6/12 B-7


「よし、着替えたな」


「そりゃ着替えはしたけど」



 映研を出て、校門前で自称父と合流したオレは連れられるまま湖のそばに来ていた。


 草木が多く、空気がジメジメとしている。

 虫の気配もすごい。


 体操服には着替えたが、相変わらずここでなにをするのか検討もつかない。


 クエッションマークの代わりに、オレの頭上ではサトミが不思議そうに浮かんでいる。



「やっぱり麻倉さんに似てますよね、この人」


「もうこいつが誰だろうと、どうでもいい。今大事なのは、こいつが俺たちの知りたいことを知ってるってことだ。それを聞き出すまでは、不審な行動にも付き合うしかないだろう」


「すいません、私のために……」


「いや、ほとんどオレのためだ」



 サトミのことがうっとうしいわけではないが四六時中、人の目を――それも年下の女の子の目を――気にしながら生活するのは精神的に疲れる。


 幽霊から解放されるためなら、母と別れた父だろうが、父を語る不審者だろうが、すがれるものにはすがってやる。



「で、ここでなにをするんだよ」


「泳げ」


「はぁ?」


「泳げ」



 自称父は淡々と同じことを二度言った。

 その親指は湖を示している。



「泳げってあんた……」



 緑色によどんだ湖は、泳ぎに適していそうには見えない。

 いたるところに水草が浮かんでいるし、透明度が低いせいでなにが潜んでいるかもわからない。



「こんな変なところで泳げるかよ。それに、泳がせるつもりなら着替えるのは体操服じゃなくて――」


「四の五の言うな」


「ぐわっ」


「あ、麻倉さん!」



 このやろう、オレの背中を蹴飛ばしやがった!


 湖をのぞいていたオレは次の瞬間、水面に頭から突っ込んでいた。


 浮かんでいた水草が顔にからみつき、ぬるい水が全身にまとわりつく。

 思っていたよりずっと深い。

 しかも不快。


 心の準備をしていなかったために、呼吸も十分じゃない。


 ゴポゴポと水の中で音がたつ。


 オレはあわててもがき、浮上した。



「てめっ、くそっ……なにすんだ!」


「泳げ、泳げー」



 水を吸った服がうっとうしく重みを増す。

 靴もはいたまま突き落とされたため、足におもりがついたみたいだ。



「大丈夫ですか、麻倉さん」


「溺れない程度にはな! あと必死だ!」



 足がつかない場所での立ち泳ぎなんて、今初めて挑戦していて、それがかろうじて成功しているだけだ。

 学校のプールは足がつく深さだし、海で泳いだ経験なんてない。


 我流の立ち泳ぎに、優雅さない。


 必死で手足をばたつかせるが、水を吸った服や靴が邪魔をして十分に浮くことができない。

 首をめいいっぱい伸ばして、ギリギリ空気を確保する。


 ばしゃりばしゃり、と周りでうるさく水が跳ねる。

 オレが手を動かすことで発生しているのはわかっていても、ひどくうるさい。



「どうした、オサム。泳ぎは苦手か?」



 湖のふちにしゃがみこんで、自称父が笑う。


 泳ぎが苦手ってことはないが、着衣でなおかつ深い湖で泳いだ経験がないだけだ。



「でも泳げるようになってもらわないとな」


「着衣で泳げるようになって、なんの得があるんだよ!」



 会話に集中すると、沈みそうになる。

 かといって横に移動することもままならない。



「え、便利だろ」


「だとしても! 泳ぐことと、サトミの、うわっぷ、関係は、どこに!」


「それは泳げたら教えてやるよ」



 言いながら、父親は湖のふちを歩いて行く。


 十分離れてから、父は声をはりあげた。



「とりあえず、泳いでここまで来ーい。まずはそこからだ」


「まずはって……!」



 どう見ても、二十五メートル以上はある!



「あ、麻倉さん……ど、どうしましょう」



 オレが溺れるのではないかと心配しているのか、サトミがあわあわとしている。


 すべてはオレのため、そしてサトミのため。


 今のところ他に手がかりはなく、すがるべきワラは最悪なことにあの怪しい自称父親しか存在しない。


 そいつがオレに湖を泳げと言う。


 ああ、わかった。

 だったら泳いでやるさ!


 こうなりゃ、やけだ!



「くそったれー!」



 声をあげたら、口の中に濁った水が流れ込んできて、オレは本当に溺れかけた。

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