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 六月二十日。


 諸君、本日はデートの日である!


 今日は念入りに顔を洗い、制服もきっちり着こなし、特に意味はないけれど放課後になって一番に手も洗ってきた。


 あとは河村さんのところへ飛び込むのみ。

 なのだが。



「なぁどうしたんだよ」


「んー」



 麻倉のテンションが低い。


 昨日からどうもおかしかったが、事情を聞いても「まだ整理しているところ」として打ち明けてはくれなかった。



「向こう、行くんだろ?」


「行く。行くが……まぁ、行かないわけにはいかないよな」



 ぼやきながら重い腰を上げた麻倉と一緒に、部室の扉をくぐる。



「来たわね」



 河村さんは部室の整理をしていたらしく、本棚や段ボールがいつもより整頓されているように見えた。



「じゃあ取材に行きましょうか」


「待ってました!」


「じゃあオレは留守番してる」


「へ?」



 麻倉の言葉に意外そうな声をあげたのは、河村さんのほうが早かった。



「どうしたのよ、いつもホイホイ外へ出かけてるくせに」


「今日は事情があるんだよ。二人とも出かけるならオレのことは気にしないで行ってくれ」



 組み立てたパイプイスに腰かけた麻倉は本当に動きそうもない。


 河村さんは助けを求めるように俺のほうを見た。

 そっとしておいてやって、と視線で伝えてみる。



「そう、じゃあ出てくるわよ。靴を履き替えてくるから、校門で落ち合いましょう」



 窓からしか出られない俺にそう言い残して、河村さんは扉から出て行った。



「本当に大丈夫か、麻倉」


「大丈夫。答えは出てるんだ」


「そのわりには嬉しそうじゃないね」


「いいんだ、これくらいは自分でなんとかする。行けよ、渡瀬。待たせると機嫌を損ねるぞ」



 麻倉に急かされ、いつも彼がそうしているように窓枠から校庭に出る。

 そこから正門のほうへ向かうと河村さんが待っていてくれた。



「さ、行きましょうか」


「どこに行くの?」


「ついてきてくれたらわかるわ」



 首をひねる河村さんについていくと、どうやら商店街へ向かっているようだった。



「商店街に行くの?」


「用があるのはその向こうね」


「ああ、河川敷か」


「正解」



 商店街を抜けた先の河川敷は、近頃麻倉が泳ぎの練習をしていると言っていた場所と同じだろう。

 ジョギングや犬の散歩でよく使われる場所だ。



「ここ、来たことある?」


「もちろん。夏祭りのときに来たこともあるし、ペットボトルロケットを打ち上げるときにも来たことがある」


「面白いことをしてたのね」


「小学生のときのことだけどね。そのとき、一度だけ年上の女の人を見かけたことがあるんだ」



 俺たちはロケットを抱えてジタバタしていたが、その人は川沿いに一人でしゃがみこんで、物思いにふけっていた。

 その憂いを帯びた横顔に俺はあっさり一目惚れした。



「ちょうどうちの学校の制服を着てた人で、遠くから見てただけだけど、綺麗な人だった」


「ふーん。一目惚れでもしたの?」


「そうかもしれない。多分、それが初恋だった。遠くで見ただけの、ささやかな思い出なんだけどね」



 今ではずいぶんおぼろげな記憶だ。

 多少美化されたり、補正されているかもしれない。



「ねぇ、それっていくつぐらいのこと?」


「小学校の三年生か、四年生くらいだったかな。あんまりよく覚えてない」


「時期は何月?」


「四月か五月だったんじゃないかな、春になってすぐだったと思う」


「あっそ。そういえば、渡瀬くんって今いくつだっけ?」


「高校一年生の十五歳ですが」


「今のあなたじゃなくて、この時間のあなた」


「ああ、そういう意味。七年前だから八歳かな」


「なら渡瀬くんが一目惚れした女子高生はきっとものすごく美人だったんでしょうね」



 なぜか嬉しそうに河村さんは言った。


 スキップでもするみたいに河村さんは川に近づき、水面に視線をおとした。



「あたしもここが初恋の場所なのよ」


「えぇ! ど、どこのどいつ? いくつのとき? 相手はどこのどいつ?」


「質問が重複してるわよ。落ち着いてよ。昔のことなんだから」


「昔! 昔のことってどれくらい?」


「中一だったかな。渡瀬くんよりは遅い初恋だったかも」


「くそっ、なぜ俺はそのときにいなかったんだ!」


「いてもまだ小学校にも入学してない年なんじゃない? そう考えると、今まで同級生みたいな感覚でしゃべってきたのが不思議ね。あたしのほうがずっとお姉さんだわ」


「姉さん、初恋の話を!」


「がっつきすぎ」



 額に手刀をくらう。


 いくら過去の話といえど、好きな人の恋の話は気になる。


 気になるが、聞くと苦しい。

 感情の処理が難しくて困る。



「年上の人だったのよ。年は知らないけど、高校生だった。うちの制服着てたわ」


「はっ、もしかして河村さんがうちの学校に入学したのって……」


「まぁ、その初恋の人の影響がなかったとは言わないけどね」



 照れたように河村さんが笑った。

 とてもかわいらしい。


 しかし、その表情を引き出したのが俺ではない別の男であるということが悔しい。

 嫉妬のあまり、そいつを見つけたら頭突きをしてしまいそうだ。



「そういえば、その人妙なこと言ってたのよ。『また俺に会いに来てくれ』って」


「なんて図々しいやつだ!」


「いや、そうじゃなくて。あたし中一だったのよ? その人が仮に高校一年生だったとしても、あたしが入学する頃には留年しないかぎり卒業してるわ。実際、いなかったし」


「探したの?」


「はっきり覚えているわけじゃなかったから、なんとなくだけどね。お互いに名乗ったわけでもないし」


「そいつとどんな話した?」


「はい、この話はもうおしまーい」



 ぱんと手を打ち鳴らして、河村さんは言った。



「あくまで昔のことよ。今じゃただの思い出だわ」


「ぬぐぐ!」



 俺が嫉妬で悶えるのを楽しむように、河村さんはくっくと笑い声をあげる。



「さ、移動しましょ。今日は色んなところを見て回らないといけないんだから」

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