ネズミ?!)

野生動物の排泄物かと思いつくと、背筋が鳥肌に覆われていく過程を感じ取れた。

即座にスマホのライトを当て、怖いもの見たさで覗き込む。

(なんか黒っぽい…けど、臭くない…違うのかな?)

どこかペンキのようにべったりと木枠に染みついていた。

それは障子ばかりか、亜理紗が今いる足元の畳に滴らしき輪郭をもって及んでいた。

(飛び散ってるみたい。いったいなんなの?)

正体を確かめようともう少し床を覗き込んだ。




それよりも、畳の軋む音が先だった。

えっ、と飲み込んだ冷たい空気。

体の内側から悪寒が広がっていく。

(来る。何か…ううん)

誰か、だ。

一定の歩みを保ったまま、そっと近づいてくるのだ。

(鈴木さん…じゃなかったら)

答えは他に思いつかない。

平時であれば、巡回中の警官だとか、空き家の管理会社の人間とか、好奇心旺盛でこういう場所に入りたがるヤンチャ好きとか、野良犬や野良猫…といった例がいくつも挙げられる。

しかし、亜理紗は断定していた。

あれこそ、自身と探偵を追ってきた、

(殺人鬼)

身を低くしながら、匍匐ほふく前進に近い動作で隣の部屋に移動した。

そこもまた、和紙なき木枠と畳で仕切られた和室である。そして、同じく天井の破片が散らばる空間だった。

障子の破れ目から亜理紗は片目だけを近づけた。

様子を見て、もしもあの追ってきた人物なら屋外にそっと出る。

そして、鈴木に電話を。

(あれ?)

思わず肩の力が抜けた。

痩せた長身の背格好は私立探偵のそれである。

(もう…驚かさないでよ!)

亜理紗は腰を上げた。

様子を見たらすぐ帰る。

そう聞いていたのだ。

(通り魔だと思ったのに! すごい損した!)

護身用の木片から片手を離し、亜理紗は木枠を掴んで勢いよく引いた。

「鈴木さん! 今までどこ行っ…」











立ち止まったが、鈴木はすぐに振り返らなかった。

亜理紗に近寄ろうとしなかった。

それどころか声すらかけなかった。

「…あの、何か」

ゆっくりと顔がこちらを向いた時、その理由が分かった。



口はもごもごと頬の動きに合わせて波打っていた。

顎を動かしているため。

あるいは、口にした物のせいで。

「あ…」

それ以上、亜理紗の口から声が出なかった。

口に入りきれずに覗くそれは、まだ動いていた。

細長い何かに見覚えがあった。

十二支で知られているため見覚えがあるのだ。

空き家に巣食う小動物の尻尾を伝う体液で、鈴木は口の周りを汚していた。黒っぽい染みが口の形に合わせて左右に引き延ばされる。

ズルッ。

尻尾を一気に飲み込むと、ようやく濡れた口が開いた。




「どうかした?」

いつのまにか、鈴木と亜理紗との間の距離はそう遠くなかった。

亜理紗が立ち尽くしている間、鈴木は近づいていたのだ。

「ああ。もしかして…これ?」

鈴木は自身の口を指さした。








「待ちきれなくてさ」

歯は黒ずんで染みだらけだった。










背を向けた瞬間、亜理紗の肩は鈴木に掴まれていた。

温和そうな顔立ちとゆったりした歩みに似つかわしくない、万力の指。

亜理紗は声を上げた。

掴まれた痛みによるものではない。

心臓を素で鷲掴みされる感覚。

そして、頭を。

「心配しないで。ちゃんと警察は呼んだから来てくれるよ」

鈴木の声は頭上から。

そして、耳へ。











『明日ノ朝ニサ』













強い閃光が解き放たれた。

背後から苦悶の声が上がる。

手が離れ、肩を解放されても亜理紗はやめない。

夢中でシャッターを切った。

カメラ機能のフラッシュはONにしてある。

普段は使わないが、こういう暗がりでは目眩しの武器になる。

(早く)

鈴木が目を押さえている間、亜理紗は障子を押し除けるようにしてこじ開け、ひたすら走り続けた。

落ち着いていれば、コンパスのアプリを使って入り口を特定できただろう。

もたもたしていればすぐ捕まる。

強迫観念に支配された今、逃げ回る以外の余裕がなかった。

(とにかく…家から)

しかし、運悪く一番老朽化の進んだ部屋に来てしまった。

崩れかけた屋根のせいだろう。

木枠とレールが歪んでおり、強く引いても障子は開かない。

「うそでしょ?! こんな時に…!」

ミシ、と畳の軋みが大きくなる。

サア、と背後の障子戸が開く。

「言ったろう。ここは空き家だって」

ギイ、と鳴る。

畳より小さく硬い物同士が軋む。

小さく並んだ歯が軋む。

「物好きしかいないよ。ここに来るのは…通り魔、トカ?」

キシキシと歯が軋み合う。

歯茎から漏れる声は掠れている。

「大丈夫、ダイジョウブ。お母さンモ今ごロ待ッテルヨ。キミが来テクレルノヲ」

声は二重に聞こえる。

鈴木の声に沿って、キイキイと鳴く。

小さな歯と歯。

その間の歯と歯もかなり合う。

歯。歯。歯。歯、歯、歯、歯、歯歯歯歯歯歯歯歯歯ははははははははははははははハハハハハハハ「アハハハハハハハハハ「だカらキミもボくガタべてアゲル」「ソシたらおカアサんにアえル」「モうサビしくなイ」「ボクらガアわセテあげル」「ダかラ」












「「「「サあイたダきマす」」」」












顔に温かい物が飛び散った。

頰に触れると、滑りが伝わった。

「…あ」

だが、視線は触れた手よりも足元に落ちた。

そして、目が見開かれた。

見覚えのある物が転がっていたのだ。

長さ。太さ。質感。色彩。

どれをとっても一つ、否一本しかなかった。

見紛うことなく、

「あ…ア…アあ…」

腕だ。

鈴木建弘の一部だった。

「ぎ…ャあアあアあアあアあア!!」





切断面を抑えて悶絶する異形の鈴木。

しかし、亜理紗の視界はもう一人捉えていた。

頭と体の繋ぎ目がほとんどない。

すっぽり顔が覆われた輪郭は、

「…通り魔?」

片膝をつくようにしてしゃがみ込んでいた。

それはスッと上体を起こすと、片手を前に伸ばし、鈴木の首を狙う。

しかし驚愕と苦痛に声をほとばしりつつ、鈴木の足は宙へ浮かんだ。

軽い身のこなしは崩れて穴の開いた屋根の上へと到達していた。

影法師は後を追おうとするが、何かに気づいたらしく、足を止めてしまう。

「…雨、か」

嘘ではなかった。

鼻をつくコンクリートの匂いと湿った空気。

にわか雨が屋根の亀裂から空き家に侵入していた。

「…ああ、分かっている。待つしかあるまい」

それは鈴木と変わらない若い男の声だった。

くぐもったように掠れた声は誰かに言い聞かせるかのように呟き、ため息をついた。

そして、額に手をやると、衣擦れの音を立てた。

(フード?)

それが男の装束だったと分かると、亜理紗はようやく平静さを取り戻していった。

頼りにしていた探偵に欺かれ、殺されかけもした。

しかし、脅威と思っていた存在により本当の脅威は去った。

結果として、亜理紗は男をじっくり観察することができた。

「…人?」

鈴木のように、彼は紛れもなく人の姿をしていた。

そして同じく痩せた長身である。

それでいて、どこか鎧を纏っているかのように上半身には厚みがあった。

「…本当に」

虚空を睨むかのように屋根の亀裂を見上げていたが、ようやく男は亜理紗の方を向いた。

「…人、ですか?」






『そういうお前さんはどうだ?』

違う声が聞こえてきた。

心臓ごと肩が跳ね上がり、慌てて周囲を見回す。

「タブレットだ」

「え?」

「持っているだろう。開けてみろ」

どうして、と尋ねかけて悟った。

コインパーキングの精算機をハッキングした瞬間。

やはりこの男に目撃されていたのだ。

亜理紗は男の顔を見ないようにして(暗くて見えないのだが)リュックサックからタブレットを掴み出した。

画面を開くと見慣れたトップ画面に、



『ようやく会えたな、三流ハッカー』



声と共に流れるテキストデータ。

だが、それより亜理紗が愕然とした。理由の正体は、

(なにコレ?!)

妙な物が張り付いているからだ。

自分が描いたはずのポスターに他人の落書きが紛れ込んでいる感覚。

無数のキューブ状で構成されて球体めいたキャラクターが泳ぐように画面をスイスイと動き回っている。

半世紀近く前に流行った、たしか、

(レトロ…ゲーム? お父さん好きだったらしいけど…)

『蘇芳。間違いねえよ。警備会社からあの精算機に侵入したIPアドレス。このタブレットからだ。犯人はこの嬢ちゃんで決まりだ』

「は…犯人…って」

通り魔に追われていると錯覚し、助けるフリをした探偵に喰われそうになった恐怖は暫しなりを潜めた。

『それから蘇芳、言わなくても分かると思うが、こいつは』

「今は後回しだ」

蘇芳。

テキストに流れた名前。

それがこの男の正体だろう。

蘇芳はフードのついた上着を脱ぐと、亜理紗に被せた。

「雨だ。ひとまずここを出るぞ」

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