6/7 A-3
俺が最初に〝一目惚れ〟というものを経験したのは小学校の三年か四年くらいのときだったと思う。
あの日、田辺の実験としてペットボトルロケットを飛ばそうということになった。
五月の天気がいい日だった。俺たちはペットボトルなどの抱えて、近所の河川敷を走っていた。
そのときに見た、女の人に一目惚れをした。
どこか憂いを帯びた表情で川沿いにしゃがみこんでいるその姿に、はっとさせられた。
今から思い返せば、うちの高校の制服を来ていたと思う。
けれど古い思い出なので、細部はおぼろげだ。
ともかく、それが最初の一目惚れ。
名前も知らず、今では顔も覚えていないが、その感覚だけはまだ覚えていた。
***
六月七日。
一晩じっくり考えたが、やっぱり昨日のあれはタイムスリップだ。
俺は登校すると同時に、いつも朝早くから学校にいる麻倉に言った。
「実は大変なことがあったんだよ!」
「奇遇だな。オレもだ」
俺たちは顔を見合わせ、ほぼ同時に口を開いた。
「タイムスリップした」
「幽霊が記憶喪失みたいなんだ」
麻倉が正気か、という顔をする。
こちらも大体似たような顔をしていると思う。
早朝の教室で、はははと笑い合う。
麻倉は昨日から幽霊の話をしているが正直、半信半疑だ。
多分俺の話も、麻倉は半信半疑だろう。
「おはよう」
そのとき田辺が背筋を伸ばして、教室にやってきた。
今日はちゃんと登校してくる日だったようだ。
真剣に授業を受け、成績も悪くないため田辺は一見優等生に見える。
そのせいか趣味がオカルトだということはあまり知られていない。
田辺の夢は「タイムマシンを作ること」だ。
初めて会った小学生の頃から一貫してその夢を追い続けている。
徐々に研究は進んでいるらしいが、俺には話が難しい。
しかし今日は無理にでもタイムマシンについて理解したい気分だった。
「そうだ、田辺に訊いてみよう」
「ああ。この手の話題を相談するならやっぱり田辺だ」
「どうした?」
平坦な調子で問いかける田辺に俺たちはそれぞれの事情を順番に話した。
俺が河村さんに出会った経緯と、タイムスリップした可能性があるという話。
麻倉は自分はまだ生きていると主張する記憶喪失の幽霊に取り憑かれ、身元がわからないという話。
田辺は、俺や麻倉がやるような「まっさかー」や「冗談だろ」というありきたりな反応はしない。
テストに向き合うような真剣さで、時折うなずきながら、最後まで黙って聞いてくれた。
「なるほど。どちらも中々興味深い。さて、おれの意見だが」
田辺はまず俺のほうを向き、メガネの奥の目を光らせた。
「状況から見て、渡瀬がタイムスリップをしたことは間違いないだろう。であれば、ぜひ原理を確かめたいところだ。七年前に移動できた理由はわかっていないんだったな?」
「うん、偶然だったから」
「であれば、慎重に行動したほうがいい」
「もうタイムスリップはしないほうがいいってこと?」
「そこまでは言わない。渡瀬が一目惚れしたという事情は理解しているつもりだ」
「でも過去の改変みたいなのってあんまり良くないんじゃないの? ほら、映画とかだと大事件になるじゃん。えっと、バタ……バターナイフ……バターカレー」
「バタフライ効果か?」
「そう、それ!」
「気にすることはないだろう。映画製作を手伝うことや、河村という女子と渡瀬が恋に落ちることでニューヨークにハリケーンが発生することは考えにくい」
「渡瀬いわく、その子はブラックホールらしいけどな」
麻倉が混ぜっ返す。
田辺は次にその麻倉に向かって言った。
「麻倉、キミは幽霊をどうしたいんだ?」
「そりゃできるだけ早く成仏してほしいと思う。田辺の知識で除霊とかできないのか?」
「難しいな。除霊は専門外だ。また記憶喪失についても解決策はひらめかない」
「そうだよな。生きてる人間の記憶喪失でも手に負えないのに、幽霊だからなぁ」
「そこで提案なんだが」
田辺はやはり淡々と言った。
「麻倉も田辺とともにタイムスリップするのはどうだろうか」
「タイムスリップ? それでどうなるんだ?」
「麻倉に取り憑いた少女が幽霊になることを、過去で防ぐんだ。そうすると、そもそも取り憑かれることがなくなり結果的に幽霊は消えるだろう。合間に映画製作を手伝うならば、渡瀬にも十分なメリットがある」
「おぉ……」
麻倉がなにもない頭上に視線を送る。
そのあと、俺のほうを向いた。
「渡瀬」
「麻倉」
がっしりと、俺たちは握手をかわす。
二人でタイムスリップをする理由ができた。
「まとまったようだな」
田辺は満足そうにうなずく。
そして俺たち三人の、奇妙な六月が始まった。
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