第四章 そして未来へ/そして過去へ

6/21 A-16


「あれ?」



 異変に気づいたのは翌日の六月二十一日、木曜日になってからだった。



「どうした?」



 背後にいる田辺が尋ねてくる。



「開かないんだ」



 鍵はさした。

 ドアノブは左手で掴んでいる。


 なのに扉が開かない。


 七年前に、河村さんのところに、つながらない。


 代わってくれ、と田辺が左手でドアノブを掴む。

 俺と同じようにそれを回そうとして、鍵に阻まれる。



「鍵、両側シリンダー、そしてドアノブを回す方向。すべての条件が揃っているのに、なぜ開かない。渡瀬、なにか普段と違うことに心当たりはないか?」



 原因。

 いつもと違うこと。



「麻倉がさっさと帰っちゃったことかな」



 昨日、麻倉は憔悴した様子で「幽霊はもう消えた」と言った。


 それから俺と田辺は、事の顛末について麻倉から一部始終を聞かせてもらった。


 過去で出会った麻倉の父を名乗る男のこと。

 サトミという幽霊の少女のこと。

 彼女は七年前にすでに亡くなっていたということ。


 七年前でやるべきことをなくした、と話を結ぶ頃には表面上はいつもどおりの元気な麻倉に戻っていた。



「約束通り、サトミの件が片付いたからアニメ作りは手伝う。けど七年前に行かなくてもいいだろ。手伝えることがあるなら持ってきてくれ。最近家のことをサボりがちだったから、しばらくはマジメに家事をするよ」



 そう言って今日の麻倉は放課後になるとすぐ帰って行ってしまった。


 真っ先に思いつく普段と違う出来事だが、田辺は首を横にふった。



「麻倉の存在がタイムスリップそのものに関連している可能性は低い。渡瀬が最初にタイムスリップしたときも、麻倉はすでに下校していた」


「なら他に普段と違うこと……か」



 再び普段とは異なったことについて考えをめぐらせる。


 思い出すのは、昨日の別れ際に見た河村さんのさみしげな顔だ。

 アニメを作る意味がなくなったと言っていた。

 そのことについて整理して話す、とも言っていた。


 今、冷静になって考えれば事情が見えてくる。


 きっと、河村さんの両親が答えを出してしまったのだ。


 なんとかなるかもしれないと思っていた。


 アニメを作れば、不仲な両親もかつてのように戻るのだと。

 そう考えていた河村さんは絵コンテを作り上げた。


 だけど間に合わなかったのだ。


 数日前の休日に、離婚するという結論が出た。

 絵コンテを披露する機会はなかったのかもしれないし、それを見た上でも答えが変わらなかったのかもしれない。


 そうなれば、アニメを作る意味がなくなったという河村さんの言葉も飲み込める。



「河村さんが部室に来てないのかもしれない。いつも俺がタイムスリップしたときは、あの部屋に河村さんがいてくれた」



 思い出せるかぎりで、例外は一度もない。



「仮に河村という女子が部室にいることも条件の一つだとした場合、こちらからできることはなにもない。体調不良で欠席していたとしても、七年前にはどうはたらきかけることもできないからな。不在の理由はわからないが数日もすればまた部活に顔を見せるだろう」


「そうだといいけど……」



 だがそうじゃない可能性もある。


 河村さんの両親が離婚することを決めたのであれば、必然的にどちらの親についていくのかを決めなくてはならない。


 父親か、母親か。

 そのどちらかについていくとした場合、もしかしたら河村さんは転校してしまう可能性もある。


 そうなれば河村さんはもう部室には来ない。


 この扉が七年前につながることがなくなってしまう。


 別れ際に聞いた「さよなら」の一言が重く感じられる。


 もう一度、会いたい。

 会って、話をしないといけない。



「扉が開かないのではここにいても仕方がない。おれは一度帰宅して、もう一度タイムスリップの条件について考えてみることにする」


「俺はもうちょっと学校に残るよ」


「そうか。あまり気にし過ぎないようにな」



 帰っていく田辺を見送ったあと、俺は職員室に向かった。

 映研の鍵を借りるためだ。


 この新しい鍵で扉を開いたところで、それが過去へ通じているわけではない。

 それがわかってはいても、なにもせずにはいられなかった。



「渡瀬くん」



 廊下を出たところで俺に声をかけてきたのは、高垣先生だった。

 スーツ姿もすっかり見慣れて、長い髪をまとめた姿が凛々しい。



「映研の部室に行くの?」


「はい」


「それなら、あたしも一緒に行ってもいいかな。久しぶりにあの部屋へ行ってみたくなって」


「もちろん、いいですよ」



 慣れない鍵で部室の扉を開く。


 前に何度か見たときと変わらない、ダンボールと埃にまみれた部屋は、河村さんのいた七年前とはまるで違う部屋のように思えた。



「この前、一度来たときも思ったけどほとんど倉庫だね」



 苦笑をもらしながら、高垣先生が電気をつける。

 空中を舞う細かいホコリが光を反射した。



「それで、渡瀬くんはこの部屋にどんな用事が?」


「えっと……その、掃除しようかと思って」



 さっきまで特にやることは決めていなかったが、今は違う。


 七年前の部室を知っている身としては、いつまでもここを埃まみれにしておくのは忍びない。



「それはいい考えね。手伝うわ」


「え、そんな……」


「いいから、いいから。待ってて、職員室からマスクを持ってくるわ。あとほうきや雑巾もどこかから借りてこないとね」



 結局、高垣先生と役割分担をして掃除を始めた。


 本当ならこんなことをしている場合ではない。

 少しでも早く、河村さんのいる過去へとタイムスリップしたい。


 どうすることもできない気持ちを抑えるために、俺は掃除に没頭していた。


 三十分以上、俺と先生は掃除に打ち込んだ。


 高いところからホコリを落とし、雑巾でふく。

 ほうきとちりとりで集めると、ちょっとした生き物に見えそうなくらいの綿埃だった。



「なにか、気になることがあるみたいね」



 バケツですすいだ雑巾をしぼりながら、高垣先生はこちらを見る。


 その瞳には、なにもかも見透かされているように思えた。



「それとこの部室が関係している……かどうかまではわからないけど。なにか心配事があるなら話してみて。一応これでも先生だし、そうでなくても年上だから」



 ふふん、と高垣先生は冗談めかして胸をはる。

 思わず俺は悩みを口にしていた。



「単純な話なんですけどね、扉が開かないんです。会いたい人がいるんですけど、その人のところへ行くための扉が開かない。鍵がなんなのかもよくわからないんですけど」


「そう。それは困ったわね」



 うーん、とうなった高垣先生は「そうね」とつぶやいた。



「ねぇ渡瀬くん、扉は開くためにあるのよ」


「はい?」


「開かないのならそれは壁でいい。けれど扉であるからにはどこかにはつながっている。必ず誰かが開けるの。扉の開け方は一つじゃないし、扉も一つじゃない。色んなところにつながっているはず。だから、心配いらないわ」


「は、はぁ……」



 頼りになるのか、ならないのか、よくわからないアドバイスだ。



「あとはそうね、こっちから開けられないなら扉の向こうの人に開けてもらうのも一つの方法ね。扉っていうのは大体どっちからでも開くんだから」


 向こうから開けてもらう。

 しかし、河村さんがこっちに会いに来てくれるかどうかはわからない。

 それができるのかどうかも不明だ。



「それともう一つ。時には回り道をするのも、悪いことじゃないと思うわ。大きく回り込んだほうが結果的には突破口となることもあるから」


「急がば回れ、というやつですか」


「そう。せっかちになっても、ダメなときはダメ。あたしの場合は遠回りしてうまくいったことも多いわ」



 急がば回れ、か。

 そうは言われても、回り道さえ思いつかないのだが。



 ……いや、ちょっと待てよ。



「ね、渡瀬くん。あたしの教育実習、今週いっぱいで終わり、つまり明日には終わりなんだけど――」


「ちょ、ちょっと待ってください!」



 俺は一つの妙案を思いついていた。


 成功するかどうかは未知数だ。

 だけど、やってみる価値はあるだろう。


 タイムマシンにも急がば回れが通用するのだとすれば。



「高垣先生、映研って俺が入部したら復活できますか? 一人じゃ無理ですか?」


「えぇっと、部室のある部活だからまだ扱いとしては休部のはずだけど。だから一応、渡瀬くんだけでも活動はできるんじゃないかしら」


「じゃあ、入部します。いえ、この一ヶ月ずっと考えていたんですが今日掃除したので愛着がわきました。これからの高校生活は映画作りに捧げたいと思います」



 というのは、半分近くウソだ。


 けれど、もう一度タイムスリップするためにはこの要素が必要になる。



「入部届、書きます! 掃除も終わらせます。なので、高垣先生にお願いがあるんです」


「あたしにお願い?」


「はい。先生、たしかこの部にいたことがあるんですよね」



 以前、顧問だった森本先生と職員室で話しているのを見た。



「ええ。この学校を卒業したわけじゃないけど、まぁ一応卒業生みたいなものかしら」


「じゃあお願いします。手伝ってください」



 そして俺は一つのアイデアを口にした。



「映研の同窓会がしたいんです」

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