6/22 A-18
「そこ、危ないですよ。ほら、川が増水してますから。もう少し離れてくださーい」
サトミちゃんという少女の容姿がわからない俺が思いついた秘策。
それは目に映った人すべてを川から遠ざけること!
走りながら謎の忠告を撒き散らして進む。
どこの誰であろうと、俺の前にはいられないようにしてやるぜ。
ここまで男女五人ほど見かけたが、そのすべてがあっさりと川沿いから離れていってくれた。
背後で花火が打ち上がる音がして、振り返る。
麻倉の話だと花火が打ち上がったあとに事故は起こったらしい。
だが今のところそんな様子はない。
川は荒れているが、誰かが落ちた形跡もない。
もしかしたら俺が注意喚起したことで、サトミちゃんが川に落ちるという事故は未然に防げたのかもしれない。
商店街から離れ、すっかり人混みも落ち着いた川の上流でそう考える。
手応えはないが、悲観的に考えるよりはいいだろう。
そろそろ麻倉と合流しに戻ろうか。
と思ったとき、前方に人影を見つけた。
その子は、川のすぐ近くにしゃがみこんでいて、今にも――
「ちょっと待ったー!」
あれがサトミちゃんであれ、誰であれ、見過ごせない。
滑りこむように接近すると「ひっ」と小さく声をあげて、女の子は後ずさった。
「な、なんなの……」
「危ないから! 川沿いは危ないから!」
「お、落ちたりしないわよ。ちょっとボーっとしてただけよ」
「あ、そうなんだ……」
早とちりした。
ほんの少しだけ恥ずかしい。
女の子は「なんなの」ともう一度つぶやいて、俺をにらんだ。
浴衣を着ている人を多く見ていたため、私服姿だと少しだけ浮いて見える。
だが身長はそれほど低くもないし、特別華奢って感じもしない。
あとどう見ても小学生ではない。
百歩譲って高学年、俺の見立てだと中学生ってところか。
整った顔立ちをした、綺麗な女の子だった。
少なくともこの子はサトミちゃんではない。
憂いを帯びた表情が妙に魅力的で、危うく俺は幼少期から数えて四度目の一目惚れをしてしまいそうになった。
「とりあえずここは危ないから離れようよ。ほら、花火も始まってるし」
「興味ない。ほっといて」
なにやら不機嫌なのは間違いなさそうだ。
こういうときはなにか気をまぎらわせるものがあるといいんだけど、たとえば飴玉のようなもの。
甘いモノを食べると人は落ち着く、と田辺が言っていた。
そう考えてポケットをあさってみる。
出てきたのは映研の鍵と単語帳だけだった。
しかもこの単語帳は、河村さんに宿題として出されたもので中には「鍵が落ちる」ということをごく丁寧に描写したパラパラ漫画が書かれている。
よし、使うならこれだな。
「ここにパラパラ漫画があります!」
「は?」
「いや、これ結構よくできてるよ。俺、がんばって書いたからね。もう一種のアニメーション作品だよ」
「はぁ? そこまで言うなら、貸してみなさいよ。あたし、アニメにはうるさいんだから」
ひったくるようにして少女は俺から単語帳を奪い、パラパラとめくりはじめる。
終わったらまた最初から。
その動きを五度ほど繰り返してから、言った。
「下手。動きはともかく絵が下手で、同じ鍵に見えない」
「それはこれからの成長に期待してほしい。まだ初心者だからな」
「……あなた、高校生なの?」
「そうだよ。それは映研の活動で作ったやつ」
「ふーん……映研か」
少女は俺に単語帳を返してくれる。
ちょっとだけ心をひらいてくれた感じがする。
これなら会話が続けられそうだ。
「君はどうして一人でここに? 祭りなんだし、友達と一緒じゃないの?」
「クラスメイトと来たわ。だけどなんか話が合わなくてさ。あたしは、その、さっき見せてくれたみたいな、アニメ作ったりするのが好きなんだけど、そういう部活もないし、こう……ズレがあって」
「ズレがあるなら無理に合わせることないんじゃないの?」
「そんな風にしたら、はぶられるでしょ」
「好きなものが全部一致する人としか友達になれないってこともないでしょ。俺も友達は多くないけど、好みはなんにもあってないよ。規則正しく過ごしてるやつもいるし、オカルト趣味のやつもいる。三人でラーメン屋に行っても、頼むラーメンはみんなバラバラだし」
察するに彼女は中学に入学したばかりなのだろう。
新しい環境の変化に戸惑う時期だ。
「心配しすぎることないよ。世の中は案外自由だし、知らないことがたくさんある」
「……変なの。でも、なんか話したら楽になったかも」
そう言って、女の子は笑った。
その笑顔に、記憶の中の河村さんがだぶる。
「んん?」
待てよ。
計算してみろ。
俺から見れば今は十年前、この子は多分中学生。
俺から見て七年前、河村さんは高校一年生だった。
計算は合う。
そう気づくと今まで気づかなかったことが不思議なくらい、目の前の女の子は河村さんそっくりだった。
声も話し方も態度も。ちょっと違うのは髪型くらいで、この子は前髪をあげておでこを出している。
俺は髪型ですぐ人がわからなくなるようだ。
「映研ってアニメ作ってもいいの?」
女の子――中学生の河村さんが言った。
「多分、大丈夫。アニメって昔は漫画映画って呼ばれてたくらいだから」
俺は河村さんに会いたかった。
だが十年前の河村さんと会っても、あの日の事情を聞くことも、励ますこともできない。
急がば回れをしてきたが、これはさすがに回り道がすぎる。
高垣先生との会話を思い出していると、もう一つのアイデアが浮かんだ。
ポケットをあさる。
今の俺が持っているもうひとつのアイテム。
「将来有望な少女よ、もしも高校受験をするときに俺のことを思い出してくれたら、うちの映研に入ってくれ」
「高校受験って……まだ何年も先なんだけど」
「それくらいうちは慢性的な部員不足なんだ。もしかしたらそのとき、映研はもう廃部になってるかもしれないけど、部室があるからすぐに復活できる」
そうして俺はあるものを少女に差し出した。
「というわけで、君にはこの魔法の鍵をプレゼントしよう」
「は? なにそれ?」
「いつか、この鍵を使って会いに来てくれ。ドアノブは右に回すんだぞ」
「どういう意味なの?」
「この世の不思議のひとつだ」
この鍵を使えば、今より未来、高校生になった河村さんがタイムスリップをすることが可能になるはずだ。
俺から会いに行くことはできない。
だが向こうから会いに来てもらうことはできる。
ついでだから、高校生の河村さんに言いたかったことも言っておく。
「アニメを作る意味はなくならない。どれだけかかってもいい。完成させた作品を見てもらおう。それだけで、きっと意味があるはずだ」
「なんの話?」
「何年か経ったときに、思い出してくれ」
具体的には三年後くらいに。
そのとき救急車のサイレンの音が聞こえた。
それでようやく俺は自分の使命を思い出す。
「とにかく、そういうことだから。いつかまた会えたら!」
「あ、ちょっと!」
河村さんの声を背に、俺は走った。
救急車が来たのはもしかすると、麻倉になにかあったのかもしれない。
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