6/22 B-15


 部室には人がいた。


 部屋の様子も、少なくとも現在のものとは違う。

 物は増えた印象だが、ダンボールが雑然と積まれていたりはしない。


 頻繁に人の手が入っているのだろう。

 掃除も行き届いているようだ。



「あれ?」



 部屋にいた人物――とある男子生徒はオレと渡瀬を見て、妙な顔をした。



「二人とも、なんで制服着てんの? コスプレ?」


「ひ、弘……弘か?」


「なんだよ、兄貴。さっき会ったばっかだろ」



 ずいぶん大きくなってしまったが、このオレが見間違えるはずもない。


 この男子高校生はオレの弟の弘だ。



「と、いうことは?」


「成功したってことでいいのか」



 現在小学生の弘がこうして高校生をやっている。

 それはわかりやすい証明だろう。



「なに言ってんの? 他のみなさんはもう視聴覚室に行ったのに、なんか忘れ物でもした? って、かわざわざ着替えたの? さっき私服だったじゃん。というかちょっと若返ってない?」



 弘が混乱していることから察するに、どうやら未来の俺たちも学校にいるようだ。

 好奇心はうずくが、見たくないような気もしている。



「弘くん、田辺はどこにいる?」


「田辺さんなら今日は遅れてくるって連絡があったって……これ、渡瀬さんが言ってましたよね?」


「そ、そうだっけ?」



 なら家にいるのかもしれない。


 そのとき扉の向こうから人の気配がした。


 複数の足音。

 声もかすかに聞こえてくる。


 この声は、渡瀬のものだろうか。


 きっと未来の渡瀬が部室に戻ってこようとしているのだろう。



「渡瀬、田辺のところに行こう」


「そうだね。あんまり長居して、弘くんを困らせてもしょうがないし」



 外に出る方法はわかってる。

 オレたちは部室をまっすぐに突っ切ると窓枠に足をかけた。



「えぇ、どうしてそっちから出るんだよ!」


「ごめん、弘くん。話はまた今度」


「あ、弘。オレたちが窓から戻ってくるまで部屋には誰もいれんなよ。扉の外からオレたちの声がしても開けるな。偽物だから」


「意味わかんないよ、兄貴!」



 返事はせずにオレたちはバタバタと外に出た。


 校庭にいる生徒は普通に部活をしている。

 どうも今日は平日らしい。珍しい時期に同窓会を実行したようだ。



「弘くんが高校生になってたってことは」


「少なくとも八年は経ってるってことだな」


「だね。っていうか、さっきドアの外からなんか嫌な感じの声が聞こえなかった?」


「なに言ってんだ。あれ、お前の声だろ」


「え、俺はあんな変な声じゃないよ」


「大抵、自分の声っていうのは客観的に聞くと変に聞こえるもんだ」



 身体の内側で響く音と、耳で聞く音は違って聞こえる。

 なんかそんな雑学を前にテレビで見た記憶がある。


 今から何年か未来の街並みをゆっくり観光する時間はない。

 急いで田辺の家に向かう。


 インターホンを押すと、すぐに男性がぬっと顔を出した。


 少し大人びた、というか老けていたが間違いなく田辺である。

 最低でも七年以上経っているなら、成人した後だろう。



「えぇっと、田辺。実はオレたち……」


「いや、わかっている。お前たちが来ると思って、同窓会の日程を調整してもらったからな。待っていたぞ、二人とも」



 田辺は扉を大きく開け、オレたちを家の中に迎え入れてくれる。

 あまりにも驚いていないことにこちらがついていけない。



「まず訊いていいか、ここはどのくらい未来なんだ?」


「正確に回答すると、今は二〇一七年だ」


「十年後、ってことか」



 十年後の田辺を前にしていても、中々衝撃的な数字だ。


 ということはこの田辺は二十五歳。

 さっきの弘は高校三年生ってことになる。


 弟が自分より年上になっているのを見る機会なんて中々あるもんじゃない。



「俺たちが今日来るって、田辺は知ってたの?」


「予定してはいた。とはいえ、実際そうなる確率は五分というところだった。未来が不確定であると同時に過去も不確定だ。観測点である〝現在〟がその両方を決定する」


「その小難しい話、変わらないね」



 渡瀬が苦笑いを浮かべた。


 年を重ねていても、こういう部分で田辺だとわかる。


 田辺は自室ではなく廊下で不意に立ち止まり、こちらに振り返った。



「確認しておこう。二人ともここに来たのは、過去へのタイムスリップを試みるためだな」


「さすが。なにもかも知ってるんだな」


「いや、すべては知らない。そして麻倉。期待を裏切るのは心苦しいが、タイムスリップの理論もお前たちに説明するつもりはない」


「なんでだよ。オレたちはそのために――」


「だが、協力しないとは言っていない」


「……回りくどい話し方も昔と変わらないみたいだな」


「時間移動にまつわる理論を明らかにしないのはかつてのおれのためだ。過去の自分が過程をとばして、答えを知ってしまうことは避けたい」


「難しいことはわからないけど、ともかく過去に行くことに協力はしてくれるんだな?」


「ああ、準備はできている」



 そう言うと田辺は、ある部屋の前まで数歩進む。

 ここはたしか、田辺の祖母の部屋だったはずだ。


 そのドアノブにささった鍵を抜き取った。



「これを持って、元の時間に戻るといい。あとは昔のおれに時間を与えてくれれば、なんとかできるはずだ」


「この鍵で?」



 田辺からオレに渡されたのはなんの変哲もない、古ぼけた鍵だ。

 その点で言えば、映研のものとよく似ている。



「渡瀬と麻倉、お前たち二人が求めているものは異なるようで本質は似たところがある。この鍵で二人とも、十全に望みを果たす機会を得るはずだ」


「俺も質問していい?」



 渡瀬が興味に目を輝かせながら田辺に問いかける。



「答えられることであれば」


「その……この時間での、俺たちはいったいどうしているんだろ? 田辺はこのあと俺たちがどうなったのかも知ってるんだよね?」


「誰かに尋ねずともできるだけのことをすれば、おのずと未来は見つかる。早く戻った方がいい。のんびりしていると扉が使えなくなるぞ」


「ああ、そうだね。ありがとう」


「いや……構わない。未来で会えることを期待している」



 田辺は静かに微笑んだ。


 このまま戻れなくなっては意味がない。

 未来の田辺の忠告に従ってオレたちは急いで学校に戻り、窓から部室に侵入した。

 せいぜい十五分程度だったはずだ。



「あ、土足で入ってこないでよ二人とも!」


「邪魔したな、弘! 元気そうでなによりだ」


「弘くん、映研をよろしく!」



 渡瀬と一緒に弘に挨拶をすると、間違えないように左手でドアノブを回して扉を開ける。


 そこにはオレたちのよく知る田辺が待っていた。



「無事に戻ってこれたようだな」


「十年後の田辺のおかげだ。今度ラーメンおごるよ」


「それはすべてが終わってからでいいが、楽しみにしておこう」



 渡瀬の感謝を受け取ってから、田辺はこっちを向いた。



「それでおれはいったいなんと言っていた?」


「この鍵を見せればわかるってよ」



 十年後の田辺に渡された鍵をそのまま田辺に手渡す。


 田辺はそれをしげしげと見つめて、ゆっくりとうなずいた。



「なるほど、そういうことか。わかった、では移動しよう」


「え、どこ行くんだよ」


「おれの家だ。そこからなら過去へ行けるということだろう」



 過去へ行ける。


 たとえ今までのように通い続けることがもうできなくなるとしても、あと一度だけはどうしても行かねばならない。


 渡瀬が忘れずに映研の鍵を回収するのを待って、オレたちは田辺の家へと移動した。



「おかえり、秀一。大川さん、吉野さん、こんにちは」



 部屋のベッドに寝たまま、田辺の祖母はにこやかに挨拶してくれる。

 渡瀬が大川と呼ばれ、オレが吉野と呼ばれるのはこのときだけだ。



「おばあちゃん。少し扉を借りるよ」



 そう断って、田辺は内側のドアノブに鍵をさしこむ。

 そして未来の田辺が渡してくれた鍵を、廊下にいる渡瀬へ手渡した。



「これでこの扉も過去へ通じるようになるはずだ」


「え、どういうこと?」


「タイムスリップの仕組みは完全に解明できたわけじゃない。だが条件は明らかになった。必要なものはすべてで三つ。まずはこの両側シリンダーだ」



 田辺は開いたままの扉を見せる。


 内側にも外側にも、鍵穴がついているこの扉は映研以外だとここでしか見たことがない。



「次に必要なのが二つの鍵。これはまったく同じものが必要なのだと推測できる。映研の部室にも一つ、さしっぱなしになっているものがあっただろう」


「まったく同じものっていうと、合鍵のことか?」


「違う。まさにこの鍵そのものだ。違うのは経過した時間。つまり、時間のみが異なる同一の鍵だ。名付けるなら、異時間同位体とでも言うべきか。」


「だから未来の田辺はここの鍵をくれたのか」


「で、三つ目は?」



 渡瀬が先をうながすと、田辺はかぶりを振った。



「正確にはわからない。ただ、あるべきなんだ」


「というと?」


「扉が出入口、鍵が手段だとして、進路を決めるのはドアノブを回す方向になっている。しかしどうして行き先が七年前だったのか。そしてなぜ十年後だったのか、これはまだ明らかにできていない。だが必ずそれを決定する要素が必要なんだ。でなければ、映研の扉が急に過去へつながらなくなった理由が見つからない」


「それはそうだよな」


「だからおれにはこの扉でどれくらい過去へ行くのかも推測できない」


「いや、大丈夫だよ。未来の田辺が教えてくれた手段なんだ。きっとうまくいくって」



 渡瀬が明るい声で言った。


 オレたちの望んでいる〝過去〟は厳密には細部が異なる。

 未来の田辺の言葉に逆らうようだが、そこは曲げられない。


 渡瀬は七年前に行って、河村に会いたい。

 オレはそれよりも過去で、サトミを助けたい。


 だからきっとこの鍵は、一年刻みで過去へ行けるのだろうと思う。


 つまり扉の出入りを繰り返せば、任意の〝六月二十二日〟に向かうことができるはずだ。


 あるいは一度ひねれば七年過去、もう一度ひねればさらに一年過去へ飛べるようになっているのかもしれない。


 どちらにしろ、未来の田辺を信じる以外に道はない。



「……わかった。ではおれは、いつものようにこちらに残ろう。健闘を祈る」


「ありがとう。行こう、麻倉」


「ああ」



 一旦、扉を閉める。


 そして未来で手に入れた鍵を渡瀬がドアノブにさした。

 その後、利き手である左手でドアノブを掴み、開ける。


 目の前に広がる部屋には、誰もいなかった。


 リクライニング式のベッドに人影はなく、部屋の電気もついていない。

 窓の外からは夕日が差し込んでいる。



「ここは……いつなんだろう?」



 渡瀬がつぶやく。


 先ほどはいた田辺の祖母が部屋にいない。

 少なくともタイムスリップには成功しているはずだ。


 しかし、今が何年前なのか。


 がちゃり、と背後で扉が開く。

 オレたちははじかれたように振り返った。



「あんたたちは……?」



 呆然と戸口に立っているのは、田辺の祖母だ。


 オレたちが知っている姿よりも若い。

 足腰もしっかりしていて、テレビドラマでしか見たことないような割烹着を身に着けている。



「誰だい。どっから入ってきたの!」


「え、ああ、えっとオレたちは……」



 当然の反応といえばそうだ。


 夕暮れ時、いきなり部屋に若い男が二人現れたら、不審者だと思って当然だ。



「お、大川です!」



 無抵抗を示すように両手をあげた渡瀬が突然そう名乗った。


 田辺の祖母はオレたちのことをそれぞれ「大川さん」「吉野さん」と呼んでいた。

 察するに昔の知り合いに似ていたのだろう。


 だからといって、今その名前を名乗ってなにか事態が好転するとも思えない。



「大川?」



 田辺の祖母が片眉をあげる。

 あれ、意外と反応があるのか?



「お、オレは吉野です」



 渡瀬にならって名乗ってみる。

 田辺の祖母は記憶を確かめるように片眉をあげた。



「知らない名前だね」



 あ、やっぱりダメだった。



「ほらさっさと出て行きな! さもないと、警察呼ぶよ!」


「す、すいません! すぐ出て行きます! おら、行くぞ!」



 オレたちはあわてて、靴もはかずに部屋の出窓から外へ出た。

 そのまま田辺宅から逃げるように離れていく。


 やっと息をついたのは大通りに出てからだった。



「はぁ、はぁ……田辺のばあちゃん、怖かったね」


「まったくだ」



 靴下でアスファルトを走ったせいで、足の裏がビリビリと痛い。



「でも、どうしよう。ここがいつなのかまだ確かめられてないけど」


「いや、違うだろ渡瀬。問題はそれよりも大きなところにある」


「どういうこと?」


「いいか、オレたちはあの部屋の扉からいつかはわからない過去に来たんだ。もちろん戻るときもあのドアを使わなくちゃいけない」


「それはわかって……あ」



 ようやく事の重大さを悟ったのか、渡瀬はにわかに青ざめた。

 だが念押しする意味でもあえて言葉にしておく。



「オレたちは田辺のばあちゃんに不審者だと思われた。もう一度あの部屋の扉を使うのはほぼ不可能ってことだよ」



 つまり、オレたちは元の時間へ戻ることができない。



「どうすんだこれ」



 出発早々、途方にくれてしまいオレはぼやかずにはいられなかった。


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