魔王の娘は努力次第で勇者になれますか?

渡邊裕多郎

序章

「あの、すみません。いつも見ていたんですけど、武道をされているんですか?」


 普段と同じように、俺が夜中の公園で素振りの練習をしていたら、いきなり背後から声をかけられた。なんだ? 珍しいな。というか、こんなの、はじめての経験かもしれない。


「えーと、そうですけど」


 ちょうど、素振りが三百本終わったところである。きりがいい。俺は竹刀を降ろしながら振りむいた。そこに、俺と同じ、中学生くらいの、青いワンピースを着た、背の低い少女が立っていた。ちょっと恥ずかしそうに俺を見ている。


 あれ、これは問題なんじゃないか、と俺は思った。


「あの、実は」


「駄目じゃないか。君みたいな娘が、こんな夜に、ひとりで歩きまわったら。あぶないだろう」


 その少女が何か言う前に、俺から忠告しておいた。言われた少女が、はっとした顔をする。


「すみませんでした。そういうの、考えてなくて」


 と、一応は謝ったものの、その少女が、顔をあげて、それから少し不満そうに俺をにらみつけてきた。


「でも、あなたも、私とあんまり年齢が変わらないように見えますけど。いいんですか?」


「チャンバラの練習してる奴にからんでくる人間なんていないからな。問題ないだろう」


「学校の先生に何か言われないんですか」


「中学は、少し前に卒業した。もう無関係だよ」


「じゃ、高校は?」


「まだ入学してないから、もっと無関係だ」


 我ながら屁理屈を並べたもんだが、この手の言い訳は突っこみの入れようがない。ワンピースの少女が少し困った顔でうなずいた。


「じゃ、仕方ないですね」


「そういうわけだし、いまは夜だ。このままじゃあぶないから、よかったら、君の家まで送らせてくれないかな。俺はいま、学校がなくて暇だし。用があるなら、明日の昼、またここにくるから。詳しいことはそのときに聞く。それでいいかな」


「そ、そうですか」


 間違ったことは言ってないと思うんだが、ワンピースの少女は、少し期待外れな顔をした。


「じゃ、あの、そういうことでしたら、それでお願いします。ただ、その前に、ひとつ、いいですか? 送り狼っていう、怖い言葉があるんですけど」


「いま、ここには、俺たち以外、誰もいないよな」


 俺は夜の公園を見まわした。


「送り狼も何も、悪いことをしようと思ったら、とっくにやってる。それに、俺は普段、武道をやってるからな。武道家はそんなことしないよ。信用してくれ」


「そ、そうですか。じゃあ、それ、信用します」


「そりゃよかった。それで、家はどっちだい?」


「じゃ、こちらへ」


 ワンピースの少女が指差す方向を確認し、俺は少女と一緒に歩きだした。


「あの、名前を聞いてもいいですか?」


「青山恭一って言うんだけど」


「そうですか」


 と、返事をして、それから少しして、ワンピースの少女が俺を見あげた。


「あの、私の名前、聞いてくれないんですか?」


「そういう難しいことは、明日の昼、いろいろ話すことにしよう」


「そうですか。――じゃあ、ひきつづき、私から質問、いいですか?」


「こたえられることなら、なんでも」


「じゃあ、あの、お言葉に甘えて、質問なんですけど。青山さんのやっている武道って、剣道ですか?」


「剣道だけじゃないよ。ほかにも、いろいろと。もっと正確に言うと、俺がやってる奴って、俺の家に伝わる、ちょっと特殊な奴だから、ほかの剣道家が見たら、なんだあれってなるかもしれないな」


「そうなんですか。それから、あの、いつも、夜に練習していたみたいですけど、あれは、どうしてですか?」


「昼間は学校があったからな。いまは卒業したから、昼でも夜でもかまわないんだけど、ずっと夜に練習してきたから、その流れで、なんとなく」


「なるほど。それで、いつも、ひとりで練習しにきて、ひとりで帰ってるみたいなんですけど。お父さんお母さんが迎えにくるってことはないんですか?」


「ふーむ」


 俺は少し考えた。


「まあ、百パーセントないだろうな」


「信用されてるんですね」


「まあな」


「じゃあ、たとえばの話ですけど、今日、いきなり青山さんが家に帰ってこなくて、そのまま行方不明になったとしても、どこに行ったのかは、誰にもわからないことになるんですか?」


「そうなると思う」


 いま、俺のスマホは家に置いてある。俺の返事に、ワンピースの少女がほっとしたような顔をした。


「よかった。私、実は、そういう人を、ずっと探していたんです」


「へえ」


「そうじゃないと、いろいろ探られて、面倒になると思ってたから」


 言いながら、ワンピースの少女が急に立ち止まった。仕方がないから俺も立ち止まる。それのまま俺は周囲に目をむけた。いつの間にか、白い霧が世界を覆っている。俺が立っているのはアスファルトじゃない。土の地面だった。


「いまの青山さんみたいな人なら、いい餌になると思っていたんです」


 ワンピースの少女の不気味な宣言と同時に、グルルルルといううなり声が前方から響いてきた。その直後、霧の彼方から、ドーベルマンみたいな、凶暴な顔をした野良犬が三頭、顔を現わす。俺が送り狼になるんじゃなくて、むこうが迎え犬だったらしい。


「なるほど。チャンバラやってる奴にからんでくる人間はいないけど、野良犬はからんできても仕方がないか」


 俺が言ってる最中にも、三頭の野良犬が霧の彼方からずかずかと近づいてきた。――訂正。三頭の野良犬じゃなかった。頭は三つなんだが、胴体がひとつである。


「これ、私のペットで、ケルベロスって言うんです」


 明るい調子で言いながら、ワンピースの少女が俺から離れる。――ワンピースの少女は、もう人間の顔をしていなかった。顔は紫色で、額からは日本の角が生えている。


「学校で教わらなかったんですか? 夜、不用意に出歩くとあぶないって。武道家なのに、教師の教えを聞かないから、こうなるんですよ。自業自得です」


 言いながら、ワンピースの少女がケルベロスのほうへ歩いて行った。ケルベロスの頭をなでながら、こっちをむく。


「ほら、喧嘩をしないで、仲良く三等分して食べるのよ」


 少女の言葉に、ケルベロスが嬉しそうに牙を剥いた。仕方がないから、俺も持っている竹刀をかまえたが、ケルベロスがひるんだ様子はない。そりゃそうだろう。ワンピースの少女が、楽しそうに俺を指差す。


「がっつかないで、よく噛んで食べるのよ」


 ワンピースの少女が言うと同時に、ケルベロスが耳を覆いたくなるような雄たけびをあげた。そのまま、一気に突っこんでくる。俺は竹刀を横に振った。それでケルベロスが綺麗に横へ吹き飛ぶなど、ワンピースの少女は想像もしていなかったに違いない。絶叫をあげて地面にのたうつケルベロスから目を離し、俺はワンピースの少女のほうをむいた。


 想像どおり、ワンピースの少女は唖然としていた。


「――え? どうして?」


「誰かを襲うときは、やりかえされる危険も伴う。これも自業自得だ」


 言ってから、俺はワンピースの少女を竹刀で叩いた。かなり強めにだが、頭は外してやったんだから、それでも親切なほうだろう。ワンピースの少女が肩を抑えてうずくまる。外見から考えるに、基本骨格は人間と同じはずだ。鎖骨を折った感触が伝わってきたから、片腕はあがらないはずである。


「あなた、まさか、勇者同盟だったの!?」


 ワンピースの少女が顔をあげた。驚愕の表情である。


「青山恭一って名乗っただろう。『青山』の一族だよ」


 まあ、めずらしい名字でもないから、それだけで気づけっていうのは無理だったかもしれないが。ひきつづき、竹刀をかまえる俺に、ワンピースの少女が憎悪の目をむけた。


「貴様たち、勇者の同盟がいるから、私たちは――」


「遺言のつもりなら、べつに必要ないぞ」


 俺は竹刀を降ろした。


「いまは勇者剣も持ってないから、そもそも、とどめも刺せないしな。もう人を襲うのはやめときな」


 言って俺は背をむけた。忘却の時刻――と俺たちは呼んでいるが、この白い霧の結界も、まっすぐ歩いていけば、普通に脱出できるはずである。


 俺の背後で、ワンピースの少女の気配が一変した。俺が、どうして見逃してくれるのか、それが理解できないらしい。


「礼は言わないわよ」


「言いたいことがあるなら、明日の昼間、あの公園で待ってる」


 振りむかずに言い、俺はそのまま、その場を去った。


 翌日、当然ながら、公園で素振りの練習をする俺の前に、ワンピースの少女は現れなかった。

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