6/7・8 B-5
放課後を普段とは別のことに使った分だけ、夕方は忙しくなる。
脚本を文字に起こして、色々と改変すると言った渡瀬は田辺の家に残った。
田辺の知恵も借りるらしい。
本来なら手伝うべきところだったが、我が家の家事を欠かすことはできない。
渡瀬たちと六時半頃に別れたオレは急いで帰宅すると、洗濯物を取り入れ、急ぎ夕食の支度を開始した。
米を研ぎ、炊飯器のスイッチを入れ、頭の中で献立を構築する。
これからしばらくの間は放課後に時間を取る必要がある。
これまでとはルーチンを変える必要があるだろう。
朝のうちに夕食の準備をしておいたほうがいいかもしれない。
簡単な食事では、育ち盛りの弟に申し訳がない。
カレーやシチューなどの作ったあと置いておけるものならば、朝のうちに作ってしまえるか。
それにしても、サトミの存在は数日でだいぶ慣れたがタイムスリップは受け入れがたいものがある。
実在は確認したし、それはそうなんだろうと理解はしているが……なんとも疲れる話だ。
特に父と名乗る不審者。
あれさえなければ、もう少し疲れもマシだっただろうに。
なんとか今日も夕食の支度を終え、家族が食べ終えた食器を片付けると、忙しかった一日が終わる。
自室に戻り、布団へ飛び込むとすぐにまどろんだ。
オレはその状態で、頭上に浮かぶサトミに言った。
「おやすみ、サトミ」
「はい。おやすみなさい、麻倉さん」
サトミは礼儀正しくお辞儀をする。
ピンク色のパジャマを身につけたサトミの姿は、日中に見ると違和感があったが夜は自然に思える。
そういえば、こいつ寝れるんだろうか?
そんなことを考えながら、うとうとと眠りにつく。
それからどれくらい経ったのか。
時計を見る気がしない程度の浅い目覚めの中、かすかにすすり泣くような声が聞こえた。
夢かもしれない。
でもそうじゃないとすれば部屋で泣いているのは……この押し殺した声の主はサトミなのだろう。
眠気ではっきりしない視界の中、ピンク色の人影は静かに肩をふるわせているように見えた。
オレは考えが浅かったのかもしれない。
いくらしっかりしているとはいえ、サトミはまだ子どもだ。
家族と別れて一人では心細くて当たり前だろう。
加えてサトミにはもうひとつ、自分が死んでいるかもしれないという不安もある。
気丈に振る舞ってはいても、その不安は想像するだけで恐ろしいものだ。
それでも、サトミはオレの前で泣くことはなかった。
オレの要求どおり、邪魔にならないよう黙っていた。
かわいそうだ、と多分初めて素直に思えた。
記憶喪失である状況や、幽霊になってしまった境遇よりも、わがままを言わなかったことにそう思う。
オレの前で取り乱したり、涙を流したりしなかったことを、かわいそうに思う。
あれくらいの年の頃、自分はいったいなにをしていただろう。
きっとバカみたいに遊んで、全力でヘラヘラ笑っていたはずだ。
消しゴムのカスを集めたり、牛乳を飲む速さを渡瀬たちと競う。
そんなバカげたことをたくさんしたことをおぼろげながらに覚えている。
サトミをなんとかしてやりたいと思う。
けれど、結局泣いていることに気づかないフリをして眠ることしかできなかった。
***
「なるほどねぇ……」
翌日の放課後。
六月八日は金曜日だが、七年前であるここではまだ木曜日なのだろう。
七年前の部室で河村が熱心にノートに書かれた文字を目で拾っていた。
そのノートは渡瀬が持ち込んだもので、昨日田辺と夜を徹して作ったものだと言っていた。
愛の力とは大したものだなぁ、とオレなんかはしみじみ思う。
「短くて、ハッピーエンドで、未来的な話になってる自信作です」
「たしかによくできてるわね。でもまさか昨日の今日でちゃんとした脚本を持ってきてくれるとは思ってなかったわ」
ぱらり、ぱらりと河村がページをめくる。
「うん、あたしが用意してきたやつよりもいい感じかも」
「え、見せて」
「嫌よ。それに、これと少し似てるから、見ても面白くないわ」
河村は机の上に出していたノートをかばんにしまった。
「じゃあ、オレもそろそろ行ってくる」
渡瀬と河村を二人きりにしてやるのも気の利く男というやつだ。
……と、まぁこれはおためごかしなんだが。
七年後の現在から持参した雑巾を窓枠に引っ掛けて、外に出る。
戻ってきたときに靴底を拭うために用意したのだ。
それから昨日と同じく、裏門から歩道へと出た。
「サトミ、昨日見たあの映画どう思った?」
「絵本みたいに優しいお話で、私は好きですよ。やっぱり物語はハッピーエンドがいいです」
「そりゃそうだな」
苦い結末にも味わい深いものがあるのはわかる。
けれど、見たあとに明るい気持ちになれるもののほうがオレも好きだ。
「ところで麻倉さん、どこへ向かっているんですか?」
「とりあえず周辺を歩きまわってみる。そしたら、お前がなんか思い出すかもしれないだろ」
効率的な方法とは言えないが、他にいい案が思い浮かばない。
なにもしないよりマシだろう。
「どんな些細なことでもいいから思い出したら、教えてくれ」
「はい」
見慣れた街並みだけど、七年前というだけあって少しだけ景色が違う。
だが、おおむね見知った町だ。
人が多くも少なくもなく、都会とはいえないが田舎というのもためらわれる。
そんな程度の町。
「あれ……見覚えがあります」
サトミがそう言ったのは、とある有名な私立小学校の近くでのことだった。
下校する最中の小学生たちが、かたまりになって信号を待っている。
「あの小学校に通ってたのか?」
「わかりません。でも制服には見覚えがあります。着たことがあるかどうかまでは、思い出せないんですけど……ごめんなさい、参考になりませんよね」
「いや、わかったことがあるぞ。サトミはお嬢さまだったってことだ。これは手がかりになる」
あの学校はお金持ちが通うところで有名だ。
それにサトミがお嬢様だったことは意外ではなく、むしろ納得した。
落ち着きすぎている物腰や、語彙が豊かな口調に違和感があったのだ。
自分が小学生の頃はすべての会話に「どかーん」とか「ずばっ」といった擬音を入れていた。
やはり育ちがいいと頭も良くなるのだろう。
「それに町を歩いていると、記憶が戻ってくることも確かめられた。これで一歩前進だ」
「麻倉さん……その、あまり気にしないでください」
気をつかうようにしてサトミは続けた。
「たとえ私の身体が見つからなくても麻倉さんのことを恨んだりはしません。だから、私はほどほどに捜してもらえるだけで十分です」
「そ、そうか……」
勇気づけるような言葉を意識して口にしたが、やはり空々しかったのだろう。
サトミに気をつかっていることを見抜かれてしまった。
達観したとも思えるサトミの態度は、オレに安心と苛立ちの両方を与えた。
自分でもどうしてそんな風に感じるのかはさっぱりだ。
「やっぱりここにいたな」
不意に背後から聞こえたその声は、どうにも不快に聞こえる。
「よぉ、オサム」
現れたのは昨日も見かけた不審者。
自称、オレの父だった。
「どうしてオレがここにいるってわかったんだよ?」
「父親なんだから息子のことがわかって当たり前だろ」
「仮にあんたがオレの父親だとしても、今のオレはまだ小学生だ。どうしてオレのことが麻倉修だってわかるんだ?」
「そりゃ父親だからだよ」
「全部それで通すつもりかよ」
「通すさ。父親だから、お前が今なににどう困っているのかもわかってるし、どうすればそれが解決するかも知ってる」
そういった自称父親は、オレから視線を少しずらした。
その先にはサトミがいる。
少なくともオレには、自称父がサトミを見ているように感じた。
「あんた、もしかして……」
「さぁ、どうするオサム。オレならお前の欲しい答えを教えてやれるけどな。つまりお前についてる幽霊をどうにかする方法を」
幽霊をどうにかする方法。
その言葉に反応したのはオレだけでなく、当の本人であるサトミも同じだった。
「本当ですか?」
浮いているサトミは浮遊しながら自称父に近づこうとする。
だがオレから離れることができない。
「あなたは私が誰なのか、そしてどうやったら元の体に戻れるのか知ってるんですね?」
サトミの問いかけに答えず、自称父は気取った仕草で肩をすくめた。
「オレは別にどっちでもいいぞ。オサムが消えろというなら、二度と目の前に現れない」
「その言い方は卑怯だ」
「当然だろ、大人なんだから」
そこまで言って、嫌味な笑みを浮かべた。
自称父の一挙手一投足に腹が立つのは、人を小馬鹿にした態度のせいだろうか。
それともオレくらいの年になれば、父親に反感を抱くのは普通のことなんだろうか。
「協力して欲しいなら余計な質問はなしだ。オレが誰であろうと、必要な情報を持ってる人間ではあるはずだ。興味があるならそう言え、オサム。そうでないならこれきりだ」
オレの選択を迫るように、自称父は背を向けて歩き出す。
宙に浮かぶサトミがオレを見つめてくる。
実質、オレに選択肢はあってないようなものだった。
「教えろ、不審者」
「なにをだ?」
「サトミについて、あんたが知ってること全部だ」
「ならいくつかお前にやってもらわないといけないことがある」
「条件つけるのかよ」
「ただで得られるものはない。汗をかけ、若人」
「あー、もう……わかった! なんだってやってやるさ!」
「じゃあまずは……そうだな、次に来るときはこれから言うものを持参して来い」
そう言って、自称父は帽子の下の口を笑みの形に歪めた。
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