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「ぜぇ……ぜぇ……」



 肩で息をする。


 久しぶりに全力で声を出したせいだろうか。

 喉がヒリヒリと痛む。


 もしかするとジョギングの体力作りだけでは不足かもしれない。



「はー……はー……」



 幽霊の少女も疲れたようで、息を荒くしている。

 オレたちは頭がぶつかりそうなほどの至近距離で向かい合い、お互いをにらみながら呼吸を整える。



「ちょっとタイム」



 審判みたいに手でTを作って幽霊に示してから、冷蔵庫に向かう。


 途中で足元に置いた盛り塩に足をひっかけてしまった。

 掃除の手間が増えてしまう。


 握りしめていた数珠と十字架を置き、冷蔵庫から取り出した水を一口飲む。

 痛む喉にしみるように体内へ水分が流れていく。


 それから言った。



「そろそろ成仏しろよ」


「いやです!」



 幽霊の少女は強く首を横に振った。


 誤算である。


 放課後、スーパーでの買い物や夕食の準備といった作業を手短に済ませることで自由時間を作った。


 オレはその時間で除霊に挑戦していた。


 現状への対処法を考えた結果、真っ先に思い浮かんだのが「除霊」だ。

 やったことはないが見よう見まねで、できそうな気がした。


 装備は主に墓参りに使う数珠と、修学旅行で買った十字架を模したキーホルダー。

 筆ペンでメモ帳にそれっぽく書いた御札に、食塩による盛り塩まで用意した。

 あとは適当なお経や呪文、悪魔祓いっぽいセリフを叫ぶ。


 そうして幽霊と格闘すること一時間。


 オレの息切れは呪文によるものだが、幽霊の方は絶えず「ちょっと待って」だとか「聞いてくださいー!」と言っていたのが原因だろう。


 少女はまた俺の顔を見て同じ言葉を繰り返してた。



「何度も言ってますけど、私はまだ死んでません」



 幽霊はずっとこの「引きこもりだけどアウトドア好き」というくらい矛盾した主張を続けている。

 まったく理屈に合わない。



「バカ言え、死ななきゃ幽霊になれないだろうが」


「百歩譲って生霊です! 病院にいたはずなんです!」



 両手をぎゅっと握りしめ、力いっぱい主張する。


 これでは、まるでオレがいたいけな少女をいじめているみたいではないか。



「悪かったよ。幽体離脱みたいなもんってことだよな。オレの友達にもタイムマシンを作ろうとしているやつがいるし、そういうオカルトなことも信じるよ」


「…………」



 こちらに背を向けて、体育座りをしたまま女の子は浮かんでいる。


 すねたときの弟と似た反応だ。

 こういう態度はこちらの罪悪感を刺激してくる。


 時計を見ると四時半だった。


 弟が帰ってくるまでにまだ一時間ほどある。

 風呂と夕食はそれから準備してもなんとかなるだろう。



「わかったよ。床の塩を掃除したら近所の病院に行こう。そうしたら、元の身体に戻れるかもしれないしな」



 これが幽体離脱だというのなら元の身体を見つけてやれば解決するかもしれない。

 確信はイマイチ持てないが、成果の出ない除霊を続けるよりかはいいだろう。



「はい!」



 幽霊がぱっと花が咲くような笑顔で振り返る。

 わかりやすいが年相応の子どもらしい反応だ。


 地面に散らばった塩を吸うための掃除機を引っ張りだしながら、幽霊に言ってみた。


「よし、まずは自己紹介をしよう。オレは麻倉修。高校一年生。これまで心霊体験をしたことは一度もない。よろしく」


「はい。私は……」



 そこで幽霊は顔をしかめた。



「私、は……えぇっと」


「どうかしたのか?」


「その、実は記憶がはっきりしなくって……高校生ですか?」


「オレはな。そっちは違うだろう」



 なにせ身長も顔つきも小学生以上とは思えない。


 これで高校生だと言われたら幽霊であることよりも驚く。



「そうですよね、すいません。やっぱり、うまく思い出せません」


「いつからだ?」


「この状態になってからずっとです。昔のことを思い出そうのが難しくて」


「もしかして、記憶喪失ってやつか?」


「そういうものかもしれません」



 幽霊が力なくうなずく。


 理屈付けるなら、肉体を離れているのだから記憶が曖昧になっても不思議じゃないのかもしれない。


 よし、もう並大抵のことでは驚かないぞ。

 強靭な意志をもとう。


 それにしても幽霊で、幼女で、記憶喪失って……これはもう数え役満だな。



「なにも覚えてないのか?」


「病院に運ばれたことは覚えてます、けど……」


「それ以外はダメってことだな。名前も思い出せないのか?」


「ええっと……あ、サトミと言います。名字はちょっと思い出せません」


「それだけわかれば名前を呼ぶ分には困らないな」



 掃除機で塩を吸ったあと、外に出る。


 西日が赤く道路を照らしていた。

 こんな時間に外出することはめったにない。



「それで、入院していたのはどこの病院なんだ?」


「うーん、大きな病院だったと思うんですけど」


「この街の病院っていうのは間違いないんだよな? 他府県に行けって言われても困るぞ」


「はい、多分」


「多分って……まぁいいか」



 このあたりで大きな病院といえば母がつとめている総合病院くらいだろう。

 とりあえずそこで確認してみるか。


 自宅から病院までは日がさしてくる西に向かって徒歩十五分。

 学校に行くのと所要時間はそう変わらない。


 黙って歩いていても仕方ないので、病院へ向かう道すがらサトミの記憶を刺激するためにあれこれ質問してみることにした。



「ところでサトミ、兄弟はいるのか?」


「うーんと……すいません、わかりません」


「じゃあ得意科目は?」


「数学?」


「なんで疑問形なんだ。しかも小学生なら算数だろうが」


「あ、そうですよね。なんだか本当に記憶が曖昧で……」


「趣味はなにかないのか」


「なんだかお見合いしてるみたいですね」


「そういう比喩は出てくるんだな」



 自分にまつわる記憶が曖昧になっているだけで、知識とかは普通にあるのかもしれない。


 そうこうしているうちに病院へとたどりつく。


 だだっぴろい待合室には今日も、具合の悪そうな人がたくさんいる。

 健康な状態でも、ここに来れば自分も体調不良のような気がしてくる場所だ。



「この病院であってるか?」


「多分そうだと思います。その、はっきりとは言えませんが」


「よし。じゃあ小児病棟だな」


「案内見なくていいんですか?」


「知らない場所ってわけじゃない」



 返事をしていると、待合室の注目を集めていた。


 サトミの姿はオレにしか見えていないんだった。

 はたから見れば大きな独り言でしかない。


 お前が行くのは精神科だろう、と言いたげな目から逃れるように階段へと向かう。



「さっき『知らない場所じゃない』っておっしゃってましたけれど、麻倉さんも通院してたんですか?」


「いや、母親がここの看護師なんだ」


「看護士? 女性のかたは看護婦さんって呼ぶんじゃないんですか」


「ちょっと前にどっちも看護師って呼ぶようになったらしい。まぁあくまで公的な呼び名の話だから、看護婦さんって言っちゃいけないわけではないんだけど」


「知りませんでした。勉強になります」



 おぉ、と幽霊は感心しているがどうにも態度がノンキだ。

 これからお前の生死を確かめに行くって、わかってるんだろうか。


 四階の渡り廊下を使って、小児病棟へと向かう。

 それから正面のナースステーションでサトミについて尋ねてみることにした。



「あの、すいません」


「あら修。どうしたの?」



 タイミングよく、あるいは悪く、ナースステーションに母がいた。

 他の看護師さんもいるのに、まるで態度が家で接するときとまったく変わらない。



「お見舞いに来たんだけど」


「あたしの?」


「そんなわけないだろ……」



 あっはっは、と母が笑う。

 母は冗談が好きな人で、大体楽しい人でもあるのだが、面倒くさい人でもある。



「弘が帰ってくるまでに済ませたいんだ。サトミって子、調べてくれる?」


「へ~、カノジョ?」


「母さん」


「わかった、わかった。調べてあげる。えーっと、その子のフルネームは?」



 本人も忘れている、とは説明できない。



「なんだったかな。いつも下の名前で呼んでるからちょっと思い出せない」


「いずれ麻倉って名字になるから? それなら自然ね」


「高校生の息子が小児科にかかる年の子と付き合ってるって発想が自然なのかよ」


「あら、結構女の子ってしっかりしてるものよ。それで、サトミってどんな字を書くの?」



 サトミの顔をうかがう。


 申し訳無さそうな顔で、首を横に振っていた。

 それも思い出せないだろう。



「小さな女の子には書けない字かな」


「わかんないの? なんか色々怪しいわね」



 名簿のようなものを確認していた母は顔をあげると、首をかしげた。



「その子、本当に入院してる? サトミって名前の子、いないわよ」


「……そっか」



 嫌な予感が当たってしまったのかもしれない。

 サトミの表情もこころなしか暗くなった気がした。



「ついでに少し前のも調べてもらえないかな。病院から出て行った人の中に、サトミがいないかどうか」


「あんた、なに調べてるの? まぁ、母さんあんたのこと信用してるけどさ」



 入院患者が病院を出る方法は二通りある。


 退院か、鬼籍に入るかだ。


 サトミの幽霊がここにいる以上、退院の可能性はほぼない。

 だったらーー。



「いないわ」



 再び母がかぶりを振る。



「少なくともここしばらくサトミちゃんって患者さんはいない。母さんにも覚えがないもの」


「そっか」



 サトミが入院していないが、かといって死んだことも確認できていない。

 そのとき自分の中に芽生えたのは、安堵なのか落胆なのかはわからなかった。



「で、なんだったの?」


「なんでもない。母さん、今日は夜勤だろ? 家のことは心配しないでいいから」


「あ、修。気をつけて帰るのよ」



 詮索されると説明できないので、早々に退散する。


 帰り道は周囲の人影に注意しながら、小声でサトミに話しかける。



「違う病院だったんじゃないのか?」


「いえ、あの病院だったと思うんですけど……」



 サトミが顔をしかめた。


 思い出せないのか、それとも自分が入院していなかったことに対する痛みを感じているのか、オレにはわからない。



「ま、お互いの言い分が証明できなかったわけだし、今日のところは引き分けにしよう」


「……はい。お手数をおかけしました」



 サトミが死んでいるのか生きているのか。

 結論を出さないでおく。


 それで少しはサトミの気をまぎらわせられるような気がした。

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