6/8・9 A-7

 ここ数日のことだが、帰るのが完全下校の時間というのが段々と定着してきた。


 今日は麻倉が夕食の支度を済ませたというので、俺たちは三人でラーメンを食べてから帰ることにした。


 カウンター席に三人で並んで座る。


 利き手の問題で並んで食べるときの位置取りは大切だ。

 麻倉も田辺も右利きだから、並びが逆になるとラーメンを食べている間ガスガスと肘が当たることになってしまう。


 それを避けるために俺の定位置は左端なのだ。



「そういえば、渡瀬はすべて左手なんだな」



 隣の田辺がラーメンにこしょうを振る。


 それを左手で受け取りながら、答える。



「そりゃまぁ左利きだからな」


「左利きといっても、箸を持つ手やボールを投げる手は反対にするという人もいるだろう」


「たしかに、そのへんも全部左かも」



 右利き用のハサミだって左手で使える。

 それもまた慣れだ。

 利き手を変える努力をするのに比べたら大したことではない。



「それより、映画作りの方はどうなった? オレがいない間に進んだか?」


「今日からしばらく絵コンテだって。まだ実際に絵を描く作業はないんじゃないかな」


「そう考えるとアニメを作るのって大変だな」


「麻倉はどうなの?」


「そうだ。麻倉、父を名乗る男についてなにか進展はあったのか?」


「サトミがお嬢さまってことはわかった。まぁそれくらいだな。自称父については……もう少し色々わかってから報告するよ」



 つまりなにかあったのは間違いないのだろう。


 田辺もそのことはわかっているようだが、麻倉のことを思ってか深く追求はしなかった。



***



「準備ができた。始めてくれ」


「わかった」



 指示されたとおり、俺は目の前の扉を開ける。


 するとそこには田辺がいた。

 まぁここは田辺の家なので、ごく自然なことである。



「ふむ、失敗か」



 俺が入室してくるのを観察していた田辺が、ノートになにごとかをガリガリとつづる。


 六月九日、土曜日。

 俺は田辺の実験に協力していた。


 タイムマシンを作ることを長年の夢としている田辺は月に一度は奇妙な実験の手伝いを頼んでくる。


 昔はロケットを飛ばしたり、電球を破裂させたりと、過激な実験も多かったが近頃はかなり落ち着いた内容が多い。


 特に今日はまだ、扉の開け閉めしかしていない。



「何度か試行してみたが、タイムスリップの条件に渡瀬は関係していないようだな」


「そりゃそうだよ。俺がタイムスリップが起こせるなら、もっと早く田辺に教えてるって」


「自覚がないということも十分に考えられる」



 田辺とやりとりしながら、視線を窓際に向ける。


 リクライニング式のベッドに身体を預けた田辺の祖母はニコニコと俺たちを見守っていた。



「さっきからドアの開け閉めしまくってるけど、おばあちゃんに迷惑じゃないのか?」


「両側シリンダーの扉がうちにはここしかない。すでにおばあちゃんの許可は取っている」


「いいんですよ、大川さん。ところで今日は吉野さんと一緒じゃないのかい?」


「麻倉……じゃなくて、吉野くんはためてた家事に追われてるんで今日は不参加です」



 近頃、帰るのが遅くなりがちだから掃除や洗濯を徹底したいと昨日言っていた。



「そうかい。また一緒に遊びに来ておくれ」


「はい、ぜひ」


「渡瀬、もう一回だ。今度は鍵を一度かけてから、開けてみてくれ」


「わかった」



 田辺の祖母に会釈して、また廊下に出る。


 ドアノブに刺さった鍵で施錠し、すぐにまた解錠する。

 それからドアノブを回して扉を開けた。


 もちろん室内の光景はついさっきと同じだ。



「ふむ、やはり失敗か。状況から察するに両側シリンダーの扉が必須というのは間違っていないはずだが」


「タイムスリップの謎は掴めそう?」


「一から理論立てるのに比べれば、実際に起こっている現象を解明するだけでよくなったのは大きな進歩だ。だが悠長なことも言っていられない」


「いいじゃん、別に。急ぐ理由もないんだろ?」


「いや、状況が変わった。現在、渡瀬や麻倉がタイムスリップをしている以上、安全性の観点から原理の解明は急務だ。今は目立った問題は起こっていないが、なんらかのアクシデントが起こらないとも限らない。理屈がわかっていなければ、対処ができないだろう」



 思ったよりも、田辺は俺たちのことを心配してくれていた。



「悪いな、頭を使うことは全部田辺に任せっきりで」


「なぜ謝る」



 ノートから顔をあげた田辺は心底不思議そうに首をかしげた。



「おれはお前たちに感謝しているんだ。昔から、実験に付き合ってくれるのは渡瀬と麻倉だけだった」


「その分、死ぬほど怒られたけどね」



 一番怒られたのは、コンセントに金具突っ込んで、ブレーカーを叩き落としたときだったか。


 それともペットボトルロケットで民家の窓をぶち破ったときだったか。



「だからこそ、頼られた分はしっかりと応えたいと思っている。安心してタイムスリップするといい」


「おう、ありがとう。頼りにしてるよ」


「では早速だが、次は英単語を二十ほど暗記してから扉を開けてくれるか?」


「へ?」


「今度は放課後と環境を同じにするためだ。勉強による脳の疲労などが関係しているかもしれない。挑戦してみてくれ」



 ちなみに、勉強後に扉を開けてもタイムスリップには失敗した。

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