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「うーむ」



 俺は手にある古びた鍵をもてあそびながら、背もたれに体重をあずけ、イスをガタガタとさせる。


 これは昨日、高垣先生に返しそびれた古いほうの鍵だ。

 年季が入っていて、ところどころにサビが入っている。


 麻倉に映研での話を詳しくしようと思っていたのに、あいつは放課後になるとさっさと帰ってしまった。

 帰り際に「水曜日は生鮮食品ポイント三倍デーだ」と言っていたから、多分スーパーによって帰るのだろう。


 まぁそれはいつものことだ。

 高校生になってからは特に、主夫業に磨きがかかっている。


 そのわりには今朝は幽霊がどうこうという珍しい冗談も言っていたのは気になるが、たまにはそういう日もあるだろう。


 不思議な出来事について相談できそうな相手はもう一人、友達の田辺がいるがあいつは今日欠席だ。

 これはあまり珍しいことではない。


 タイムマシンを作る、と豪語する変わり者の田辺にとって、学校に登校するということの優先順位はいつも低めなのである。



「よし」



 こうしていても仕方ない。


 俺は鍵を手に放課後の教室を後にする。

 目指すは映研の部室だ。


 この古い鍵を使って扉が開けることができれば、謎をとくことができるだろう。


 なにが起こったのか確かめなければならない。


 なによりも、俺の一目惚れのために!


 おおむね不純な動機を胸に、俺は校舎の一階にある映研の部室へとやってくる。


 東側の廊下に位置するこの部屋には物悲しいくらい存在感がない。


 校庭から部活動にいそしむ声を聞きながら、俺は古い鍵をさしこんだ。

 昨日もそうだったが鍵を右に回そうが左に回そうが、施錠される手応えも解錠される手応えもない。


 仕方なく、鍵をまっすぐさしたままドアノブをひねった。


 がちゃり。


 抵抗なく、利き手で掴んだドアノブは回る。

 中が埃まみれのままだとかなわないので、扉の隙間からおそるおそる室内を覗き込んだ。


 そこに見えた部室は、綺麗に整頓されたほうの部屋だ。

 雑に積まれた段ボール箱もなければ、ホコリが層をなして積もっていることもない。


 窓際に一つ、パイプイスを組み立てて女子が座っている。


 見間違えようもなく、昨日出会った河村さんだった。



「あれ、昨日の。っていうか、またノックもしないで」


「あ、ごめん。次からは気をつけるから」


「ま、別にいいけど」



 河村さんは、よっと勢いをつけて立ち上がった。



「それで、今日はなんの用?」


「あ、えっと……」



 特に訪れた理由を考えて来なかった。


 河村さんに会いたかったんだ、というと変なやつだと思われそうなので本音は封印する。



「あ、そうだ。実は映画作りを手伝おうと思って」


「明らかに今思いついた感じよね。ウソくさいんだけど」



 ご指摘のとおり、今思いついたのだ。


 河村さんが不審者を見る眼差しをしていたが、やがてゆるゆるとかぶりを振った。



「ま、いいわ。一応、入部希望ってことよね。人手不足だし、多少の不審者っぽくても受け入れるわ」


「おぉ、ありがとう」


「不審者って言われてお礼って……渡瀬くんだっけ? あなた、話してると疲れるタイプね」



 呆れたように席を立ち、本棚に向かった河村さんはふと動きを止めた。



「そういえば昨日突然目の前からいなくなったけど、パイプイスは運べたの?」


「あ、うん。おかげさまで」


「ならいいわ廊下に出た途端いなくなったからどこに行ったのか不思議だったのよ」


「河村さんこそ、昨日いきなり部室からいなくならなかった?」


「は? 放課後は完全下校の放送が流れるまでずっとここにいたわよ」


「おかしいな、いなかったと思うんだけど」


「やっぱりあなたって変ね」



 あ、とそこで河村さんは非難するような調子で声をあげた。



「今朝、教育実習の人に訊いてみたけど、イスを運んでくれなんて生徒に頼んだ覚えはないって言ってたわよ」


「え、高垣先生がそう言ったの?」


「高垣? 誰それ」


「教育実習の先生だよ。ほら、ポニーテールでこうすらっと背の高い女の人」


「はぁ? 昨日クラスに来た教育実習生って男でしょ」


「ん? 教育実習生が紹介されたのって、おとといじゃなかったっけ」



 今日が水曜日で、週初めの月曜日に紹介されたのだから間違いなくおとといだ。



「なに言ってんのよ。おとといは日曜日じゃない」


「へ? あの、今日は水曜日だよね?」


「火曜日よ」



 さっきから妙に会話が噛み合わない。


 曜日でダメなら日付で確認するしかないだろう。



「今日は六月六日だよね。じゃあやっぱり水曜日だ」


「ええ、六月六日ね。だから火曜日よ」


「いやいやいや……さすがに間違えないって。月曜日と水曜日には漫画雑誌買ってるし」


「もう、そんなに言うならこれを見なさい」



 河村さんはカバンからカラフルな表紙の手帳を取り出すと、カレンダーのページを開いてみせた。



「六月の六日。ほら、火曜日でしょ」



 たしかにカレンダーでは六月の六日は火曜日になっている。

 それよりも俺の目をひいたのは日付よりも、ページの左上に小さく書かれた西暦の方だ。



「二〇〇〇年……?」



 思わず声に出して確認してしまった。


 カレンダーの上部には二〇〇〇年と書かれている。

 何度まばたきをしてみても二〇〇〇年のままだ。



「こ、今年って西暦二〇〇〇年のはずないよね?」


「そこからわかってないの? あれだけテレビでも『ミレニアム』って言ってるんだから二〇〇〇年に決まってるでしょうが」


「平成で言うと?」


「めんどくさ。平成十二年よ」


「えぇ……」



 頭が混乱していた。


 でも、一つだけ想像力豊かな仮定が生まれる。

 この状況に説得力をもたせるにはそれしかない。


 頭の中の田辺が、俺の過程をうなずいて肯定していた。



「その、落ち着いて聞いてくれる?」


「そっちが落ち着きなさいよ、不審者。で、なに?」


「俺、タイムスリップしてきたかもしれない」



 すべてに納得のいく説明をつけるにはそれ以外にはない。



「……バカ?」



 河村さんの視線が、さらに冷たいものへと変わる。


 俺も突飛な発想だとは思うが、他に説明のしようがない。



「俺がいた時間、二〇〇七年だったんだよ。ほら計算してみて、七年後だと六月六日は水曜日だ」


「そんなの知らないわよ。勘違いの言い訳がタイムスリップって、ぶっ飛びすぎ」


「ウソじゃない。ほら、年が違うなら教育実習生が違うのだって説明がつく」


「はいはい、わかったから」



 呆れ顔の河村さんに背中をぐいぐいと押される。どうやら扉の方へと追いやられているようだ。



「本当なんだって。俺、昨日埃まみれの映研部室を見たんだ。長い間、誰も入ってないみたいだった。あれがここよりも七年先の部室だとしたら納得がいく」



 河村さんには悪いけれど、この部には人気がない。

 後輩は増えないまま河村さんの卒業後、映研は再び廃部になったのだ。

 それからは物置として扱われた。


 そう考えると昨日の謎がすべて解ける。


 一回目と二回目では、目にした部室の年月が違ったのだ。



「いいかげんにしないと、怒るわよ。あたしも暇じゃないんだからね」



 河村さんは右手で扉を乱暴に開け放つと、左手で俺の背をどんと強く押した。



「うわっ」



 押されるままに部屋から出てしまう。



「いや、話を聞いて……」



 振り返るとすでに扉が閉まっていた。


 音もなく閉まるわけがない。

 河村さんは怒っていたし、あの調子なら荒々しく扉を閉めて、その音が廊下中に響き渡っただろう。


 でもその音は聞こえていない。


 なぜなら、この時間の映研の扉は開かれていないからだ。


 もう一度、河村さんに会いに行こうかと考えて思いとどまる。


 うまく説明できる自信はない。

 それに自分自身でもまだ、今の出来事をすっかり飲み込めたわけではないのだ。


 ドアノブから古びた鍵を抜き取る。


 薄い扉の向こうからは、相変わらず人の気配がしない。

 興奮と混乱がないまぜになって、頭の芯がびりびりと熱く感じる。



「あ、渡瀬くん」



 ひらひらと手をふりながら、職員室の方から高垣先生がやってくる。



「なにしてるの? もしかして、映研の部室に忘れ物?」


「高垣先生、教えてください。今、西暦何年ですか? 平成でもいいです」


「二〇〇七年よ。平成だったら十九年だったかな」


「今日はもちろん水曜日ですよね!」


「ええ、そうよ。急にどうかした?」


「いえ、助かりました。ありがとうございます」


「ど、どういたしまして。それじゃあ気をつけて帰るのよ」



 高垣先生の魅力的なほほ笑みに見送られながら、俺の頭の中は体験したばかりの不思議すぎる出来事でいっぱいだった。



「タイムスリップしちゃったよ……」



 小声でつぶやいても興奮がおさまらない。



「うおー! タイムスリップしちゃったよー!」



 俺は通学路を走りながら、そう叫んだ。

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