6/22 A-19


「麻倉!」



 川沿いをずっと南下していくと、全身を水に濡らした麻倉が地面に座り込んでいるのが見えた。

 周囲に人影はなく、あわてて駆け寄る。



「大丈夫?」


「なんとかな……体力的にというより、今は頭が混乱してる」


「女の子は助けられたの? さっき救急車を見たけど」


「無事って聞いた」


「誰に?」


「誰だろう……いや、多分あれはオレだな」



 麻倉は呆然としている。



「本当に大丈夫なの?」


「ああ、大丈夫だ。でも手を貸してくれ」



 俺の手を掴んで、ゆっくりと麻倉が立ち上がる。



「サトミは救急車で運ばれたみたいだ。絶対とは言わないが、これで大丈夫だと思う」


「みたいって、麻倉が助けたわけじゃないの?」


「途中まではそうだった。だけど途中で溺れた」


「え」


「で、謎の男に助けられた」


「急展開!」


「多分あれは自称父親だと思う。で、その正体はオレだ」


「ちょっと待って、よくわからない」


「まぁもう急ぐ用事もないからな。ゆっくり話しながら歩こう」



 麻倉と共に川沿いをなぞるように歩いて行く。



「謎の男が自称父で麻倉っていうのはどういう意味?」


「正確には未来の〝麻倉修〟だ。そりゃオレに似てるよな。七年前の時間で、オレに会いに来たのはそもそも未来のオレだったんだよ」


「どうして気づかなかったの?」


「自分の声って耳で聞くと別人に聞こえるだろ。それに今のオレより老けてる。声音も若干違うし、親だと名乗ればサトミも不審には思わなかった」



 なにもかもこの日のためだったんだ、と麻倉はつぶやいた。



「七年前に現れた未来のオレは、今のオレに水泳をするように言った。湖と川で、服を着たまま。それは今日ここでサトミを助けられるように訓練したかったんだよ。元々のオレは泳ぎが得意ってわけじゃなかったからな」



 実際、そのとおりだろうと川の様子を見て俺は思う。


 川で溺れていた女の子を見つけたとき、水着に着替えている暇はない。


 また少しでも川で泳ぐことに慣れていなければ、この増水した川を泳ぐことはできなかっただろう。

 流れてくるサトミちゃんをつかむことさえできなかったはずだ。



「で、そのうえでオレが岸にたどりつけないこともわかっていたから、岸辺でスタンバイしていた。で、溺れかけたオレをサトミごと引き上げたんだ。さいわい、サトミはオレにしがみついてくれてたからな」



 麻倉が濡れた自分の首元を指で示す。

 若干、赤くなっているのはそれだけ強い力で掴まれていたからだろう。



「ん? でもそこまでするんだったらさ。未来の麻倉が直接サトミちゃんを助けたらよかったんじゃないの?」


「それはオレも思った。どうせ理由はあるんだろう。未来のオレと一緒に……まぁいいや」


「なんだよ、言いかけてやめるなよ」


「十年後の楽しみにとっておけよ。そっちはなにかあったのか? さっきより、なんかいい顔してるぞ」


「あったよ。中学生の河村さんに会った」


「おぉ! って、それお前が嬉しいだけで問題は解決してないんじゃねぇの?」


「いいんだ、これで。できることは全部やった」


「そうか。オレもだ」



 俺たちはしばらく黙って歩いた。


 河川敷にあがり、商店街に戻る頃に麻倉が唐突に「あ」と声をあげた。



「そうだ。カステラって夜店で売ってると思うか?」


「ベビーカステラならあるんじゃないの」


「じゃあそれを手土産に買っていこう。渡瀬、金あるか?」


「小銭しか使えないけどね」



 夜店の近くで俺たちは財布を突き合わせて互いの小銭を数えた。

 百円玉なら問題なく使えるが、製造年月日には気をつけないといけない。


 なんとか五百円は集まったので、ベビーカステラを売っている店で中くらいの袋のものを買った。



「このカステラで、田辺のばあちゃんに家に入れてもらえるのかな」


「どうだろうな。未来のオレが『手回しはした』って言ってたが」



 おみやげを手に田辺家にまで舞い戻る。

 俺も麻倉も靴下はズタボロだった。


 また不審者だと思われてもかなわないので、インターホンを押す。


 ピンポーンと、音が響く。

 扉を開けたのは田辺のおばあちゃんだった。



「あ、あの……」


「ああ、さっきの。息子の知り合いだったんだね。知らなかったとはいえ、悪いことをしたよ」


「え?」



 息子、ということは田辺の父のことか。さっき麻倉が言っていたとおり、未来の麻倉がうまくやってくれたらしい。

 たとえば未来の田辺が自分の父のフリをしてくれた、という感じだろうか。



「いや、こちらこそ先ほどはすみません。つまらないものですが、お納めください」


「気をつかわせて悪いね、えぇっと」


「あ、大川です。こっちは吉野」



 特別偽名を使う理由もなかったが、田辺の祖母に名乗るにはこっちのほうがしっくりきた。



「両側シリンダーのドアに興味があるんだってね」


「はい。ちょっと見せてもらったらすぐ帰りますんで」



 田辺の祖母に断りを入れて、ドアノブに手をかける。


 そして扉を押し開けた。



「戻ってきたか。遅かったから心配したぞ」



 田辺が廊下にいた。


 俺も麻倉も安堵のあまり、その場にそのままへたりこんだ。

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