第二章・その6

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「走るぞ!」


 言って俺は駆けだした。くそ、腰に下げた勇者剣が邪魔だな。左手で勇者剣に手をかけ、俺は腰から外した。脇にかかえる。聖菜もだ。それを見ていたユーファも真似をする。


「走るときはこうするんだな?」


「そうだ!」


 これは勇者同盟のマニュアルにはないんだが、基本、みんなこうしてる。勇者同盟のマニュアルには勇者剣を使った闘い方しか載っていない。もちろん、滅ぼさずに見逃す方法もだ。昼行燈戦法は俺のオリジナルである。


 走る途中、女性の悲鳴が聞こえなくなった。ヤバい。俺たちの駆ける先に、白い霧が見えてくる。俺たちはかまわず飛びこんだ。


「そこの妖魔! 人を襲うのはやめなさい!!」


 最初に声を放ったのはユーファだった。妖魔を前にして、ビビった気配はない。まあ、それも当然だが。俺たちの前には気絶したらしい女性が倒れている。そばに立っている妖魔は――こいつも人間の姿だった。男の会社員である。いや、元が人間だったのか。その妖魔がうつろな目でこっちを見る。これは憑依型だな。ベースになっている人間が、まだ生きている可能性もある。うかつに傷つけるわけにはいかない。


「また面倒なのがきたわね」


 聖菜が俺の横で勇者剣を降ろした。自分の胸にかけてあるペンダントに手をかける。俺も同じことをやった。


「「退魔モード」」


 俺や聖菜の声と同時に、ペンダントが青い光を放ちはじめた。低級な妖魔なら、この光を嫌がって人体から退散してくれるんだが。そうならない場合、噛まれないように気をつけながら押さえつけて、そのまま勇者同盟の集会所まで連行して、そこで大掛かりな儀式で妖魔を追いださなければならない。


 そして、懸念していた通り、妖魔はペンダントの光を見てもひるまなかった。


「どうする?」


 ペンダントから手を離し、聖菜が妖魔から目を逸らさないようにしながら聞いてきた。過去の経験から、この手の奴は峰打ちでぶっ叩いても気絶しないし、頸動脈を絞めても眠らないことがわかっている。


「そりゃ、なんとかして連行するしかないだろう」


 まずったな。手錠の携帯は義務じゃないから持ってこなかった。まさか、こんな面倒臭いのが相手にでてくるとは。


「貴様ら、勇者か」


 このとき、急にべつの声と気配を感じとり、俺は声のしたほうをむいた。会社員の姿をした妖魔のそばに、今度はОL姿の妖魔が立っている。――いや、こいつは妖魔じゃない!


「あなた、魔王軍ね」


「正確には、その残党だ」


 聖菜が勇者剣をかまえ、俺は聖菜とОLの間に割って入った。まずったな。どうすればいい?


「ふん」


 ОLがあざけるように笑った。直後に、妖魔に憑依された人間が俺の前まで歩いてくる。俺の背後で、聖菜の気配が一変した。おそらくは俺も表情に動揺が走っただろう。ОLが興味深そうに俺たちを眺める。


「勇者は、我々とは対等に闘える能力を持っているが、憑依された人間を相手にすると躊躇する。――そんな馬鹿げたことなど、あるものかと思っていたのだがな。まさか、そんな雑魚も滅ぼすことができないとは。まったく理解できん」


「俺たちの世界には、弱者の味方って言葉があるんだよ」


 まずったな、と俺は思った。たぶん、俺の背後の聖菜もだろう。これは人質をとられているのと同じである。マニュアルでは、こういう場合、多少は傷つけてもいいから人間は行動不能にさせて、魔王軍の残党は問答無用で滅ぼすことになっているが。いままで、そういうことをせずになんとかしてきた俺だったんだが。


 やるしかないのか、と思っていた俺の視界の隅で、ユーファが動いた。


「あなた、魔王軍の残党なの?」


 敵意ゼロ――というか、あきれたような調子でユーファが言いながら、勇者剣をかまえることもなく、スタスタとОLに近づいていく。ОL姿の魔王軍の残党がうるさそうにユーファに目をむけ、次の瞬間、その表情が激変した。


「あ、あれ!? ユーファ様!?」


 いきなりОLが直立不動の体制をとった。訳がわからずに見ている俺の前で、ユーファが偉そうにОLをにらみつける。


「あなた、私のことを知ってるの? どこかで会った?」


「あ、あの、以前、魔王様の宮殿で、遠くから。そのときは、こんな人間の姿をしておりませんでしたが」


「あ、そう。じゃ、結構な立場なわけね」


 ユーファがОLを上から下まで眺めた。ОLはガチガチな状態で固まっている。


「そうね、もういいわ。えーっとね、そこの」


 言いながら、ユーファが妖魔に憑依された会社員を指差した。会社員は、何が起こったのかわからないらしく、ユーファとОLを交互に見ている。そのことに気づいたОLが青い顔で会社員をにらみつけた。


「馬鹿! 平伏しろ! このお方は魔王様の姫君だぞ! 貴様のような雑魚が直視していいお方じゃないんだ!!」


 この言葉で、あわてて会社員が土下座した。魔王軍の世界にも土下座があるんだな。ボケッと考える俺の前で、ОLもユーファに平伏した。


「大変な失礼をいたしました。まさか、こんなところでユーファ様にお会いできるとは想像もしておりませんでしたので」


「べつにいいわよ、そんなこと。それよりも、そこの人間のなかに入ってる妖魔、外にだしちゃって」


「は。――は?」


 ユーファの言葉が理解できなかったらしく、ОLがキョトンと顔をあげた。


「何よ、私の言ったことがわからなかったの? 妖魔をだしちゃいなさいって言ってるの」


「あ、あの、言ってることはわかるんですけど、なぜ、そうしなければならないのかが。いま、そこに勇者の子孫がいるのですが」


「だって私、そこにいる勇者の弟子だから」


「はあ!?」


 ОLが目を丸くした。驚いたな。聖菜とリアクションがそっくりである。まあ、そうなって当然だろうとは俺も思う。

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