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「手伝わせちゃってごめんね」
「いえ、全然」
プリントを運ぶだけの簡単なお仕事だった。
職員室の隣にある資料室に入るのは初めてだが、アルミ製の棚が所狭しとつめ込まれておりちょっとしたアスレチックみたいになっている。
そこに唯一ある長テーブルにプリントの束を置くと、高垣先生は一息ついた。
「ありがとう。そういえば渡瀬くん。最近、熱心に映研の部室に通ってるみたいね」
「はい。まあ」
目立っていないと思っていたが案外、気づく人には気づかれていたようだ。
「そういえばアニメを作るのに興味があるって言ってたもんね」
「まぁそうですね」
あんまり突っ込まれると話しづらい。
やましいことをしているつもりはないけれど、人に訊かれて説明できる話でもない。
話をそらすために、俺は高垣先生に話題をうつした。
「先生は教育実習もう慣れました?」
「そうね、元々知らない学校ってわけじゃないから」
「ここの卒業生なんですか?」
「ううん、ほんの短い間だけ在学してただけ。親の転勤が多くて、三年の間に色んな高校を転々としたの」
世に言う転勤族っていうものなのか。
「あとね、渡瀬くん。教育実習って大体は自分の母校に行くものなのよ」
「それは知りませんでした」
「まぁ定員とかあるから絶対ってわけじゃないけどね」
「ここを選んだってことはなにかいい思い出があったりとかするんですか?」
「そうね……うん、きっとそうだわ」
高垣先生は昔を思い出そうとするように、目を閉じた。
「あのときは色々と必死だったから見えてなかったものもたくさんあったけど、やっぱり大切だったのね。もう一回、こうして……立場は違うけどこの学校に通ってみて気づいたわ。あのときのあたしはやっぱり少しマヌケだったのかも」
話が大人っぽくてよくわからない。
その表情が伝わったのか、高垣先生は曖昧に笑った。
「ごめんね、引き止めて。今日はありがとう。アニメ作りがんばって」
「ありがとうございます。それじゃあ失礼します」
一礼して資料室を出て行く。
なんだか大人な会話をしてしまった。
それにしても高垣先生は美人だなぁ。
長い髪も似合っているし、大人の色気めいたものがある。
ふんふん、とご機嫌で階段を降りて映研へ向かう。
部室の扉の前では田辺が腕を組んで立っていた。
「用事はもう済んだのか?」
「うん。麻倉は先に行ったんだよね」
「ああ。なぜか焦っているようだった。幽霊の一件でなにかあったのかもしれない」
「そっか。戻ってきたらそれとなく訊いてみようかな」
どうも近頃、麻倉の様子はおかしい。
もう少し気にかけるべきかもしれない。
「じゃあ行ってくるよ」
田辺に挨拶をして扉を開ける。
河村さんは今日も変わらず部室にいてくれたが、その表情にはどこか覇気がない。
怒っているのか、なにか気になることがあるのか、あるいはその両方か。
「河村さん、なにかあった?」
「べっつにー。誰かさんが美人女子大生とイチャついてたせいで部活がはかどらないとかそんなこと全然思ってないし」
「美人女子大生って……ああ、麻倉が言ったのかぁ」
高垣先生をそういう言い回しで表現することは前にもあった。
「あたしは別にあんたがなにをしていようと興味ないんだけどね」
「時間が遅くなったけど今日はバリバリ練習するよ。ほら、鍵のパラパラ漫画も完成したんだ」
宿題として出された単語帳を河村さんに手渡す。
何度も書き直したおかげで、真に迫る鍵の落下描写になっていると思う。
「たしかに、上達したわね。最初の頃に比べたら、よほど鍵が落ちてるみたいに見えるわ」
「やった」
「でもまだまだよ。これはあくまでワンシーンなんだから。完成まではまだまだかかるわ」
それはわかっているが、今は褒めてもらえた喜びを噛みしめる。
この単語帳は記念に、肌身離さず持ち歩こう。
「そうだ、渡瀬くん。ちょっとそのままでいて」
「そのままって……ここに立っていればいいの?」
「ドアのほうを向いてくれると満点かな」
「じゃあそうする」
くるりと反転して扉を向かい合う。
古ぼけた鍵のささったドアノブがちょうど腰のあたりにくる。
「いいわ。そのまましばらく動かないで」
「はい」
なんだろう。
後ろから抱きつかれたりするんだろうか。
まぁ、ないな。
ガサゴソとカバンをあさる音が聞こえる。
それがおさまると次は紙をめくる音。
数種類の鉛筆がカラカラと筆箱の中で音を立てる音が続く。
「あの、なにしてるの?」
「模写。背景の設定してなかったから」
「俺は?」
「背景と人物は別で書くのよ。アニメの場合、背景は往々にして動かないから。あんたも今日は背景ね。人の影がついた背景を書きたかったのよ」
どうやら俺ではなく、俺の影が重要らしい。
動くな、と言われたとおりにしているが、若干退屈してくる。
河村さんの顔さえ見ることができれば、何分でもじっとしていられるが、扉とにらめっこはしていられない。
「そういえば、この前の休みに絵コンテをご両親に見せるって――」
「しゃべらないで。動くなって言ったでしょ」
「背中向けてるからしゃべるくらいは……」
「肩が揺れるのよ。できることなら息も止めておいてほしいくらいだわ」
鉛筆が紙をひっかく音が聞こえてくる。
「これまでのお礼と宿題ができたご褒美、ってわけじゃないけれど」
何分か経ったころ、鉛筆を動かす音の隙間から河村さんが言った。
「明日もまた来てくれるんでしょう?」
「うん、来るつもり」
「なら二人で取材に出かけましょう。背景を決める前に、色々な風景を見ておきたいの」
「それってデート?」
「取材だけど……まぁ、デートってことでもいいわよ」
「よっしゃあ!」
「あ、バカ。動かないでってば」
デート。
その響きだけでどんな困難も苦ではない気がした。
そして、その言葉だけで俺はなにもかも見過ごしてしまった。
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