6/12・13 A-9
「死ぬかと思った……」
悪臭をただよわせる麻倉が、疲れた様子でつぶやく。
それはもう今日だけで五回目の言葉だった。
俺が知るかぎり、外から部室に戻ってきたときに一回。
元の時間へ戻ってきて、田辺の前で一回。
そしてコンビニまでの道中で二回、そして今で五回目だ。
髪をしめらせ、一歩ごとに靴がぐちょりと変な音を立てる麻倉だが制服だけは無事だった。
「なにがあったんだ?」
下校しながら田辺が尋ねる。
いつもならラーメン屋に寄ろうと提案するところだが、麻倉の状態がこれではそうもいかない。
「泳いだんだ、湖を」
「なぜそのようなことを?」
「自称父親が泳げって言うからだよ。無事に泳げたらサトミを……幽霊をどうにかする方法を教えてやるってさ」
「ふむ」
「しかもな!」
徐々に力を取り戻してきたのか、麻倉は語気を荒らげる。
「服を着たまま泳げとか無茶な条件つけやがるし、湖の水はぬるいわくさいわ、泳ごうにも水草がいちいち邪魔だわ……もう死ぬかと思った」
「それで無事に泳げたのか?」
「田辺、結構容赦ないね」
今は少しくらい慰めてやればいいのに。
「麻倉の父を名乗る謎の男が、おれたち以上になにか知っていることはほぼ間違いない」
「わかってる。だって、高校生になった麻倉のことを知っていて、しかも幽霊のことまで言い当てたんだもんね」
「その人物が湖を泳げというからには、なんらかの意味があるはずだ」
「たしかに。そのへんはどうだったの、麻倉?」
「知らん。泳げなかったからな」
麻倉は疲れた様子で続ける。
「指定された距離の半分も泳げなかった。というか、溺れかけてギリギリふちにつかまったんだよ。おかげであの健康に悪そうな微生物がうようよいる水をだいぶ飲んじまった」
「ミドリムシは健康に良いらしいぞ」
「田辺の豆知識は、慰めになってないって」
「しかもあのクソ野郎『続きはまた明日な』とか言って、とっとと帰りやがって……もうダメだ、食欲が死んでる。帰って風呂はいる。そしてもう寝る」
とぼとぼと麻倉は歩いて行ってしまった。
その背中を見ていると、なんだか一人だけ河村さんと楽しく過ごしたことが申し訳なく思えてくる。
「麻倉を助けてやれないかな」
「幽霊については麻倉にしか見えていない。協力できることは少ないだろう」
「うん、でも……」
「麻倉もそれを望んではいないはずだ」
「そうだね」
俺たちは、タイムスリップという同じ現象に直面しているが、その中での目的はそれぞれ異なる。
麻倉は幽霊のことを解決するのが目的であり、田辺は時間移動の仕組みを解き明かすことが目的だ。
そして俺の目的は河村さんの映画作りを手伝うこと。
自分の目的を果たしたあとでなら、友達を手伝うのもいいかもしれない。
だが今はそうではない。
田辺が言いたいことはきっとそういうことなのだろう。
***
六月十三日。水曜日。
「じゃあ行ってくる」
「ああ、気をつけて」
昨日よりも多めの荷物と共に、麻倉が出て行く。
「ねぇ、もう一回訊いてもいい? 麻倉くんって、いったいなにしてるわけ?」
「今は湖で泳ぎの練習かな」
「未来人ってはてしなく謎だわ」
「それより今日はどうするの?」
昨日、ある程度のことは学んだ。
アニメーションの作り方に始まり、アニメの歴史にまで講義が及んだのは意外だったがすっかり夢中で聞いてしまった。
これで俺も人に話せると思う。
「俺もそろそろ、ちゃんと力になれるよう特訓したいんだけど」
今まで俺がやったことは、せいぜい脚本を作ることだけだ。
キャラクターデザインと絵コンテは河村さんが作ってきてくれた。
そして昨日は、基本的な知識を学んだ。
そろそろもっと役に立ちたいと思う。
麻倉や田辺が別の分野でがんばっているのを見ているのだから、なおさらだ。
「そうね……じゃあ本格的に特訓するけど大丈夫? 厳しくてついてこられない、なんて言わせないわよ」
「大丈夫! なんだってやるよ」
「じゃあまずは、パラパラ漫画を作ってもらおうかしら」
「……へ? パラパラ漫画?」
「そう、パラパラ漫画よ」
想像していたよりも、かわいい響きの特訓だった。
「アニメの構造は、言ってみればパラパラ漫画と同じよ。止まっている絵をいかに違和感なく、動いているように見せるかってものだもの。絵はどの程度書けるの?」
「美術の成績は2です」
「だったら模写も始めてもらわないとダメかしら」
覚悟してよね、と河村さんは嬉しそうに言った。
「あたしの特訓は厳しいわよ」
「大丈夫」
すぐに上達してみせよう。
麻倉や田辺もそれぞれがんばってるんだ。
俺も、映画作りに邁進しよう。
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