6/7 A-4

 ぱらりと紙をめくる。


 タイトルは「ゼロから始める映画撮影」であり、そのものずばり映画を作る手順についてイラスト付きでわかりやすく紹介されている。


 俺はこの本を、七年前の映研部室で読んでいる。


 経緯は実に単純。



「渡瀬くん。あなた、映画作りについて知ってることは?」


「なにもない」


「じゃあ勉強して」


「はい」



 そして河村さんが俺に差し出したのがこの本である。


 たしかに読みやすくわかりやすいのだが、まったくの門外漢だったので読み終えるのに二時間くらいかかった。



「読みました」



 パタンと閉じる。


 勉強した実感で言えば、テスト前の一夜漬けに匹敵する。

 それが苦痛ではないのは、ひとえに河村さんに好かれたいという不純な動機があるからだろう。



「ところで質問があるんだけど、三人で映画の撮影ってできるの? 本で読んだかぎりだとかなりの人手が必要に思えたんだけど」


「やってやれないことはないわ。でも、あたしが作ろうとしているのは普通の映画じゃないから大丈夫よ。その気になれば一人でも作れるわ」


「一人で映画って作れるんだ」


「ええ、アニメーション作品ならね」


「アニメーション……って、いわゆるアニメ?」


「そうよ。手書きで書いて、このパソコンで編集するの」



 河村さんはテーブルの上のノートパソコンをなでた。


 展開の変化についていけない。



「二つくらい疑問があるんだけど、いい?」


「どうぞ。なんでも答えてあげる」



 じゃあ好きなタイプは?

 ……とか訊きたいところだけど、今は映研にまつわることだけにしておこう。



「映研ってアニメも作るの?」


「アニメーションも映画のひとつって言っていいでしょ。そりゃ、部室を見るかぎり前例はないみたいだけどね」


「やっぱり」



 映画研究部、という言葉から想像するのは実写作品だ。


 アニメーションを作るのは美術部や漫画研究部のほうがまだ連想しやすい。



「でも今の部員はあたしだけなんだから、過去の伝統なんて関係ないわ。昔、アニメは漫画映画って呼ばれたこともあるのよ。そういう意味では映研で作ってもおかしくないでしょう?」



 そう言われると、正当な気がしてくる。



「でも河村さんが最初からアニメを作る予定だったなら、なんで俺に実写映画のハウツー本を読ませたの?」


「だってこの部室にはそれしかないんだもの。でも、根幹の部分では似通っている部分もあるから参考にならないわけじゃないわ」


「そうなのかな」


「じゃあテスト。作品を作る上で最初に必要なのは?」


「えーっと、脚本」


「そう、正解」



 これは本の序盤で得た知識だ。


 まずは脚本、次に絵コンテ、それからさらに役者を決めたり、撮影場所を選んだり……はてしなく感じる道のりだが、まずはどんなものを作るかを決めなければ始まらない。


 これは実写映画でも、アニメでも共通していることのようだ。



「じゃあ脚本は決まってるんだ」


「え? 決まってないわよ」


「決まってないの? てっきり決まってるものだと思ってた」



 俺を指摘すると河村さんは少し赤面して早口になる。



「しょ、しょうがないんでしょ! 今まで他に人がいなかったし、そんな状態でどうこう言ったって取らぬ狸の皮算用ってやつだし、大体あたしだって入学してからまだ二ヶ月くらいしか経ってないし……そうでしょ! あたし、なんか変なこと言ってる?」


「い、いえ。おっしゃるとおりです」


「とにかく、まずは脚本を作るところから始めないといけないってこと!」



 河村さんが肩口の髪を指先でいじる。


 きっと落ち着くための仕草なのだろう。

 かわいい。



「ねぇ、あなたたちは平日の放課後にしか来られないのよね?」


「この扉さえ使えれば、いつでも来れるよ」


「あぁ、そういえば七年後とはそもそも曜日が一日ずれてるのよね。そうなると一週間のうち、活動できるのは月曜から木曜まで。七年後になるそっちだと火曜から金曜までの四日間ってことになりそうね」


「休みの日は?」


「休日は顧問が職員室にいないから、大抵の文化部は強制的に休みよ」



 知らなかった。

 帰宅部歴が長いと、部活動にまつわる基本的な知識が不足しがちだ。



「よう」



 開いたままの窓をノックして、麻倉が戻ってきた。


 窓から平然と室内に入ろうとしたところで、河村さんから待ったがかかる。



「ちょっと、土足で入らないでよ」


「おっしゃるとおり。次からは対策が必要だな」



 窓枠に腰掛けて、麻倉は上履きを脱ぐ。それを両手にひっかけて部屋に入ってきた。



「未来人っぽい用事は済んだの?」


「そう簡単に片付かないことだけはわかったよ。映研の手伝いは先になりそうだ。渡瀬、今日はもう戻ろう。時間もいいくらいだろ」



 俺は腕時計で時間を確認した。


 午後五時半。


 もうすぐ下校をうながす放送が流れ、六時には完全下校になる。


 現状、映研の扉でしかタイムスリップできないため、完全下校までには元の時間へ戻らなくてはならない。



「そうだね。今日はもう帰ろうか」


「じゃあ宿題。まずは脚本決めるところから始めましょ。あたしも候補を用意してくるから、渡瀬くんも考えてきて。条件は、そうね。短くまとまってて、ハッピーエンドがいいわ。欲を言えば、未来人らしく前衛的な物語を期待したいかな」


「わかった。明日までに準備してくるよ」



 短くて、ハッピーエンドで、未来的。

 覚えておこう。



「じゃあ帰ろうぜ。扉を通ればいいんだろう?」



 疲れた顔をした麻倉が扉を開けたので「じゃあまた」と河村さんに挨拶をして部屋を出た。



「戻ってきたな」



 廊下には田辺が彫像のように立っていた。

 それが俺たちの生きる本来の時間に戻ってきた証明になる。



「もしかして、ずっと待ってたの?」



 それなら少なくとも二時間はここで待ちぼうけくらわせたことになる。



「いや、お前たちが扉の向こうに消えたあと、映研の鍵を借りて室内を確認した」



 田辺は指に引っ掛けた鍵をくるりと回して見せる。

 見覚えがあるそれは、新しいほうの鍵穴にささる〝正しい〟鍵だ。



「映研の部室は埃にまみれていて、人がいた形跡はない。だが二人とも今、この扉から帰ってきた。となるとタイムスリップは実際に起こったことであると考えられる。またその現象には古いほうの鍵が関係していると考えていいだろう」


「さすが。しっかり研究してるな」



 苦笑まじりに麻倉が言った。



「他に発見はあったのか?」


「タイムスリップと関係あるかどうかはわからないが、ここの扉は両側シリンダーなんだな」


「あぁ、それはオレも気になってた」



 麻倉と田辺だけが謎の単語で謎の納得をしている。



「両側シリンダーってなんのこと?」


「ドアノブだ。実際に見てみるといい」



 俺がドアノブに刺さった古い鍵を抜くと、入れ替わるようにして田辺が新しい鍵をさした。


 田辺は扉を大きく開け、内側のドアノブを示した。



「見ろ、渡瀬。通常はサムターンになっている内側も鍵穴になっているだろう」


「あ、ホントだ」



 普通はつまみになっている部分がよく見れば鍵穴になっている。


 気がつかなかったのは、そこにも鍵がさしっぱなしになっているからだろう。



「へぇ、両方が鍵穴のことを両側シリンダーって言うんだ。田辺は博識なイメージがあるけど、麻倉はよく知ってたね」


「オレは前に推理小説で読んだことがあっただけだよ。サムターンも、密室トリックとかの説明で使うからな」


「田辺も推理小説?」


「いや、うちにも両側シリンダーを使った扉がある。それで知っていたんだ」


「へぇ、珍しいね。でもこれってなんのメリットがあるの? 内側から扉をロックするのにも鍵が必要ってことだよね。面倒くさいだけだと思うんだけど」


「たしかに手間だが防犯のためには役に立つ。窓を割って部屋に侵入されても、扉を開けることができないため、一部屋に封殺できるからな」


「そういう風に役に立つものなのか」


「あまり普及していないのは他の防犯技術の進歩や、渡瀬の言うように面倒だからだろう」


「これもタイムスリップに関係があるのかな」


「今はまだわからない」



 ぱたん、と田辺は扉を閉めて施錠する。



「それで、そちらの首尾はどうだ?」


「全然」



 麻倉が肩をすくめて答えた。



「そもそも病気なのか事故なのか、いつから入院してるのかもわかってないからな。しかも七年前にサトミがいくつだったかも不明ときてる。まぁ気長にやるしかないだろう」



 麻倉が一緒にいると言う幽霊はは見えない。

 けれど記憶喪失が本当なら、たしかに探すのは至難の業だろう。



「あと、オレの父を名乗る不審者にも遭遇した」


「え? たしか麻倉のお父さんって……」


「いない。七年前もいなかったと思う」



 子どもの頃からの付き合いだが、麻倉の父親は見た覚えがない。



「けど、ちょうど最後に見たのも七年前くらいのような気がして……オレの記憶も曖昧で、よくわからん」


「その不審者が仮に麻倉の実父であったとしても」



 田辺が冷静に言った。



「高校生となった麻倉に気づくのはおかしい」


「だよな。オレもそう思ったから逃げてきた」


「しかし一方で、納得できる説明をつけられないわけでもない」


「どっちだよ」


「麻倉の父もタイムスリップをしてきたとすればどうだろう」


「ん?」


「どういうこと?」



 田辺の大胆な仮説に、麻倉が固まる。

 俺にもよくわからない。



「現在か、あるい未来から麻倉の父も二〇〇〇年にタイムスリップしてきたんだと、そう仮定するんだ。それなら高校生になった息子を判別できても不思議ではない。また麻倉の記憶にある姿と異なっていても、それは年月を経た証拠といえるだろう」


「ようするにオレが覚えている父親よりも老けたってことか。どうかな、そのわりにはずいぶん若かったぞ。二十代半ばって感じだった」


「ふむ、では違う理由か。興味深いな。さすがタイムスリップ。想定外の事態も多くある」



 田辺が早口になるのは、興奮している証拠だ。



「可能であれば次はその自称父親と接触してみてくれないか?」


「えぇー……まぁ、会えたらな」



 麻倉はそれ以上の話を嫌がるように話題を変えた。



「それで、映研の方はどうなったんだ」


「ああ。実は――」



 映画作りについて簡単に説明する。


 実写作品ではなく、アニメーション映画を作ること。

 まずは脚本を決めなくてはいけないこと。


 そして未来と過去で手分けして勉強しようと話したことも麻倉と田辺に説明する。



「そんなわけで勉強しようと思うんだけど、こういうのってレンタルがいいかな?」


「プロの作品を参考にするのか? 長さとかクオリティとか、学生のレベルでマネできるもんじゃないだろう。ブラックホール美人はともかく、お前は素人なんだし。参考にするなら同じ学生が作ったもののほうがいいんじゃないか」


「おれたちだけで話し合っていても仕方がない。そもそも映研は廃部になって久しい。まずは学生映画について詳しい人を訪ね、映像資料について相談するのがいいだろう」


「ってか、アニメって映研の守備範囲なのか? 他の学校だとそれ用の部活とかありそうな気がするけど」



 田辺の提案も、麻倉の懸念も正しい。


 しかし、そういうのに詳しい人って言われると……



「あ、それなら高垣先生に頼んでみよう」


「あの美人女子大生か?」


「教育実習生なんだから先生って言いなよ。高垣先生は現役大学生だし、麻倉の言うアニメを作ってる部活やサークルを知ってるかもしれない」


「ならば職員室だな。おれも部室の鍵を返さなければならないところだった」


「鍵といえば」



 麻倉が俺のもつ古い鍵を指さす。



「そっちの鍵は返さなくていいのか?」


「返せと言われていないなら、持っておくべきだ」



 麻倉の疑問には、俺ではなく田辺が答えた。



「この鍵がなければタイムスリップできない可能性が高い。その点でも、向こうが忘れているなら持っておいても不都合はないだろう」


「田辺って結構、無法者っぽいところあるよな」


「なにを言う。そもそも使っていない鍵なのだから、問題はないはずだ。あるいは今のうちに合鍵を作っておけば、オリジナルはずっとおれたちの手中に……」


「本格的に悪役っぽいから、もうやめよう。こっちの鍵は俺が持っとくよ。先生に返せって言われたら素直に返すってことで。ほら、それよりさっさと職員室に行こう」



 悪役めいた笑みを浮かべだす田辺をうながし、廊下を進む。


 もうすぐ下校をうながす放送が流れる頃だろう。

 要件は手短に済ませなければ。



「三人で押しかけても仕方ないから俺、行ってくるよ。田辺、ついでに部室の鍵も返してくるから」


「ああ。よろしく頼む」



 田辺から新しい鍵を受け取る。


 それから礼儀に気をつけて、ノックと「失礼します」の声をかけてから部屋に入った。


 職員室に残っている先生の数は少ない。

 部活の顧問が出ているからだろう。


 高垣先生の姿は、職員室の深いところに位置する森本先生のところにあった。


 森本先生はこの学校に二十年以上もつとめていると聞いたことがある。

 教育実習生の指導を任されていても不思議ではない。


 なにか楽しげに話をしているのがわかるが、内容までは聞き取れなかった。



「あ、渡瀬くん」



 俺を見つけた高垣先生が笑顔で小さく手を振ってくれた。


 素直に嬉しい。

 会釈をしながら、歩み寄る。



「すいません、少し高垣先生に訊きたいことがあるんですが」



 話し中だったようなので、森本先生におうかがいを立てる。

 すると森本先生はにっこりと微笑んだ。



「大丈夫ですよ。ところで、その鍵は映研のものですか」


「あ、はい。少し興味があって」


「懐かしいですね。わたしが顧問だったんです。部員不足のおりにはずいぶんと寂しい思いをしました」


「そうだったんですか」



 映研の顧問は森本先生だったのか。

 覚えておこう。



「それで渡瀬くん、私に用ってなに?」


「えっと、実は学生映画について勉強したいんです。特に、実写作品じゃなくてアニメを勉強したいんですか、高垣先生の大学ってそういうサークルとかありませんか?」


「ふふん。それならちょうどいいものがあるわ」



 先生らしくはないが、魅力的な微笑みで胸をそらした。


 それから自分のカバンから白く綺麗な指先で、透明なケースに入ったDVDを取り出した。


 ディスクの白い表面には「2002」とマジックで書かれている。



「これ、私が昔、他校の研究のために作ったのよ。森本先生に見せようと思って持ってきてたんだけど、貸してあげる。いくつかはアニメーションの作品もあったと思うわ」


「ありがとうございます」


「返してくれるのはいつでもいいから」



 俺はありがたさのあまり、受け取ったDVDをかかげた。


 白いディスクは蛍光灯による後光がさしてみえた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る