6/14・15 B-11


「今日は普通に晩ご飯なんだ」



 弟が焼き魚をつっつきながら言った。


 たしかにここしばらくはカレーやシチューという、いつでもあたためるだけで食べられるものを用意しているだけだった。



「嫌味言うなよ」


「嫌味じゃないよ。なんかあったのかなぁ、と思って。味噌汁ちょっと濃いし」


「ぐっ……」



 そっけない弟のくせに、中々胸にささることを言ってくれる。



「で、なんかあったの?」


「いや、大したことじゃないんだけどさ」



 実際は結構大したことなのだが、そうでもないような気もしている。


 自分のことでもそのあたりはよくわからないのだ。



「なんかさ、色々やってきたんだけど目的が消えちゃったっていうか。大してなにかできたってわけじゃないんだけどさ。オレがなにもしなくても良くなったっていうか」


「ふーん」



 興味なさそうに弘は味噌汁をすする。

 濃いと文句を言ったわりにはちゃんと食べてくれるようだ。



「ま、兄貴が納得するようにすればいいんじゃないの」


「まるで役に立たないアドバイスだな」


「仕方ないじゃん。なにしてるのか知らないし。ま、でもおれだって少しくらいは家事を手伝えるんだからなんでも一人でやることないよ」



 相変わらず食べる手を止めない、そっけない態度だったが言いたいことはわかる。



「いや、オレが納得するようにするっていうなら、やっぱりお前には極力家事をやらせん」


「はぁ? なんでだよ」


「なんでもだ」



 小学生だったころのオレは、間違いなくバカだった。


 父もまだいただろうし、母は弘が赤ん坊だったため今ほど家をあけることはなかった。


 だから、死ぬほど遊びほうけて渡瀬や田辺とバカなことをやっていた。

 それこそ、家のことなんて考えないくらい。

 今日も明日も遊びほうけることしか考えていなかった。


 できることなら、弟にもそんな風な小学生でいてほしいと思う。



「うだうだ言ってから言うのもみっともないけど、兄ちゃんは大丈夫だからあんまり気をつかうな。好きなことして、うへへーっと生きろ」


「なんだよそれ、バカじゃねぇの」


「はっはっはー」



 呆れた顔の弟が食器を台所に運んで、階段を上がっていく。


 あれだけでも当時のオレより利口だ。



「弟さんと仲がいいんですね」



 控えめにサトミが口を開く。



「私は一人っ子なので、うらやましいです」


「ほどほどに年が離れていないと大変らしいがな」



 その点、オレと弘は八つも違う。

 となると兄弟ゲンカもあまり起こらない。


 洗い物を片付けてから、オレは部屋に戻った。


 寝る前に一つ済ませなくてはいけない。



「寝ないんですか、麻倉さん」



 布団の上に正座をしたオレを不思議そうにサトミは見下ろした。



「サトミ、ちょっと座れ」


「え、はい。わかりました」



 ふわふわと浮いていたサトミがオレの前に降りてくる。

 背筋の伸びた、綺麗な正座だ。



「オレはお前にも、弘に言ったのと同じことを言いたい。なんでも受け入れればいいってもんじゃない。お前は、少し頭が良すぎる。物分かりも良すぎる」



 もっとわがままを言っていいはずだ。



「どうして悲しいときに悲しいって言わない。つらいときはつらいって言わない。そういう当たり前の感覚を押し殺してどうするんだよ」


「だって、ご迷惑になるのは……」


「そうじゃない。オレはお前より長く生きてる。迷惑なんか気にするな。それに、これは恩返しだ」


「私と麻倉さんは赤の他人です」


「お前への恩じゃない。オレがお前くらいのときに、わがまま放題言ったんだよ。そりゃもう本能で生きてたからな。獣の如き奔放さだった。だから、今度はオレが迷惑をかけられる側になるべきだ」



 オレがガキだったころ、たくさん面倒をかけた両親は、二人がまだ子どもだったころに親へ迷惑をかけていたのだろう。

 その恩返しが続いている。


 そういう風に順番で世の中はできているはずだ。


 これはさっき、弘と話していて気がついただけなんだけど。



「だから、正直に言え。お前や弘みたいな年少者が大人のフリなんかされると、バカだったころのオレが可哀想だろ」


「なんですか、それ」



 サトミは笑った。


 けれども泣いていた。


 口元で笑いながら、涙を流していた。


 本当はサトミが毎夜泣いていたことをオレは知っている。

 だけど、オレの前で泣いたのはこれが初めてだった。



「怖いです、麻倉さん」


「ああ」


「不安でたまらないんです」


「ああ」


「私は、死にたくないです。消えたくないです」


「わかってる」



 手を伸ばす。

 サトミの頭をなでることも、涙を拭うこともできないけど、手を伸ばした。

 結局触れらなかったが、それでいい。



「オレもどうせなら、お前が生きている未来を見たい」



 それがオレの偽らざる気持ちなんだと思えた。



「次に会ったら、あのクソオヤジをぶん殴ってでも情報を聞き出すさ」



 ***



 六月十五日、金曜日の早朝。


 日課のランニングを終えて、朝食を作っていると携帯電話が鳴った。

 田辺からだ。



「もしもし」


『麻倉、すまない。まだ原理が解き明かせていない』



 田辺のかすれた声は、徹夜をしたことを想像させる。



『だが時間だけが条件というのは考えにくい。他となると、月齢かなにかだろうか?』


「そんなに複雑か? 少しは休んだほうがいいんじゃないか」


『ああ、自覚している。そのための連絡だ。今日おれも学校を休む』



 も、というのは渡瀬が今日欠席になることを指して言っているのだろう。



『一緒にサボったことにすれば、渡瀬の不在もいくらかごまかせるだろう』


「悪い、本当に面倒ばかりかけるな」


『気にしなくていい。おれは向こうで手伝うことはできないんだ。そう思えば、これくらい大したことではない。電話はその連絡だ』


「そうか、わかった。ノートとっておくよ」


『頼む。ではな』



 電話が切れる。



「麻倉さん、携帯電話を持ってるなんて会社の人みたいですね」


「いまどきの高校生はこれくらいわりと普通だよ。あ、そうだ」



 誰とも通話していない電話を耳に当てる。



「こうすれば、どこでお前と話していても怪しい目では見られないぞ」


「なるほど、名案ですね」


「用があったらいつでも話しかけてこい。電話のフリするから」


「はい!」



 そううなずいたサトミの右目のあたりが、消えて見えなくなる。

 サトミ自身がどう感じているのかはわからないが、すぐにそれはおさまった。


 昨日の夜からそうだった。


 サトミの身体が部分的に消える現象は時々発生し、急におさまる。


 だが暗くなっても仕方がない。

 なにか明るい話をしよう。



「そういえば、あと二ヶ月もしたら夏休みだな。夏休みの思い出とかなにか思い出せないか?」


「少しなら。夏祭りで花火を見たことがあります。少し苦手でしたけど」


「花火が苦手なのか?」


「あの大きな音が、ビリビリってするのがどうしても苦手で……」


「たしかに結構大きな音だもんな」


「そういえば昔、花火の音にびっくりして――」


「兄貴、朝から誰と電話してんの?」



 階段から降りてきた弟の弘が怪訝な顔をする。



「ああ。実は生き別れの妹がいるんだ」


「へぇ、それっておれにとっては姉ちゃん? それとも妹?」


「本気にするなよ」


「わかってるって。兄貴もそういう年だもんね。最近帰りが遅い理由がわかったよ」



 年不相応に、弘が大人びた笑みを浮かべる。



「おい、よからぬ勘違いをしている気がするぞ」


「いいんだよ、気をつかわなくて。ふっふっふ」


「お前のそういうところ、母さんそっくりだ」



 オレと弘のやりとりを見て、傍らのサトミが微笑んだ。

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