6/13 B-8
今日は昨日の教訓を活かして、全身の着替えを持ってきた。
ついでにタオルも持ってきたし、靴は脱いでおくことにもした。
昨日のダメージから立ち直ったオレは多分、今も冷静ではないのだろうと思う。
気が高ぶってしょうがない。
「絶対泳いでやるからな、覚悟しておけよ!」
今日も父親は歩けばすぐだが、泳ぐとすればはるか彼方の湖のふちでオレを待っていやがる。
笑みさえ浮かべていることだろう。
あー、腹が立つ。
「大丈夫ですか、麻倉さん?」
「当然だ。泳ぐくらいどうってことはない。昨日は不意打ちだったからやられただけだ」
「なんだかムキになってません?」
「なってない!」
そう言い切り、水に飛び込む。
その瞬間、前回と顔に水草がからみつき、一気に気力がなえた。
鼻から水が入ってきて、くさいやら痛いやら。
「あー、くそっ!」
両手両足をばたつかせて浮力を得ようとするが、どうも効率が悪い。
消費したエネルギーに見合うほどは浮いてこない。
「落ち着いてください、麻倉さん。両足を同時に動かすんじゃなくて、左右別々にこう、回すようにしてみてください」
「あ、ああ……!」
頭上のサトミに言われたとおりやってみる。
こころなしか浮力が得られたような気がしてくる。
「足全体じゃなくて、膝から下を回す感じです」
宙に浮いているサトミが空気をかくようにして、足と手を動かしてみせてくれる。
見よう見まねでマネすると、たしかに楽になってきた。
「サトミ、お前泳げるの?」
「スイミングスクールに通っていたことを、溺れかけている麻倉さんを見て思い出せました」
「なるほど。そりゃわざと溺れた甲斐があったな」
「ふふっ、そうですね」
オレの冗談にサトミは付き合ってくれる。
しかし、弟よりも年下の子にまともな泳ぎ方を教えられるとは情けない。
なんだろうこの絵面。
オレ、かっこ悪い。
「あわてることはないんですよ、麻倉さん。あなたのお父さんは向こうまで泳ぐのに制限時間を設けませんでした。ゆっくり、確実に進んでいきましょう」
「たしかに、そうだな。しかし普通に泳ごうにもこの水草が……」
顔にはりついたものを、掴んで取り払う。
ぬめぬめとしていて、非常に気持ち悪い。
「水面も、あと水中もどうもからんできて泳ぎづらい」
クロールをするにも、平泳ぎをするにも、こいつが邪魔でうまく感覚をつかめないのだ。
ただでさえ服が邪魔で泳ぎづらいというのに、この弊害は大きい。
「でしたら、こう横向けになって、足を引いて蹴るようにこう……」
浮いているサトミは空中を蹴るように足をゆっくりと動かす。
「タコとかイカっぽい動きだな」
「そう言われると恥ずかしいんですけど、これ逆アオリっていう泳ぎ方なんですよ」
「それもスイミングスクールで?」
「だと思います。溺れている人を助けるためには、こういう泳ぎ方が必要だって教えてもらいました。これなら多少の障害があっても泳げると思いますよ。なんせ溺れている人を助けるための泳法ですから」
再びサトミの動きを観察する。
足を引いて、次に開く。
これは非常口のポーズに似ている開き方だ。
そして最後に足を伸ばしながら、挟みこむように足を閉じる。
また足を引いて……
その間、片手は足に連動するように大きく水をかくようだ。
「……あんまりじっくり見られると恥ずかしいですね」
サトミがかすかに赤面する。
冷静に見ると、空中で泳ぐパジャマ姿の少女はたしかにシュールな光景だ。
よし、やってみよう。
えっと、足を引いて、開いて、最後に挟むように閉じる。
溺れる前に急いで、やってみた。
「……進まねぇぞ」
たしかに泳いでいる間、ずっと顔は水面から出ているし、横泳ぎっぽくはなるが思いのほか進まない。
「姿勢が悪いですね。あと重心も。もっと水を掴む感じで」
「無茶言うな」
「私も中々できませんでしたよ。自分の部屋で練習しました」
「これ、そんなに難易度高い泳法なのかよ!」
「とにかくゆっくり落ち着いていきましょう。少しずつは進んでいますから」
ぐっと力を込めて説明されると従わないわけにはいかない。
実際つらいが、他の泳ぎ方をしていた頃に比べると不安定さはない。
水草に邪魔をされることも少なくなった。
問題は進みが遅いことだが、溺れるよりもマシだ。
さいわい早朝のジョギングを日課にしているだけあって体力には自信がある。
サトミに指示を飛ばされながら、逆アオリもどきの動きでなんとか泳ぎ切ることができた。
もっともその頃には全身が疲労感で重く、水もそこそこ飲んでしまっていたが。
「はぁはぁ……死ぬかと思った」
「おぉ、すごいな。死ぬかと思ったぞ」
見てるだけのやつとまったく同じ感想しか出てこないことに、自分が情けなく思えてくる。
「おい、泳いだぞ……」
「よくやった。じゃあ移動するぞ」
「休みなしかよ」
急いで着替えたせいでまだ頭から水をしたたらせたまま、自称父について移動する。
もはや周囲の奇異の目なんか気にならない。
身体からはまだ濁った水のにおいがしたが、オレの心は解放感で満たされていた。
「これで泳ぎからは解放だ。今日泳げなかったら、帰ってサトミに自主練を手伝ってもらおうかと思った」
「言ってくだされば、お手伝いしますよ」
「いや、もうしばらくは泳ぎたくない」
「おい、着いたぞ」
自称父が足を止めたのは、商店街を抜けた先にある河川敷だった。
「今度はここを向こう岸まで泳いでもらう」
「は? なにいってんだ、条件はもうクリアしただろ」
「条件がひとつだけとは言ってなかっただろ」
「後出しだろ、そんなの」
「これが最後だ。向こう岸まで泳げたなら、そのときにはオレが知ってることを全部教えるよ」
「本当だろうな」
「ウソは言わないさ」
橋が近く、川の流れはそれほどきつくはない。
だが川幅が結構あることと水深は深そうである。
ただ水が濁っておらず、水草がないことを考えれば、難易度は同じくらいか。
しかしもう一回泳ぐのか。
「……サトミ、やっぱり泳ぎ方を教えてくれ」
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